烈日よ、さざ波を追って   作:夜鷹ケイ

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<あらすじ>

 終末(エスカトン)を越えたオンパロスに、ひとつの余白が残された。
 記憶体となった民が新たな器を得るその日まで身を寄せる、ピンクの妖精さんこと、彼女(キュレネ)の祈りによって編まれた揺り籃。そこには、微睡みの庭、陽だまりの園、星の降るドームがあり、終わりを越えた者たちの記憶と願いが、静かに息づいていた。
 ヒアンシーの診療所を出たファイノンは、アナイクスから言い渡された「この場所で感じたことをレポートにする」という課題に向き合う。避難所でも、保管施設でも、ただの休息所でもないその場所を、彼は新たな生へ至るまでの停泊地として捉え始める。
 けれど、風と星明かりに包まれながら、彼はまだ気づいていない。
 この揺り籃が守ろうとしているのは、オンパロスの民だけではない。誰よりも長く世界を背負い、誰よりも休むことを知らなかった青年もまた、ここで守られていていいのだと。


002 星の下に種を蒔く

 最初の提出を終えた時点で、ファイノンは十分に書けたつもりでいた。少なくとも、求められた項目は埋めたし、施設の趣旨も伝わるようにまとめたはずだった。

 しかし翌日、返却された用紙の余白には、アナイクスの学者らしい筆記ではあるものの、見やすく整えられた筆跡で簡潔な追記がなされていた。

 

 

――「概論としては悪くありません。では、次は区画(エリア)ごとに。ただし、今度はあなたの感じたことをまとめるように。」

 

 

 ファイノンはしばらくその一文を見つめた。

 感じたこと。見解を述べろと言われたのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。どちらかといえば作文のようなもののようだ。そっちかあ、と思わず漏れた独り言に、近くを通りかかったヒアンシーが首を傾げる。

 

「あら、ファイノン様。どうかされたんですか?」

「いや……論文だと思っていたものが作文だったから、」

「作文、ですか?」

「うん。ただ、僕には僕の作文で何を調べるつもりなのか、いまいちわからなくて……」

 

 言いながら、返却された用紙へ視線を落とす。戦況報告なら書ける。施設設計の意図について推測を述べることもできる。誰が何を目的としてこの場所を作ったのか、どのような機能を持たせたのか、そういう話なら整理して書ける自信があった。

 だが、自分が何を感じたかとなると急に難しくなってしまったのである。嬉しかったのか、安心したのか、懐かしかったのか。それとも、そのどれでもあって、そのどれでもないのか。

 あれほど故郷を(こいねが)ったのだから、エリュシオンの見知った顔を見たり、料理を見たりするだけでも、胸の内に何かがあることは分かる。けれど、その何かを掴もうとすると、指の隙間から零れ落ちてしまうようだった。感情がないわけではない。ただ、それを言葉へ変換する方法がよく分からないのである。

 

「まあ、やってみるよ」

 

 そう付け足したものの、自分で口にしてみると、ますます何をどう説明すればいいのか分からなくなった。言葉にしたはずなのに、かえって曖昧さばかりが増していく気がする。

 

「うーん、そうですねぇ……。せっかくですから、ファイノン様。わたしたちと一緒にお散歩に行きませんか? そうしたら、一緒にお散歩したところを書けますよ」

 

 思いがけない提案に、ファイノンは瞬きをした。

 ヒアンシーとキャストリスは顔を見合わせ、どこか楽しげに笑っている。どうやら二人で出かけるつもりだったらしい。そこへ自分まで誘われるとは思っていなかったが、渡りに船である。少し外を歩けば気分も変わるだろう。

 

「お邪魔しちゃってもいいのかな?」

 

 微笑ましげに、けれども遠慮がちに尋ねると、キャストリスはふるふると首を振った。蝶の羽ばたきのように揺れる声が、慌てたように弾む。

 

「お邪魔だなんてそのようなことございません……! (わたくし)もアナイクス先生より、あらゆるものの温度に関する主観的な感覚をレポートするよう仰せつかりましたし、一緒、ですね。ファイノン様もぜひ回りましょう……?」

 

 どうやらアナイクスは、自分だけでなく他の者にも似たような課題を出しているらしい。それを聞いて、ファイノンは少しだけ肩の力を抜いた。

 彼女たちが言うように、ひとりで考えても分からないなら、歩きながら考えてみるのも悪くないかもしれない。ヒアンシーの提案と、キャストリスの言葉を受けて、ようやっとファイノンは二人の散歩仲間に加わることにした。

 

 

 

 その日の晩。ファイノンは、紙の端にそれらの名を書き留めた。

 

(微睡みの庭、陽だまりの園、星の降るドーム……)

 

 文字にしてみると、いっそう不思議な響きだった。どれも、柔らかな風が麦を撫でるようにやさしく、声に出せば舌の上で春の光がほどけるようでもある。

 戦火の時代を越えた民へ差し出すには、あまりにも穏やかで、あまりにも幼馴染の彼女らしい名前だった。ファイノンの記憶の中にいるキュレネなら、きっと迷いなくそう名づけるのだろうと、そう自然に思えるほどに。

 

 幼い頃、エリュシオンの全貌がよく見える小さな丘の上で。歳月の巫女様と巫女を守る騎士ごっこをしたあと、彼女はよくそんなことを口にしていた。

 

『どんな英雄だって、輝かしき英雄譚の後にはお家に帰るものよ。』

 

 勝利の記念碑ではなく、眠るための庭を。戦功を讃える広場ではなく、陽だまりの園を。終末の空を封じる天蓋ではなく、星明りの降り注ぐ空を。

 それはきっと、あの頃の彼女が思い描いていた未来だったのだろう。誰かが戦い続けるためではなく、戦い終えたあとに帰るための場所であり。傷ついた者が肩の力を抜き、ようやく笑えるようになるための場所であってほしいと。

 

『もちろん、あなたと、あたしもね♪ ……ほら、日も暮れてきたし、そろそろ一緒に帰りましょう? 間に合わなかったら、あなたのお母さんに叱られちゃうわ』

『僕は君のお父さんに怒られるな……。』

 

 顔を見合わせた瞬間、二人の脳裏には、かつて二人そろって叱られた日のことがよみがえった。困ったように眉を下げながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。そんな彼女を前にしても、ファイノンは諦めなかった。

 無邪気な少年らしい真っ直ぐさで、どうにか間に合わせる方法はないかと頭を巡らせ、やがて思いついたようにこう言ったのである。

 

『よーし、近道しよう。この前、妖精たちの家を建てる手伝いをしたときに教わった、とっておきの場所があるんだ! あっ、そうだ。そこは道が入り組んでいるから、はぐれてしまわないように手を繋ごう?』

『あら♪ ……ふふ、ええ。ありがとう、あたしの素敵な騎士様。どうかエリュシオンまで無事に連れ帰ってちょうだいね。』

『もちろんだよ、歳月の巫女様。』

 

 こうは言ってはなんだけれど、至る所にキュレネを感じられるような気がした。エリュシオンのファイノンがよく知る彼女の心や気配が。

 永遠の1ページを構成する区画を表すその名には、英雄譚の一幕を覗き見るかのような浪漫(純粋な美)が踊っていた。記憶の配列はお互いの存在(均衡)を保ちながら(秩序)則に沿って整えられ、熟考(知恵)の末にあしらわれている。そこに豊かな生命(豊穣)の息吹と、穏やかな調べ(調和)を一つまみ。あまりに美しく、だからこそ記憶(・・)に残って胸を締めつける響きだった。

 名づけた者の心が、そこに透けて見えるからだろう。ファイノンは、それをよく知っていた。キュレネはいつだって、恐ろしいものに恐ろしい名だけを与える少女ではなかった。終わりを終わりのまま放っておくのではなく、その向こうに何か柔らかなものを添えようとする。

 泣きたい者には泣いていい場所を、笑うことを忘れた者には笑っていい理由を、眠ることを怖がる者には眠っても大丈夫なのだと告げるための、ささやかな魔法。

 

 これは、紛争(巡狩)の戦火を語る名ではない。

 剣戟の音も、勝鬨も、追撃の蹄も、ここには似合わない。ここにあるのは、戦い抜いた者の肩から鎧を外すための沈黙だ。昨日まで敵を警戒していた手が、ようやく器を置き、温かな茶器に触れるための時間である。

 

 これは、壊滅(・・)による犠牲を数える名でもない。

 失われた命をただ並べ、傷の深さを測り、どれほど多くのものが灰になったかを語るための場所ではなかった。もちろん、犠牲は消えない。消えるはずがない。けれど、犠牲だけを数え続けるために生き残ったのではないのだと、この場所の名は静かに告げていた。

 

 オンパロスの民は、再生の日までここで眠ることが出来れば、余韻を楽しむことも出来るのだろうと。ファイノンは理解した。

 黄金裔の仲間たちも、きっとそうだ。ヒアンシーも、キャストリスも、アグライアも、アナイクスも、モーディスも、サフェルも、トリスビアスも、セイレンスも、ケリュドラも。長すぎる旅路のどこかで傷つき、失い、それでも歩いてきた者たちには、この庭が必要なのだろう。

 ここで涙を流し、ここで笑い、ここでようやく剣を置く時間が必要なのだと、彼には分かる。分かってしまった。――けれど、その理解はファイノン自身の胸へは届かなかった。

 彼にとって自分とは、守るべき民ではない。帰る場所を与えられる者でもない。かつて神の名を背負い、救世主と呼ばれ、永劫回帰の果てまで記憶を運び続けたとしても、その内側でひそかに定着してしまった認識はもっと冷たく、もっと単純だった。

 

(――……僕は、兵器だ。)

 

 世界を破壊するために振るわれ、壊滅を壊すために作動し、終末を越えるために使い尽くされるもの。でも、その矛先を自分の手で決められるのなら、僕は銀河の悪に向けるべきだろう。

 人々が眠る庭に、破壊と殺戮が宿った兵器は似合わない。こうして陽だまりの園に置かれるべきものではない。星の降るドームの下で、子供たちの笑い声や、再び生まれてくる民の穏やかな寝息のそばに残してよいものではない。

 

(……平和になったオンパロスに、兵器を残してはいけない。)

 

 その考えは、彼の中ではおそらく善意だった。誰かを脅かしたいわけではない。誰かに別れを強いたいわけでもない。ただ、危険なものは危険な場所へ持っていくべきだと思っている。刃を食卓に置かないのと同じように、火種を眠る子の枕元へ置かないのと同じように。

 

(そうだ……なら、破棄してしまうよりは、使えるうちに使った方がいい。)

 

 銀河には、まだ害がある。終末を呼ぶものも、壊滅を撒くものも、人々の明日を奪うものも、きっとどこかに残っている。自分という兵器がまだ動くなら、オンパロスに置き去りにするよりも、それらを排除するために有効活用した方がいいのではないか。

 皆はここで眠れる。皆はここで笑える。それなら、自分は別の場所で役に立った方がいいのではないか。

 

 思い立ったが吉日。

 ファイノンは晴れやかな笑顔を浮かべながら、ケリュドラへと提言した。自分をオンパロスにおける、天外の害悪に対する防衛機構にないかと。

 

「もう、満天の笑顔で(かわいい顔して)なんてこと言うんですかこの子は。却下です却下。たとえ、カイザーが許しても(わたくし)が許可しませんから、そのような理由でオンパロスの外に出しませんよ。どうしても行きたければ、(わたくし)のファッションチェックを通過してからの外出です。ただし、オンパロスの白き烈日と銘を打って、ファッション雑誌界隈にオンパロスの顔として、ですから。」

ふぁ()ふぁうらいふぁ(アグライア)?」

 

 すると、白魚のような嫋やかな指先が醸し出している雰囲気とは正反対に、がしりとファイノンの頬をつまんだ。目を丸くした次の瞬間、真正面から浴びせられたアグライアの言葉の熱量は凄まじく、ただ圧倒されてしまう。

 しかし、このままではまともに話せない。そう思って制止しようと彼女の名を呼ぶものの、頬をぐにぐにともみくちゃにされているせいで声はひどく情けなく歪んだ。当の本人にはまるで届いていないらしく、やんわりとした困惑混じりの抗議も虚しく流されていく。結果として、その場にはファイノンの間の抜けた声だけが場違いに響いていた。

 

「ふふふ」

ふぁ()ふぁうらいふぁ(アグライア)~?」

 

 そんなアグライアとファイノンのやり取りを前にして、ケリュドラは静かに目を伏せた。玉座にふさわしい少女の瞳には、法を量る者の冷静さではなく、ただひとりの仲間を見失うまいとする鋭さが宿っている。周囲の黄金裔たちもまた、彼の言葉の中にある本当の意味を悟り、胸の奥で息を呑んだ。

 ファイノンは気づいていない。ただ純粋な善意から、自分という兵器を最も有効な場所へ置こうとしているだけだ。けれど彼が「有効活用」と呼んだその道は、オンパロスへ帰れない道であり、いずれ還る場所さえ見失う道なのだと、仲間たちは理解してしまった。

 だからこそ、誰もその提案を軽く受け流せなかった。彼を責めることも、否定することもできない。なぜなら、その言葉の根底にあるのが自己犠牲ではなく、彼自身にとってはごく自然な善意だと知っているからだ。

 それでも絶対に行かせまいと、それぞれのやり方で手を伸ばす。振りほどかれるかもしれないと知りながら、それでも握りしめずにはいられなかった。

 

 故に、彼はここにいる。永遠の1ページのなかで、彼は仲間たちの奮闘を知らないまま、ただ目の前の優しい名を見つめていた。

 横顔は穏やかで、どこまでも優しかった。けれど、その安堵はどこか危うい均衡の上に成り立っているものでもあった。

 ファイノンは本気でそう思っている。皆は、ここで眠れる。皆は、ここで笑える。皆は、ここで次の朝を待てる。それなら、よかったと。

 だからこそ、自分がその中に含まれていないことにも気づかない。この庭は、彼にも眠っていいと告げている。だがファイノンは、まだその声を自分宛てのものとして聞くことができなかった。

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