終末を越えた安息の卓で、アナイクスは禁じ手に触れる問いを選んだ。それは、ケファレとして「ほとんど死んでいた」という発言の真意――それは神話の裏側へ通じる裂け目だった。誠実な青年は躊躇なく語る。神体は残滓、魂は分割され、火種として都市を支えたと。
淡々と明かされる代価に、聞き手の心は静かに削られていく。本人だけが、その重さを知らないままに。
アナイクスが、これ以上の詳細な説明は後日に回すと境界を引いたことで、星の降るドームには一度、かろうじて休息の形が戻りかけていた。
卓の上には、まだ柑橘を落とした白湯の香りが薄く残っている。アグライアが淹れた蜂蜜紅茶の甘い気配も、果実酒の芳香も、焼き菓子の柔らかな匂いも、それぞれが空気の中でほどけ合い、戦場ではない場所の温度を作っていた。けれど、誰もが完全に口を開けるわけではなかった。
先ほどまでそこにあった笑いの布地には、神話の裏側から染み出した重い色がまだ残っている。無理に拭えば広がるだけだと、皆が分かっていたのだろう。
ファイノンは椅子に座ったままだった。一見、いつも通りの青年である。ヒアンシーが医療者として目を凝らしても、そこに明確な異変を見つけることはできなかった。強いて言えば、彼が周囲の反応を気にしていることくらいだったが、それは体調の兆候ではなく、彼の性分として以前からあったものだ。
(難しすぎます……ファイノン様……!)
痛みを訴える人の手を取ることはできる。熱のある人を寝かせることも、傷のある人へ薬を塗ることも、呼吸が乱れた人の背をさすることもできる。
けれど、自分の痛みを痛みとして置かない人には、まず「それは痛いのだ」と伝えなければならない。しかも、急ぎすぎれば相手は恐縮し、責められていると思えば謝り、場を落ち着かせようとしてまた自分を脇へ押しやってしまう。ヒアンシーは、胸の前で結んだ手を一度だけ握り直した。
その時、卓の端に置かれていた通信端末が、乾いた小さな音を立てた。光が一筋、星明かりとは違う冷たさで浮かび上がる。空間の上に組まれた投影には、通信越しのマダムヘルタの姿が揺れていた。
彼女はずっと沈黙していたわけではない。先ほどの説明を聞き、記録し、分析し、そのうえでどの角度から切り込むべきかを選んでいたのだろう。少なくとも、ヒアンシーにはそう見えた。マダムヘルタの声は、感情をわざと外したように淡々としていたが、その淡々さがかえって不穏だった。
「私抜きで興味深い話をしてるじゃない。ねえ、救世主のお坊ちゃん。あなたの
その問いが落ちた瞬間、ヒアンシーは反射的にアナイクスを見た。アナイクスの眉間が、わずかに動く。おそらく彼は、今度こそ止めるべきか、研究上の確認として許容すべきか、その一瞬で判断を走らせたのだろう。
サフェルはグラスを持ったまま固まり、トリスビアスが菓子皿の縁から指を離した。アグライアは扇を閉じたまま、音を立てずに姿勢を整えている。キャストリスの睫毛が揺れ、モーディスの視線が端末からファイノンへ移った。――だが、ファイノンだけはぱっと顔を上げた。
「もちろん!」
「え」
通信越しのマダムヘルタの声が、ほんの一拍だけ遅れた。問いを投げた本人でさえ、その迷いのない返答を予想していなかったのかもしれない。ファイノンは少し得意そうに、けれど決して誇るふうではなく、きちんと答えられる問題を出された生徒のような真面目さで続けた。
「あれはデータの格納庫だろう? オンパロスの外側から接続したケビン・カスラナは、もともとオンパロスには存在しなかった個体だ。だから、分類が違うのは自然なことだと思うんだ。」
あまりにも迷いのない返答だった。ヒアンシーは、一瞬だけ息を止めた。今問われているのは、分類の話ではない。少なくとも、マダムヘルタの声の温度からして、記憶の格納先そのものだけを尋ねているわけではないはずだ。
どうしてそうなったのか。その過程で何が起きたのか。外部から接続した個体とは何か。ケビン・カスラナとは、ファイノンにとってどういう来歴なのか。問いの奥には、それらが重なっている。けれどファイノンは、分類の整合性を説明していた。そう考えている横で、通信越しにマダムヘルタがしばらく黙り込んだ。
「……続けて」
促されたファイノンは、素直に頷いた。
「うん。
「受け入れやすい、じゃないのよ。それ、素材になったってことでしょう?」
「そうとも言えるかな。」
ファイノンは否定しなかった。――否定しなかった、という事実が、卓の上へ冷たい金属片のように落ちた。ヒアンシーは、今度こそ両手を握りしめる。
素材。魂。崩壊寸前。受け入れやすい。どれも、患者の身に起きたこととして聞くにはあまりに鋭い単語だった。けれどファイノンは、自分の説明がどこで相手の胸を刺しているのか、正確には測れていないように見える。彼の声は落ち着いており、姿勢にも乱れはない。ただ質問に答えているだけなのだ。
通信の向こうには、マダムヘルタのほかにヴェルトの姿もあった。星穹列車の末っ子たちの健康診断のために惑星ヘルタへ訪れていた彼は、ファイノンに関わる来歴の一部を、別の角度から知る者だったのだろう。投影の解像度は完全ではないが、彼が眼鏡の奥で瞼を伏せ、唇を引き結ぶ様子は見て取れた。
何かを言おうとして、言葉にならない。そういう沈黙だった。マダムヘルタの方は、心底理解しがたいものを見た時の、少し引いたような間を置いたあと、さらに問いを絞る。
「でも、あの時の僕は本当に限界だったんだ。」
ファイノンは、問われる前に続けた。あるいは、自分の説明がまだ足りていないと判断したのかもしれない。
「宇宙の塵になって消えるくらいなら、誰かの役に立てた方がいい。それに、そのおかげで生きられる人たちがいるなら――悪い選択じゃなかったと思う。」
怒りも誇りも、悲劇を演じる響きもない。自分を犠牲にした者の高揚ではなく、ただ天秤の片方へ自分を載せ忘れた人だけが口にできる種類の静けさだった。ヒアンシーは、反射的にファイノンの顔を見た。
彼は笑っていなかったが、苦しげでもない。どこか遠いところを見ているわけでもなく、通信端末へ向かってまっすぐ説明している。だからこそ、余計に痛かった。
マダムヘルタは、しばらく黙り込んだが、ファイノンは構わず説明を続ける。誰かが止める隙を探していたのに、その隙は彼の誠実さによって丁寧に塞がれていった。
「ケイオスがケファレになる時、オンパロスへ取り込まれたのが、崩壊寸前だったケビン・カスラナとしての僕の魂だ。その後、ケファレとして色々あって、魂は修復された。ケイオスからネイコスへ移行したのもその後だね。だから識別情報が違うのは当然というか」
「そ、そう……」
通信越しの返事は、わずかに震えていた。マダムヘルタが震えたのか、通信の揺らぎがそう聞かせたのか、ヒアンシーには判別できない。けれど、少なくとも彼女が即座に次の質問へ移らなかったことだけは確かだった。
ケビン・カスラナ。ケイオス。ケファレ。ネイコス。名が変わるたびに、役割が変わるたびに、彼は別の枠組みの中へ置かれてきた。
言葉の上では追える。情報としてなら、整理もできるだろう。けれど、その過程で何を失い、何を燃やし、何を置き去りにしてきたのか。そこまで想像した瞬間、ヒアンシーの思考は自然と足を止めた。想像してはいけないのではない。想像しきれないのだ。ファイノンが淡々と語るほど、聞く側の胸には、言葉になる前の重さばかりが積もっていく。
「だから、魂の一部分にはなったから、ケイオスとしての最期は、僕の最期とも言えるだろうし……あ、でも、今はこうしてここにいるから、そこまで深刻に考えなくても」
「ファイノン様」
キャストリスの声が、ひどく静かに割り込んだ。それは大きな声ではなかった。むしろ、普段よりもさらに柔らかく、壊れやすいものへ触れるような響きだった。けれどその声音に、ファイノンは口を閉じた。
キャストリスは、目の前で揺れる青い外套の裾を見ていた。彼女の手は、ほんの少しだけ浮いている。本当なら、抱きしめて背を撫でたかったのかもしれない。ありがとうと伝えたかったのかもしれない。もう大丈夫です、と声を掛けたかったのかもしれない。だが、その腕は伸びなかった。
伸ばせば、離せなくなる。そう感じているような躊躇が、指先の震えと、戻しきれない手の位置に滲んでいた。ヒアンシーはそれを見て、胸の奥をきゅっと押さえられたような気がした。キャストリスは触れたいのに触れない距離を選んでいる。その距離が、今のファイノンを追い詰めないための、精一杯の優しさなのだと分かったからだ。
「なんだい、キャストリスさん?」
「今から少し、言葉を選んでいただけますと幸いです……。」
「……えっ、と……、(伝わるように)選んでるつもりなんだけど……」
「もっと(ご自分を大切にできるお言葉を)、です……!」
「もっとか……」
ファイノンは素直に考え込んだ。その反応に悪意はない。隠そうとしているわけでも、軽く扱っているわけでもない。少なくとも、そう見える。
ただ、自分に起きたことを、自分のこととして話しているだけなのだろう。だが、その「自分のこと」の置き方が、あまりにも軽い。過ぎ去った出来事として、必要だった選択として、役に立てたなら悪くないものとして、彼は言葉を並べる。
ヒアンシーは、手の中で自分の指を握り込んだ。彼女は医療者である。痛みを隠す患者も、痛みの程度を過小申告する患者も、無理をして平気だと言う患者も見てきた。けれどファイノンのそれは、単なる我慢とは少し違うように思えた。誰かのためには怒りも激情も燃やせるのに、自分のためには何一つとして燃やせない。そんな人なのではないかと、彼女は表情や声の端から推し量ってしまう。
説明とは、本来、ものごとの輪郭を明らかにするためのものだ。だが、この時ばかりは違った。語られるたびに、誰かの表情が固まり、理解が追いつくほど胸の奥に鈍い痛みが積み重なっていく。神話として聞けば遠い出来事だったはずのものが、あまりにも生々しい代償として目の前に置かれてしまったからだ。
しかも、その代償を置いた当人は、まだ困ったように眉を下げているだけで、見た目には何も崩れていない。その無垢な様子が、かえって周囲の傷を深くした。サフェルが、こめかみを押さえながら息を吐く。
「坊やさぁ……」
何かを言おうとして、結局、どの言葉にも乗せきれず、サフェルは肩を落とす。普段ならそこで軽口のひとつも続いたはずだが、さすがに今は尾を引いた重さが大きい。
通信端末の向こうでも沈黙が続いている。ヴェルトはハンカチか何かを目元へ持っていき、言葉にもならない言葉を並べていた。マダムヘルタは腕を組んだまま、何とも言えない目で端末越しのファイノンを見ている。
そこへ、少し遅れて一人の少女がドームへ姿を見せた。
看護師の道を志したばかりの先代エーグル――セネオスである。元々、戦士であった彼女は、まず状況確認から入る癖がある。入口付近で足を止め、まず星の降る穏やかな空間を見渡し、それから卓を囲む者たちの様子を順に追った。
胸元を押さえる者。額を覆う者。遠い目をして沈黙する者。通信端末の向こうで言葉を失っている外部観測者たち。誰かが倒れているわけではない。血も流れていない。けれど、その場を満たしている空気は、戦場の後にも似た疲労感を帯びていた。
セネオスは、原因は、と視線で問うた。ヒアンシーは、後継者としてその視線を受け止め、小さく、しかし確かに答えた。
「ファイノン様のお言葉です……」
正確には、ファイノンが悪気なく語った内容である。だが、今の場を一言で説明するなら、それ以上に適切な言葉をヒアンシーは持たなかった。
セネオスは、ケイオスの言葉が時としてどれほどの破壊力を持つかを知っているのだろう。彼女は静かに目を瞑り、少しだけ空を仰ぎながら言った。
「死屍累々だな……」
人はそれを、現実逃避という。
ファイノンだけが、ますます困惑していた。彼は通信端末と、セネオスと、卓を囲む仲間たちを順に見て、助けを求めるというより、本当に答えが分からない時の顔をした。
「あの……僕、何か間違ったことを言ったかな」
「間違ってはいない」
モーディスが答えた。
その声は、重く、まっすぐだった。慰めるための柔らかさはない。けれど、責めるための鋭さでもない。ただ、戦場で真実だけを置く時のような硬さがある。ファイノンは、白湯のカップを両手で持ったまま、モーディスへ視線を向けた。
「だが、お前はもう少し、自分の扱いが周囲にどう聞こえるかを知れ」
「自分の扱い……?」
「そうだ」
その言葉に、ファイノンはわずかに目を伏せた。考えているのだろう。自分が口にした内容を。けれど、その思考の行き着く先は、おそらく周囲のそれとは異なる。
彼にとって、それはすでに過ぎ去った出来事であり、必要だった選択であり、自ら決めたことなのだろう。そして、その果てにオンパロスが今も在るのなら、間違いではなかった。そういう筋道が、彼の言葉の端々から透けて見える――だが、聞かされた側はそう簡単に割り切れない。
①のネタがドォンと来たので、殴り書き。正直な告白:分からんかったことが多かったので、公式×オリジナル要素を掛け合わせました!!!! 以上です!!
自分も崩壊3rdのプレイ進行は初心者の初心者(ストーリー11話)までしか進めてませんので、本当に詳しくはないんです。ヨウおじちゃんの故郷気になったんすよね。
ケビン出るとちょっと興奮しますし、どんなこと考えてたんだろうとかどんな思いだったんだろうとか、なんでそうしたんだろうって考えるとぜんぜん進みません。僕、艦長じゃなくて開拓者なんですどうもスターレイルからはじめましたぁ! そんなわけなので、用語とかストーリーとか説明しません!!
必要な用語とかは話の中でちらっと触れたりしますけど、「それっぽっちじゃ満足できんのじゃ!もっと情報くれぇ!」って原作が気になる方は、内容が複雑であとがきでは説明しづらいのでゲームプレイや配信動画の視聴を推奨します。
■かろうじて分かる公式情報:ケビン・カスラナは責任感がはちゃめちゃに強い男性である。
かつて、彼がケビン・カスラナとして生きた地球では、魂をデータとしてコピーする試みがあった。地球の未来を担う英傑――「十三人の火を追う英傑」たちは、それぞれの役割を担って自分の記憶をデータに移し替える。魂の一部をデータとして切り取り、デジタルワールドで保管する――その保管先の名を人々は「古の楽園」と言った。
古の楽園の目的は、「十三の英傑たちの記憶」を次の世代に残し、「崩壊」と言う――スターレイルで言うところの「壊滅」に似た敵や汚染への対策や訓練、知識を伝え繋ぐことである。
しかし、古の楽園を設計してから数世紀が経ち、今や生き残った英傑は「救世」の名を冠した英傑ケビン・カスラナのみとなってしまった。
彼はデータのバックアップや更新を行うために、己の記憶や魂を何度か参照させる。魂のコピーとも言える行為は、システムを演算できる「無限」の名を冠する英傑による調整ありきで成功するものだ。「救世」の彼に掛かった負荷は、想像もつかない。
そして、時は進み、世界が救われる希望の見えた時代が到来。
とある雷の少女が世界のために走る女の子のために力をつけようと、古の楽園に来訪。しかし、も「崩壊」の因子による汚染が忍び寄る。
雷の少女は、「真我」の名を冠する英傑の導きのままに古の楽園の試練を突破していく。無事に訓練を終えた彼女を見送り――古の楽園は、豹変した。雷の少女が試練を突破する裏で「浸食」の属性を持った「崩壊獣」が少しずつ古の楽園を蝕んでいたのだ。
「真我」の名を冠する英傑を筆頭に、十三人の英傑たちは力を合わせ、「データに浸食する崩壊獣」の討伐に成功。けれど激戦区となった古の楽園は崩壊し、中に居た彼らの魂も一人、また一人と。仲間たちが余波で飛び散る「崩壊エネルギー」の浸食を受ける前に、ケビンは、己の「崩壊エネルギーに対する、非浸食体質」を利用して、崩壊エネルギーを身体に吸収する。
そのエネルギーは現実の世界で、「生きた彼に還元される」。救世の名を冠した彼は、崩壊エネルギーを鈍い痛みとして受け取る。既に、崩壊獣の因子(敵のエネルギー)を詰め込んだ器は、痛みに疎くなっていて気づくのも遅れてしまったけれど。
「……そうか。
表向きは、「聖痕計画」を押し進めるように。彼の本来の目的は、かつて「無限」の名を冠する英傑が密かに考案し、実行者の保全を確保できなかったために没とした草案。「イカロス計画」の遂行であった。
※イカロス計画:外的な強烈な刺激(実行者の肉体的な死)をトリガーとし、実行者が持つ一部の抗体を天高く打ち上げ、雨のように降らせる。それにより、地球の根元に抗体を染み込ませること。数世紀代の長期的な計画である。つまり、地球に「対崩壊用のワクチン」を打ち込み、地球そのものに崩壊エネルギーの抗体をつけること。
※当時は、崩壊エネルギーは抹消するべきものであり、共存は不可であるため、崩壊エネルギーとの共存を可能とすることで「地球に未来が続くようにするための計画」。
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当時のヴェルトや理の少女(ヴェルトの生徒?後継者?)は、ケビンの計画を知らず、「聖痕計画」を強引に推し進める敵だと認識。しかし、ケビン・カスラナの死後、本来の計画を知り、――ものすごく簡単に言うと、ケビン・カスラナの強火過激派ヲタク化したのである。