終末を越え、新生を待つオンパロス。だが復興に奔走する黄金裔たちは、なお休むことを知らない。
彼らを休ませたいと願うヒアンシーは、開拓者へ助けを求めた。ファイノン、モーディス、アナイクス――頼れる者ほど働き詰めで、相談はことごとく裏目に出る。
ならば誰もが自然に手を止められる催しを、と条件を重ねる中で、開拓者は気づく。休ませるべきは彼らだけではない。企画者であるヒアンシー自身もまた、休息を必要としているのだと。
全員を帰還させ、その後の時間まで守るために。二人は、誰も取り残さない“休み”の形を探し始める。
開拓者の頭の中へ最初に押し寄せてきたのは、白い砂浜へ崩れるさざ波の音だった。青い空、青い海、水平線まで遮るもののない眺め。
服の裾を膝まで捲り、寄せては返す水を蹴りながら歩くだけでもいい。泳げる者は泳ぎ、泳げない者は砂浜に穴を掘ったりビーチバレーしたり。大きな城を作ってもいいし、誰がいちばん奇妙な貝殻を拾えるか競ってもいい。モーディスとファイノンを砂へ埋め、首だけ出した状態でどちらが長く威厳を保てるか観察する企画も、余興としては悪くなかった。
参加するために強さも技術もいらず、仕事の道具から物理的に距離を取らせることができ、食事と飲み物さえ用意すれば一日遊べる。空腹になれば魚介を焼き、日が落ちれば火を囲み、疲れた者から眠ればいい。
休息として選ぶなら、海という場所は
「えー、ヒアンシーも休みなよ。なんなら一緒にビーチ行く? 海だよ、海」
「ビーチ、ですか?」
「うん。砂浜がすごく広くて、海も綺麗。泳いでもいいし、泳がなくても魚を食べたり、砂を掘ったりできるよ。みんなで行けば、ファイノンたちも仕事から引き離せるから一石二鳥じゃん」
開拓者は端末を取り出し、以前撮った風景が残っていないか指先で画面を繰った。旅先で目にした景色をすべて記録しているわけではないが、食べ物、奇妙な生物、ゴミ箱、あとで誰かに見せたいと思ったものについては、かなりの枚数が保存されている。
画面を滑っていく画像の中に、波打ち際から撮った一枚があった。陽光を跳ね返す水面が白く輝き、遠くでは波が穏やかな弧を描いている。少し傾いているのは、撮影の直前に砂の中から飛び出した小型生物へ注意を奪われたせいだった。
「ほら、こんな感じ。海辺なら、何もしなくても海を見てるだけでそれっぽく休んでるように見えるよ。実際に休んでなくても、まずは形から入るのが大事だから」
「形だけでは、休息とは呼べないのでは……?」
「そこは私が見張るよ。仕事を始めようとした人から砂へ埋めたげる!」
「ずいぶん強制力のある休暇ですねぇ……」
ヒアンシーは困ったように笑ったものの、開拓者の端末へ顔を寄せた。二人の肩の距離が縮まり、ふわりと揺れた桃色の髪が外套の袖へ触れる。画面に映る青を見つめるまろやかな瞳には、好奇心らしき光が浮かんでいた。
反応は悪くない。開拓者はそう判断し、さらに候補を重ねた。
「海が難しければ、二相楽園とかどう? あそこなら遊び惚けられるよ。施設を順番に回って、食べて、乗って、また食べる。朝から晩まで予定を詰めておけば、仕事を思い出す暇もないね」
「それは、お休みなのでしょうか?」
「楽しい過密日程は、休みの仲間!」
「仲間でしょうか……」
「たぶんね」
ヒアンシーの返事を待つ間にも、開拓者の頭では計画が膨らんでいた。大人数の移動手段を確保し、現地で迷子が出ないよう組分けをする。
黄金裔たちは目立つため、一般客に囲まれる可能性もあるが、それは変装で対応できる。アナイクスには帽子、モーディスにはサングラス、ファイノンには大きな眼鏡を装備させれば完璧だった。完璧かどうかは、実行後に検証すればよい。
しかし、ヒアンシーは端末の青い海を見つめたまま、すぐには頷かなかった。睫毛が一度ゆっくり伏せられ、膝の上で重ねていた指先がわずかに動く。その反応を見て、開拓者は自分の案に不足があると察したものの、何が抜けているかへ辿り着くより、口の方が先に次の候補を送り出した。
「あっ、ピノコニーもありだね。あそこならホテルもあるし、夢境なら遊ぶ場所も多い。黄金裔のみんなで行くなら、宴の星を端から端まで――」
「グレーたん」
柔らかな声に名前を呼ばれ、開拓者は言葉を止めた。
ヒアンシーは責めるような顔をしていなかった。端末から上げられた瞳も穏やかで、声には先ほどまでと同じ親しさがある。ただ、彼女は胸元で一度指を組み直してから、言葉を選ぶように短く息を吸った。
「ピノコニー以外には行けませんよ、わたしたち」
「あっ……」
頭の中で広がっていた白い砂浜が、波にさらわれるよりも速く消えた。
オンパロスの人々は、いまや長く閉ざされていた世界の外を知っている。彼らの頭上には本物の星海が広がり、星穹列車という外界からの来訪者もいる。それでも、行きたいと思った場所へ自由に足を運べるわけではない。
現在の彼らは、記憶によって存在を保つ者たちだ。記憶の億質が濃厚なピノコニーか、オンパロスを留めている「歳月の彼方」永遠の一ページでなければ、その輪郭を確かなものとして維持できない。海を見せたい、知らない土地を歩かせたい、列車へ招きたいと思ったところで、開拓者の願いだけでは越えられない境界がある。
それは、知っていた事実だった。知っていたからこそ、忘れて口にした自分の言葉が、遅れて胸の内側へ引っかかった。
「ごめん。忘れてた」
開拓者は端末を膝の上へ伏せた。言い訳を探すより先に謝る。ヒアンシーの表情からは、言葉が彼女をどれほど傷つけたかまでは分からない。それでも、行けない者へ無邪気に行き先を並べたのは自分だと分かっている以上、なかったことにはしたくなかった。
「いえ。お気持ちは、とても嬉しいです。海も、遊園地も、きっと素敵な場所なのでしょうね」
ヒアンシーは小さく首を横へ振った。頬の横で縦ロールがゆったり揺れ、開拓者の袖へ触れていた髪が離れていく。
「それに、いつか行けるようになるかもしれません。今はまだ難しいというだけですから」
「うん。そのときは行こう。みんなで」
その約束を、開拓者は軽く扱わなかった。
いつ可能になるのか、現在の彼女には分からない。記憶体としての状態が変化するのか、外の世界で存在を保つための技術が見つかるのか、それとも別の道が拓かれるのか。何ひとつ確約できなくても、行ける日が来たとき、誰か一人だけを残して出発するつもりはなかった。
「ファイノンには砂へ埋まってもらうし、モーディスには巨大な浮き輪をつけてもらう。ヒアンシーとイカルンには、海辺でいちばん美味しいものを選ぶ係を任せたげる」
「ふふっ。もう役割まで決まっているんですね」
「未来の予定は早い方がいいからね」
ヒアンシーの瞳が柔らかく細まったのを見届けてから、開拓者は小さく息を吐いた。約束は約束として取っておき、いま解決できる問題へ戻らなければならない。
コホン、と彼女はしなくてもよい咳払いをした。先ほどの失言まで咳とともに流し去れるわけではないが、思考を切り替える合図にはなる。開拓者は腕を組み、長椅子の背へ肩を預けた。
「旅行は将来の大型イベント枠に入れておこう。今回は、ここでできるものを考える……だね?」
「はい。お願いします!」
条件をもう一度、頭の中へ並べる。まずは、「歳月の彼方」永遠の一ページから出なくても開催できること。現在のオンパロスで行っても、古い慣習や地域の違いに縛られず、大勢の興味を引けること。戦えるか、読み書きが得意か、何かを上手に作れるかといった能力を参加条件にしないこと。
復興を止めるほど大掛かりではなく、準備を誰か一人へ集中させないこと。そして、働く理由を奪うだけではなく、本人たちが自分から参加したいと思えること。
海水浴は場所の問題で失格。遊園地は建設した時点で、アナイクスとファイノンを中心とした新たな労働地獄が発生する。
大宴会は悪くないが、料理を任せれば誰かが厨房へ籠もり、全員分を開拓者一人で用意すれば、料理の見た目によって別種の事件が起きる可能性があった。また、黄金食堂のときのようにセイレンスの胃袋に消えてしまう未来が目に浮かぶ。
競技会は能力を問うため、ヒアンシーの希望から外れる。仮装祭は面白そうだが、アグライアが本気を出した場合、衣装の準備だけで一大事業になりかねない。
開拓者は腕を組んだまま、灰色の脳細胞を絞った。
眉間へ少しずつ力が集まり、唇が真っ直ぐ結ばれる。黙っている顔だけを見れば、銀河の命運を左右する戦略を練っているようにも見えるが、実際に考えているのは、黄金裔をどうやって合法的かつ穏便に仕事から引き剥がすかである。
ただし、彼女にとって重要度はさほど変わらない。敵を倒す手段と、戦い終えた者を休ませる手段は、どちらも未来へ進むために必要だった。
「ヌヌヌ……」
「グレーたん?」
「いま、考えてる。灰色の脳細胞が」
「灰色の……?」
「私の髪と同じ色をした、すごく賢い細胞」
「髪の色とは関係ないと思いますよ~?」
ヒアンシーの小さな指摘を受け流しながら、開拓者は視線を彷徨わせた。
木立の向こうには、穏やかな光を湛えた建物の輪郭がある。遠くから人々の声が微かに届き、誰かが通りを歩くたび、靴音が石畳を渡って消えていった。復興のために行き交う人々を、無理に一か所へ集めるだけでは足りない。そこへ行けば何かをしなければならない催しではなく、ただ自分の思いを持って参加でき、終わったあとにも小さなものを持ち帰れる方がいい。
遊びでありながら、勝者を決めなくていいもの。豪華な食事や大掛かりな装置がなくても成立するもの。紙と筆、それから飾る場所さえあれば、子どもも大人も、自分の分を自分の手で用意できるもの。
―― 「ふふっ。本のページを編んでみる、なんてどうかしら?」
それには紙が必要だ。キレイな飾りっ気があると、視界が楽しくていいね。――その言葉に触れたとき、端末の片隅に残っていた小さな記憶が引っかかった。
少し前に立ち寄った惑星で、季節の催しを知らせる飾りを見かけたことがある。色とりどりの細長い紙が枝から下がり、風が吹くたび、魚の鱗のように光を返していた。祭りの屋台や報酬へ気を取られながらも、開拓者はそこへ書かれた言葉をいくつか読んだ。
試験に合格できますように。家族が元気でありますように。好きな人と、来年も同じ空を見られますように。そういう大きな願いも、小さな願いも、同じ形の紙に並んでいた。
誰かが叶えてくれると信じて預けるだけではない。書くためには、自分が何を望んでいるのかを一度考えなければならない。うまく言葉にできなければ、絵でも印でも構わない。何かを成し遂げた者だけが参加するのではなく、これからこうなりたいと願う者なら誰でも加われる。
準備に必要なのは、大量の紙と筆、それから願いを結ぶ枝。食事や音楽を添えることはできても、それがなくても祭りそのものは成立する。短冊を飾る作業を分担すれば、誰か一人が裏方へ取り残されることも避けられる。
「……あ」
開拓者の口から、小さな音がこぼれた。ヒアンシーが顔を上げ、まろやかな瞳をこちらへ向けるが、開拓者はすぐには説明せず、長椅子から身を起こして夜空を見上げた。
今のオンパロス――「歳月の彼方」の空には、星々が広がっている。かつてオンパロスを覆っていた閉ざされた夜とは違い、その一つ一つの向こうにも世界があり、道があり、人の暮らしがあると知っている者には、ただの光点ではない。遠いからこそ見上げるものでもあり、遠くても同じ空へ繋がっていると教えるものでもあった。
七夕の話を教えてくれた者は、一年に一度だけ会うことを許された男女の物語だと語っていた。空を隔てる大きな川。その両岸に離された二人。決められた夜が来ると、鳥たちが翼を重ね、渡るための橋を架ける。
二人が本当に星なのか、人なのか、神に近い存在なのか、開拓者は細部まで覚えていない。伝わる土地によって話も少しずつ違うらしい。
ただ、一年に一度の逢瀬を待ちながら、人々がその空の下で自分の願いを書くというところが、妙に心へ残っていた。
会いたいという願いから始まった夜に、誰もがそれぞれの願いを持ち寄る。遠く離れていても、橋が架かる日を待つ。今すぐには叶わないことも、忘れずに言葉へしておく――それは、行けない海を前に交わしたばかりの約束と、どこか似ている気がした。
「うん、見つけたかもしれない!」
開拓者は空から視線を戻した。ヒアンシーは隣で静かに待っている。淡い星明かりが桃色の髪へ溶け込み、左右の縦ロールの輪郭を柔らかく縁取っていた。
「大掛かりな建物はいらない。戦えなくてもいいし、上手い下手もない。必要なのは紙と筆と、紙を結べる木。それで、みんなが自分のやりたいことを書くんだよ」
「やりたいことを、紙に……?」
「うん。叶えたいことでも、行きたい場所でも、食べたいものでもいい。書いた紙を枝に結んで、星空の下へ飾るんだ」
開拓者は片手を持ち上げ、空へ流れる川の形をなぞるように指を動かした。
「元になってるのは、空の川を挟んで離れ離れになった二人の話。一年に一度だけ、鳥が橋を作って、その橋を渡って会えるんだって。その日に、みんなで願い事を書くんだよ」
説明しているうちに、最初は輪郭だけだった案が、少しずつ催しの形を取り始める。
子どもたちは色紙を選ぶだけでも楽しめる。職人たちには飾りを作ってもらえるが、競う必要はない。料理を並べるとしても、各地から少しずつ持ち寄れば一人へ負担が集中しない。ファイノンもモーディスもアナイクスも、企画者や研究者としてではなく、自分の願いを書く参加者として座らせられる。ヒアンシーにも端末を置かせ、診療記録ではない言葉を紙へ書いてもらえばいい。
何より、誰か一人が未来を背負う催しではない。一人ひとりが、自分の分を自分の手で持つ。今は遠いものも、叶うか分からないものも、なかったことにせず、星空の下へ掲げておく。
「別の惑星で知ったばかりだから、私も詳しいわけじゃないけどね。七夕って言うんだって。準備も、さっきの案よりはずっと軽い。ここなら星も見えるし、今のオンパロスにも合うと思う」
「たなばた……、ですか?」
ヒアンシーは開拓者の言葉を追うように、ゆっくり空を仰いだ。風が吹き抜け、桃色の髪をさらりと持ち上げる。やがて彼女は聞き慣れない響きを確かめるように、まろやかな瞳を丸くして、再び言葉をなぞった。
オンパロスにビーチって概念あるんだろうか……疑問……ない気がする……。サフェルさんの小噺を8月中に出したい(謎のこだわり)ので、2話ずつ予約してみたのであります。