【完結】仲正イチカは悪い大人についていく   作:曇りのち晴れ男

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第三話 瓦礫の下の硝煙

 

「ロン。メンチン、ドラ3……倍満っすね」

 

「……は?」

 

 昼下がりの相談窓口事務所。

 重苦しい沈黙を破ったのは、私のスマホから響いた軽快なファンファーレだった。

 ソファにふんぞり返り、紫煙をくゆらせていた先生が、信じられないものを見る目で私の手元を覗き込んでくる。

 

「おい、待て。お前少し前まで役も覚えてなかっただろ」

 

「先生が教えた通りに打っただけっすよ。『流れを見る』んでしたっけ?」

 

「適当に言ったオカルトを実践すんなよ……。可愛げがねぇな」

 

 先生は舌打ちをして、吸い殻を灰皿に押し付けた。

 最初はルールすら怪しかったものの、正義実現委員会で培った『状況把握能力』と『確率計算』を応用すれば、意外と勝てることに気づいてしまったのだ。

 

「もう一局やるか? 次は負けねぇぞ」

 

「仕事してくださいっす。……と言いたいところですけど、今日は静かっすね」

 

 私はスマホを閉じ、大きく伸びをした。

 窓の外は穏やかな晴天。

 トリニティの自治区内は平和そのもので、相談窓口に来るような揉め事も今のところはない。

 

「このまま定時まで平和に過ぎてくれればいいんすけど」

 

「フラグを立てるんじゃない」

 

 その願いを打ち砕くように、控えめなノックの音が響いた。

 私と先生は顔を見合わせ、その後に先生は露骨に「あーあ」という顔をして、再びタバコに手を伸ばした。

 

「……どうぞ、開いてるっすよ」

 

 私が声をかけると、ドアがゆっくりと開き、一人の生徒が入ってきた。

 トリニティの制服を着た、セミロングの髪が特徴的な女子生徒。

 名前は確か……、ワタヌキさん。何かで名前を見た気がする。

 あぁそうだ、成績は中の上の子で、素行も良好。

 いかにも『普通の良い子』といった雰囲気だが、その表情はひどく暗く、目の下には隈ができていた。

 

「あの……ここは、思春期相談窓口で、合ってますか?」

 

 消え入りそうな声。

 手には、私たちが校内に掲示した相談窓口のチラシが握りしめられている。クシャクシャになるほど強く。

 

「はい、そうっすよ。仲正イチカっす。座って楽にしてください」

 

 私は精一杯の笑顔を作り、ソファを勧めた。

 先生は何も言わず、ただジロリとワタヌキさんを観察している。

 ワタヌキさんは怯えたように先生を一瞥したが、意を決したようにソファの端に浅く腰掛けた。

 

「相談というのは……どのような内容で?」

 

 お茶を出しながら尋ねると、ワタヌキさんは膝の上で両手を固く握りしめた。

 

「……友達のことなんです。私の親友の、アオゾラちゃんが……」

 

「アオゾラさん、っすか?」

 

「はい。……彼女、今、病院で意識が戻らないんです」

 

 その言葉に、事務所の空気が一変した。

 先生がタバコを持つ手を止め、鋭い視線をワタヌキさんに向ける。

 

「一週間前、第3自治区の外れにある廃ビル……元レストランだった場所で、爆発事故があったのは知っていますか?」

 

「ああ、ニュースで見たっすね。確かガス管の老朽化による爆発事故だった……」

 

 ヴァルキューレ警察学校の発表では、不幸な事故として処理されていたはずだ。

 だが、ワタヌキさんは強く首を横に振った。

 

「違うんです……! あれは、事故なんかじゃありません」

 

「ほう?」

 

 先生が初めて口を開いた。

 

「警察……ヴァルキューレの見解を否定する根拠は?」

 

「あの日……私たちはそのレストランで食事会をする予定でした。アオゾラちゃんが先に着いて、席を取ってくれていたんです。私が遅れて着いた時には、もう……」

 

 ワタヌキさんの声が震え始める。

 思い出させてしまうのは酷だったが、話を聞かないことには始まらない。

 

「アオゾラちゃんは、用心深い子なんです。ガスの臭いがしたらすぐに気づくはずですし、そもそもあの店は一ヶ月前にガス点検を終えたばかりだって、店長さんが言っていたのを聞きました」

 

「……なるほど」

 

「それに……現場検証が終わった後、私、こっそり見に行ったんです。そうしたら……」

 

 ワタヌキさんはポケットから、煤けた金属片のようなものを取り出し、テーブルに置いた。

 ただのガレキに見えるが、よく見ると何かの破片のようだ。

 

「これ、アオゾラちゃんが持っていたバッグの留め具なんですけど……変な焦げ跡があるんです。ガスの爆発なら、こんな風にはならないって……ネットで見ました」

 

 必死な眼差し。

 親友を傷つけた原因を突き止めたいという、執念にも似た想いが伝わってくる。

 

「ヴァルキューレには話したんすか?」

 

「……はい。でも、『現場の状況と科学捜査の結果、ガス爆発で間違いない』って……素人の思い込みだって、取り合ってもらえませんでした」

 

 ワタヌキさんは唇を噛み締め、涙を浮かべて私と先生を交互に見た。

 

「お願いです。調べてください……! アオゾラちゃんは、あんな理不尽な事故で寝たきりになるような子じゃないんです。誰かが……誰かが意図的にやったんじゃないかって、私……」

 

 そこまで言うと、ワタヌキさんは顔を覆って嗚咽を漏らした。

 善良な生徒が、理不尽な現実に打ちのめされ、藁にもすがる思いでここに来た。

 それは痛いほど伝わってきた。だがどうだろう、そういうのは相談窓口の仕事として始めていいものか……。

 

 私はチラリと先生を見る。

 先生はテーブルの上の金属片をつまみ上げ、光にかざして眺めていた。

 

「……おい、イチカ」

 

「なんすか?」

 

「仕事だ。車出せ」

 

 先生の目が、獲物を見つけた獣のように細められていた。

 

「ヴァルキューレの目は正しいのか、それとも腐ってんのか。……どっちにしろ、見てみなきゃ分からんな」

 

「……了解っす」

 

 私はワタヌキさんの背中をさすりながら、静かに頷く。

 こうして私たちは、ヴァルキューレが『事故』と断定した爆発現場へと向かうことになった。

 

「あ、ちなみに……ハスミ先輩に車両没収されたんで自転車か徒歩のどっちかっすよ」

 

「……クソッ!」

 

「誰のせいっすか、本当に怒るっすよ」

 

 ■■■

 

 私たちはトリニティの自治区外れにある、爆発事故の現場へと向かう。そこはかつて雑居ビルだった場所だ。

 鼻をつくような焦げ臭さがマスク越しにも漂ってくる。

 かつて多くの学生で賑わっていただろうその場所は、今は黒く煤けたコンクリートの墓標と化していた。

 

 周囲には黄色い規制線──『KEEP OUT』のテープが張られていた。

 

「ここっすか……」

 

 ヴァルキューレ警察学校の報告によれば、老朽化したガス管の破損による引火爆発。

 不幸な事故として処理され、すでに現場検証は終わっているはずだった。

 

 だが、私が規制線をくぐろうとした時だ。

 

「……動くな」

 

 瓦礫の陰から、鋭い声が飛んできた。

 私が反応するよりも早く、こちらに銃口が向けられる。

 背後で先生がわずかに身構える気配がした。

 

「え……?」

 

 そこにいたのは、ヴァルキューレの制服を着た生徒だった。

 手には半分かじったドーナッツ、もう片方の手にはしっかりと握られた銃。見ただけで分かるほど手入れがされている。

 気だるげな雰囲気とは裏腹に、その目は獲物を狙う狩人のように鋭い。というより、背後を取られているのに全く気付かなかった。

 

「あー……なんだ。犯人が戻ってきたのかと思ってびっくりしたよ」

 

 彼女は私たちが武装してはいるものの、敵意がないと判断したのか、ふぅと息を吐いて銃を下ろした。

 

「ヴァルキューレの……生活安全局の人っすか?」

 

「ん、そうそう。私は合歓垣フブキ。……あー、びっくりした。ドーナッツ落とすところだったじゃん」

 

 フブキさんは何事もなかったかのようにドーナッツを口に放り込む。

 その動きは自然すぎて、先ほどの殺気が嘘のようだった。

 

「あの、ここはもう事故として処理されたんじゃ……」

 

 私が尋ねると、フブキさんは咀嚼していたドーナッツを飲み込み、面倒くさそうに頭をかいた。

 

「公式にはね。でもさ、なんか変なんだよねぇ」

 

「変?」

 

「うん。ガス爆発ってことになってるけどさ……」

 

 彼女は瓦礫の一部を靴先でコンコンと叩く。

 

「ガス管の破裂箇所と、爆心の位置がビミョーにズレてんの。普通ならガスが充満してドカン、でおしまいなんだけど……ここ、爆風が『指向性』を持ってたっぽい跡があるんだよね」

 

「指向性……つまり、意図的に爆発の向きを操作したってことっすか?」

 

「そゆこと。まあ、報告書書くの面倒くさいし、上も『事故でいいじゃん』って感じだからボツになった意見なんだけど」

 

 フブキさんは「やれやれ」といった様子で肩をすくめる。

 だが、その瞳の奥には、警察官としての冷徹な観察眼が光っていた。

 現場の違和感を見逃さず、たった一人でなぜ生活安全局が……? 

 

「あんたが言った『犯人』って言葉、聞き捨てならねぇな」

 

 それまで黙っていた先生が口を開いた。

 フブキさんは先生の方をチラリと見て、興味深そうに目を細める。

 

「んー? そっちのおじさんは……ああ、例の……」

 

「なんだ」

 

「……いや、な~んでもない」

 

 フブキさんは小さく笑うと、すぐにいつもの気だるげな表情に戻った。

 しかし、その視線は先生の立ち振る舞い──ポケットに手を突っ込んでいるが、いつでも動ける重心の位置──を見抜いているようだった。

 

「で? 何しに来たの? まさかピクニックってわけじゃないでしょ」

 

「私たちは……この事故の、再調査に来たっす」

 

 私は先生を庇うように一歩前に出る。

 

「やっぱり、これは事故じゃないんすね」

 

「まあ、十中八九ね。私がここにいるのも、サボり……じゃなくて、個人的な気まぐれだし」

 

 フブキさんは悪びれもせずに言い放つと、懐からボロボロの手帳を取り出した。

 

「せっかくだから情報共有する? 私もさ、報告書修正するのは面倒だから嫌だけど、犯人がのうのうとしてるのはもっと嫌だからね」

 

 そう言って笑う彼女の横顔には、どこか達観した強さが滲んでいた。

 

 爆発現場となったフロア──元パーティスペース兼レストラン。

 足を踏み入れるたび、炭化した木片や砕けたガラスがジャリ、ジャリと不快な音を立てる。壁は高熱で焼けただれ、天井からは溶けた配線が内臓のように垂れ下がっていた。

 

「……酷いっすね」

 

 思わず口をついて出た言葉は、煤けた空気に虚しく吸い込まれた。

 ここでアオゾラさんたちが食事会をしていたのだ。楽しい時間が一瞬で地獄に変わった光景を想像し、私は胸が締め付けられる思いがした。

 

「ここが爆心地の厨房だよ」

 

 フブキさんがドーナツを齧りながら、顎で奥をしゃくった。

 黒焦げになった業務用のコンロや冷蔵庫が、原型を留めない塊になって転がっている。

 

「ヴァルキューレの鑑識班が出した結論は、『老朽化したガス管の破損によるガス漏れ』。そして、換気扇のスイッチを入れた際に発生した火花による引火爆発。……完璧なシナリオでしょ?」

 

 フブキさんは足元に転がっていたひしゃげたパイプを爪先でつつく。

 

「このビル、築年数も古いし、設備のメンテナンスも杜撰だった。ガス管の接続部分が腐食して、そこからガスが充満。不幸にも誰かが電気系統に触れて、ドカン」

 

 説明を聞けば聞くほど、それはあまりにも「ありふれた悲劇」に思えた。

 誰も悪くない、強いて言えば管理不足という怠慢が生んだ事故。

 アオちゃんが巻き込まれたのは、ただの不運。

 そう自分に言い聞かせなければならないほど、現場の状況は「事故」であることを雄弁に物語っていた。

 

「……これをどう思う、元先生?」

 

 フブキさんが振り返ると、先生は眉間に深い皺を寄せ、煤で汚れるのも構わずにしゃがみ込んでいた。

 その視線は、破壊されたガスの配管に向けられている。

 

「……綺麗すぎるな」

 

「ん~?」

 

「現場の状況じゃない。ストーリーがだ」

 

 先生は懐から手袋を取り出してはめると、黒く変色したパイプの破片を拾い上げた。

 

「ガスが充満していたなら、臭いで気づくはずだ。だが、被害者の証言には『突然の爆発』とある。徐々に漏れたんじゃない。一気に噴き出したんだ」

 

「さすが元先生、鋭いねぇ」

 

 フブキさんが気怠げな瞳の奥に、鋭利な光を宿してニヤリと笑った。

 彼女はポケットから小さな証拠品袋を取り出し、私の目の前にぶら下げてみせる。

 中に入っていたのは、何の変哲もない小さな金属片に見えた。

 

「これ、ガスの元栓のバルブの破片。……こっちの断面、見てみてよ」

 

 言われて目を凝らす。

 爆発で引きちぎられた金属の断面はギザギザしているが、一か所だけ──まるで定規で引いたように滑らかな線が入っていた。

 

「……切断痕?」

 

「正解。半分くらいまでヤスリか何かで削ってあったんだよ。で、残りの半分は圧力に耐え切れずに破断した」

 

 背筋がゾクリと冷えた。

 老朽化じゃない。誰かが意図的に、ガスが漏れるように細工をしたのだ。

 それも、パーティが始まってガス圧が上がったタイミングで折れるように計算して。

 

「自然なガス漏れに見せかけた、時限式の破壊工作……」

 

 先生が吐き捨てるように言い、立ち上がった。

 その瞳には、先ほどまでの気だるげな色はなく、獲物を狙う獣のような険しさが宿っていた。

 

「事故じゃない。これは明確な殺意を持った事件だ」

 

 廃墟の静寂が、一変して重苦しい緊張感へと変わる。

 ただの不幸な事故だと思っていたものが、誰かの悪意によって引き起こされたものだと分かった瞬間、焦げ臭い風がさらに冷たく感じられた。

 

「ヴァルキューレはこの証拠を見落とした。……いや、単なる瓦礫の一部として処理しちゃったんだよね。私が個人的に拾い直さなきゃ、迷宮入りだったよ」

 

 フブキさんは「やれやれ」と肩をすくめるが、その行動力の高さには舌を巻くしかない。

 この人は、間違いなくできる人だ。

 

「……だとしても、誰がこんなことを? アオちゃんたちのグループを狙ったってことっすか?」

 

「それを突き止めるのが、俺たちの仕事だろ」

 

「いや、相談窓口の仕事かって言われたら、少し怪しいんすけどね」

 

 先生は煤けた手を払い、出口の方へと歩き出す。

 その背中は、怒りを静かに内包しているように見えた。

 

「行くぞ、イチカ。……標的が分かれば、犯人の尻尾も掴めるはずだ」

 

 私は一度だけ、黒く焼け焦げた厨房を振り返る。

 ここにあるのは不運ではない。悪意だ。

 そう認識した瞬間、私の心の中でスイッチが切り替わった。

 

「はい、先生!」

 

 私たちは煤けた廃ビルを後にする。

 アオちゃんの無念を晴らすため、そして、ワタヌキさんを救うために。

 

「……いやぁ、やっぱり大人は鋭いんだね。『先生』」

 

 ふと、後ろからフブキさんが何かつぶやいていた気がした。

 私たちは彼女に見送られ、黒焦げになった廃ビルの外へと出る。

 

 外の空気は冷たく、肺に溜まった煤の臭いを少しだけ中和してくれた。

 だが、先生の表情は晴れない。

 彼はスーツのポケットからタバコを取り出し、火をつける。紫煙が風に流れていくのを、細められた目が追っていた。

 

「……フブキの言う通りだ。現場が綺麗すぎる」

 

「綺麗、っすか? こんなにぐちゃぐちゃなのに」

 

「あぁ。ガス爆発にしては、火元が均一すぎるんだよ。まるで『そう見えるように』全体を焼き尽くしたみたいにな」

 

 先生は吸い殻を携帯灰皿にしまうと、ビルの周囲──爆風で吹き飛んだ瓦礫が散乱する植え込みの方へと歩き出した。

 カツ、カツ、と革靴の音が響く。

 彼は何気ない動作で、散らばったコンクリート片やガラス片を足で退けていく。

 

「イチカ、爆発の瞬間を想像してみろ」

 

「えっと……ガスが充満して、引火して、ドカン、っすよね」

 

「そうだ。通常、ガス爆発は室内全体に圧力がかかる。窓ガラスは外へ吹き飛び、壁は崩れる。だが、中の燃焼温度が高すぎれば、証拠能力のある小さな部品は溶けてなくなる」

 

 先生はしゃがみ込み、植え込みの奥まった場所にある、泥にまみれた何かを拾い上げた。

 ハンカチで丁寧に泥を拭う。

 

「だが、爆風が炎よりも速く『証拠』を外へ弾き飛ばしていたら……どうだ?」

 

「それは……」

 

 先生の手のひらに乗っていたのは、小指の先ほどの小さな金属片だった。

 歪み、黒ずんではいるが、原型を留めている。

 私は目を凝らした。ただのゴミに見えるが、先生の目は違うものを見ているようだった。

 

「これ……何かの回路の一部っすか?」

 

「『起爆信管』の破片だ。それも、市販の時限式じゃない。特定の信号を受信して発火する、軍用グレードのやつだ」

 

 私は息を飲んだ。

 ガス漏れによる事故現場に、軍用の起爆信管が落ちているはずがない。

 それは、この爆発が不運な事故ではなく、明確な悪意を持って引き起こされた『事件』であることの決定的な証明だった。

 

「……やっぱり、事故じゃなかったんですね」

 

「あぁ。ガス管に細工をしてガスを充満させ、外からこいつで着火したんだろ。中にある残骸は高熱で溶けたが、こいつだけは運良く爆風に乗って、熱が届かないこの植え込みまで吹っ飛んだ」

 

 正真正銘、奇跡の痕跡だ。

 犯人にとっては最悪の、私たちにとっては唯一の希望となる小さな金属片。

 

 私はスマホを取り出しかけて、指を止めた。

 ワタヌキさんに報告すべきだろうか? いや、まだ早い。

 今、彼女にこれを伝えれば、彼女は感情のままに動き出してしまうかもしれない。犯人が誰かもわからない状態でそれをさせるのは危険すぎる。

 

「先生、これ……ワタヌキさんには」

 

「まだ言うな。犯人を特定して、俺たちがとっ捕まえてからだ」

 

「了解っす。……でも、この部品だけで犯人がわかるんすか?」

 

「これを使える連中は限られる。それに、こんな特殊なブツを扱ってるルートもな」

 

 先生はニヤリと笑わず、冷徹な目でその金属片をポケットにしまった。

 その目は、教育者のものではなく、獲物を追う狩人のものだった。

 

「行くぞ。エンジニア部のあいつに解析を頼む」

 

「えっ、またウタハさんのところに行くんですか? 先生、また嫌味言われるっすよ」

 

「背に腹は代えられん。それに、これを作った奴の『指紋』みたいな癖が残ってるかもしれねぇ」

 

 思わぬ収穫。今も病院で意識が不明になっているアオゾラさんのためにも、このチャンスを逃すわけにはいかない。

 背後で風に揺れる規制線が、まるで私たちを急かすように音を立てる。

 

 ■■■

 

 私たちは回収した焦げた部品を持って、再びミレニアムサイエンススクールへと向かった。

 エンジニア部の部室へ入ると、部長の白石ウタハさんが呆れたような顔で迎えてくれた。

 

「やあ、イチカ。……と、また来たのか、暴力教師」

 

 ウタハさんは私には友好的な笑みを向けてくれたけれど、隣にいる先生を見た瞬間、その表情をスッと能面のように硬くした。

 先生は気にする様子もなく、スーツのポケットからハンカチに包んだ部品を取り出す。

 

「嫌味はあとで聞く。これの解析を頼みたい」

 

「……随分と焦げているな。爆発物の残骸か?」

 

「起爆信管の一部だと思われるっす。これが何なのか、特定できればと思って」

 

 私が補足すると、ウタハさんは「ふむ」と唸り、その部品を受け取った。

 

「分かった、君たちの頼みならば何か深刻なのだろう。少し時間がかかる。外のベンチで待っていてくれ」

 

 ウタハさんは奥の作業スペースへと消えていった。

 私たちは言われた通り、部室前の広場にあるベンチに腰を下ろす。

 

 ミレニアムの通路は広く、多くの生徒が行き交っていた。見たこともない機械に近未来的な内装。まるで映画の世界に来た気分だ。

 けれど、私たちの周りだけ、見えない壁があるかのように空気が重かった。

 

「……あれ、トリニティの」

 

「隣にいるのって、まさか」

 

「この前も来てたじゃん……」

 

「うわ、本当だ。まだ先生ヅラしてんの?」

 

 通り過ぎる生徒たちが、ヒソヒソと噂話をしているのが聞こえる。

 好奇心、侮蔑、嫌悪。

 突き刺さるような視線に、私は居心地の悪さを感じていた。

 先生は足を組み、つまらなそうに虚空を眺めているだけだ。その無関心さが、余計に周囲の感情を逆なでしているように見える。

 

「(……なんか、気に食わないっす……)」

 

 先生が過去に何をしたかは大体大まかに聞いている。

 嫌われて当然だ。自業自得だ。

 でも、いま私は「仕事上のパートナー」として彼と一緒にいる。

 

 彼に向けられる悪意は、隣にいる私にも飛び火してくる。まるで私まで、どうしようもない人間だと後ろ指を刺されているようで、顔から火が出るほど恥ずかしかった。

 

 そう思った、その時だった。

 

「おいコラ」

 

 低い声と共に、数人の生徒が私たちの前に立ちふさがった。

 服装を着崩した、いわゆる不良生徒のグループだ。

 彼女たちの視線は、私ではなく、先生だけに向けられていた。

 

「なに澄ました顔してミレニアムに来てんだよ」

 

 リーダー格らしき生徒が、手に持っていた食べかけのチョコミントアイスを放り投げた。

 

 ベチャッ、という湿った音。

 アイスは先生の頬に直撃し、スーツの襟元へと溶け落ちていく。

 

「…………」

 

 先生は眉一つ動かさず、ゆっくりと手で顔を拭い、周囲には甘ったるい匂いが漂う。

 私は反射的に立ち上がりかけて、拳を握りしめた。

 

「ちょっと、何するんすか!」

 

 自分でも驚くほど、ドスの利いた声が出た。……なんで私が怒る必要がある? 

 認めるしかないが先生は嫌われて当然の人間だ。アイスをぶつけられるくらいの恨みを買っていても不思議じゃない。

 なのに、私の胸の奥底で、ドロドロとした怒りが湧き上がっていた。

 私の「相棒」を、こんな風に扱われることが許せなかったのか。

 それとも、こんな情けない男を「先生」と呼んで隣にいる自分が、惨めで仕方なかったのか。

 感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、視界が熱くなる。

 

 しかし、不良生徒たちは私など眼中にないようだった。

 彼女たちは、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべ、工具や鈍器を構え始める。

 

「てっきり死んだもんだと思ってたがな。前のリーダーが世話になった礼、まだしてなかったろ?」

 

 どうやら、過去に先生が潰した不良グループの残党らしい。

 殺気立った空気が流れる。

 このままでは乱闘になる。私は正義実現委員会の生徒として、制圧するべきか判断を迫られた。

 

 だが、先生は汚れたハンカチをポケットにしまうと、だるそうに彼女たちを見上げた。

 その瞳には、恐怖も、怒りすらもない。

 ただ、底知れない暗い穴が空いているだけだった。

 

 この数日で、私すら見たことがない……死人の顔だった。

 

「……殺したきゃ殺せ。死に場所には困ってんだ」

 

 その言葉は、挑発ではなく、あまりにも淡々とした事実の吐露だった。

 構えられたスパナが振り下ろされれば、大怪我では済まない。

 けれど先生は、まるで「そうなればラッキーだ」とでも言うように、無防備なまま首を晒したのだ。

 

「こんな世界で、()()()無しで今日まで生き永らえたのも、奇跡みたいなもんだからな」

 

「っ、なめやがって……!」

 

 リーダーが逆上し、スパナを振り上げた瞬間──。

 

「私の部室前で騒ぐなと言ったはずだが?」

 

 凛とした声が響き渡った。

 部室から出てきたウタハさんが、いつの間にか展開したドローン「雷ちゃん」の銃口を彼女たちに向けていた。

 

「ウ、ウタハ部長……ッ」

 

「エンジニア部への妨害行為とみなす。退散しろ」

 

 不良たちは忌々しそうに舌打ちをすると、捨て台詞を吐いて逃げていった。

 広場に、気まずい沈黙が戻る。

 先生は何事もなかったかのように、襟元の汚れを気にしているだけだった。

 

「……解析、終わったぞ」

 

 ウタハさんもまた、先生の態度には触れず、解析結果が映し出されたタブレットを私に手渡した。

 

「これは市販のものではない。ブラックマーケットで流通している、遠隔操作式のリレー回路だ。特定周波数の信号を受信して発火する」

 

「遠隔操作……やっぱり、事故じゃなかったんすね」

 

「ああ。そしてこの回路の製造元だが……特徴的なハンダ付けの癖から見て、カイザーインダストリー製の横流し品だろう」

 

 ウタハさんの説明を聞きながら、私は横目で先生を見た。

 

『死に場所には困っている』

 

 さっきの言葉が、耳にこびりついて離れなかった。

 この人は、生きているようで、もう半分死んでいるのかもしれない。

 そんな空虚な背中を見て、私は言いようのない不安と、小さな苛立ちを覚えていた。

 

「……佐倉さん、その顔とスーツでミレニアムを出られると私たちの印象が悪くなる。洗面台と洗濯機くらいは貸そう」

 

「……あんがとさん」

 

■■■

 

 エンジニア部の部室の奥、簡易的なシャワールームから水音が聞こえてくる。

 頭から甘ったるいアイスを浴びた先生は、ウタハさんに借りたタオルと着替えを持ってそこへ入っていった。

 

 私は部室の隅にあるパイプ椅子に腰掛け、スマホの画面を無意味にスワイプしていた。

 指先は麻雀アプリのアイコンを行ったり来たりしているが、起動する気にはなれない。

 

「(……なんで私、あんなに腹が立ったんだろう)」

 

 先ほどの光景が脳裏に焼き付いている。

 不良生徒たちが先生に向けた侮蔑の言葉。そして、先生自身のあの投げやりな態度。

 

 先生は、暴力行為でクビになった元教師だ。

 生徒からの信頼など皆無で、恨みを買っていてもおかしくない。自業自得だ。

 そんなことは分かっている。

 分かっているのに、彼が一方的に嘲笑されているのを見て、私は反射的に銃へ手を伸ばしそうになった。

 

「(正義実現委員会の仮面を被っているから?)」

 

 違う。もっと個人的で、情けない感情だ。

 あんな最低な人を「先生」と呼び、行動を共にしている自分自身への恥ずかしさ。

 そして同時に──彼がただの「ゴミ」として扱われることに対して、なぜか胸が詰まるような不快感を覚えたのだ。

 

「……はぁ」

 

 ため息をついていると、視界の端に缶コーヒーが差し出された。

 

「お疲れ。災難だったな」

 

 顔を上げると、ウタハさんが立っていた。

 彼女はもう一本のコーヒーを自分で開けながら、近くのデスクに腰を掛ける。

 

「……ウタハさん」

 

「礼には及ばない。……しかし、君も大変だな。あんなのと一緒に行動しなきゃならないとは」

 

「……全っ然、否定できないっすね」

 

 私は苦笑いで答えるしかなかった。

 温かいコーヒーの熱が、冷えた指先にじんわりと伝わってくる。

 

「……イチカ」

 

 ウタハさんはスマホを取り出すと、モモトークのQRコードを表示して私に見せた。

 

「これ、私のアカウントだ。登録しておいてくれないか」

 

「えっ? あ、はい」

 

 言われるがままに読み込む。

 画面に表示されたアカウント名は、シンプルに『白石ウタハ』とだけあった。

 

「君たちがミレニアムに来ると、どうしても目立つ。さっきのような連中とのトラブルも、正直合理的じゃない」

 

 ウタハさんはコーヒーを一口啜り、淡々とした口調で続けた。

 

「次に何か解析が必要になったら、連絡してくれ。私が機材を持ってトリニティへ伺おう」

 

「え……いいんすか? わざわざ他校まで」

 

「構わない。私の興味のある技術的課題が含まれているなら、場所は問題じゃないからね。それに──」

 

 ウタハさんはシャワールームの方をちらりと見て、少しだけ声を潜めた。

 

「君があの男のフォローで疲弊しているのを見ると、少し忍びなくてね」

 

 その不器用な気遣いに、私は目を丸くした。

 ミレニアムの生徒は合理的で冷たいイメージがあったけれど、目の前の彼女は驚くほど親身だ。

 

「……助かるっす。本当に」

 

「気にするな。エンジニアとして、効率を優先しただけだ」

 

 ウタハさんは照れ隠しのように肩をすくめた。

 ちょうどその時、シャワーの音が止まる。

 私は『白石ウタハ』の名前が追加された連絡先リストを見つめながら、ささくれ立っていた心が少しだけ凪いでいくのを感じていた。

 

「おい、お前らのシャワールーム……っつかこの部屋の機械全部、なんで余計な機能ばっかついてるんだよ。俺のスーツ、洗濯したらいつの間にか鉄みたいな肩パット入れられてたぞ」

 

「おや、好みじゃなかったかい?」

 

「シャワールームで映画のあらすじも一生垂れ流されるし……」

 

「流行りに乗るためには必要だろう?」

 

 ……うわさに聞くエンジニア部製の機械も通常運転のようだった。

 





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