【完結】仲正イチカは悪い大人についていく   作:曇りのち晴れ男

1 / 19
第一話 悪い大人っす!

 

『トリニティ総合学園は、本日から思春期相談窓口の開設を本格始動しました』

 

 昼前のラジオがやけに落ち着いた声でそう告げていた。

 木陰のベンチに腰を下ろし、私は空を見上げる。

 

 白い石畳、尖塔の影、祈りの名残みたいに静かな空気。

 ここにいると、勝手に背筋が伸びる。言葉遣いまで丁寧になる気がする。

 

 その学園で、私は正義実現委員会の腕章をつけていた。

 

『この思春期相談窓口は、思春期の生徒の悩みが一番理解しあえる生徒が担当をする窓口で──』

 

「もうこの平和を味わえるのがいつになるか、いよいよ分からなくなるっすからね……」

 

 朝日の匂いは非常に暖かく、今日から始まる忙しい日々の前の静けさのようだった。

 

 トリニティ総合学園。このキヴォトスにおいて、三大学園に数えられるほど大きな学園の一つだ。

 所謂お嬢様学校と行った雰囲気の学園で、礼拝堂や古書館、音楽堂まである。

 私はそのトリニティに存在する正義実現委員会に所属する生徒だ。

 

 先日、組織内において私の上司といえる人から言い渡されたある新規活動『思春期相談窓口』。

 一定の年齢を迎えた学生が迎える思春期。その悩みを聞く企業はごまんとある中、そんな思春期学生の気持ちが一番わかる学生自体が相談を受ける窓口を開設するということだった。

 

 正義実現委員会は“治安を守る”仕事だ。

 言い換えると、問題が起きたら真っ先に呼ばれる。

 走って、止めて、なだめて、時々爆発を避けて。──そんな毎日に、さらに「相談窓口」まで追加? 

 ……静かな朝が惜しくなる。

 

「イチカ、ここにいたんですね」

 

 休息を楽しんでいると、背後から声をかけられた。

 そこにいたのは、正義実現委員会において私の先輩にあたるハスミ先輩だった。

 麗しい。そう言った表現がぴったりであろう容姿で、そこにたたずんでいた。

 

「今日から思春期相談窓口の活動、頑張ってくださいね」

 

「はは……了解っす」

 

 現実は無情で、ハスミ先輩は活動の現実を突きつけてきた。

 

 ■■■

 

 トリニティ学園敷地内のとある小さな事務所。

 人がほんの3~4人で活動できるくらいのサイズの小さい事務所に私は案内されていた。

 

 特別凄い事務所と言うわけでもない。

 ごく普通のどこにでもあるようなオフィス的な事務所だ。

 

「それでは、この場所で電話をとるなり窓口に来るなりで相談が来ると思いますので……」

 

 私の後ろで説明を終えた正実の生徒は、それだけ伝えて部屋を去ろうとした。その足を呼び止めて質問をする。

 

「そういえば……私のお手伝いをしてくれる人っていうのはどこにいるっすか?」

 

 お手伝いをしてくれる人……そういうふわっとした表現でしか聞いていないが、とにかく来てくれるそうだ。

 思春期相談窓口を一人で運営するなどと言うのはどう考えても無謀だ。ということで呼んでもらえた。

 

 しかし私がその質問をしても、目の前の生徒は困ったように下を向いてもじもじしていた。

 恥ずかしがっているような様子でもない、ただ何か、言いづらそうな……。

 

「それが……その……」

 

「……? どうしたっすか?」

 

「『佐倉(さくら) 正義(まさよし)』……名前はそう伺っています。どんな人かは……会ってみた方が早いでしょう」

 

 事務所についてきていたハスミ先輩がそのような含みのある回答をする。

 佐倉さん……どういう人なんだろう? 

 ハスミ先輩の表情を見てもいまいち情報が読み取れない。いい人を紹介するような顔でもないし、悪い人を紹介するような顔でもない。

 困った顔をするハスミ先輩に続けて質問をする。

 

「それで……その佐倉さんってどこにいるんすか?」

 

「トリニティ学園のエリア3、9番街のこの住所に住んでいるそうです。まだ姿が見えなくて……」

 

 ハスミ先輩は住所の書かれた紙を私に手渡した。そこには確かにトリニティ自治区にあるアパートの住所が載っていた。

 ……思春期相談窓口の開設初日に遅刻なんて、ろくな人じゃないな。

 

 私は正実の生徒の子とハスミ先輩にお礼を言って、記載された住所のアパートに向かった。

 

 ……だが、向かった先では意外な結果になった。

 

 アパートのインターホンを押しても誰も出てこない。それどころか人が住んでる気配のしないアパートだった。

 私がドアの前で立ち往生していると、おそらく大家であろう人が出てきて私に声をかけた。

 

「その部屋の人なら多分今外出中じゃないかな」

 

 どういうことだろう、起床もして外出もしているというのに正実には来てないのだろうか。

 

「佐倉さんなら今頃あのあたりの雀荘にいるはずだよ」

 

「じゃ、雀荘っすか……?」

 

 ……驚いた、佐倉さんと言う人は相当ダメな人らしい。思春期相談窓口の開設がされ、運営の補助を頼まれたというのに初日からサボるその度胸は認めるしかない。

 私はたぎる怒りを抑えながら大家さんに質問をした。

 

「ちなみに、佐倉って人はどんな人っすか?」

 

「ん~? 愛想のない奴だよ」

 

 アパートを出発して、雀荘を目指す。

 しかし、佐倉さんを追いかけてトリニティ自治区を歩き回っても、佐倉さんは全然見つからなかった。

 

 それどころか各地で聞くのは悪い噂ばかり。

 

「佐倉ぁ? あんな愛想のない奴探して、お嬢ちゃん何の用だい」

「愛想がない……っすか」

 

「ああ、佐倉ちゃんね。相変わらず愛想ない顔してどっか歩いてったよ」

「……愛想ない、っすか」

 

「二度とこの店に近寄るなって言っとけ! あんな──」

「愛想のない奴! ……っすよね、左様っす」

 

 行く先々で言われるのは愛想がない愛想がない……そんな言葉ばかりだ。言われすぎてノイローゼになりそうだった。

 どうやら佐倉と言う人はとんでもなくダメらしい……。

 

 私が歩き疲れてベンチに座っていると、突然モモトークが入った。ハスミ先輩からだ。

 

『佐倉さんが来ました』

 

「やっ……とっすか」

 

 携帯に書かれていた文字に私は胸をなでおろし、心から安心した。すでに私の足はジンジンと痛みを訴え、もう歩けないと警鐘を鳴らしている。

 時刻を見るとまだお昼。これからさらに正実と思春期相談窓口まであると考えたら頭痛がしてきた……。

 

 私は重い体を気合で持ち上げ、窓口の事務所まで足を動かした。

 

 ■■■

 

「……っち、オイル切れか……」

 

「……えっと、イチカ。こちらが思春期相談窓口の補助をしてくださる、佐倉正義さんです……」

 

 事務所に帰ってきたとき、私を迎えたのは絶望的な光景だった。

 応対ソファに座っているのは、口に白い棒を加え、それに対しライターを構えている大人の男だった。

 

「い……いやいやいや! ハスミ先輩正気っすか……!?」

 

 思わず飛び出た言葉だ。

 

 私の目の前でソファに座るその男性はスーツを着てるとはいえ、その素材はしわしわだ。頭もぼさぼさで、ひげも全然剃ってない。そんな男性が思春期の女の子の相談を聞く? 論外だ。できるわけがない! 

 しかしハスミ先輩は私の思ってることを言いたいが言えないという表情で固まっていた。

 

「それが……この方は元・先生なんです……」

 

 先生。

 超法規的機関『シャーレ』から派遣される何でも屋のような存在。基本的に学園における顧問の手伝いやその他臨機応変に学園の手伝いをしてくれる人。

 銃撃戦が当たり前に行われるこのキヴォトスの戦闘において、先生の指揮を上回る指示は出せないと言われるまで指揮能力が高く人格者だと言われていた。

 だがそうして語り継がれる先生は以前代替わりし、今の先生は『アビドス』という学園に通っていると聞いている。ハスミ先輩の言う通り、元・先生……。

 

「元・先生ぇ!?」

 

「うるせぇなぁ……」

 

「その……少し前に連邦生徒会からクビを言い渡され、そこから普通の市民として生活をしていたそうです……」

 

 せ、先生に『元』がついている……??? 

 どういうことだ、理解が追い付かない。そもそも連邦生徒会は先生をクビにすることがあるということに驚きだ。

 思わず出してしまった大きな声にいら立っているのだろうか、その元先生は私をにらんでいる。

 

「ど、どうしてまた急にこの窓口の補助として呼んだんすか……」

 

「元とはいえ、先生であれば生徒たちを導いてくれるはずだろうというティーパーティーの意向です。私もやめた方がいいと意見はしたのですが……」

 

「おいコラ、なんかしれっと俺の事ディスってないか」

 

 ティーパーティー……トリニティ学園における最上位の立場の役職だ。生徒会と言い換えた方がわかりやすい。

 三人のトップで形成され、お茶会をしながらトリニティ学園の政治的な動きを定めている。そのトップがこの人を指名した……!? 今は一人不在にしたっておかしい采配だろう……! 

 

 いつの間に新しいライターを出したのだろうか、元先生はタバコに火をつけて喫煙を始めていた。

 

「ちょっとこの事務所で喫煙はやめてもらっていいっすかぁ!?」

 

「なんだよ、どうせ喫煙所も作らないくせに」

 

 元先生はふてくされたように私に反論する。

 やっぱり無謀だ、こんな人に生徒の相談を補助してもらうなんて。

 ハスミ先輩に今からでも補助の人を変えてもらおうと言うが、その意見は否定された。

 

「それが……ティーパーティー全員の満場一致でこの人を指名しているんです……」

 

「えぇ~……?」

 

「……一応、生徒への暴力行為でクビにされた経緯があります。何かあればすぐに私に相談してくださいね。問題が起きたらティーパーティーの意向など関係ありません。すぐに私が飛んでいきます」

 

 暴力行為の前科がある人を思春期相談窓口の補助に……? ティーパーティーは一体何を考えているのだろうか。そんなのティーパーティーと書いてお茶がぶ飲み大会の思考回路じゃないか。

 結局私はハスミ先輩に説得され、この佐倉正義……もといシャーレの元先生と協力することになった。

 

 元先生はソファをベッド代わりにして、でっかいあくびをしている。

 

「あの……一応トリニティから仕事として報酬はもらってるんすよね……?」

 

「あ? あぁそうだな。少なくとも俺の生活が保障されるくらいの金額はもらう」

 

「じゃあせめてもう少し誠実な態度で仕事してくださいっすぅ……」

 

 私は諦めで顔を青くしながら肩を落とす。

 どうしてこんな大人と手を組まないといけないのだろうか。これならまだ正実の仕事でトリニティ中を駆け回った方が良い。

 

「なんでこんな人が補助に……」

 

「お前らほんと人を貶すの好きだな。この窓口自体、飲み会のノリで決まったような誰もやりたくない掃きだめ事業だからだろ」

 

 目をつむりながら放たれたその言葉に、私は怒りを覚えた。確かに労働が増えるという意味では、私はこの窓口に賛成ではない。だが存在意義として見たら賛成している。それを掃きだめなどと言われた私には、珍しく怒りが沸き上がったのだ。

 椅子から立ち上がり、応対ソファで寝ている佐倉さんのところへ行く。私を見て佐倉さんは嫌な顔をしている。いやな気持ちになったのは私だというのに。

 

「なんだよ。お前どこ見てんだその糸目」

 

「どう考えてもあなたの顔っす」

 

 お互い、言いたいことを喉元で抑えて沈黙が続く。発展を期待されているこの窓口は初日にして殺伐とした空気になっていた。

 

 その沈黙を破るように、事務所のドアが開けられた。

 

「あの……思春期相談窓口ってこちらですか……?」

 

 ドアの方を見ると、生徒が一人立っていた。私は佐倉さんを応対ソファから起き上がらせて、その生徒を対面に座らせる。

 隣でめんどくさそうな顔をしていたので、テーブルの下で見えないように足をぶつけてさしあげた。

 

 相談に来た生徒は、すごくおとなしそうな雰囲気の生徒だった。トリニティの白い制服を着て、いかにもお嬢様、と言えるような風貌だ。

 

「なんでも相談していいっすよ、できる範囲で解決を手伝うっす」

 

「その……」

 

 相談の内容はいたってシンプルな恋愛相談だった。

 トリニティ自治区以外の生徒に惚れ、思い切って対面して告白してみたそうだ。その時点で恋愛相談などする必要もないと思うかもしれないが……そうではない。

 二人は自治区が違うため主にモモトークでやり取りをしていたらしいが、相手の様子がおかしいというのだ。

 

 なにか自分に対して愛情が向いていないような。

 私を邪険に扱われているような。

 そんな感じがするというのだ。

 

「その……これがモモトークの履歴なんですけど……」

 

 応対ソファの対面に座る生徒が携帯を机に置く。

 そこに書かれていたやり取りはこうだ。

 

『ナカムラさん、今度トリニティ自治区でお会いしたいです!』

 

『今金欠なんだよね、デート代出してほしいな』

 

『は、はい。構いません……!』

 

『実は装備を買うお金も困ってて、そのお金も欲しいな。必ず返すから』

 

『わかりました……!』

 

 といった内容だ。

 

「……ずいぶん下手な吹っ掛けだな、なんでこんなやつ選ん──いだだだだ!」

 

「ちょっと黙っててくださいっす……!!」

 

 だが、確かに問題だ。この生徒の考え通り、ナカムラという生徒はお金をせびっているように感じる。

 ……しかしこれだけでは断定はできない。実際にお金に困っていて、本当にお金を返す気がある可能性もゼロではない。

 

 こういう場合は、その生徒を直接見に行くのが適切……だろうか。

 

「そのナカムラって子は、どこの学園の子っすか?」

 

「えっと……」

 

 その生徒にナカムラさんの所属学園を聞き出し、その学園の自治区へと向かった。

 

 ■■■

 

「……それで、私たち生徒会に訪問してきたと」

 

「そうっすね。早速ナカムラという生徒について教えてほしいっす」

 

 目の前に座る『アンティパス学園』の生徒会長に、にこやかな笑顔で質問をする。

 私たち思春期相談窓口はトリニティの後ろ盾によってある程度強力な権力を持っている。必要であればほかの学園の自治区に向かって生徒の情報を聞くことができるのだ。

 しかし生徒会長は、ナカムラの写真を見て少し苦い顔をした。

 

「……いえ、このような生徒は在籍していません」

 

 生徒会長は、写真を見て即座に否定したが、その否定はあまりにも早すぎる。

 一瞬だけ沈んだ表情を、私は見逃さなかった。

 

 ……何かを隠している。

 直感じゃない、手応えがあった。

 

「……本当に在籍してないっすか?」

 

 生徒会長は私と同じくにこやかな笑顔で答える。その笑顔は何か含みのあるような笑顔で何か怪しい。

 明らかにナカムラのことを隠しているように感じる。

 

「分かったっす。一応私たちの方で調査はさせてもらうっすね」

 

「……自由になさってください。生徒たちのプライバシーを侵害しない範囲でよろしくお願いしますね」

 

 まるでくぎを刺すように生徒会長は私に向かって言葉を放った。

 あまり調べるようなら敵対する……と言う意味だろうか。

 

「ねむ……」

 

「……了解っす」

 

 結局有益な情報は何も得られず、私たちは生徒会室を後にした。

 

 コンクリートの上を歩きながら、佐倉さんと一緒に周りの生徒たちを観察する。

 ナカムラと言う生徒がいるというアンティパス学園、そこはなんてことはない、普通の学園だ。一般的な市街が見え、そこかしこによく見るお店が並び、生徒たちや市民たちが歩いている。

 さっさと視察して、ある程度その生徒のことが分かればいいだろう。

 

 相談してきた生徒からもらった顔写真を見ながら、目立たないようにコンクリートの道の端をひっそりと歩く。

 佐倉さんがちゃんとついてきているか後ろを見ると、すでに姿はなかった。

 

 甘辛く鼻を突く匂いを感じた時には、遠くの方で屋台につられて焼き鳥を食べている姿が見えた……。

 

「ん”ん”っ!! んまいなぁ~この焼き鳥!」

 

「はぁ……何しにここに来たと思ってるんすか……」

 

 周囲を見たところナカムラと言う生徒はまだ見える気配がない。ここで佐倉さんが焼き鳥を食べ終わるのを待つ時間くらいはあるだろう。

 私が屋台の前で休憩していると、佐倉さんが私に話しかけてきた。

 

「そういやお前、名前なんて言うんだ」

 

「……仲正イチカっす」

 

「あ、そう」

 

「すっごい興味無さそうっすね」

 

 しれっとビールまで頼み始めた佐倉さんを止めたりしながら、街を右から左へと流れていく生徒たちの顔を見ていく。

 何時間もそんなことをしていたら、太陽はすでに落ち始め、もうそろそろトリニティに帰らないといけない頃だろう。

 

「糸目。お前も食うか?」

 

「……いただくっす」

 

 今日はナカムラと言う生徒を調べることができないと思い焼き鳥を佐倉さんから受け取る。

 

「……佐倉さんはどうしてこの仕事を受けたんすか」

 

「そりゃお前、お金もらえるなら受けるさ」

 

「それは先生をクビになったから稼ぎがなくなったんすか?」

 

「……」

 

 佐倉さんからもらった焼き鳥を食べながら、何気なく質問をした。言ってからそれがすごく失礼な聞き方をしていることに気付いて、すぐに謝罪する。

 特別佐倉さんは気にしている様子もなく、ねぎまを持ちながら静かに答えてくれた。

 

「……まぁな。シャーレにいた頃に比べて、生活の水準はえらく下がったさ。狭いアパートで無理やり生活して、払えるかわからない家賃のために日雇いの仕事して。そこに大量の金がもらえる仕事が舞い込んできたら、そりゃあな」

 

「……なら、もっとまともに仕事してくださいっす」

 

「ま? 善処しておこう」

 

 やはりこの人は思春期相談窓口でまともに働いてくれる気はないのだろうか。……まぁ、暴力行為でクビになった人だからな。期待するだけ無駄だろう。

 そんなことを考えていると、私と佐倉さんの間を高速で何かが通り過ぎた。

 

「うおっ!? コラァ! 俺のねぎま返せ!!」

 

 何かが通った先を見ると、佐倉さんからねぎまを強奪して生徒が走り去っていた。佐倉さんはそれを追いかけていくが、その生徒はカツカツと足音を立てて路地裏に消えて行ってしまう。

 ここで追いかけて変に迷子になっても困るだろう。トリニティ自治区内であれば追いかけているが、ここはアンティパス学園の自治区、騒ぎも起こしたくない。

 

「何時間ここにいたと思ってるんすか、もうたくさん食べたからいいじゃないっすか……帰るっすよ」

 

「バカ言え! ありゃ俺の大事なねぎまだ!!」

 

「あっ、ちょっと、どこ行くんすか! ちょっと!!」

 

 横から地面を蹴る音がしたと思ったら、佐倉さんがその路地裏に走り出していた。

 ここではぐれたらそれはそれで面倒だ……追おう。

 

「こらああああ! 待て泥棒生徒!!」

 

 焼き鳥強奪犯の追跡は、ほんの数分ほどで終わった。建物と建物の間の隙間やダクトが張り巡らされた通路を走っていると、佐倉さんは何かの段差に引っかかってこけてしまう。

 その間に遠くに見える生徒はもう見えなくなった。ここまでが限界だろう。

 

「畜生! ねぎまぁ!!」

 

「はぁ……そもそもねぎまはもう無いっすよ」

 

「あぁ?」

 

「あの犯人、逃げながらねぎま食べてクシ捨てていったっすから」

 

 道中で拾った焼き鳥のクシを佐倉さんに渡すと、ひどく残念そうな顔をしながら力尽きてしまった。

 ……しかし、キヴォトスの生徒を相手に追跡をするなんて、そこそこ動けるんだな……。

 

 ご飯のシメを食べられなくて気分が落ちている佐倉さんを連れ、トリニティ自治区への帰り道を歩く。すっかり日は落ちてあたりは暗くなっている。

 今日一日を通して、この相談以外に連絡をしてきた生徒はいなかったな……。

 やはり思春期相談窓口と言うのは相談がしづらいのだろうか……。

 

「……あ?」

 

 突然佐倉さんが後ろの方で立ち止まってある生徒の方を見ていた。

 その生徒は先ほど私たちの横を通り過ぎた生徒で、こちらに気付かず帰り道を歩いている様子だ。

 

「……どうしたっすか?」

 

「……あいつ、ナカムラってやつじゃないのか」

 

 そう言われるが、生徒の方は見ない。見るまでもない。だってここはアンティパス学園の自治区ではないからだ。制服だってその学園の物とは違うし、顔を見るまでもなく別人だ。

 

「いや、絶対写真の顔してたぞ」

 

「はぁ……ねぎま取られた八つ当たりをしないでほしいっす」

 

 どうせねぎまをとられたから適当を言っているのだろう。そう思い佐倉さんを軽くあしらう。そもそも事務所でタバコを吸ったり調査中に焼き鳥を食べる時点でやる気がないのを見せているのに、何をいまさらやる気を出しているのだろうか。

 

「……チッ。信じないならそうしてろ。糸目」

 

「その呼び方やめてもらっていいっすか? 私はイチカっす」

 

「糸目!」

 

「イチカっす!」

 

「糸目!!」

 

「イチカっす!!」

 

 しばらくその問答を繰り返して、私たちは事務所へと帰った。

 

 ■■■

 

 事務所の簡易ベッドで一夜を過ごし、かすかなヤニの匂いで目を覚ます。

 昨日に引き続きナカムラと言う生徒の調査をしないといけないだろう。あの生徒のためにも、万が一にもお金を奪われる未来を防がないと。

 幸い正実の仕事は後回しにして、思春期相談窓口の仕事を優先していいという風にハスミ先輩から言われている。

 

「……ふぅ~っ……」

 

「……せめて窓とかで吸わないっすか? 普通」

 

「換気扇はつけてるからいいだろ」

 

「それはそれとして窓口の印象が悪くなるんで吸わないでほしいっすけどね」

 

 ……まぁ、この人と行動を共にする負担を考えての気遣いだろう。ハスミ先輩には感謝しなければ。

 

 再びナカムラ生徒の学園に行こうとすると、私の携帯にモモトークが入った。

 画面を見ると、昨日相談に来てくれた生徒だった。そういえば念のために連絡先を交換していたんだっけ。

 

『予定が変わって、本日お会いすることになりました』

 

 ……昨日の今日で急だな。

 少し怪しいが、一応お金を渡すのは控えるように連絡しておこう。

 

「どうした糸目」

 

「イチカっす。昨日の相談した生徒が、日程変わって今日デートするみたいっすよ」

 

 佐倉さんにモモトークの内容を伝えると、途端に佐倉さんは目の色を変える。急に立ち上がったかと思ったら、何も言わずスーツを着なおして事務所を飛び出して行ってしまった。

 

「え、ちょっと、どこ行くっすか!?」

 

 私も急いで事務所を出て佐倉さんを追いかける。さすがに置いていかれるほどヤワではないので、すぐに追いついて肩を掴む。だが佐倉さんはひどく焦っている様子で、私の妨害を邪魔と思っている顔をしていた。

 

「早く! 昨日ナカムラがいた学園に行くぞ!」

 

「えぇ? だから昨日の学園はナカムラって子がいる学園じゃないって言ってるじゃないっすか」

 

「そうじゃない、足音が一緒だった」

 

「足音?」

 

「俺の焼き鳥を盗んだ奴、あいつのカツカツした特徴的な足音と昨日すれ違った奴の足音が似ていた。もし同一人物であれば、偽の制服を着て二つの学園を行き来している可能性が高い」

 

 ……何を言っているんだろうか……。

 

「佐倉さん……このトリニティ自治区の付近、それどころかこのキヴォトスにどのくらいの生徒、靴があると思ってるんすか? たまたま同じ靴を履いていただけっすよ」

 

 トリニティはゲヘナのようなマンモス校と同じく、その規模は大きい。それに周りの学園の生徒を含めれば、数千人には軽く届くだろう。

 その数千人分から同じ靴を履いている生徒はどのくらいいるだろう。それに似た足音を鳴らす靴もあるし、生徒の体重や歩き方によっても音は変わる。

 それなのに、昨日すれ違った生徒が同じナカムラだというのだろうか。

 

 もうついていけない……。

 

「もういい加減にしてほしいっす! 横暴な態度をとったり活動中にサボったり……そんなに気になるなら一人で行ってくださいっす!」

 

「あっ、ちょっと待て! まだ話は……」

 

 激しく怒りをあらわにして佐倉さんの肩を離し、アンティパス学園へと向かう。私の後ろからついてくる足音は聞こえなかった。

 

 一人でキヴォトスの市街を走り、アンティパスへ向かう。相談をした生徒から聞いた場所に向かうと、そこにはすでに彼女がいた。

 私は見えないように距離を置いて、噴水の前に立つ彼女を見守る。そこでもしナカムラが変な動きをするようなら即座に取り押さえて事情を聴こう。

 

 ……本当に、このまま佐倉さんと一緒に思春期相談窓口を運営していくのだろうか。

 

『掃きだめの仕事だからだろ』

 

 本当に、この窓口は雑に作られた誰もやりたくもない、生まれた意味すら分からない窓口なのだろうか。

 私は、私は……この窓口の思想に強く共感した。

 

 思春期ならではの悩みに、一番理解の近い生徒が解決を手伝う。そんな平和な窓口を実現できると……本気で考えていた。

 

『もういい加減にしてほしいっす!』

 

 ……もっと、平和的に分かり合える言い方があっただろうか。

 

 ……そんなことを考えても仕方がない、まずは目の前の問題を解決しよう。

 

「あの……」

 

「ん?」

 

 私がナカムラが来るのを待っていると、突然後ろから話しかけられた。

 振り向くとそこに、この学園の生徒が立っていた。

 

 先ほど佐倉さんに言われた『変装』と言うワードが頭をよぎったので顔を確認するが、ナカムラではない。

 

「どうしたっすか?」

 

「あ、あのトリニティの正義実現委員会の人ですよね……サインもらってもいいですか……?」

 

 その子はそう言って私にサイン色紙を差し出してきた。困ったっすね、まさか正義実現委員会がこんな繋がりのない学園にも知られているなんて、なんだか恥ずかしい。

 

「わ、分かったっす」

 

 手に握っていた銃を近くにあったベンチに置き、サイン色紙とペンを受け取る。

 私が慣れない手つきで正義実現委員会のシンボルマークである『J』と、私の名前を書いていると、突然電話が鳴った。

 

 携帯を見ると、佐倉さんからだった。

 

 ……出る義理もないだろう。あんな横暴をしているのに……。

 

『そんなに気になるなら一人で行ってくださいっす!』

 

 ……いや。私も、ひどく冷たく突き放してしまった。これから共に運営していくというのなら、ここで仲直りを兼ねて電話に出るのが最善だろう。

 一度サイン色紙とペンを同じ手に持ち、携帯をとって電話に出る。

 

「……もしもし? どうしたっすか?」

 

「イチカ!! お前、今、なにしてる!?」

 

「え? ……今正実のサイン書いてたっす」

 

「今すぐ逃げろ!! そいつがナカムラだぁぁ──っ!!」

 

「……え?」

 

 無意識に防御の姿勢を取ると、私の腕に激しい衝撃が飛んできた。痛みと衝撃波が腕を伝い全身に波紋していく。だんだんと痛みを知覚して腕が痺れてしまい、色紙とペンを落としてしまう。

 

 腕の方向を見ると、アサルトライフルのストック部分が叩きつけられていた。目の前の生徒が銃口を手で握って振ったのだ。もし腕でガードしていなかったら私の頭を直撃して最悪気絶していただろう。

 

 いきなり攻撃をされていたことに驚愕し、思わず目を見開いてしまう。

 

「くっ……これは……いったいどういうことっすか……!?」

 

 私が混乱していると、目の前の生徒は銃を持ってない方の腕で自分の首をめくるように掴む。そこからそいつは『顔を剝がした』。

 

「……なるほど、変装マスクっすか。手が込んでるっすね」

 

 目の前に現れた新しい顔、それは紛れもなく写真で見たナカムラだった。

 

「やられた! そいつは俺らの追跡に気付いてやがった! 今こっちでナカムラを見つけたと思ったら、そいつに脅されて変装させられた生徒……デコイだったんだ! すぐにデート野郎連れてトリニティに逃げろ!!」

 

「……悪いっすけど、それも難しそうっす……」

 

 電話の先にいる佐倉さんに謝りながら、私は周囲を見渡す。すでに相談に来た生徒は捕まり、ナカムラ含む悪行生徒の仲間が集まっている。

 

 その全員が完全に装備をし、私を囲んでいる。

 

「いやぁ……まさか初日で私がターゲットになるとは思ってなかったよ。思春期相談窓口……そんなふざけた窓口ができるって聞いた時から、追われると思ってたけどね。でも初日とは……」

 

「……なるほど、美形の王子さまってやつっすか? 私が同性愛者だったら堕とされてたかもしれないっすね。いや~、ほんと綺麗っすね。『顔だけ』は」

 

「よく言われるさ」

 

 私の腕に当てた銃を下ろしたのを見て私は距離を置く。どうにかしてベンチに置いた私の銃を手に入れなければならない。遠くの方で彼女はいまだナカムラを待っているようだ。

 

「この際聞く必要ないっすけど、あの子のお金をだまし取ろうとしてるってことでいいっすよね?」

 

「そりゃあな。トリニティと言えばお嬢様校であり、金持ちの集まりだ。だからうまい具合に落としたんだよ」

 

 いまだ腕が痺れる私を見て、ナカムラは自信満々に自らの計画を話し始める。ブラックマーケットでアンティパス学園の制服を買ってトリニティの周りを徘徊し、獲物がかかるのを待つ。そして恋に落ちてしまった少女がいたら、その心を利用してお金をじわじわと巻き上げる。

 顔がいいゆえに実現できない計画じゃなく、事実噴水前の彼女はこの生徒に引っかかってしまったのだ。悔しいことに。

 

 まさか生徒の恋愛を応援するはずの相談窓口が、いつの間にかこんな戦闘に巻き込まれるとは思わなかったっすね……。

 

「やっぱり王子様には貢物をするのが世の理だからね。トリニティ生徒もお金を持っているからへでもないだろう。おかげで私たちグループの装備は順風満帆だ!」

 

 それにしてもペラペラと……。

 よく自分を語りたがるようだ。おかげで腕の痺れもだいぶ抜けてきている。

 

「イチカぁ!!」

 

 ナカムラが意気揚々と語っていると、空気を割る叫び声が聞こえた。

 

 その声の方向を見ると、佐倉さんが叫んでいた。彼の腕が空中で振られると、私に向かって黒い何かが投げられた。

 

「これは……!」

 

「チッ……邪魔しやがって。……うわっ!?」

 

 佐倉さんからパスされたもの、それはハンドガンだった。それを使い、ナカムラたち生徒を圧倒する。手に握る感覚は慣れ親しんだものではないが、無いよりましだ。次々と手元を撃ち、彼らの装備を撃ち落としていく。

 

「痛いよぉぉぉ!!」

「もう帰るぅ!」

 

「おっ、お前ら待て! く、クソッ……!」

 

 所詮一時の利益で集めてきた仲間たちだったのだろう、私を囲っていた生徒たちは銃を無力化されるなり逃げて行ってしまった。

 ナカムラもカツカツとした足音を立てて路地裏へと逃げていく。

 

「イチカ、ケガはないな?」

 

「……助かったっす」

 

 ベンチに置き去りにされていた私の銃を拾って、ハンドガンを佐倉さんに返す。手渡すときに感じた彼の手は、ひどく頼もしく感じた。

 

「……ダメなだけじゃなかったんすね」

 

「黙れ。さっさと追うぞ」

 

「……了解っす、『先生』」

 

「あぁ? 先生じゃねぇよ」

 

「私が先生と思ったら、先生っすよ」

 

「……行くぞ」

 

 銃を握りなおし、先生と一緒に路地裏へと突撃する。

 

 ■■■

 

 路地裏は、昼間の表通りとは別の世界だった。

 

 建物と建物の隙間は細く、光は上から細い帯になって落ちてくる。排気の匂いと、古い水たまりの湿り気。壁には広告のシールが何層にも重なり、剥がれかけた角が風に鳴っていた。

 

 耳の奥に残っていた、あの特徴的な足音が、今ははっきりと前方から響いている。

 

「……やっぱり、同じだったな」

 

 先生が低く吐く。

 

「今さら自慢しないでほしいっす! 追うっす!」

 

 視界の先、黒い影が角を曲がる。ナカムラだ。振り返る余裕もないまま、全力で逃げている。

 

 ナカムラは背中を小さく見せながら、路地を縫うように走る。途中、ゴミ箱を蹴って音を立てたり、空き箱を倒して足場を散らしたり──追跡を嫌がっているのが丸分かりだった。

 

「くっ……!」

 

 私の足元に転がってきた段ボールが、くるりと回ってつま先に噛みつく。バランスが一瞬崩れ、体勢を立て直すのにわずかに遅れる。

 

「糸目! 無理すんな、足元見ろ!」

 

「イチカっす!!」

 

 叫び返す余裕すら、腹の奥から搾り出しただけだった。

 

 次の角を曲がった瞬間、ナカムラが肩越しにちらりとこちらを見る。目が合う。口の端が歪む。

 

 そして──路地の脇に置かれていた古い自転車を、思い切り蹴った。

 

 金属が甲高い音を立てて倒れ、ハンドルがこちらに飛び出す。

 

「っ……!」

 

 反射で身をひねる。だが避けきれない。グリップが制服の袖を引っかけ、布が裂ける感触が走った。

 

「邪魔っ……!」

 

 私はその場で自転車を押し返そうとする。けど、絡まったチェーンが足首に絡み、さらに動きを鈍らせた。

 

 一瞬。ほんの一瞬だ。

 

 なのに、その一瞬が致命的だった。

 

 前を見ると、先生の背中がもう遠い。ナカムラとの距離も、私より先生の方が明らかに近い。

 

「ちょっ……先生! あぁもう邪魔っ!!」

 

 声を飛ばしても、届かない。

 

「──先に行く!」

 

 先生の声だけが、路地に短く反響した。

 

 私は歯を食いしばって、自転車を乱暴に押しのけ、絡まったチェーンを引きちぎるように足を抜く。痛みが走るが、構っていられない。

 

 走る。

 

 走る。

 

 ふと突然、前方から聞こえていた足音が消えた。三つあったはずの足音はいつの間にか私の足音だけになっていた。

 

 いや、消えたんじゃない。壁や曲がり角に遮られて、反響が分からなくなっただけだ。

 

 胸が嫌な予感で冷える。

 

 路地の奥に飛び込むと、そこは少しだけ広い空き地になっていた。建物の裏口が並び、古い給水タンクと配管がむき出しになっている。壁に沿って錆びた階段が上へ伸び、上階の廊下へ繋がっていた。

 

 そして──

 

 そこに、二人がいた。

 

 ナカムラは壁際で尻もちをつき、片手で首元を押さえながら息を荒くしている。

 

 先生はナカムラの目の前に立って片手にハンドガンを握っていた。その銃口はナカムラの額の中心に、真っすぐ突きつけられている。

 

「……っ」

 

 息が止まった。

 

 この空気の冷え方は、銃撃戦の前と同じだ。引き金一つで、取り返しのつかない世界に落ちる。

 

「先生……!」

 

 声が震えているのが自分で分かる。

 

 先生は視線だけこちらに寄こした。顔は笑っていない。さっきまでのだるそうな目つきでもない。

 

 ただ、妙に静かで、冷たい。

 

「……追いつくの遅いぞ」

 

「そんなことどうでもいいっす! やめてくださいっす……! それ撃ったら──」

 

 言いかけたところで、私の喉が勝手に詰まった。

 

 学園同士の衝突。

 銃声が一発でも鳴れば、噂は広がる。

「トリニティが他学園の生徒を撃った」と。

 それは相談窓口どころじゃない。正義実現委員会の問題になる。ティーパーティーが動く。アンティパスも動く。最悪、自治区同士の火種になる。

 

 そして何より──

 

『暴力行為でクビにされた』

 

 そんな言葉が脳裏を叩いた。

 

「佐倉さん……静かに、降ろしてくださいっす。ここで撃ったら……取り返しがつかないっす」

 

 私たちのやり取りを見て、ある程度冷静さを取り戻したのだろうか。ナカムラが、情けない声で笑う。

 

「は、はは……。大人が人を撃った、ってニュースになったら面白いね。──撃てよ、撃てよ」

 

 その一言で、空気がさらに硬くなる。

 

 先生の指が、引き金の輪の中で、ほんの少し動いた。

 

「……俺はな」

 

「こういう救いようのないクズを、許せない」

 

 ナカムラの笑いが止まる。

 

「だから、先生に向いてないんだろうな」

 

 その言葉は、ため息みたいに軽かった。まるで自分を卑下するように言葉は空気に散布する。

 けど、私には重かった。

 

 “撃つ”。

 その未来が、確信になって胸に落ちる。

 

 次瞬間走り出した足を感じた。叫びながら私は飛び出して全力で距離を詰める。すぐに先生を取り押さえて、腕を下ろさせる。そうしないと──

 

 その瞬間だった。

 

 佐倉さんが、ナカムラの襟首を掴んで──

 

 私に向かって投げた。

 

「うわっ!?」

 

 予想外の衝撃。ナカムラの体が私の胸にそのままぶつかってくる。受け止めきれない。二人まとめて地面に転がった。痛くて息が詰まる。

 

 でも、そんなことより──

 

 銃声は、鳴らなかった。

 

「っ……!」

 

 顔を上げると、先生はすでに動いていた。

 

 ナカムラの背後を取り、腕を絡めて脚を引っかける。

 その動きには躊躇がなく余計な力がない。必要な所だけ、的確に締める。

 

 ナカムラが呻き、抵抗しようと腕をぶんぶんと振り回すが、佐倉さんは体重を預けて崩し、膝で背中を押さえ込んだ。

 

 次の瞬間、どこから出したのか、細い結束バンドが伸びた。

 カチカチと音が二回。

 

 ナカムラの手首が、背中側で固定される。

 

「──終わりだな」

 

 先生は淡々と言い、ハンドガンの安全装置を親指で弾くように戻して、ただ一言「ふぅ」と息を吐いた。

 

 私は呼吸を取り戻しながら、呆然として先生を見る。

 

「……撃つ気、なかったんすか」

 

「バカか最初からねぇよ」

 

 先生は、煙草でも吸うみたいな軽さで言う。

 

「脅しだ。──クズを許せないからこそ、更生させる。その更生に付き合うのが苦手だから、先生ってのは向かねぇんだよ。あとは世間に任せる」

 

「……心臓止まるかと思ったっす」

 

「止まってた方が静かで助かる」

 

「ひどいっ!」

 

 言い返した瞬間、ナカムラが苦しそうに笑った。

 

「くそ……。なんだよ……。撃たないなら、あんな顔するなよ……」

 

「お前が撃たれる顔してたからだろ、バァァァカ」

 

 めっちゃくちゃ大人げない罵倒を横で聞き流しながら、立ち上がって服の汚れを払う。腕はまだ少し痺れているが、動く。よかった。兎にも角にも大事にならなくて安心した。

 

「……ナカムラ」

 

 先生は結束されたナカムラを見下ろし、比較的優しいトーンで言葉をかける。

 

「しっかり更生して、学生を楽しめ」

 

 ナカムラは目を逸らした。さっきまでの余裕は消えている。

 

「くそくらえだ、ばぁぁぁか」

 

「……てめぇやっぱり撃ってやる!!」

 

「ステイステイステイ! ステイっす先生!! ダメっす!!」

 

 ■■■

 

「それじゃあな! ナカムラ!」

 

「うるせー!!」

 

 遠くの方から威勢の良い声が聞こえる。ふと私の横からはスーツに手を突っ込むような音が聞こえる。

 

「……先生、ハンドガンをしまうっす」

 

 アンティパスの生徒会に事情を説明をしたのちに送迎をして、自分の学園に彼女が去っていくのを見送りながら、私は小さく息を吐いた。まだまだ元気なお日様の下で、先生と共にトリニティへと帰る足取りを進める。

 ナカムラはあの後、デートを待っていた彼女に謝罪をし「いつか本当にお付き合いしてください」と改めて告白をされていた。こういうのもなんだが、ナカムラを好きな彼女も大概だと思う。

 

 あんな甘酸っぱいものを見せられて、なんだか頭頂部がかゆいような感覚がする。

 

「しかし、本当にアンティパス学園の生徒じゃなかったとは、驚いたっす」

 

 ふと生徒会長との話を思い出す。あの時生徒会長はナカムラのことを隠していると疑っていたが、本当に何も隠していなかった。

 

 ふとハスミ先輩からモモトークが入る。

 

『佐倉さんは問題ありませんでしたか?』

 

 その心配は、特別気にするほどの事でもないだろうと今回の事件をもって実感する。

 

『心配ないです!』

 

 それだけ返して携帯を閉じる。思春期相談窓口としての初仕事は、なんとか火は大きくなる前に消せた。それだけで満足だ。

 

「……初手から、すごかったっすね~」

 

 私が言うと、先生は肩をすくめた。

 

「初日から、ちゃんと“窓口”の仕事してんじゃん」

 

「は?」

 

「思春期だろ。恋愛だろ。承認欲求だろ。……騙されて、泣いて、そういうの、ちゃんと受け止めた。満貫くらいは働いたぞ」

 

 言われて、私は口を閉じた。

 

 悔しい。

 悔しいのに、ほんの少しだけ──胸の奥が落ち着く。

 

「……さっき。銃を向けて脅すのはもうやめてほしいっす」

 

「あぁ? 有効な手だっただろ」

 

「……もう二度とやらないでくださいっす」

 

 先生は、少しだけ目を細めた。

 

「善処しておこう」

 

「“善処”って言葉、嫌いっす」

 

「俺もだ」

 

 相変わらず悪態のすごい先生に頭を抱えながら歩いていると、ふと少しだけヤニの匂いがした。

 横を見ると先生は煙草を取り出しかけていて──私の視線に気づいて、止めた。

 

「……ほら。一個目の善処だ」

 

「……意外と、素直っすね」

 

「意外とじゃねぇ。俺はいつも素直だ」

 

「どの口が言ってるんすか」

 

 言い返すと、先生は面倒そうに笑って、歩き出した。

 

「帰るぞ、糸目」

 

「イチカっす」

 

「…………イチカ」

 

「……! はいっす!」

 

 その呼び方が、ほんの少しだけ、軽く聞こえた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。