【完結】仲正イチカは悪い大人についていく 作:曇りのち晴れ男
呼吸を整え、角を曲がる。その先にある広々としたVIP観覧席への入り口。そこに、彼女はいた。
「あら。思ったより早かったわねぇ、フライドチキン以下のクソ虫ちゃん。よくもまぁこんな状態にしてくれたわ♡」
カノン。元締めである彼女は、まるでオペラでも鑑賞するかのように優雅に手すりに寄りかかり、眼下に広がるスタジアムを見下ろしていた。私に気づいても、銃を抜こうともしない。逃げようともしない。だがその表情は怒りに満ち溢れていた。
「カノン……!! もう終わりっすよ。外はヴァルキューレが包囲してるっす!」
私は銃口を彼女に向け、叫ぶ。だが、カノンはクスクスと笑い、大げさに肩をすくめた。
「終わり? いいえ、これからがクライマックスよ。……ねぇ?」
彼女が指を鳴らす。その合図と共に、観覧席の暗がりから一人の生徒が姿を現した。
「……ッ、ワタヌキさん……!」
そこにいたのは、ワタヌキさんだった。けれど、かつて相談窓口に来た時の、大人しく気弱な彼女の面影はどこにもない。瞳孔が開いた虚ろな瞳。荒い呼吸。そして手には、無骨なショットガンが握られている。彼女から漂うのは、ブラックマーケット特有の饐えた匂いと、濃厚な薬物の気配。
「……来るな」
ワタヌキさんが、掠れた声で呟き、私に銃口を向ける。
「ワタヌキさん、銃を下ろすっす! もういいんすよ、カノンは捕まる。あなたも、こっちに戻ってくるっす!」
私は必死に呼びかける。だが、彼女は首を横に振った。その目から、光が失われていく。
「戻る……? どこに……?」
「トリニティにっす! アオゾラさんも心配してるっす。また一緒に、普通の学校生活を──」
「無理だよ……ッ!!」
ワタヌキさんの悲痛な叫びが、私の言葉を遮った。彼女は震える手で自身の制服を掴む。そこには、ブラックマーケットでの汚れと、誰かの返り血のようなシミがこびりついている。
「私はもう……堕ちたんだよ……! 薬を売って、人を騙して……!!」
「それはカノンにやらされてただけっす! 情状酌量の余地はあるっす!」
「違う!! 私が選んだんだ! 復讐のために……自分の意志でこの道を選んだんだよ!!」
彼女の瞳から涙が溢れ出し、頬を伝う。それは後悔の涙か、それとも絶望の涙か。
「表の世界になんて、もう戻れない。私の居場所はもうこっちにしかないんだよ……!!」
「あ~らら。随分と悲劇のヒロイン気取りねぇ」
カノンが意地悪く笑い、ワタヌキさんの背中をポンと押した。
「ほら、行きなさい。私を守りきれば、もっと『いいお薬』をあげるわよ?」
その言葉に、ワタヌキさんの体がビクリと跳ねる。恐怖と依存、そして自暴自棄。それらが複雑に絡み合い、彼女を突き動かす。
「……ごめんなさい、イチカさん」
ワタヌキさんがトリガーに指をかける。殺気ではない。もっとドロドロとした、自分自身を壊してしまいたいという破滅願望が、その銃口から放たれていた。
「私はここで……あなたに倒されるなら、それでいい……!」
「ッ……ふざけないでくださいっす!!」
放たれたショットガンの弾丸が、私の横の壁を砕く。私は舌打ちをして、遮蔽物に身を隠した。
彼女は本気だ。私を殺す気で、あるいは私に殺される気で撃ってきている。一度ブラックマーケットの泥沼に足を踏み入れれば、二度と綺麗な世界には戻れない──。彼女はそれを信じ込み、自ら鎖を巻き付けている。
「(……意地でもっす)」
私は愛銃を握りしめる手に力を込める。銃声が響く中、私は遮蔽物から飛び出した。
「誰が諦めるもんですか……! あなたが戻れないって言うなら、私が無理やり引きずり戻す!!」
「来るなぁぁぁぁッ!!」
ワタヌキさんの絶叫と共に、再びマズルフラッシュが瞬く。彼女の弾丸は、強化薬剤の影響か、以前とは比べ物にならないほど速く、重い。けれど、退くわけにはいかない。
これは敵の排除じゃない。迷子になって、泥だらけになって、帰り道を忘れてしまった子供を、家に連れ帰るための喧嘩だ。
「覚悟するっすよ、ワタヌキさん!!」
私は弾幕の隙間を縫い、彼女へと肉薄する。カノンが高みの見物を決め込む中、私とワタヌキさんの、悲しくも激しい衝突が始まった。
ショットガンの轟音が、スタジアムの通路に反響する。
私はそれを紙一重で回避し、床を滑るようにして距離を詰める。
ワタヌキさんの瞳孔は開ききり、呼吸は荒く、その構えには正規の訓練を受けた者にはない、獣のような殺気が満ちていた。
強化薬剤の影響だけではない。彼女をここまで駆り立てているのは、あの日の絶望だ。
「(……私のせいだ)」
銃弾をかわすたび、脳裏にあの日の雨音が蘇る。
ふ頭の倉庫。私の目の前で、彼女は引き金を引いた。
私が止められなかったから。私が、彼女の「普通」を守り切れなかったから。
彼女の手を血で汚させ、ブラックマーケットへと突き落としたのは、紛れもなく私──「正義」を語る私たちだった。
「なんで……なんで邪魔するのよぉッ!!」
ワタヌキさんが叫びながら、ポンプアクションのレバーを操作する。
排莢された薬莢が、乾いた音を立てて床に転がる。
「私はもう、そっち側には戻れないんだよ! 人殺しなんだよ! 汚いんだよ!!」
「そんなことないっす!!」
「綺麗ごとを言うなァァッ!!」
至近距離からの発砲。
私は愛銃を盾にして散弾を受け流すが、凄まじい衝撃に腕が痺れる。
彼女は泣いていた。
薬でハイになっているはずなのに、その魂はずっと泣き叫んでいる。
「カノンさんに尽くすしかないの……! もう、ここしか居場所がないのよ!」
「違うッ! 居場所ならあるっす! トリニティに、相談窓口に、あるっすよ!!」
私は歯を食いしばり、踏み込む。
ワタヌキさんが次の弾を装填しようとするその一瞬の隙。
銃撃戦ではらちが明かない。彼女を無力化するには、意識を刈り取るしかない。
「(痛い思いをさせるっす……でも!)」
私は銃を背中に回し、素手で彼女の懐に潜り込む。
「戻れないなら……私が無理やりにでも引きずり戻すっす!!」
「離せぇぇッ!!」
彼女がストックで殴りかかってくる。
私はそれを左腕で受け止め、激痛に顔を歪めながらも、彼女の襟首を掴んだ。
「あの日、あなたを止められなかった……あなたを鬼にしてしまった!!」
私の目からも、熱いものがこぼれ落ちる。
「だから! 今度は絶対に離さない! どんなに泥だらけになっても、あなたがどれだけ堕ちても! 私が責任を持って、陽の当たる場所まで引っ張り上げるっす!!」
「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
ワタヌキさんの慟哭とともに、私たちの体がもつれ合い、コンクリートの床に激しく転がった。
カノンが楽しそうに見下ろす前で、私はなりふり構わず、泥臭い取っ組み合いを続けた。
彼女の「正義」を壊してしまった私ができる、唯一の贖罪のために。
「……あのさぁ」
冷ややかな声が、スタジアムの空気を凍らせる。
カノンは手に持っていたタブレットを投げ捨てると、背後に立てかけてあった巨大な銃──対物ライフルを軽々と持ち上げ、その銃口を私とワタヌキさんに向けた。
「クサすぎて無理だわぁ。友情ごっこが見たくてぶつけたわけじゃないんだけど……」
「カノン……ッ!」
「感動の再会ごっこはあの世でやってね。邪魔くさいから」
カノンが引き金に指をかける。
至近距離からの対物ライフル。直撃すれば、いくらキヴォトスの生徒でもただでは済まない。
私はワタヌキさんを庇うように抱きしめ、目を閉じた。
「イチカッ!」
すると乾いた硬質な音が響き、カノンのライフルがわずかに跳ね上がった。
放たれた銃弾は私たちの頭上を掠め、後方の壁を粉砕する。
「あぁん?」
カノンが不機嫌そうに視線を向けた先。
床には、白く輝く『
「……うちの生徒を撃とうとするとは、いい度胸だな。カノン。まだ
入り口のドアを蹴破り、ボロボロのスーツを纏った男が立っていた。
全身煤だらけで、ネクタイも緩んでいるけれど、その瞳だけはギラギラと燃えている。
「先生……!」
「ちっ。しぶといわねぇ、元・先生。ヒガはどうしたの?」
「あいつなら、ユーロビートを聴きながら夢の中だ。……それに、俺一人だと思ってるのか?」
先生が一歩横に退くと、その後ろから機械音と共に複数の小型タレットが展開された。
油汚れを頬につけたウタハさんが、冷静に銃を構えて現れる。
「お待たせしたな、イチカ」
「エンジニア部の部長まで……。はぁ、萎えるわぁ」
カノンはライフルを下ろし、わざとらしく大きなため息をついた。
私、ワタヌキさん、先生、そしてウタハさん。
アズサさんは補習授業部と合流を目指したらしいし、さらに外部ではヒフミさんが動いている。
状況を瞬時に計算したのだろう。カノンの瞳から、遊ぶような色が消え、冷徹な計算の色が宿る。
「3対1に、外の包囲網……めんどくさ」
「降伏するっす、カノン! もう逃げ場はないっすよ!」
私が叫ぶと、カノンはニヤリと不敵に笑った。
「逃げ場? あるわよ、いくらでもね」
カノンは懐から閃光弾を取り出し、足元に叩きつけた。
「目がぁッ!?」
強烈な閃光が視界を奪う。
「追うぞ!」という先生の声が聞こえたが、視界が戻った時には、すでにカノンの姿はなかった。
ステージ裏の搬入口が開け放たれており、そこから夜風が吹き込んでいる。
「……逃げられた、か」
ウタハさんが悔しげに言った。
しかし、最悪の事態は免れた。私は腕の中で震えているワタヌキさんの背中を、もう一度強く叩いた。
「……とりあえず、今は生きてることを喜ぶっすよ」
「うぅ……イチカさん……」
泣きじゃくるワタヌキさんの声が、静まり返ったスタジアムに響いていた。
しかし、私たちのひと時の静寂も、大量の機械の駆動音と共に砕け散った。
「クソッ……信じられない数いるな」
カノンが逃げた裏口へ向かおうとした瞬間、通路の奥から雪崩のように押し寄せてきたのは、無数の自律型ターレットだった。アズサちゃんはすでに補習授業部の仲間と合流するために別ルートへ向かっている。
ヒフミさんやホシノ先輩、エンジニア部やヴァルキューレが外で戦っているはずなのに、それでもこれだけの数がまだ残っているなんて。スタジアムの閉鎖空間に、金属音が反響して耳がおかしくなりそうだ。
「ウタハ! ハッキングはどうだ!?」
「ダメだ、数が多すぎる! 個別に制御を奪っても、物理的に押しつぶされるぞ!」
先生が怒鳴り、ウタハさんが端末を操作しながら叫び返す。私の目の前にも、赤いセンサーを光らせた機銃が迫る。弾切れ寸前のライフルで応戦するが、キリがない。このままじゃ、ジリ貧になる──そう思った時だった。
腹に響くような重い銃声と共に、先頭のターレットが吹き飛んだ。硝煙の向こうで、ショットガンのポンプアクションを行う影。
「ワタヌキ……さん?」
彼女はボロボロの体で立ち上がり、震える手で、けれど確かな意思を持って銃口を敵に向けていた。すべてをなぎ倒すような圧倒的な力ではない。けれど、そこには明確な『正義』があった。彼女は私たちに背を向けたまま、静かに、けれど力強く告げる。
「三人とも……行って……ください」
その声は、轟音渦巻く戦場にあって、冷徹なまでに落ち着いていた。ワタヌキさんは、迫りくる鋼鉄の軍勢に背を向けたまま、毅然と言い放った。
「なっ……何言ってるんすか! そんな体で一人で止められるわけないっす! 早くこっちへ!」
私が手を伸ばして叫ぶと、ワタヌキさんは静かに首を横に振った。
「カノンを……逃がすわけにはいきません。あいつを止められるのは、あなたたちだけです」
「だからって、あなたを置いていけるわけないじゃないっすか! 私は……もう二度と……!」
言葉が詰まる。私は彼女を救えなかった。あの日、彼女は復讐のためにヒガを半殺しにし、そのまま闇へと消えていった。私はそれを止めることもできず、ただ無力に立ち尽くしていただけだ。また、同じことを繰り返すのか。彼女を独りにして、私だけが安全な場所へ行くのか。
「嫌っすよ……! 一緒に帰るんすよ! アオゾラさんが待ってるんすよ!?」
私が悲痛な声を上げると、ワタヌキさんは「アオゾラ」という名前に反応し、ふっと自嘲気味に笑った。
「……あの子に、合わせる顔なんてありませんよ」
「え……?」
「私はヒガをこの手で痛めつけ、ブラックマーケットに身を売り、薬を売りさばいて生きてきた。……復讐という快楽に溺れて、自分から『こっち側』へ堕ちたんですよ」
彼女は、汚れた手で愛銃のグリップを強く握りしめた。その言葉には、誰のせいでもない、自分自身の罪を受け入れた者だけが持つ、凄味があった。
「だから、これは私の『掃除』です。私が撒いた種は、私が刈り取る。……それだけの話です」
「ワタヌキ、さん……」
「それに……」
彼女は一瞬だけ振り返り、かつてないほど穏やかな瞳で私を見た。
「あなたたちのような『光』の住人が、こんな泥沼で足止めを食うのは似合いません。……汚れ仕事は、私の領分ですから」
それは、自分を卑下しているようで、どこか誇らしげだった。彼女はもう、迷い苦しむ被害者ではない。自分の犯した罪も、汚れも、すべて背負って戦う覚悟を決めた「戦士」の顔をしていた。
「……イチカ。行こう」
先生が、静かに私の肩を叩いた。その手は温かく、迷いを断ち切るように強かった。
「先生……でも……!」
「あいつの『矜持』を……踏みにじるな。今のワタヌキは、自分の意志でそこに立っている。それにカノンを追わないといけないのは事実だ」
先生はそう言って私を促すと、一度だけ振り返り、ワタヌキさんを真っ直ぐに見据えた。
「ただしワタヌキ、勘違いするなよ」
「……え?」
「俺はお前の卑下を認めてない。アオゾラはお前に会いたがってるはずだ。『嫌われるに決まってる』、『合わせる顔がない』なんて言うのは幻想だ!」
先生の言葉に、ワタヌキさんが息を呑む。先生は指を一本立て、子供に言い聞かせるように、あるいは自分勝手な大人として宣告した。
「……だからこの戦いが終わった後、嫌でも会わせてやる。いいな?」
それは、命令であり、約束だった。たとえ彼女が自分を許せなくても、先生は許さないし、帰る場所を失わせたりはしないという、強烈なエゴ。ワタヌキさんは一瞬きょとんとして、それから困ったように、けれど嬉しそうに笑った。
「佐倉さんは、本当に意地悪ですね」
「ああ。生徒のためならな」
先生の言葉に、私も唇を噛み締め、拳を握りしめた。ここで無理やり連れ出すことはしない。けれど、絶対に死なせはしない。
「……分かりました」
私はワタヌキさんに背を向け、前を見据えた。涙は流さない。彼女は、同情なんて求めていない。
「死なないでくださいよ。……絶対に、生きて償ってもらうんすからね!」
「はい。……善処します」
背後で、彼女がショットガンを構える音がした。その金属音は、私が聞いた中で一番力強く、頼もしい音だった。
ワタヌキさんの悲痛な覚悟を背に、私たちはスタジアムの搬出口へと続く広大なコンコースを駆け抜けた。背後で遠ざかる銃声に胸が締め付けられる。けれど、今は振り返っている時間はない。
「……いたぞ!」
先生が鋭く叫び、指差す。搬出口の手前、資材が積み上げられた広大な荷捌きエリア。そこにカノンの姿があった。彼女は私たちに気づくと、ふふっと笑みをこぼし、持っていた対物ライフルを優雅に構える。
「あら、意外と早かったわね。……あの子、捨ててきちゃったの?」
「うるさいっす!!」
私は叫びながら、愛銃のトリガーを引く。カノンは動じることなく、わずかに首を傾げるだけで私の弾丸を避けた。
「先生、指示を!」
ウタハさんがターレット起動し、臨戦態勢に入る。
「よし、ここで決めるぞ! ウタハは左翼へ展開してターレット設置! イチカは正面から牽制しつつ距離を詰めろ! 俺がタイミングを見て合図を出す!」
先生の指示は的確だった。私たちは即座に散開し、カノンを半包囲する形をとる。
「了解した。……論理的に詰ませてやる」
ウタハさんの指が端末を走り、三機の自律攻撃ドローンが宙を舞う。私は遮蔽物を利用しながら前進し、カノンに圧力をかけていく。
「逃げ場はないぞ、カノン! 全機、射撃!」
ウタハさんの号令と共に、ドローンとタレット、そして私の銃が一斉に火を噴いた。十字砲火。物理的に回避不可能な弾幕の檻。カノンがどう動こうと、必ずどこからの弾丸が当たる計算だ。
──はずだった。
たった一発。カノンが放った対物ライフルの重低音が、戦場の空気を震わせた。彼女は私を見ることも、空のドローンを見ることもなく、あくびを噛み殺しながら、頭上の『鉄骨の結合部』を撃ち抜いたのだ。
支えを失った巨大な鉄骨が落下し、ウタハさんのターレットを正確に押し潰した。さらにその衝撃で巻き上がった粉塵が、ドローンのセンサーを狂わせる。
「なっ……偶然か!? いや、あのタイミングで、最も効果的な遮蔽物を!?」
ウタハさんが驚愕の声を上げる。粉塵の向こう、カノンの姿が揺らめく。
「ウタハ、予測射撃で炙り出せ! イチカは右から回り込め!」
先生の声はまだ死んでいない。私は粉塵を切り裂いて突進する。ウタハさんも即座に切り替え、マニュアル操作でドローンを操る。
「そこかっ!!」
霧の晴れ間、カノンの影が見えた。私はトリガーを引き、同時にウタハさんのドローンが背後から迫る。今度こそ捉えた。先生の指示、ウタハさんの技術、私の行動。その全てが完璧に噛み合っていたはずだ。
だが、カノンは振り返りもせず、背中越しに対物ライフルを突き出しノールックで発砲した。その巨大な弾丸は、私でもドローンでもなく──ウタハさんの足元の床に着弾した。
床下に埋設されていた高圧電流のケーブルが露出していたのか、強烈なスパークが発生した。
「うわあぁぁっ!?」
青白いアーク放電がウタハさんを直撃する。さらにその過電流は、彼女が操作していた端末へと逆流し、バチバチと激しい火花を散らして爆ぜた。
「ウタハ!?」
「ぐ、ぅ……あ……」
ウタハさんが膝をつく。黒焦げになった端末が手から滑り落ち、制御を失ったドローンたちが次々と墜落していく。カノンは、まるで最初からそこにケーブルがあることを知っていたかのように、あるいはウタハさんがその位置に立つことを予知していたかのように、正確無比な一撃を見舞ったのだ。
「……ウソっすよね」
私は戦慄した。足が止まる。先生の指揮、ウタハさんの技術、私の連携。その全てが完璧だった。それなのに、カノンはまるで「台本を読んでいる」かのように、私たちの作戦の要だけを、ピンポイントで潰してきた。
「あー、うるさいうるさい。……頭の中で作戦会議なんてしてるから、全部聞こえちゃうのよ」
カノンは粉塵の中で、自身のこめかみをトントンと叩いた。
「次、来る? 『ウタハが囮になって、その隙にイチカが懐に飛び込む』……でしょ?」
「──ッ!?」
先生が息を呑む気配がした。まさに今、先生が指示しようとしていた内容そのものだったからだ。戦術が読まれている? いや、思考そのものが?
「つまんないの。……まずは一人、退場ね」
カノンは冷たい瞳でウタハさんを見下ろす。ウタハさんは麻痺とダメージで動けない。
「先……生……」
最強のエンジニアが、指一本触れることもできずに沈黙した。
残されたのは、私と先生だけ。カノンが、ゆっくりと銃口をこちらに向けた。
「さぁ、次はどっち?」
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
マズルフラッシュが、薄暗い通路を断続的に照らし出す。私の手の中にあるショットガンは、かつて復讐のために握ったものだ。けれど今は、あの人たちの背中を守るために火を噴いている。
ガキンッ、という硬質な音と共に、また一台のターレットが火花を散らして沈黙した。
「ハァ……ハァ……」
息が上がる。腕が痺れる。強化薬剤の影響か、それとも極度の緊張からか、視界の端がチカチカと点滅していた。それでも、引き金を引く指を止めるわけにはいかない。
目の前には、無機質な殺意の塊が、次から次へと湧いてくる。まるで、私がこれまでに犯してきた罪の具現化のようだった。
復讐に狂い、ヒガさんを撃ち続けたあの日。暗いブラックマーケットで、生きるために魂を売り渡した日々。そして、イチカさんと佐倉さんを罠に嵌め、嘲笑うカノンの傍らで銃を向けた瞬間。
──撃って、倒す。撃って、倒す。
ポンプアクションの動作音だけが、私の鼓動とリンクする。排莢されたシェルが、乾いた音を立ててコンクリートに転がる。それは、私が一つずつ積み重ねてきた罪を、一つずつ清算していく儀式のようにも思えた。
本来なら、私はここにいてはいけない人間だ。正義実現委員会のイチカさんや、元先生の佐倉さんのような、光の当たる場所にいる人たちとは違う。泥に塗れ、闇に染まり、戻れないところまで落ちてしまった。
だけど。
『絶対に離さない! どんなに泥だらけになっても、あなたがどれだけ堕ちても!』
イチカさんの叫びが、耳の奥で蘇る。あの泥臭い取っ組み合い。私の薄汚れた体を、迷いなく抱きしめてくれたあの温度。そして、無愛想だけど背中で語ってくれた佐倉さんの、不器用な優しさ。
機械的な駆動音が響き渡り、通路の奥から新たな増援が現れる。絶望的な数だ。普通なら、恐怖で足がすくむかもしれない。でも不思議と、今の私の心は凪いだ海のように静かだった。
「イチカさん……佐倉さん……」
私は空になった弾倉に、手慣れた動作でシェルを装填する。カチリ、カチリと弾を込めるたび、胸の中に温かいものが満ちていく。
「私は、戻れますか……?」
それは、誰に向けたわけでもない問いかけ。けれど、答えのない虚無への問いではなかった。あの二人はきっと、私がどんなにボロボロになっても、また手を差し伸べてくれる。「戻れるっすよ」と笑って、「戻って来い」と呆れながら、私の居場所を作ってくれる。そんな確信があったから。
「Amazing Grace, how sweet the sound,That saved a wretch like me」
私はショットガンを構え直し、無機質なカメラアイの群れを見据えた。恐怖はない。後悔もない。ただ、あの二人が未来へ進むための道を切り開く。それが、今の私の「正義」だ。
「I once was lost but now am found,Was blind, but now I see」
私は穏やかな笑みを浮かべ、迫りくる鋼鉄の波に向かって、迷いなく引き金を引いた。
次話
12:32です。