烈日よ、さざ波を追って   作:夜鷹ケイ

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<前回のあらすじ>
 若木を中心に据えた願いの祭りの準備は、いよいよ具体的な設計へと移りつつあった。ヒアンシーはファイノンの負担を考え、力の行使はイベント前日からに分けるべきだと提案する。
 彼はそれを受け入れつつも、若木の成長は一度にではなく段階的に行うべきだと静かに語った。根が土に馴染む時間、枝が環境に慣れる過程を重視するその視点は、単なる力の制御ではなく、育てるという行為そのものへの理解に満ちている。
 やがて話題は、若木が大講義場を囲う象徴となる構想へと広がり、祭りは「誰かが与えるもの」から「皆で形づくるもの」へと輪郭を変え始めてゆく。


081 新芽に灯る支え糸

 人が集まる場所を、囲う。ファイノンが確かめるように繰り返した言葉を、ヒアンシーは胸の内でもう一度転がした。

 今はまだ支柱に寄り添って立つばかりの若木が、いつか大講義場の縁へ枝を伸ばし、人々の頭上へ木陰を落とし、その枝先で色とりどりの願いを揺らす。その姿を思い描くと、一本の木を大きくするというだけではない意味が、少しずつ輪郭を持ち始めるようだった。

 

「はい。ですから、大きく育てること以外には、今のところ特に変更はありません。植え替えた後の様子を見ながら、枝の方向だけ調整していただければ十分だと思います」

「分かった。じゃあ、本格的に伸ばすのは移してからにするとして――」

 

 ファイノンはそこで若木の根元へ視線を落とした。

 

「今、少しだけ確かめてみてもいいかな」

「今ですか?」

「うん。育てるっていっても、本当に少しだけ。根の張り方と、どのくらい力を流せばいいか見ておきたいんだ。ぶっつけ本番より、その方が僕も加減しやすいから」

 

 なるほど、とヒアンシーは若木を見た。先ほどまでの話で決めたのは、一気に完成させないことだった。今ここで大きくしてしまうのではなく、力がどのように伝わるのかを確かめるだけならば、むしろ今後の負担を減らす助けになるかもしれない。

 それでも、すぐに頷く前にヒアンシーはファイノンの顔を見上げた。呼吸は落ち着いている。立ち姿にも変化はない。先ほど見えたような気がした瞳の陰りも、今は青空の光をきちんと返している。彼自身も、こちらが何を確認しているのか分かっているらしく、急かさず待っていた。

 

「……ほんの少し、ですよ?」

「ほんの少しだね」

「何か変だと思ったら、すぐやめてくださいね?」

「了解」

「本当にですよ?」

「ヒアンシー」

「はい?」

「さっきから僕、かなり素直に言うこと聞いてないかい?」

 

 困ったような笑いを向けられ、ヒアンシーはぱちりと瞬いた。確かに今日は、事前に体調を見ることも、力を何回かに分けることも、使用後に確認を受けることも、すべて受け入れてもらっている。

 

「……そうですね?」

「そこ、疑問形になるんだ」

「だって、ファイノン様ですし……」

「僕だから?」

「ファイノン様だからですっ」

「なんだか納得いかないなあ。モーディスだって同じようなものなのに」

「俺を巻き込むな」

 

 口ではそう言いながら、ファイノンは楽しそうに笑っていた。ヒアンシーもつられて頬を緩める。完全に信用していないわけではない。

 むしろ彼が約束を軽く扱う人ではないことは知っている。ただ、彼の場合、「無理をしない」という約束の前提となる“無理”の基準そのものが周囲とずれることがある。それならば、こうして互いに確認しながら進める方がよいということを学んだのだ。

 

「では……お願いします」

「うん」

 

 ファイノンは若木の傍らへ歩み寄った。神権を振るう者が何か大きな奇跡を起こそうとしているとは、とても思えないほど自然な足取りだった。腰を少し屈め、葉へ触れないよう枝の間から手を差し入れ、細い幹へ掌を添える。

 その指先が樹皮へ触れた瞬間、ヒアンシーは何かが光るものと思っていた。けれど、予想とは違って、何も輝かなかった。炎が立つことも、黄金の光が迸ることもない。先に変わったのは、匂いだった。

 

「……あ」

 

 湿った土の香りが、ふわりと立ち上った。

 つい先ほど水を撒いたわけではない。それなのに、雨上がりの庭で土を掘り返したときのような、深く柔らかな匂いが鼻先を掠める。表面だけが濡れた匂いではなく、地中に眠っていた土がゆっくり空気へ触れたような、生々しくも穏やかな香りだった。

 その直後、足裏へ微かな振動が届いた。

 

「……?」

 

 音というほどではない。耳ではなく、靴底から感じる。大きな何かが地面を揺らしているわけでもないのに、細い震えが土の下を這い、ヒアンシーの両足の間を通り抜けていった。

 地中で何かが動いている。そう思ったときには、若木の根元を囲う土が、ごく僅かに盛り上がっていた。

 一本。また一本。目で直接根を追えるわけではない。それでも、土の表面へ走った細い筋が、根の先端が地下を押し分けていく方向を教えてくれる。ジョーリアの神権によって整えられていた柔らかな土が、若木の求める場所へ自然と道を譲るように沈み、また別のところでは静かに持ち上がった。

 まるで、大地そのものがゆっくり呼吸を始めたようだった。ヒアンシーは思わず一歩近づいた。もっと根元を見ようと身を屈めたところで、足元へもう一度振動が届く。最初よりほんの少し大きく、身体の重心が前へずれた。

 

「あっ」

 

 転ぶほどではなかった。それでも身体がふらりと傾くより先に、背中へ大きな掌が添えられた。

 

「大丈夫?」

 

 すぐ近くで声がした。振り返るまでもない。樹皮へ触れていない方の手で、ファイノンがほんの一瞬だけ支えてくれたのだ。

 

「だ、大丈夫ですっ。ありがとうございます!」

 

 ヒアンシーは慌てて身体を起こし、足元を確かめてから少しだけ距離を取った。背中に残った温度は、春の日向に置かれた布のようにあたたかかった。そこへ意識が向きすぎる前に、彼女は若木へ視線を戻す。

 

「地面の方が動くんですね……」

「根を先に落ち着かせてるからね。上だけ伸ばすと倒れやすくなるし」

 

 ファイノンの声には乱れがない。片手を幹へ添えたまま、彼は目を伏せ、力の流れを探るように静かに呼吸していた。

 その姿は、巨大な力を押さえ込んでいるというよりも、耳を澄ましているように見えた。若木がどこへ根を伸ばしたがっているのか。土のどこに空隙があり、どこが固いのか。

 力を一方的に流し込むのではなく、相手の状態を確かめながら必要な分だけ渡している。そのためだろうか、目の前で起きていることは神権による奇跡であるはずなのに、どこか庭師が苗の根元へ水を注ぐ姿に近かった。

 やがて、幹がわずかに軋んだ。ほんの小さな音だった。ヒアンシーは息を止め、目を凝らす。細かった幹が、ほんの僅かに太くなっている。

 劇的に膨らんだわけではない。先ほどの姿を覚えていなければ気づかなかったかもしれないほどの違いだ。それでも樹皮の間隔が少し広がり、支柱と幹の間へあった隙間が狭くなっていた。

 枝先では、柔らかな葉がひとつ開く。その隣で、小さく巻いていた芽もゆっくりほどけた。一枚。さらにもう一枚。空へ向かって背伸びをするように、淡い新緑が増えていく。

 

「わぁ……」

 

 ヒアンシーの口から、思わず声が零れた。派手ではない。目を焼く光もない。雷鳴のような音もない。けれど、確かに生き物が育っている。昨日から今日へ積み重なるはずだった時間を、無理矢理飛び越えるのではなく、ほんの少しだけ歩幅を広げてもらったような成長だった。

 その変化が止まったところで、ファイノンは幹へ添えていた手の力を僅かに緩めた。

 

「このくらいかな」

「もう終わりですか?」

「ああ。今日は確認だけって言っただろ?」

 

 言われて、ヒアンシーは目を丸くした。疑っていたわけではない。けれど、彼が自分からきちんと切り上げたことが、少しだけ意外だったらしい。

 その反応を読み取られたのか、ファイノンは眉を上げる。

 

「……どうして意外そうな顔をするんだ」

「い、いいえっ。ちゃんとほんの少しで止めてくださったなあって」

「僕を何だと思ってるんだい?」

「とっても頼もしい方だと思っていますよ?」

「今、絶対その後に何か続いてただろ」

「気のせいですっ」

 

 ヒアンシーが笑って誤魔化すと、近くから気の抜けた感嘆が聞こえた。

 

「はぇ~……そんなことができるんだぁ」

 

 いつの間に近くまで来ていたのか、サフェルが若木を覗き込んでいる。彼女はしゃがむでもなく、少し腰を折って枝の間から幹を眺め、先ほどより増えた葉を面白そうに目で追っていた。

 その隣ではモーディスが腕を組み、土の変化から幹へ視線を移す。

 

「……見事なものだな」

「そんな大したことじゃないよ」

 

 ファイノンは二人の感想へ、どこかぼんやりとした調子で肩を竦めた。ヒアンシーは一瞬だけ彼を見る。疲れただろうか。けれど、姿勢に崩れはない。呼吸も乱れていない。視線が若木へ留まっているため、単に結果を確かめているだけにも見えた。

 

「『大したことじゃない』の基準、ファイノン様はちょっと考え直した方がいいかもしれませんよ?」

「そうかな」

「土の下の根っこを伸ばしながら、幹と葉っぱまで育てたんですよ?」

「でも、この程度なら――」

 

 言いかけて、ファイノンはヒアンシーの顔を見た。

 おそらく、先ほど交わしたやり取りを思い出したのだろう。

 

「……今の僕でも、問題ない範囲だよ」

 

 言い直した。ヒアンシーは満足して頷く。

 

「はい。あとで一応確認させてくださいね」

「もちろん」

 

 素直だ。今日はとても素直である。ヒアンシーが内心で感心していると、ファイノンはもう一度若木を見上げた。

 

「ただ、火種の力も前ほどじゃないからね。今みたいに少しずつならともかく、昔みたいに何でも出来ると思われると困るかな」

 

 言い方はあまりにもあっさりしていた。失ったものを惜しんでいる響きも、自嘲する様子もない。単に現在使える道具の性能を説明するような調子だったため、ヒアンシーもそこへ必要以上の意味を付け加えなかった。

 

「ですから、無茶振りはなしですよね」

「そういうこと。あんまり無茶振りされても困るよ」

 

 ファイノンはそこで、なぜかサフェルを見る。

 視線を向けられた彼女は、きょとんと目を瞬いた。

 

「たとえば、サフェルさんの“魚を創って”とか」

「ニャッ」

「魚……?」

 

 ヒアンシーは首を傾げた。なぜ魚なのだろう。しかもサフェルは一瞬で何かを察したように猫めいた声を上げ、すぐさま目を逸らしている。

 

「えっ、なんですか? 何のお話ですか?」

「知らなくていいと思うよ」

「気になります!」

「大した話じゃないって」

「ファイノン様がそう言う時ほど、ちょっと気になるんですけど……」

「ヒアンシー、世の中には知らなくても健康に支障のないこともあるんだよ」

「お医者さんにその言い方をします?」

 

 思わず返すと、サフェルがとうとう吹き出した。

 モーディスやケリュドラ、セイレンスも口元を僅かに歪めている。笑ったのかどうか判別しにくい程度の変化だったが、少なくとも否定するつもりはないらしい。

 張りつめるほどではなかった場の空気が、さらに柔らかくほどけた。その中心で、若木の新しい葉が風に揺れている。ファイノンは笑いながらも、やがてその根元へしゃがみ込んだ。

 

「さて、と」

 

 今度は神権を使うためではないらしい。彼は支柱と幹を結んでいる紐へ指を差し入れ、張り具合を確かめ始める。

 成長したぶん、先ほどまでの結び方では少し窮屈になっていた。幹が太くなったことで紐が樹皮へ食い込みかけている場所もあり、ファイノンは結び目を解くと、一度支柱から外して長さを調整した。

 

「支柱は、まだ外さない方がいいな」

「少し育ったから、もう大丈夫なのかと思いました」

「根は前より広がったけど、まだ自分だけで風を受けるには浅いよ。枝も増えたから、そのぶん上が重くなってる」

 

 言いながら、彼は幹を傷つけないよう指先で紐を整える。

 

「支えを急に取る必要はない。ちゃんと立てるようになってからでいいと思うよ」

 

 その言葉に、ヒアンシーは何となく若木を見上げた。先ほどまで紐はぴんと張っていた。支柱から若木が離れないよう、倒れないよう、しっかりと固定されていた。けれど今は、成長した幹に合わせて結び直されたことで、ほんの少しだけ遊びが生まれている。

 風が吹く。若木が揺れる。以前なら支柱とほとんど一緒に動いていた幹が、今度は僅かに自分自身で揺れ、その後から紐が支える。

 まだ自由ではない。支えが不要になったわけでもない。それでも、すべてを支柱へ預けていた状態から、ほんの少しだけ自分で立つ時間が増えていた。ファイノンは何度か軽く幹を押して戻り方を確かめ、結び目をもう一段だけ緩める。

 

「うん、これくらいかな。風が強い日はまた締めた方がいいかもしれないけど、今は少し動けた方が幹も強くなるからね」

「動かさない方が安全、というわけではないんですね」

「ずっと固定したままだと、支えがないと立てなくなることもあるからね。倒れないようには守る。でも、自分で揺れる余地も残す。……まあ、木によるけど」

 

 ヒアンシーはその説明を聞きながら、柔らかな新芽へ目を移した。ほんの少し大きくなっただけなのに、先ほどより木らしく見える。頼りなさは消えていない。まだ支柱が必要で、強い風が吹けば人の手も必要になる。

 それでも、今までよりほんの少しだけ、自分の根で土を掴み、自分の幹で空へ向かおうとしている。その姿を眺めているうちに、ヒアンシーの胸の奥へ、名づけにくい温もりが広がった。

 目の前にいるファイノンは、誰もが知る英雄だ。世界を救い、永劫回帰を越え、今では黄金裔の中でも抜きん出た力を持っている。困り事があれば名前を呼ばれ、自分にできることならばと、当然のように手を貸す――そんな彼にも、こんな若木のように、何かへ支えられながら背伸びをしていた頃があったのだろうか。

 ヒアンシーには、そのすべてを知ることはできない。彼が幼い頃にどんなふうに転び、誰に手を引かれ、どんな失敗をして立ち上がったのか。その時間を隣で見ていたわけではないのだから、勝手に物語を作るべきではない。

 

 ただ、今の彼が誰かへ手を差し伸べることに慣れているからといって、最初から一人で立てたわけではないはずだ。

 人ならば、きっと。誰かに支えてもらう時間もあった。今だって、そうなのかもしれない。助けられることと、弱いことは同じではない。支柱があることと、自分で立っていないことも同じではない。ファイノンが無理をしそうなとき、ヒアンシーたちが止めること。使う力を一緒に決めること。体調を確かめること。

 それらも、この若木を縛りつける紐ではなく、倒れそうなときだけ力を受け止める支柱のようなものであればいい。

 そんなふうに考えてしまうのは、医療者らしすぎるでしょうか。ヒアンシーは胸の内で苦笑した。それでも、悪くない気がした。

 目の前で起きたことは、確かに奇跡と呼んでも差し支えない。ジョーリアの「大地」の神権と、ケファレの「世負い」の神権。ファイノンの説明によれば、陽光から得た力を直接木へ押し込んで成長させたのではなく、大地へ巡らせ、土壌そのものを穏やかに活性化させながら、若木が自ら根を広げる助けをしたのだという。

 だからこそ、土の匂いがした。だからこそ、先に根が動いた。だからこそ、上へ伸びた枝も、借り物のようには見えなかった。けれど、ヒアンシーの胸へ残ったものは、強大な神権を目撃した驚嘆とは少し違っていた。

 もっと柔らかい。もっと小さなものだった。懸命に立とうとしている若木を見たときに生まれる、愛おしさ。昨日よりほんの少し出来ることが増えた患者を見守るときのような、急かしたくない喜び。まだ支えは必要だけれど、それでも今日はここまで来られましたね、と笑いたくなるような温度だった。

 ファイノンが結び目から手を離す。風が通り、新しく開いた葉がさらさらと鳴った。ヒアンシーはその音を聞きながら、思わず口元を緩めた。

 

「……素敵です」

 

 声は、考えるより先に零れていた。

 ファイノンが顔を上げる。

 

「ん?」

 

 ヒアンシーは一瞬、何を指してそう言ったのか自分でも迷った。若木だろうか。成長の仕方だろうか。皆の願いを結ぶ場所が少しずつ形になっていることだろうか。

 おそらく、その全部だった。

 

「この子です。さっきより少しだけ大きくなって、でも、ちゃんと自分で育っている感じがして……。いきなり立派な木になるんじゃなくて、こうして少しずつなのが、とっても素敵だなって思いました」

「ああ」

 

 ファイノンは若木を見上げた。その横顔に、誇らしげな様子はない。自分が奇跡を起こしたと見せつけるでもなく、ただ「そうだね」とでも言うように目を細めている。

 

「そう言ってもらえるなら、このくらいにして正解だったかな」

「はいっ。大正解です!」

「それはよかった」

 

 彼は軽く笑い、今度こそ幹から完全に手を離した。掌に残った樹皮の感触を惜しむ様子もなく立ち上がり、膝についた土を軽く払う。

 

「はは。何度も言うけど、これくらいならいくらでも出来るよ」

「“いくらでも”は聞かなかったことにしておきますね」

「そこだけ?」

「そこだけです」

 

 即答すると、ファイノンは少し困った顔をした。ヒアンシーはそれを見て笑いながらも、彼の顔色と呼吸をさりげなく確認する。

 変化はない。先ほどより疲れたようにも見えない。少なくとも、今日試した範囲ならば問題はなさそうだった。

 

「……外周を囲うって言ってたけど、他にも必要そうな場所はある?」

 

 ファイノンは大講義場の姿を想像するように、若木の向こうへ視線を伸ばした。

 

「木を増やすなら、今のうちだよ。後から場所を変えるより、先に決めておいた方が根も楽だから」

 

 また増やそうとしている。けれど今回は、先ほどのように何でも自分で引き受けようとしているというより、設計上の確認らしい。

 ヒアンシーは頭の中で一度会場案を思い返した。入口。外周。大講義場の人の流れ。中央は人が集まる余白として残す。短冊を結ぶ場所は、枝が伸びていけば十分に確保できる。他に木を増やさなければならない理由は、今のところなかった。

 

「この若木を中心に育てていけば十分だと思います。増やしすぎると、今度は会場が狭くなってしまいますし」

「それもそうか」

「なので、ファイノン様のお仕事は、この子を少しずつ育ててくださることだけです」

「分かった」

「今日はここまでですからね?」

「分かったって」

「それと――」

 

 ヒアンシーは背中側で両手を組み、彼を見上げた。先ほどまで柔らかな相談として決めていた内容を、今度は役目としてきちんと渡しておきたかった。

 何となく助けてもらうのではない。当日までに皆で準備を重ね、その中の一つを彼へお願いする。そうした方が、ファイノン自身にとっても「どこまでが自分の役目なのか」が明確になる。

 

「お疲れさまでした、ファイノン様。イベント前日から当日にかけて、よろしくお願いしますねっ!」

 

 ヒアンシーが笑って頼むと、ファイノンは一度若木を見た。支柱に寄り添いながら、それでも先ほどより少しだけ自分の幹で立つ木。そこからヒアンシーへ視線を戻す。青い瞳には、今度はきちんと空の光が映っていた。

 

「うん、任せてくれ」

 

 穏やかな返事が落ちる。そのすぐそばで、新しく開いた葉が風を受け、まだ何も結ばれていない枝先を小さく揺らした。




猫の噂話:ココの小噺が思ったより長くなったので、10章の最後にそっと添えます。
「たとえば、サフェルさんの“魚を創って”とか」
「ニャッ」
「魚……?」

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