烈日よ、さざ波を追って   作:夜鷹ケイ

99 / 103
<前回のあらすじ>
 終末を越えたオンパロスに、若木が植えられた。
 人々が来年を語り、祭りの準備に笑い声を重ねるなか、ファイノンもまた穏やかな日常へ戻りつつあるように見えた。けれど、彼が未来を語る時、その視線だけは星の彼方へ向かう。
 壊滅の因子を恐れ、自らを危険な存在と見なす彼は、皆を守るためなら自分が離れることさえ選びかねない。ヒアンシーは、その静かな決意の兆しを見逃さないことを決意した。


099 若枝に風未来宿す

 ふとわたしは自分の胸の内に、もう一つ別の危うさが潜んでいることにも気づきました。見失いたくない。だから理解したい。それは自然な願いのように思えます。

 患者さんを診る時だって、何が痛いのか、いつから苦しいのか、どんな時に症状が強くなるのか、ひとつでも多く知ることで出来ることは増えます。原因が分からなくても、困っていることが分かれば、その方に合わせて支える方法を考えられる。

 でも、人の心に対してまで同じように「知れば分かる」と考えてしまうのは、少し傲慢なのかもしれません。

 ファイノン様が抱え続けた痛みも。目の前で幾度となく失われた命を、彼が一つ一つどのように受け取ってきたのかも。無数の再創世を重ねるたび、それでも次こそは、と何を思って立ち上がっていたのかも。

 わたしたちには知る術がありません。記憶を見せてもらえば分かる、というものでもないのでしょう。同じ出来事を見ても、受け取る人が違えば、痛む場所も、怒りを覚える場所も、最後に選ぶ答えも変わります。

 

(もし、あの永劫回帰をわたしが背負っていたなら?)

 

 そんな仮定を、以前は何度か考えたことがありました。けれど、考えるたびに途中で立ち止まります。

 わたしなら、きっと医師として状況を見てしまうでしょう。誰を救えるのか、誰を先に処置するべきなのか、限られた時間と資源でどこまで助けられるのか。誰か一人を救うために多くの方を危険へ晒すのなら、それでも手を伸ばすのか。そうやって、救える命の数や成功の可能性を秤にかけながら、選ばなければならなくなるのだと思います。

 医療では、選ばなければならない場面があります。本当は全員を助けたい。けれど、一人へすべてを使えば、その間に別の誰かを失う可能性がある。そんな時、気持ちだけで順序を決めてはいけないと、わたしたちは学びます。

 だから、わたしがファイノン様と同じ場所へ立ったとしても、同じ受け止め方は出来なかったでしょう。きっと途中で、数字を見ます。状態を分けます。救える方と、もう手の届かない方を判断しようとします。それは冷たさではなく、わたしが学んできた責任です。

 

(でも、だからこそ、違う。……なら、オクヘイマの統治者となられた経験のある、アグライア様ならどうでしょうか)

 

 彼女は、わたしより遥かに大きな視野で人々を見守ることの出来る方です。個人への情を持ちながら、それだけに流されず、都市や共同体、これから続く未来まで見渡して判断される。

 それほど無私に見える方でも、きっと同じではありません。アグライア様なら、守るべきものが多いほど、その全体を守るための選択をなさるでしょう。

 それは正しいことです。むしろ、多くの人々を導く立場なら必要な強さなのだと思います。けれど、ファイノン様が繰り返してきたものには、その合理性だけでは届かない部分がありました。

 

(うーん……サフェル様なら?)

 

 彼女は人の痛みに鈍い方ではありません。それどころか、軽やかな口調の裏で誰が困っているのかをよく見ています。損得を口にしながら、結局は手を貸してくださることも多い。先ほどだって、冗談を言いながらファイノン様の身体への負担を真っ先に気にしてくださいました。

 でも、サフェル様は生きるために、何を守り、何を捨てるのか、どこまでなら賭けられるのかを見極め、必要であればその判断を引き受けられる方でもあります。だからこそ、善性を持つ彼女であっても、ファイノン様と同じにはなれないのでしょう。

 誰が優れているとか、誰が劣っているというお話ではありません。むしろ、普通なら人はどこかで線を引くものです。自分の腕で抱えられるものの大きさを知り、それを越えた時には何かを諦める。そうしなければ心も身体も壊れてしまうからこそ、多くの人は自分を守る境界を持っています。

 そして、それは悪いことではありません。医師として言うなら、必要な防御です。傷口に薄い膜ができるように、痛みから手を引く反射があるように、「これ以上は耐えられない」と心が告げることにも、ちゃんと意味があります。

 

 それなのに、ファイノン様だけは、その境界があまりにも遠く、時には存在しているのかさえ分からなくなるほどでした。

 顔も名前も知らず、一度も言葉を交わしたことのない人々まで、ファイノン様はご自身が守るべき「みんな」の中へ、ごく自然に含めてしまう。

 だから、ファイノン様は誰一人として切り捨てられず、次の再創世でも救いを求めて走り続けました。たとえ失敗しても、その記憶を抱えたまま、次こそは助けられるかもしれないと信じて。

 それを「英雄だから」「優しい人だから」「救世主だから」と一言でまとめるのは簡単です。だけど、そんな言葉だけで済ませてはいけないように、わたしには思えました。

 優しいから出来たのではなく、優しすぎたから止まれなかったのかもしれません。守れる心が強かったのではなく、守ろうとする心が、ご自身を守るための境界まで何度も越えてしまったのでしょう。

 それを「強さ」と呼んでしまえば、また同じことを期待することになります。次も耐えられるでしょう、あなたなら出来るでしょう、一度世界を救えたのだから――そんな期待を、わたしはファイノン様へ向けたくありませんでした。

 以前、アナイクス先生とこの話になった時のことを思い出します。先生は感情的な言葉を使わず、いつものように事実を机へ並べるような話し方をされていました。

 

『別の個体へ同一の負荷を移した場合、同等の経過を再現出来ると考えるのは非論理的です』

 

 先生はそう仰いました。

 

『記憶量だけの問題ではありません。喪失の反復、自己同一性の維持、目標の長期固定、救済対象への感情的価値づけ。これらを同時に保ち続ける必要がある』

 

 わたしには難しい言葉も混じっていましたが、先生はその後、珍しく説明を噛み砕いてくださいました。

 

『要するに、通常なら途中で目的を変えるか、対象を切り捨てるか、自己を守るために感情を遮断します。そのいずれも出来ず、なお行動だけを継続するなら、精神構造そのものが先に破綻する可能性が高い』

 

『……先生でも、ですか?』

 

 そう尋ねた覚えがあります。

 アナイクス先生は、少しだけ眉を動かしました。

 

『私が同じ行為を選ぶと思いますか?』

『それは……』

『選びませんよ』

 

 即答でした。少しも迷わず。

 

『必要なら損失を計算します。達成不能であると結論すれば方法を変える。再現性のない試行を感情だけで継続する趣味もありません』

 

 先生らしい、とその時も思いました。

 でも、そこで終わりではありませんでした。

 

『そして、おそらく貴方も、アグライアも、サフェルも同じです。方法や判断基準に差はあれど、どこかで限界を設定する』

 

 眼鏡の奥の視線が、資料からわたしへ移りました。

 

『単純な話です。彼だけが、それをしなかった』

 

 あの一言は、妙に長く胸へ残りました。彼だけが出来たのではなく、彼だけが諦めることも、誰かを切り捨てることも、自分を守るために誰かの死を「仕方がなかった」と片づけることもしなかったのです。

 もちろん、ファイノン様だって、救えない命があることも、何もかもを完璧には戻せないことも理解していたのでしょう。それでも彼は、その現実を「だから次も諦めていい理由」には変えませんでした。アナイクス先生も、それを称賛するのではなく、淡々と事実として語っていました。

 

『別の者が同様の負荷を抱えれば、精神崩壊に至る可能性は極めて高いでしょう』

 

 淡々と。診断結果でも読み上げるように。

 

ファイノン(あの子)自身が耐えたことを根拠に、負荷が許容範囲だったと判断するのは誤りです』

 

 その言葉は、医師としてよく分かりました。患者さんが歩けたからといって歩いてよい状態とは限らず、痛みに耐えられたからといって傷が浅いわけでも、倒れなかったからといって無傷だったわけでもありません。

 ファイノン様も同じなのです。最後まで走り、世界を繋げられたからといって、無傷だったわけではありません。むしろ、あれほどの痛みを抱えたまま耐えられてしまったこと自体を、わたしたちは「大丈夫だった」と片づけず、異常な負荷の結果として見なければならないのでしょう。

 それなのに、英雄譚というものは、その異常を「偉業」「献身」「不屈」「救世」といった美しい言葉へ整えてしまいます。

 どれも間違いではありませんが、その輝かしい呼び名の影で、一人の人がどれほどの痛みを抱え、どれほど無理をして耐え続けたのかが見えなくなってしまうのなら、わたしは少し怖いと思います。

 

 若木の葉が風に鳴る中、少し離れた場所では、ファイノン様が設営を手伝う方の問いに耳を傾けていました。

 彼は相手の話を最後まで聞き、指差された場所を確認してから、配置に関する判断をわたしへ委ねるように一度視線を送ります。わたしが頷くと、彼はそれを相手へ伝えました。

 こんなに普通なのに。こんなふうに人と話し、来年の木の成長まで語れるのに。その彼の中へ、あの途方もない時間が確かに残っている。

 理解する、という言葉は、少し使い方を変えた方がいいのかもしれません。わたしはファイノン様の苦痛を理解出来ない。おそらく、完全には一生出来ません。

 でも、「理解出来ない」という事実を理解することなら出来ます。自分の物差しで測り切れないものを分かったふりで決めつけず、わたしならこうするからと押しつけない。それでも、危険な方へ向かうのを見つけたら、理解出来ないままでも止めるのです。

 矛盾しているようですが、医療でも似たことはあります。患者さんの痛みを医師が代わりに感じることは出来ませんし、本人にしか分からないからと放っておくわけでもありません。だからこそ、話を聞き、様子を観察し、一緒に方法を考えるのです。

 そして命に関わる危険があるなら、ときには嫌がられてでも止める。それが、痛みを同じように背負えない側に出来る、責任の取り方なのだと思います。

 理解とは、同じ痛みを持つことではなく、同じ痛みを持てないまま、その人の言葉を受け止め、扱うことなのかもしれません。そう考えると、わたしは少しだけ息をしやすくなりました。

 答えはありません。ファイノン様をどうすれば「治せる」のかも分かりませんし、そもそも彼の人生を治療対象のように扱うこと自体が違うのでしょう。それでも、今のわたしたちに出来ることはあります。

 

 その考えが浮かぶと、記憶はさらに少し前へ戻りました。永劫回帰の中で、わたしたちは何もせず彼一人へすべてを任せていたわけではありません。

 わたしたちも、ザンダー・ワン・クワバラの端末であるリュクルゴスと相対した時をはじめ、永劫回帰の中で何度も試行錯誤を重ねました。グレーたんたちが経験された最後の再創世のように、ファイノン様以外の誰かが二つ目の火種を抱えられないか試したこともあります。

 ファイノン様一人へ負担を集めず、彼だけを残さないために、わたしたちは一緒に戦える方法を何度も探しました。けれど、どの試みも上手くいきませんでした。

 火種は、ただ持てばよいものではありませんでした。複数を抱えようとしても安定して受け止められず、グレーたんとファイノン様を除けば、わたしたちの試行に成功例は残りませんでした。

 戦い方や配置を変え、誰かが最後まで残ろうとしても、最終的にはどうしてもファイノン様だけを残してしまう場面が生まれたのです。

 そのたびに、もっと出来たのではないか、違う方法なら、次ならと考えました。今になっても、あれが唯一の方法だったと簡単に言いたくはありません。「仕方がなかった」という言葉で全部を閉じてしまえば、ファイノン様が嫌がるのも分かる気がするからです。

 でも同時に、何度試しても届かなかったという事実まで、なかったことには出来ません。わたしたちは彼を一人にしたかったのではなく、一緒に行こうとし、背負おうとした。それでも、同じものを背負うことは出来なかったのです。

 その限界を認めることは、見捨てることとは違うのでしょう。むしろ、出来なかったことを出来たふりにして、「次は全部一緒に背負います」と約束する方が、きっと無責任です。

 

(なら、わたしたちに何が出来るのでしょう……)

 

 壊滅を消してあげることも、ナヌークの眼差しを完全に遮ることも、今のわたしには出来ません。ファイノン様の魂から、混ざってしまったものだけを綺麗に取り除く方法も、まだ見つかっていないのです。

 だからといって、どこにも行かないと約束させることもしたくありません。彼の未来を、わたしたちの怖さだけで縛りたいわけではないからです。

 

 それでも、明日の危険を消せなくても。

 今日を戦いへの備えだけで終わらせず、ファイノン様の時間をただ生きる人の一日として満たすことなら、わたしたちにも出来るはずです。

 その考えへ辿り着いた途端、七夕の準備に追われ始めてから、わたしの中へずっとあった気持ちが、ようやくはっきり形になったような気がしました。

 オンパロスの皆さんには、働き詰めだった日々から少し離れ、生き延びる以外の願いを書いてほしい。未来を欲しがっていいのだと、思い出してほしい。それが、この催しを始めた一番大きな理由です。

 

 でも、もう一つ。

 

 最初は自分でもはっきり意識していなかった理由がありました。ファイノン様にも、ただ一人の青年として、この祭りを楽しんでほしかったのです。それだけの、ささやかな願いでした。

 世界を救ったご褒美としてでも、救世主を労う式典としてでもなく、ただ一人の青年として、短冊へ何を書くのか迷い、人々の願いを見て笑い、変わった願いを見つけて誰かと語り合い、来年にはもっと木が大きくなるだろうと何気なく未来を口にする。そんな時間を、出来るだけ普通に過ごしてほしかった。

 少しだけ、苦笑が零れそうになります。ファイノン様が最近、以前ほど仕事を与えられていない理由には、オンパロスの皆さん自身が忙しく動いているから、というものがあります。

 復興も生活も、それぞれの仕事も、もう救世主一人へ集める必要はありません。それは、とても良いことです。

 けれど、もう一つの理由は、わたしたちがあの手この手でファイノン様を引き留めているからにほかなりません。「無理をしないでください」「今日は休んでください」「この検査が終わるまでは待ってください」「こちらのお手伝いをお願い出来ませんか」「先生が確認したいそうですよ」「みんなが心配していますよ」――どれも嘘ではなく、必要な言葉でもあります。

 一つ一つは嘘ではなく、必要なことでもあります。けれど、そのすべての底には、「まだ行かないでください」という願いがあることを、少なくともわたし自身は否定できませんでした。

 

 ずるいと思います。ファイノン様の善意に甘えて。必要とされれば残ってくださる人だと知っていて、必要な理由を増やしているのですから。

 でも、その時間の中で、彼が一つでも「残っていて良かった」と思えるものを見つけてくださるなら、わたしたちが引き留めた時間も、ただの足止めではなくなるのかもしれません。そんな期待くらいは、持ってもいいでしょうか。

 七夕の祭りも、その一つになってほしい。せめて今日くらいは、誰かを救うためでも、壊滅を見張るためでも、遠い星空へ行く準備のためでもなく、ただここで笑っていてほしい。

 そして出来ることなら。来年の木の高さを、本当にご自身の目で確かめてほしい。そこまで考えて、わたしは小さく息を吸いました。

 

 胸の内側へ長く沈んでいた思考が、ようやく現在へ浮かび上がってきます。風に揺れる若木の葉音や紙を数える音、遠くで椅子を動かす音が重なるなか、大講義場の入口付近から「受付用の札、こちらで全部です!」と声が上がり、すぐに別の方の返事が響きました。

 若木の葉が変わらずさらさらと鳴る中、いつの間にかファイノン様はその幹の傍らへ戻っていました。力を注いでいる様子はなく、先ほど成長を促した木の状態を確かめるように、片手を幹へ軽く添えています。

 

「根元はもう大丈夫そうだよ」

 

 わたしが見ていることに気づいた彼が言いました。

 

「揺れもないし、土もちゃんと馴染んでる。これなら人が集まっても問題なさそうだ」

「はい。支柱も問題ありません。あとは皆さんが短冊を結ぶ時に、枝を強く引っ張らないようご案内すれば大丈夫だと思います」

「それなら安心だね」

 

 ファイノン様が笑います。わたしも笑いました。

 先ほどまで考えていたことは、まだ胸の中に残っています。どうすれば彼を引き留められるのか、そもそも引き留め続けることが正しいのか、ナヌークのことを含めて、何一つ答えが出たわけではありません。

 それでも今だけは、そこへ手を伸ばさないことにしました。問題から目を逸らすのではなく。今でなくてもいい問いを、今ここへ持ち込まないために。

 

「ファイノン様」

「うん?」

「今日、楽しんでくださいね」

 

 彼は目を瞬きました。あまりにも唐突だったのでしょう。

 

「……僕も準備する側だろ?」

「準備する側でも楽しんでいいんですよ」

「そういうものかい?」

「そういうものです。主催者だって、協力してくださる皆さんだって、楽しんではいけないなんて決まりはありませんから」

「ヒアンシーも?」

「もちろんです!」

「さっきまで確認表ばかり見てたのに?」

「そ、それはお仕事です!」

 

 思わぬところから返され、わたしは確認表を胸元へ引き寄せました。ファイノン様の口元が緩みます。

 

「じゃあ、ヒアンシーがちゃんと楽しんでるか僕も見ておこうかな」

「えっ。わ、わたしが監督される側になるんですか?」

「お互いさまだろ?」

「むぅ……否定出来ません」

 

 小さく笑う声が重なり、わたしはそれでいいのだと思いました。世界を救える答えが見つからなくても、彼のすべてを理解出来なくても、今はただ、この一日に一緒に笑える時間を一つ増やせれば、それで十分なのです。

 それくらいなら、きっとわたしたちにも出来ます。遠くからは、開催前の最終確認を知らせる声が飛んできました。

 

「ヒアンシーさーん! 受付まわり、最終確認お願いしまーす!」

「あっ、はーい! 今行きます!」

 

 反射的に返事をしてから、わたしはファイノン様へ向き直ります。

 

「呼ばれてしまいました」

「行っておいで。僕はここを見てるよ」

「無理に何か作業を増やさないでくださいね?」

「分かってるよ」

「本当ですね?」

「信用してくれないかい?」

「信用しているから確認するんです」

「……それ、前にも聞いた気がするな」

「医師ですから!」

 

 胸を張って答えると、ファイノン様は困ったように、それでも楽しそうに笑いました。若木の枝先では、まだ何も結ばれていません。けれど、その空いた枝にはこれから人々の願いが増えていきます。わたしは確認表を抱え直し、受付へ向かうため一歩を踏み出しました。

 その前に一度だけ振り返ると、ファイノン様は若木の幹へ手を添えたまま、こちらを見ています。遠い場所ではなく。少なくとも今は、この大講義場の中に。

 

「あとで、ファイノン様の短冊も用意しておきますからね!」

「僕も書くのかい?」

「もちろんです!」

「何を書こうかな……」

 

 その返事を聞いて、わたしは笑いました。何を書くのかは、まだ知りません。けれど、せめて願い事くらいは誰かのためではなく、ファイノン様ご自身のものを選んでくださればいいと思い、あえて聞かないでおくことにしました。

 そんなもう一つの願いが、この祭りに混ざっていることは。

 今のところ、ファイノン様には内緒です。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。