【完結】仲正イチカは悪い大人についていく   作:曇りのち晴れ男

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第十一話 分かち合う神秘

 

 用務員のおじいさんの話が終わり、古い木造校舎に重たい沈黙が降りた。

 西日が差し込む廊下で、私とウタハさんは言葉を失っていた。

 

「……それが、あの人の『暴力事件』の全貌っすか」

 

 私の声は、自分が思っている以上に震えていた。

 ただの暴力教師。短気で、粗暴で、生徒に手を上げた最低な大人。

 世間が、そしてティーパーティーの一部ですらそう認識していたレッテル。

 けれど、その内実はあまりにも悲痛で、あまりにも……「先生」だった。

 

「彼自身、怖いんだろうね。タケルちゃんに嫌われるかもしれないと思っているんだろう」

 

 一人の生徒のために、自身のキャリアも、社会的地位も、命さえも投げ出した。

 その代償が、あの荒んだ生活と、自虐的な態度だったのだ。

 

「……信じられないな」

 

 隣で腕を組んでいたウタハさんが、苦渋に満ちた声で呟く。

 彼女の表情には、今まで先生に向けていた冷徹な分析の色はなく、ただ純粋な驚きと、深い悔恨が滲んでいた。

 

「私は、彼を単なる『制御不能な不良品』だと定義していた。論理的思考も、教育者としての理念も持ち合わせていない、排除すべきバグだと。だが……」

 

 ウタハさんは拳を強く握りしめる。

 

「その行動原理が、たった一人の生徒を守るためのものだったとは。……私の観測は、あまりにも表面的すぎたようだ」

 

「ウタハさん……」

 

「恥ずべきことだ。真実を知ろうともせず、彼を断罪していた自分自身がな」

 

 彼女の言葉は、私の胸にも刺さる。

 私も、どこかで先生を「仕方ない人」だと思っていた。

 けれど、先生は誰よりも生徒のことを想っていたのだ。不器用で、極端で、破滅的だけど……誰よりも。

 

 ふと、私は一番肝心なことを思い出した。

 先生が全てを投げうって守ろうとした少女、タケルちゃんのことだ。

 

「あの……おじいさん。その、タケルちゃんは今、どうしてるんすか? まだ、病院で意識が戻らないまま……」

 

 先生が会いに行けない理由。それは彼女が目覚めていないからか、あるいは合わせる顔がないと思っているからか。

 てっきり、私はまだ彼女が眠り続けているのだと思っていた。

 

 しかし、おじいさんは不思議そうに目をぱちくりとさせた。

 

「ん? ああ、タケルちゃんのことかい? いやいや、彼女ならとっくに目を覚ましておるよ」

 

「「……え?」」

 

 私とウタハさんの声が重なった。

 

「め、目覚めてるんすか!?」

 

「ああ。ひと月ほど前だったかな。リハビリも順調で、今はもう退院して学校にも顔を出しておるよ。ただ……」

 

 おじいさんは寂しげに眉を下げた。

 

「目を覚ました時には、先生がいなくなってしまっていたからねぇ。彼女、ずっと先生を探しておるんだよ」

 

「……!」

 

 先生は、知らないんだ。

 タケルちゃんが目覚めたことも、自分を探していることも。

 嫌われるのが怖くて、自分から情報を遮断して、一人で勝手に絶望している。

 

「あの人はもうっ……! どこまで臆病なんすか……!」

 

 私は唇を噛みしめる。怒りと、安堵と、もどかしさが綯い交ぜになって胸が熱くなる。

 

「おじいさん! タケルちゃんは今、どこにいるか分かるっすか!?」

 

「この時間なら、裏手の教会におるはずじゃよ。目が覚めてからというもの、毎日あそこでお祈りをしておるからね」

 

「教会……!」

 

 私はウタハさんと顔を見合わせる。言葉は必要なかった。

 

「行くぞ、イチカ。……彼に真実を突きつけるためには、確定的な証拠が必要だ」

 

「はいっ! 急ぐっすよ、ウタハさん!」

 

 私たちはおじいさんに礼を言い、校舎を飛び出した。

 夕焼けに染まるキサラズ学園の敷地を、息を切らして駆ける。

 

 先生が捨ててしまった過去。

 けれど、決して消えることのなかった絆。

 それを繋ぎ直せるのは、今、私たちしかいない。

 

 キサラズ学園の自治区の端。用務員さんに教えられたその場所には、古びた教会が静かに佇んでいた。

 トリニティにあるような荘厳な大聖堂とは違う。木造の柱は年季が入り、ステンドグラスも所々ひび割れている。けれど、そこには確かな「祈り」の空気が満ちていた。

 

 ウタハさんと顔を見合わせ、重厚な木の扉に手をかける。

 ギィ、と乾いた蝶番の音が響き、私たちは礼拝堂へと足を踏み入れた。

 

「……ッ」

 

 その瞬間、息を呑んだ。

 薄暗い堂内、ステンドグラスから差し込む一条の光の中に、その少女はいた。

 

 祭壇の前で膝をつき、祈りを捧げる後ろ姿。

 腰にまで届く長い金髪が、光を受けて神々しいほどの輝きを放っている。

 身に纏っているのは制服ではない。白を基調とし、裾や袖口に繊細な金の刺繍が施された私服だ。それはまるで、彼女自身の内側から溢れ出る光を形にしたかのような、純白と黄金の調和だった。

 

 空気が、重い。

 いや、物理的な重さではない。彼女の周囲だけ、世界が切り取られたかのような静謐さと、圧倒的な「神秘」の密度を感じる。

 これが、先生が全てを捨ててまで守ろうとした少女。

 

 私たちの気配に気づいたのか、少女は祈りを止め、ゆっくりと立ち上がった。

 振り返ったその顔立ちには、長く病床に伏していたとは思えないほどの芯の強さと、春の日差しのような穏やかさが同居している。

 

「……あら。どちら様でしょうか」

 

 鈴が鳴るような、透き通った声だった。

 

「驚かせてすいません。えっと……私はトリニティ総合学園の仲正イチカっす。こっちはミレニアムサイエンススクールの──」

 

「白石ウタハだ」

 

 私が努めて明るく振る舞うと、彼女──タケルちゃんは、小首をかしげて微笑んだ。

 

「はじめまして。私はタケルと言います。……他学園の方が、こんな寂れた教会に何か御用ですか?」

 

 私は一度、ウタハさんと視線を交わす。ウタハさんは真剣な表情で頷いた。

 私は意を決して、核心を切り出す。

 

「タケルさん。私たちは……佐倉正義先生のことで、ここに来たんす」

 

 その名前を出した瞬間。

 タケルちゃんの穏やかな瞳が、大きく見開かれた。

 

「先生……佐倉、先生……?」

 

「はい。あなたを探していたんす。先生が、あなたのことをずっと気に病んでいたから」

 

 タケルちゃんの手が、震えながら胸元で組まれる。

 彼女は今にも泣き出しそうな、それでいて信じられないものを見るような表情で、私に詰め寄った。

 

「先生は……佐倉先生は、ご無事なんですか!? 私、目が覚めたら先生がいなくなってて……先生が暴力事件を起こしたって聞いて、学校にもいなくて、どこを探しても見つからなくて……!」

 

「落ち着いてくださいっす。先生は無事っすよ。今は……まあ、色々あって私の同僚として働いてるっす」

 

「生きて……いらっしゃるんですね。本当、ですか……?」

 

「ええ。嘘じゃないっす」

 

 その言葉を聞いた瞬間、タケルちゃんの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 それは悲しみの涙ではない。深い安堵と、抑えきれない喜びの涙だった。

 彼女はその場に崩れ落ちそうになるのを堪え、震える声で何度も「よかった」と繰り返す。

 

「よかった……よかったぁ……。私、ずっと、ずっと心配で……先生がどこかで独りぼっちで苦しんでるんじゃないかって……」

 

 彼女の姿を見て、私は確信する。

 先生の思い込み──「嫌われているに決まっている」という恐怖は、完全に的外れだったのだと。

 この少女は、一度たりとも先生を恨んでなどいない。それどころか、自身の目が覚めたことよりも、先生の無事を何よりも案じていたのだ。

 

 その純粋すぎる想いに、私の胸が締め付けられる。

 先生。あなたは本当に、とんでもない馬鹿っすね。

 こんなにも、想われているじゃないっすか。

 

 木造の教会の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 ステンドグラス越しに差し込む午後の光が、埃の粒をキラキラと照らしている。

 

 私たちは長椅子に腰掛け、少しの間、言葉を探していた。

 

 目の前にいるタケルさんは、太陽のような──いや、もっと静かで、それでいて決して消えることのない灯火のような温かさを纏っている。

 先生が人生を棒に振ってでも守ろうとした少女。

 その理由が、なんとなく分かる気がした。

 

「……あの、タケルさん」

 

 沈黙を破ったのは私だった。

 

「用務員のおじいさんから聞いたっす。タケルさん、毎日ここに通ってお祈りをしているって」

 

「はい。目が覚めて、退院してからは、一日も欠かさず」

 

 タケルさんは、愛おしそうに祭壇の十字架を見つめる。

 その横顔には、恨みや辛さといった陰りは一切見当たらない。

 

「目が覚めた時、先生はいませんでした。誰も行方を知らなくて、探しようもなくて……。だから、私にできることはこれくらいしかなかったんです」

 

「……祈る、ことっすか」

 

「はい」

 

 彼女は両手を胸の前で組み、ふふ、と少し照れくさそうに笑った。

 

「昔、小さい頃に絵本で読んだんです。『キヴォトスの生徒には、みんな神秘が宿っている』って」

 

「神秘……」

 

 隣でウタハさんが小さく呟く。

 それは私たちの力の源であり、存在証明のようなものだと一部の書物では言われている。科学的に解明しようとする者もいれば、概念として捉える者もいる言葉だ。

 

「私、難しいことはよく分かりません。でも、もし私の中にそんな特別な力があるのなら……それを先生に分けてあげられないかなって」

 

「……え?」

 

「先生は『大人』ですから。私たち生徒と違って、銃弾一つで傷ついてしまう、脆くて弱い存在です。……私を守ってくれた時みたいに、また傷ついていないか心配で」

 

 タケルさんは、祈るように組んだ手に力を込める。

 

「だから、毎日神様にお願いしているんです。私の『神秘』を、少しでもいいから先生に分けてあげてほしい。このキヴォトスのどこかにいる先生が、今日一日を無事に過ごせるように。誰にも傷つけられず、笑っていられるようにって」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。

 

 先生は、今の今まで思い込んでいた。

『タケルに嫌われている』『合わせる顔がない』と、自分の殻に閉じこもり、トリニティの片隅で怯えるように暮らしていた。

 けれど、現実はどうだ。

 

 この少女は、自分の命を危険に晒した原因である先生を恨むどころか、先生の無事を祈り続けていたのだ。

 

「……非論理的だ」

 

 ウタハさんが、声を震わせながら眼鏡の位置を直した。

 

「……科学的根拠も、実証性もない。だが……」

 

「ウタハちゃん?」

 

「……こんなにも胸を打つ理論を、私は知らないな」

 

 ウタハさんの目元が、少し潤んでいるように見えた。

 私も同じだ。先生のあの卑屈な背中と、タケルさんのこの真っ直ぐな祈り。そのすれ違いがあまりにも切なくて、そしてあまりにも尊い。

 

「……タケルさん」

 

 私は立ち上がった。

 もう、迷っている暇はない。先生のあの曇った眼鏡を、無理やりにでも叩き割って真実を見せなければならない。

 

「先生は……佐倉さんは、元気にしてるっすよ。ただ、ちょっと拗らせてて、動けないだけっす」

 

「ふふ、先生らしいですね」

 

「だから、私たちが連れてくるっす! 今すぐにでも会わせたいっすよ!」

 

 私は拳を握りしめる。

 急がなければならない。先生がこれ以上、自分自身を呪い続ける時間を、一秒でも早く終わらせるために。

 

「あっ……ちょっとイチカちゃん……。行っちゃった……」

 

 ■■■

 

 トリニティ自治区への帰路、私はこれまでの人生で一番速く走ったかもしれない。

 隣を走るウタハさんも、エンジニア部の体力とは思えないほどの健脚を見せていた。

 

 息を切らしながら事務所のドアを勢いよく開ける。

 

「た、ただいま戻ったっす!!」

 

「ハァ……ハァ……先生、いるか!?」

 

 事務所の中は、相変わらずの紫煙と、うずたかく積まれた書類だった。

 その山の向こうで、先生の首から下が書類の山に埋もれている。

 

「……うるせぇな~。ドアぐらい静かに開けろよぉ~……もうやだよぉ……」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないっす! 先生、今すぐ立つっすよ! 行きますよ!」

 

 私は先生が埋まっている書類をかきわけ、先生の腕を掴んだ。

 先生は眉をひそめ、面倒くさそうに私の手を振り払う。

 

「あぁ? どこに行くんだよ。見てわかんねぇのか、俺は忙しいんだ~」

 

「キサラズ学園っす! ……タケルちゃんが、目を覚ましてるんすよ!」

 

 その瞬間。

 先生の指から、安物のボールペンが滑り落ちた。

 カツン、と乾いた音が静まり返った事務所に響く。

 

「……は?」

 

「だから! タケルちゃんはもう目覚めてるんす! ずっと、先生のことを待ってるんすよ!」

 

「イチカと私が確認してきた。彼女は教会で、君のために祈っていたんだぞ」

 

 ウタハさんも身を乗り出して訴える。

 これで、先生は飛び起きて喜ぶはずだ。すぐにでも上着を羽織って、走り出すはずだ。

 私はそう信じていた。

 

 けれど。

 

「…………そうか」

 

 先生は、落ちたペンを拾うこともせず、震える手でタバコの箱に手を伸ばした。

 その顔に浮かんでいたのは、喜びではない。「恐怖」だった。

 

「よかったな。……元気なら、それでいい」

 

「『それでいい』って……会いに行かないんすか!?」

 

「……俺が行って、どうなる」

 

 ライターの火が揺れる。先生は煙を深く吸い込み、吐き出しながら自嘲気味に笑った。

 

「俺は、あいつを守るべき時に守れなかった。あまつさえ、復讐なんて馬鹿げた理由で暴力を振るい、教師の資格を失ったゴミだ」

 

「そんなこと──」

 

「タケルは優しいからな。俺を見ても笑ってくれるかもしれない。……だが、俺にはその笑顔を見る資格がねぇんだよ」

 

 先生は椅子に深く沈み込み、頑なに動こうとしない。

 それは謙遜や遠慮ではない。徹底的な自己否定と、嫌われることへの怯えだった。タバコを持つ手が震えて灰がスーツに落ちてしまっている。

 

「俺みたいな暴力装置が近くにいたら、またあいつを傷つける。……俺は、ここがお似合いなんだよ」

 

「ふざけないでください!!」

 

 私は思わず──机を叩いた。

 

「勝手に決めつけないでください! タケルちゃんがどれだけ先生を想ってるか、その気持ちまで否定するんすか!?」

 

「イチカの言う通りだ、先生。君のそれは逃げだ。論理的ではない!」

 

「うるせぇ! お前らに俺の何が分かる! ……俺はもう、先生じゃねぇんだよ……ッ!」

 

 先生が怒鳴り返した、その時だった。事務所のドアが外から乱暴に蹴破られて、蝶番が悲鳴を上げた。

 驚いて振り返ると、そこには見覚えのあるミレニアムの生徒たちが立っていた。

 先ほど路地裏で遭遇した、不良グループの残党だ。

 

「おいおい、湿っぽい話してんじゃねぇよ、元・先生?」

 

 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、リーダー格の生徒が土足で事務所に入ってくる。

 

「テメェ……何の用だ。ここはトリニティのシマだぞ」

 

「シマって言い方やめないっすか……?」

 

 先生の声色が、一瞬で冷徹なものに変わる。

 だが、不良たちは怯むどころか、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。

 

「ハッ、関係ねぇよ。……テメェに最高のプレゼントがあるんだ」

 

 彼女はポケットからスマホを取り出し、画面をこちらに向けた。

 そこには、キサラズ学園の路地裏らしき場所に落ちている、見覚えのある白い靴が映っていた。

 

「あのガキ……『タケル』だっけか? 預からせてもらったぜ」

 

「────ッ!?」

 

 先生の目が見開かれ、全身から血の気が引いていくのが分かった。

 

「返してほしけりゃ、テメェ一人で来い。場所は分かってるよな? ……3カ月前、あいつが倒れてたあの場所だ」

 

「……テメェら」

 

「警察や正実にチクってみろ。その瞬間に、あいつのヘイローを砕く」

 

 そう言い捨てて、彼女たちは高笑いしながら去っていった。

 一瞬の静寂。

 次の瞬間には、先生は書類の山を蹴散らして事務所を飛び出していた。

 

「先生! 一人で何する気っすか!! 本当に死ぬっすよ!!」

 

「イチカ、追うぞ!」

 

 その目には、怯えも迷いもなかった。

 あるのはただ、大切な生徒を奪われたことへの、焦げるような怒りだけだった。

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 肺が焼けつくように熱い。

 革靴がアスファルトを叩く音が、自分の心臓の鼓動と重なって聞こえる。

 

「ハァ……ハァ……ッ!」

 

 トリニティの事務所を飛び出し、キサラズ学園の自治区へとひた走る。

 脇目も振らず、ただあの路地裏へ。

 

 あの日、俺が守れなかった場所へ。

 

 脳裏には、イチカとウタハの制止する声が残響している。

 

『死ぬっすよ』

 

 分かっている。そんなことは百も承知だ。

 だが、「タケルを攫った」という言葉を聞いて、理屈で止まっていられるほど、俺は賢い大人じゃなかった。

 

「(アロナは、もういない)」

 

 俺のポケットにある端末は、ただの電子機器だ。銃弾を弾く青い奇跡も、死角を教えてくれる天使の声もない。

 今の俺は、キヴォトスにおいては紙切れ同然の、ただの脆弱な大人だ。

 一発の銃弾が掠めるだけで出血し、当たりどころが悪ければ即死する。

 

 それでも、足は止まらなかった。

 

「……ッ、いたか!」

 

 目的の路地裏に滑り込む。

 そこには、ミレニアムで遭遇した不良生徒たちが待ち構えていた。

 タケルの姿は見えない。だが、彼女たちの殺気立った目は、俺を歓迎するために準備万端であることを告げていた。

 

「へへっ、本当に来やがった。ノコノコと一人でよぉ」

 

 リーダー格の生徒が、嗜虐的な笑みを浮かべて銃口を向ける。

 その後ろには十数人の武装した生徒たち。

 かつてなら、欠伸をしながらでも制圧できた数だろう。今の俺にとっては、処刑隊に等しい。

 

 俺は乱れた息を整え、ネクタイを緩める。

 そして、彼女たちを睨みつけた。

 

「……タケルはどこだ」

 

「さぁな? アタシらを倒せたら教えてやるよ。……もっとも、テメェはここでハチの巣になって死ぬんだけどな!!」

 

 一斉に銃が構えられる。

 金属的な装填音が、路地裏に冷たく響く。

 

 俺は大きく息を吸い込み、腹に力を入れた。

 恐怖はある。足が震えそうになるのを、怒りで無理やりねじ伏せる。

 俺はもう、逃げ隠れして生きるのはやめだ。

 

「いいだろう」

 

 俺は静かに宣言した。

 

「今日ここで、お前ら不良グループを解体する」

 

「……ハッ、寝言はあの世で言え! やっちまえ!!」

 

 号令と共に、マズルフラッシュが炸裂した。

 

「(──見えた)」

 

 刹那、世界がスローモーションのように引き延ばされる。

 先生と言う肩書を失ってから数カ月。いつしか俺は弾丸の軌道をある程度先読みして回避できるほどの動体視力を身に着けていた。

 いつ殺されるか分からない恐怖と隣り合わせの日々が、俺の神経を極限まで研ぎ澄ませたのだろうか。

 銃口の向き、指の動き、殺気の方向。

 それらが線となって、俺の網膜に焼き付く。

 

「シッテムの箱」がなくとも。

 俺自身の目が、感覚が、生き残るために進化していたのだ。

 

「オラァッ!!」

 

 俺は真正面から突っ込んだ。

 頬を熱風が掠める。髪の毛が数本、弾丸によって散らされる。だが完全に当たる弾丸は一つとしてない。

 紙一重で弾道を躱し、懐に飛び込む。

 

「な、なんで当たらないのよッ!?」

「化け物ッ!!」

 

「違うな、俺は悪魔だ」

 

 驚愕に目を見開く生徒の鳩尾に、渾身の拳を叩き込む。

 防弾チョッキの上からでも、人間の大人の本気の打撃は衝撃を通す。

 生徒が苦悶の声を上げて崩れ落ちる隙に、その身体を盾にして次の銃撃を防ぐ。

 

「どけぇッ!」

 

 回し蹴りで銃を弾き飛ばし、その勢いで次の相手の襟首を掴んで地面に叩きつける。

 アドレナリンが脳を焼き、痛みも疲労も感じない。

 ただひたすらに、目の前の敵を排除する。

 

「う、うわぁぁぁぁッ!!」

「来るな! 来るなよぉッ!!」

 

 かつての「悪魔」の再来に、不良たちが恐慌状態に陥る。

 止まらない。止まれば死ぬ。ひたすら殴り、蹴り、投げ飛ばす。

 泥臭く、無様で、けれど必死な「大人の喧嘩」だ。

 

 だが──現実は非情だ。

 

 いくら目が慣れようと、いくら動体視力が冴え渡ろうと、肉体の限界はある。

 一対多の乱戦。全方位からの飽和攻撃。

 全てを躱しきることなど、物理的に不可能だった。

 

「──っ、づぅッ!!」

 

 脇腹に、焼け火箸を突き刺されたような衝撃が走った。

 一発ではない。二発、三発。

 乾いた破砕音が体内で響き、熱い液体がドクドクと溢れ出すのが分かる。

 

「が、ぁ……ッ」

 

 足がもつれ、視界が明滅し、力が抜けていく。

 致命的な隙。

 目の前のリーダー格が、勝利を確信した笑みでショットガンを俺の顔面に突きつけた。

 

「これで終わりだ、クソ教師!!」

 

 あぁ、ここまでか。

 

 タケル、すまない。

 

 結局俺は、お前を二度も──。

 

 引き金に指がかかるのが、嫌にはっきりと見えた。

 

「先生ぇえええ──っ!!」

 

 路地裏の入り口から、今追いついたのであろうイチカの悲痛な叫びが聞こえた。

 だが、間に合わない。距離がありすぎる。

 俺は覚悟を決め、目を閉じかけ──。

 

「はぁっ!!」

 

 発砲音よりも早く、白い疾風が俺の目の前に割り込んだ。

 硬質な打撃音。そして、ショットガンの銃身がひしゃげ、弾丸が明後日の方向へ弾かれる音がした。

 

「え……?」

 

 俺を撃とうとした不良が、信じられないものを見る目で硬直している。

 俺の目の前には、小さな背中があった。

 白を基調とし、金の装飾が施された清楚な私服。そして、暗い路地裏でも自ら発光しているかのような、腰まで届く美しい金髪。

 

 その背中は、俺がこの数ヶ月間、夢にまで見続けたものだった。

 

「……まったく、私が攫われたなんてハッタリに騙されて。先生は本当、おばかですね」

 

 彼女はゆっくりと振り返る。

 俺の記憶にあるよりも少し大人びた、けれど変わらない太陽のような微笑みを浮かべて。

 

「お久しぶりです、先生」

 

「タ、ケル……?」

 

「目が覚めてからの毎日、あなたのために祈り続けた甲斐がありました」

 

 幻覚かと思った。出血多量が見せる走馬灯だと。

 だが、彼女がそっと俺の傷口に手を添えた感触は、確かに温かかった。

 

「……ッ、タケル、逃げろ! こいつらは!」

 

「詳しいお話は、あとでゆっくりしましょう。今は──」

 

 彼女は視線を前へと戻す。その瞳が、スッと細められた。

 柔らかな光の中に、戦士としての鋭い光が宿る。

 

「先生。少し、お力を貸していただけますか?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で止まっていた時計の針が、強引に動き出した気がした。

 全身の激痛が遠のき、脳内のシナプスが焼き切れるほどに加速する。

 俺は脂汗を拭ってニヤリと笑った。

 

「……あぁ。とことん付き合ってやるよ」

 

 俺たちの背後から、イチカとウタハが駆け寄ってくる気配がした。

 俺は振り返らず、背中で彼女たちを制する。

 

「イチカ、ウタハ! 手を出すな!」

 

「ッ!? でも先生、怪我が!」

 

「頼む。……これは、俺たちの喧嘩だ」

 

 俺の言葉に、二人は息を呑み、そして足を止めてくれた。ありがとう、二人とも。

 不良たちが正気を取り戻し、怒号と共に武器を構え直す。

 

「なんだぁテメェ! 今更本物が出てきやがって……どこから湧いてきやがった!」

「まとめてハチの巣にしてやるよォ!!」

 

 数十の銃口が俺たちに向けられる。

 アロナはいないため、俺の体はただの肉の塊だ。

 だが、俺の隣には彼女がいる。

 

「行くよ、タケル」

 

「はい!」

 

 俺の意識が切り替わる。

 ただの暴力装置から、かつてシャーレで指揮を執っていた『先生』へと。

 

「敵影、前方扇状に展開。右に2名、サブマシンガン。左、バット持ちが突っ込んでくる。──正面突破だな」

 

 俺の指示が飛ぶと同時、タケルが地面を蹴った。

 速い。

 イチカや正義実現委員会のエリートたちにも劣らない、圧倒的な初速。

 

「撃て撃て撃てェ!!」

 

 重厚からほとばしる閃光が暗闇を焦がすが、タケルは止まらない。

 彼女には『見えて』いるのだ。

 

「(右、3度。頭部への射線ですね……)」

 

 俺が思考するよりも早く、タケルは最小限の動きで首を傾け、弾丸を避ける。

 まるで雨粒の間を縫うように、彼女は弾幕の中を舞った。

 

「右制圧! 3時の方向、カウンター!」

 

 俺の声に、タケルが即座に反応する。流れるような動作で右側の生徒の懐に潜り込み、掌底を叩き込む。

 吹き飛んだ生徒が、後続の生徒を巻き込んで倒れた。

 

「次は左! バットが来るぞ、タイミングを合わせろ!」

 

「見えてます!」

 

 振り下ろされる鉄パイプ。

 タケルはその軌道を完全に見切り、踏み込んで腕を掴むと、その勢いを利用して背負い投げた。

 

 完璧だ。

 

 俺が戦況を読み、最適な解を弾き出す。

 タケルがその超人的な動体視力と身体能力で、解を具現化する。

 言葉を交わす必要すらない。呼吸一つ、視線一つで通じ合う。

 

 かつて、キサラズ学園で二人きり、ヤンキーたちを追い返したあの日々と同じ。

 いや、それ以上の連携。

 

「ば、バケモンかよこいつら……!」

 

 不良たちが後ずさる。

 恐怖に染まった顔。だが、今度は俺一人に向けられた恐怖じゃない。

 俺たち二人が織りなす、理不尽なまでの『強さ』への恐怖だ。

 

 脇腹の傷が痛み、視界が霞む。

 だが、体の芯は熱く燃え上がっていた。

 俺は叫ぶ。血を吐くように、けれど歓喜を込めて。

 

「手加減は無用だ、タケル!!」

 

「了解です、先生!!」

 

 黄金の髪が翻る。

 

「よぉヤンキー共、俺たちが『掃討』してやるよ!!」

 

 俺の指示という翼を得て、タケルという天使が戦場を支配した。

 それは一方的な蹂躙であり、そして何よりも美しい、魂の共鳴だった。

 

 蜘蛛の子を散らすように、とはこのことだろう。俺とタケルの連携を前に、戦意を喪失した不良たちは悲鳴を上げながら路地裏から逃げ出していった。

 

「ば、化け物だぁッ!!」

「なんであんな動きができんだよぉ!!」

 

 捨て台詞すら恐怖に震えている。路地裏に、静寂が戻ってきた。

 

「ふぅ……」

 

 タケルが小さく息を吐き、ガクンと膝をつきそうになる。俺は咄嗟に手を伸ばそうとしたが、空中でその手を止めた。血と暴力にまみれたこの手で、彼女に触れていいはずがない。

 タケルはすぐに体勢を立て直し、乱れた呼吸を整える。リハビリも終わっていない体だ。無理をさせた。

 

 ふと、背後で足音がした。

 

「……どうやら、私たちはお邪魔みたいっすね」

 

 イチカが、空気を読んだ調子で肩をすくめた。ウタハも何か言いかけたが、イチカに腕を引かれて頷く。二人は俺たちに背を向け、路地裏の出口──この空が見える建物の屋上の方へと去っていった。

 

「え、ちょ……ぁ……お前ら! おい、お前ら……」

 

 誰もいなくなった、一坪の路地裏。あの日、タケルが倒れていた、冷たくて暗い場所。だが今は、建物の隙間から差し込む西日が、眩しいほどに降り注いでいる。

 俺は、動けなかった。脇腹の銃創が熱い。だが、それ以上に心臓が早鐘を打って、言葉が出ない。何を言えばいい? 謝ればいいのか? それとも、勝手に姿を消したことを詰られるのを待てばいいのか? 

 

 俺が俯いていると、タケルが一歩、近づいてきた。顔を上げるのが怖い。嫌悪の眼差しを向けられているに決まっている。あんな暴力を見せたんだ。人殺しのような目をした俺を、彼女が受け入れるはずがない。

 

 けれど。

 

「お久しぶりです。先生」

 

 聞こえてきたのは、あの頃と変わらない、鈴が鳴るような声だった。恐る恐る顔を上げると、そこには太陽のような笑顔があった。

 

「……あぁ」

 

 喉が張り付いて、情けない声しか出ない。

 

「……私が寝てる間、色々してくれたみたいですね」

 

 タケルは、逃げ去った不良たちがいた方向を見つめ、少し困ったように眉を下げた。俺がミレニアムで暴れたこと。暴力を振るい、堕ちていったこと。すべて見透かされている気がした。

 

「俺は……」

 

 言い訳なんてできない。俺は、お前が傷つけられたことが許せなくて、自分の激情のままに暴れただけだ。先生失格の、どうしようもない大人だ。

 

「俺には……お前に会う資格なんてない。俺はお前を……」

 

「あの」

 

 タケルが、俺の言葉を遮った。その声には、少しだけ怒気が混じっていた。

 

「どうせ私が嫌ってるだとか、私に会うわけにはいかないとか、好き勝手言いすぎです」

 

「……っ」

 

 図星を突かれ、俺は言葉を詰まらせる。タケルは呆れたように息をつき、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。俺が後ずさろうとすると、その手を取られた。温かい、生きた人間の体温。

 

「……先生は、ほんっっっとうに素直じゃないから、きっとイチカちゃんも困らせているんでしょうね」

 

 彼女は、俺の血で汚れた手を、両手で包み込んだ。俺の手の震えが、彼女に伝わる。それでも、彼女は離さない。

 そして、あの日と同じ、いや、あの日以上の屈託のない笑顔で、俺を見上げて言った。

 

「……私が、先生のことを嫌いになるわけないじゃないですか」

 

 その瞬間。俺の中で張り詰めていた何かが、音を立てて崩れ去った。

 視界が歪む。熱いものがこみ上げてきて、抑えようとしても、どうにもならなかった。脇腹の痛みなど、もう感じない。ただ、彼女の言葉が、温もりが、凍り付いていた俺の心を溶かしていく。

 

「……う、ぁ……」

 

 声にならない嗚咽が漏れた。俺は、子供のように顔を歪め、ボロボロと涙を流した。みっともない。格好悪い。生徒の前で、こんな姿を晒すなんて。それでも、涙は止まらなかった。

 

「タケル……!」

 

 タケルは何も言わず、ただ俺の手を握りしめ、優しく微笑んでいる。

 

「ごめん……っ。俺は……おれ、は……」

 

 ここは、絶望の路地裏なんかじゃない。俺たちにとっての、新しい始まりの場所だ。差し込む光が、涙越しに虹色に滲んで見えた。

 

「はい……はい……。謝罪はたくさん聞きますから……先生……っ」

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

 思春期相談窓口の事務所。いつもの雀卓……ではなく、今日は会議用の長机の上に、白い粉が舞っていた。

 

「……なんで俺が、粉まみれになって生地を捏ねなきゃならねぇんだ」

 

 エプロン姿の先生が、文句を垂れながらも手つき良く小麦粉の塊を練り上げている。

 

「いいじゃないっすか! 前に話したじゃないっすか、一からラーメン作ってみたいって」

 

 私は鍋のスープ──鶏ガラと香味野菜を何時間も煮込んだ特製スープ──のアクを取りながら、鼻歌交じりに答えた。まだ先生との距離感が掴めなかったあの夜に食べたインスタントラーメン。あの時、「いつか自分で作ってみたい」と言った何気ない一言を、まさかこんな形で実現することになるとは。

 

「ふむ。麺の加水率は35%……理論上、コシと喉越しのバランスが最適化される数値だ」

 

 ウタハさんは電子天秤とビーカーを駆使して、かんすいの量をコンマ単位で調整している。料理というより実験だ。

 

「ふふ、先生、エプロン似合ってますよ」

 

 そして、その横にはタケルちゃん。彼女は野菜を切りながら、本当に楽しそうに先生の横顔を見上げている。

 

「うるせぇ。……足、痛まないか?」

 

「ええ。リハビリは必要ですけど、立って料理するくらいなら平気です」

 

 タケルちゃんは包丁を置き、少し真面目な顔つきになって私たちを見た。

 

「……私、キサラズ学園に残ることにしました」

 

「えっ、そうなんすか? せっかくならトリニティに……」

 

「あそこは小さな学園ですけど、私の居場所ですから。生徒不足で廃校の危機にあるんです。だから私が広告塔になって、もっと盛り上げていこうかなって」

 

 タケルちゃんの表情は明るく、絶望はもうどこにもない。

 

「それに……もしよければ、リハビリの合間にこの窓口のお手伝いも──」

 

「それは却下だ」

 

 先生が即答した。冷たい声ではなく、有無を言わせぬ保護者の声で。

 

「お前はまず、自分の体と学園のことだけ考えろ。ここの仕事は、ガキが片手間に首突っ込んでいいようなシロモノじゃねぇ」

 

「……む。先生のいじわる」

 

 タケルちゃんは少し頬を膨らませたが、すぐに柔らかく微笑んだ。

 

「分かりました。……その代わり、これからも毎日お祈りしますね」

 

「あ?」

 

「先生の安全と、平穏を。私の“神秘”が、少しでも先生を守ってくれるように」

 

「……勝手にしろ」

 

 先生は照れ隠しのように、練りあがった生地をバンッ! とまな板に叩きつけた。

 

 それから一時間後。湯気の立つ四つの丼が、テーブルに並んだ。不格好な太さの麺に、少し濁ったスープ。チャーシュー代わりの炒めた豚肉。見た目は決してお店みたいに綺麗じゃないけれど。

 

「「「いただきます」」」

「はいごっつぁん」

 

 四人で手を合わせ、麺を啜る。

 

「……ん!」

 

 私は目を見開いた。

 

「おいしい……っす!」

 

 手打ち麺の不揃いな食感が、逆にスープをよく絡めとっている。何よりみんなで作ったという事実が、最高のスパイスだった。

 

「ふむ。計算通りの味だ。悪くない」

 

 ウタハさんも満足げに頷き、タケルちゃんは「ふふ、熱い」と笑いながら、幸せそうに頬張っている。そして先生は、ズルズルと音を立てて麺を啜り、丼を置いた。

 

「……ま、悪くねぇな」

 

 その言葉を聞いた瞬間、タケルちゃんの顔がパァッと輝いた。

 窓の外はもうすっかり夜。けれど、湯気に包まれたこの事務所の中は、どんな場所よりも暖かかった。

 

 過去の傷は消えないかもしれない。失った時間は戻らないかもしれない。それでも、こうして温かいものを囲んで、「おいしい」と言い合える今がある。それだけで、私たちはまた明日も戦える気がした。

 

「さーて! 食べ終わったら片付けっすよ! 先生、サボらないでくださいね!」

 

「あぁ? 食った直後に動けるかよ。こっちは脇腹に三発もらったんだぞ、ラーメン作りきっただけでもすごいと思え」

 

「ふふ、前と変わらず頑丈。ですね。……麻雀も、一緒にやりましょうか」

 

 賑やかな笑い声が、夜のトリニティに溶けていく。先生の過去と、タケルちゃんの未来。二つの時間が交差して、先生の顔は晴れ空のようだった。

 

 みんなでラーメンを食べた後、私と先生は二人でタケルさんを見送った。

 タケルさんは自分のリハビリも兼ねたいと言い、一人で歩いて帰ると言って聞かなかった。

 

「……脇腹、痛ぁい……」

 

「怪我人なんすから、無茶しないでくださいっす」

 

 キサラズ学園へと向かうタケルさんが見えなくなってから、私と先生は事務所へと再び向かう。

 

 その途中、脇腹を抑えながら突然先生が口を開いた。

 

「なぁ、イチカ」

 

「どうしたっすか?」

 

「……お前が踏み込んでくれなきゃ、俺は一生後悔してたと思う」

 

 先生は立ち止まり、天を仰ぎながら私に話しかける。

 

「……俺はさ、もしかしたらお前みたいに踏み込んで、切り開いてくれる奴を待ってたんだと思う。どんな悪評があっても、心から信じてくれる奴を」

 

「……それで? 何が言いたいっすか?」

 

 先生が何を言いたいのか、私にはもうわかっていた。

 ルンルンで先生の前に現れると、先生は私の顔を見てにやりと笑い、その言葉を言った。

 

「……ありがとう。イチカ」

 

「ふふっ、どういたしましてっす」

 

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