【完結】仲正イチカは悪い大人についていく   作:曇りのち晴れ男

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第五話 見えない処刑と公開処刑

 

「……ロン。七対子(チートイツ)、ドラドラ」

 

「ぐっ……またっすか……」

 

 乾いた牌の音が、静かな事務所に響いた。卓上の牌を無造作に倒したのは先生だ。

 紫煙をくゆらせながら、彼は気だるげに点棒を受け取っていく。

 

「ふむ。確率論から言えば、あの巡目での単騎待ちはリスクが高いはずだが……君の打ち筋は論理的というより、直感的だな」

 

 卓を囲むもう一人の人物、ミレニアムサイエンススクール・エンジニア部の部長、白石ウタハさんが眼鏡の位置を直しながら呟いた。

 

「あのぅ……ウタハさん。巻き込んですいませんっす」

 

 私は申し訳なさでいっぱいになりながら頭を下げる。今日は先日依頼していた機材のメンテナンスで、ウタハさんがわざわざトリニティまで来てくれたのだ。

 それなのに、機材チェックが終わった途端、先生が「メンツが足りない」などと言い出し、なし崩し的に三人麻雀が始まってしまった。

 ウタハさんは知らないゲームのルールをちょっと聞いただけで、アガりこそしないもののほかの人にアガられてしまうということはなかった。

 

 結果として私が先生にアガられまくっているのが現状だ。

 

「いや、構わないさ。息抜きも必要だしな」

 

 ウタハさんは苦笑しながら、手元の牌を洗牌ボタンで流し込む。ウィーン、ガラガラ……と、全自動卓の中で牌が撹拌される音が響く。すると、ウタハさんの目がキラリと光った。

 

「……しかし、以前から気になっていたが。この自動卓、撹拌時の磁気フィールドに若干のムラがあるな」

 

「え?」

 

「牌がセットされるまでのタイムラグが0.5秒ほど遅い。内部のベルトコンベアの駆動音も、摩擦係数が最適化されていない音だ。……気になる」

 

 ウタハさんは牌を取る手を止め、卓の側面をコンコンと叩き始めた。その目は、麻雀の勝敗よりも遥かに真剣な光を帯びている。

 

「ここを分解して、ミレニアム製の高出力モーターに換装すれば……そうだな、洗牌速度を300%向上させられる。ついでに、配牌と同時にドラ表示牌を自動でめくる機構と、リーチをかけると卓が七色に発光してスモークを焚く演出機能を追加すれば、エンターテインメント性も向上するはずだ」

 

「いらないっすよ!? なんで雀卓をゲーミング仕様にしようとしてるんすか!」

 

「イチカ、やらせてやれ。光る雀卓とか面白そうじゃねぇか」

 

「先生は面白がらないでください! ここは雀荘じゃなくて相談窓口なんすからね!」

 

 私が声を張り上げると、先生は「へいへい」と耳をほじった。全く、この人は……。ウタハさんもウタハさんで、すでに工具を取り出し始めている。

 

「この男と意見が一致するのはいささか不満だが……善は急げだ。イチカ、ドライバーはあるか? ちょっと内部構造を見たい」

 

「だ、ダメっすよウタハさん! これ以上事務所を変な改造で埋め尽くさないでくださいっす!」

 

 ドタバタと騒がしい日常。連続事件の殺伐とした空気から離れ、こうした馬鹿げたやり取りをしていると、ここが平和な場所だと錯覚しそうになる。

 その時だった。控えめなノックの音が、ドアの方から聞こえた。私はハッとして、ウタハさんに「ストップ」のジェスチャーを送る。 先生も吸いかけのタバコを灰皿に押し付け、瞬時に姿勢を正した……ふりをして、卓上の点棒を自分のポケットにねじ込んだ。

 

「……はい、どうぞ。開いていますよ」

 

 私が努めて穏やかな声で応答すると、ドアがゆっくりと開く。 そこに立っていたのは、二人の生徒だった。

 

「あ、あの……ここは、思春期相談窓口で、合っていますか……?」

 

 怯えるような視線。お互いの腕を強く掴み合い、身体を寄せ合っている。制服はトリニティのものだが、少し着崩れている──いや、誰かに無理やり引っ張られたような跡がある。

 一人は髪を短く切りそろえた、小柄な生徒。もう一人は長い髪を後ろで結んでいるが、その表情は暗く沈んでいる。 彼女たちの名前は、ハノさんとホソバさんといった。

 

 私は瞬時に背筋を正す。ウタハさんも、手にしたドライバーをそっと背後に隠し、真剣な表情に戻っていた。先生だけが、ポケットに入れた点棒の重みを確かめるように、小さく鼻を鳴らした。

 

「……ようこそ。話は聞くぞ」

 

 先生の低い声が、相談の開始を告げた。

 事務所のソファに座った二人は、出されたお茶に口もつけず二人は不安そうにスカートの裾を握りしめている。

 

「その……私たち、クラスのグループから、ちょっと……その」

 

 ハノさんが言い淀むと、隣のホソバさんが助け舟を出すように小さな声で続けた。

 

「無視されたり、聞こえるように悪口を言われたり……移動教室の時に教科書がなくなってたりするんです」

 

 典型的ないじめ。

 陰湿で、幼稚で、けれど当事者にとっては地獄のような悩み。

 

 私はその話を聞きながら、不謹慎ながらも胸の内で感動に打ち震えていた。

 

「(これっす……! これこそが『思春期相談窓口』に来るべき案件なんすよ……!)」

 

 麻薬組織の影もない。

 爆発物の信管も出てこない。

 銃撃戦による制圧も必要ない。

 

 これは、正義実現委員会としての「治安維持」ではなく、一人の先輩として後輩の心の棘を取り除く、本来の「相談業務」だ。

 これまでの血なまぐさい事件を経て、ようやく私はスタートラインに立てた気がした。

 

「──わっかりました。辛かったっすね、よく話しに来てくれたっす」

 

 私は努めて優しく、力強く頷いた。

 ハノさんとホソバさんの表情が、わずかに緩む。

 

「具体的な被害状況と、相手の名前を教えてもらってもいいっすか?」

 

 二人が挙げた名前は、私も顔を知っている程度の一般生徒たちだった。

 メモを取りながら、今後の対応策を頭の中で組み立てる。

 

「まずは私が、その相手生徒たちに直接話をするっす。もちろん、あなたたちがここに来たことは伏せて、『風紀上の指導』という形をとるっすけど……まあ、タイミング的に感づかれる可能性は高いっすね」

 

「あ……それは、大丈夫です。もう、何もしないよりは……」

 

 ハノさんが弱々しく首を振る。

 私はメモを閉じ、二人の目を見てはっきりと言った。

 

「釘はしっかりと刺すっす。思春期相談窓口の名前において、これ以上の嫌がらせは許さないと警告するっす。それでももし、何かが変わらなかったり、あるいは酷くなったりしたら──」

 

 一呼吸おいて、私は微笑んでみせた。

 

「すぐにまた、ここに来てください。もしそれ以外でも、ただ愚痴りたいだけでもいいっす。ここはあなたたちの味方っすから」

 

「……はい。ありがとうございます、イチカ先輩」

 

 二人は何度もお辞儀をして、少しだけ軽くなった足取りで事務所を出て行った。

 パタン、とドアが閉まる。

 後に残ったのは、静寂と、達成感の余韻。

 

「……ふぅ。どうっすか先生。これぞ『相談窓口』って感じじゃないっすか?」

 

 私は満足げに振り返った。

 先生は新しい煙草に火をつけながら、紫煙の向こうで気だるげに目を細めている。

 

「平和ボケしてんな、お前」

 

「なっ……! 何がっすか! 平和的な解決を目指すのが私たちの仕事っすよ!」

 

「ガキのいじめってのはな、大人の犯罪よりタチが悪いんだよ。陰湿で、執拗で、理由がねぇ。……ま、釘を刺して止まるようなら、それに越したことはねぇがな」

 

 先生は吐き捨てるように言ったが、その目はどこか遠いモノを見ているようで、いつものようなただの憎まれ口とは少し響きが違った。

 ウタハさんが、分解しかけた雀卓の部品をいじりながら口を挟む。

 

「統計的に見ても、外部からの介入がいじめを沈静化させる確率はケースバイケースだ。だが、イチカの『逃げ場所がある』という提示は、メンタルケアの観点からは最適解だろう」

 

「そう言ってもらえると自信になるっす。……よし、さっそく指導に行ってくるっす!」

 

 私は腕章を整えて、気合を入れて事務所を飛び出した。

 

 事務所を飛び出た後、私は一人で二人が所属するクラスへと向かった。 先生とウタハさんは事務所で待機だ。

 本来なら不良たちと戦闘になるかもしれないため応援を呼ぶべきかもしれないが、たかが学生同士のいざこざに大の大人やマイスターが出ていくのも角が立つ。

 それに、こういう「釘を刺す」業務は、正義実現委員会で嫌というほどやってきた。

 

 目的の教室の裏手。そこに、ハノさんたちが怯えていた「主犯格」の生徒たちがいた。二人組。楽しそうに談笑している彼女たちの背後に、私は音もなく近づく。

 

「こんにちは、楽しそうっすね」

 

「え……?」

 

 振り返った二人の顔が、私の腕章を見た瞬間に引きつる。正義実現委員会。その看板の効果は絶大だ。

 

「な、なんの用よ……私たち、何もしてないし」

 

「ええ、ええ。今はまだ、何もしてないことになってるっす」

 

 私は糸目を崩さず、口角だけを上げて微笑む。あえて具体的な証拠は突きつけない。ただ、「知っている」という事実だけを匂わせる。

 

「最近、思春期相談窓口の方に、ちょっとしたお話が来てるんすよ」

 

「っ……!」

 

 中心にいた生徒が息を吞む。

 

「私たちは、学園が『平和』であることを望んでます。……まさか、それを乱すような真似をする人は、このトリニティにはいないっすよね?」

 

 一歩、距離を詰める。 それだけで彼女たちはパニックになり、首を縦に振った。

 

「わ、わかった! もう関わらない! 話しかけないから!」

 

「よかったぁ。物分かりが良くて助かるっす。今後の様子、見てるっすからね」

 

 私はあくまで友好的に手を振って、その場を去った。 背後からへたり込むような音が聞こえたが、振り返らない。

 暴力も、銃撃戦も、爆発もない。 言葉だけで解決する。釘を刺すならばこの程度の圧でいいだろう。

 これこそが、私が求めていた「相談窓口」のあるべき姿だ。 私は足取り軽く、事務所への道を戻った。

 

■■■

 

「ただいま戻ったっす~」

 

 事務所のドアを開けると、先生はまだ雀卓に向かって牌をいじっていた。ウタハさんはその横で雀卓発光のプログラムを構築していて、雀卓が3色に発光している。

 私の後ろから、二人の生徒が申し訳なさそうに事務所を覗いているのが背後の気配で分かった。私は連れてきたハノさんとホソバさんをソファに座らせて、私が行った対処を報告する。

 

「……以上が、現状の報告っす」

 

 私は、目の前に座る二人の生徒に努めて明るい声で告げた。事務所のホワイトボードには、この数日間で私が実行した対策がびっしりと書き込まれている。

 

 まず、いじめの主犯格である生徒たちへの直接接触。あの日以降にも正義実現委員会の名を出し、単なる警告ではなく、「次に同様の行為が確認された場合、停学処分を含む厳正な対処を行う」という誓約書にサインをさせた。彼女たちの顔は蒼白だった。しばらくは手出しできないだろう。

 

 だが、それだけでは終わらない。以前の私なら、ここで「解決」としていただろう。けれど、あの雨の日の後悔が私を突き動かしていた。あんな思いは、もう二度としたくない。

 

「それから、トリニティの救護騎士団にも話を通しておいたっす。心のケアが必要なら、いつでも専門のカウンセリングを受けられるように手配済みっすよ」

 

「そ、そこまで……?」

 

 ハノさんが目を丸くする。

 

「当然っす。それに、これ」

 

 私は自分のモモトークのQRコードを二人に提示した。

 

「これは窓口の公式アカウントじゃなくて、私の個人の連絡先っす。24時間、通知をオンにしてあるっす。もし何かあったら……いえ、何もなくても、不安になったらスタンプ一つでもいいから送ってください。私がすぐに飛んでいくっすから」

 

「……仲正先輩」

 

 ホソバさんが、涙ぐんだ目で私を見つめる。

 

「それに登下校のルートも変更案を作ったっす。人通りが多くて、監視カメラの死角がないルート。しばらくは私も、遠目から見守るつもりっす」

 

 物理的な排除。精神的なケア。緊急時のホットライン。そして、直接の護衛。

 

 考えうる全ての手を打った。これ以上ないというほどの鉄壁の守りだ。隣で見ていた先生も、呆れつつも頷いてくれた。

 

「……お前、過保護すぎないか?」

 

「うるさいっす。……もう、取りこぼすのは嫌なんすよ……。あぁ、二人ともどうぞ。安物のティーバッグっすけど、味は保証するっすよ」

 

 私がカップを差し出すと、ホソバさんは恐縮した様子で、けれど小さな両手でそれを包み込むように受け取った。

 

「あ、ありがとうございます……仲正先輩」

 

「いいっすよ、先輩なんて。イチカで」

 

「じゃあ……イチカ、先輩で」

 

 ホソバさんは恥ずかしそうに微笑み、一口紅茶をすする。 その横で、ハノさんも安堵したように息を吐いた。

 

「本当によかった……。私たち、誰にも相談できなくて……ほかの先輩たちは『エデン条約のことで忙しい』って言って取り合ってくれなくて」

 

「まあ、人は面倒ごとを嫌うっすからね。でも、ここは違うっす」

 

 私は胸を張ってみせる。ふと見ると、部屋の隅のソファで、先生が不機嫌そうな顔で煙草の箱を弄んでいるのが見えた。私は苦笑して、先生に声をかける。

 

「先生も、そんな怖い顔してないで。あ、そういえば戸棚にいただきもののお菓子があったはずっす」

 

「……チッ。俺は茶菓子係じゃねぇんだぞ」

 

 先生は悪態をつきながらも、面倒くさそうに立ち上がり、戸棚からクッキーの缶を取り出した。それをテーブルの上に、ぞんざいに──しかし中身が割れない程度の力加減で──放る。

 

「食え。糖分とっときゃ、大抵の嫌なことは忘れられる。あと麻雀」

 

「ふふ、ありがとうございます。……変わった先生ですね」

 

 ホソバさんがクスクスと笑った。その笑顔は、どこにでもいる普通の女子生徒の、等身大の可愛らしさを持っていた。ハノさんもつられて笑う。

 

「本当だね。最初はちょっと怖かったけど……優しい先生だ」

 

「……勘違いすんな。俺は金のためにやってるだけだ。それに、元先生だ」

 

 先生は照れ隠しのように顔を背け、換気扇の下へと逃げていく。その背中を見送りながら、私は二人に改めて向き直った。

 

「もしまた何かあったら、本当にすぐ連絡してくださいね。私たちが絶対に駆けつけるっすから」

 

「はい。……私、明日はクラスに行けそうな気がします」

 

 ホソバさんが、希望に満ちた瞳でそう言った。

 

「ハノちゃんもいるし、イチカ先輩や先生もついててくれるって思ったら、怖くないです」

 

「うん。私がずっと一緒だよ、ホソバちゃん」

 

 二人は顔を見合わせ、手を取り合って笑い合う。窓から差し込む夕日が、二人の横顔をオレンジ色に染めていた。それは、キヴォトスのどこででも見られる、ありふれた、けれど尊い青春の一ページ。

 

「(ああ……よかった)」

 

 私は心からそう思った。 大きな事件を解決するのもいいけれど、こうやって手の届く範囲の笑顔を守ることこそが、この相談窓口の本来あるべき姿なのだと。

 

「おいイチカ、そろそろ下校時刻だ。送ってやれ」

 

「了解っす! さ、お家までエスコートするっすよ、お姫様たち」

 

「あはは、やめてくださいよイチカ先輩!」

 

 私は二人の手を取り、事務所を出て自宅まで送った。

 

 少し遠めのエリアまで二人を送り、事務所へ戻ると、まだ先生たちは雀卓をいじっていた。発光が5色に増えている。

 

「……そのいじめ集団、こっちの要求を呑むのがずいぶん早かったな」

 

「ええ。相手も普通の生徒でしたから。正義実現委員会の名前を出して、少しお話したらすぐに反省してくれたっすよ」

 

 私は達成感と共に報告する。 先生は紫煙を吐き出しながら、どこかつまらなそうに目を細めた。

 

「……反省、ねぇ」

 

「なんすか、その言い方は」

 

「いや。恐怖で蓋をしただけなら、中身は腐ったままなんじゃないかと思ってな」

 

「む……。でも、いじめなんてそんなもんっすよ。バレたらヤバイと思わせれば止まるんです」

 

 先生の相変わらずのひねくれた視点に、私は少し唇を尖らせる。 ウタハさんがPCから顔を上げずに言った。

 

「統計的に見れば、外部介入による抑止効果は一時的には高い。イチカの判断は効率的だと言えるだろう」

 

「ほら、ウタハさんもこう言ってるっす」

 

「まあ、お前がそれでいいならいいがな」

 

 先生は興味を失ったように、手元の牌を倒した。 私はソファに座り込み、大きく息を吐く。

 

 これまでの事件──銃撃戦、誘拐、爆破、復讐。 それらに比べれば、今回の件はあまりにも平和で、日常的だった。 ハノさんとホソバさんは、これである程度過ごしやすくなるはずだ。 明日からは平穏な学校生活が待っている。

 

「さて、仕事も終わったことですし。ウタハさん、さっきの続きやりませんか?」

 

「ああ、望むところだ。今度こそ、そのイカサマのようなドラの乗り方を解析させてもらう」

 

 ■■■

 

 数日が過ぎた。

 窓口には相変わらず閑古鳥が鳴いているけれど、私の心はどこか晴れやかだった。

 あの二人の相談を解決できたという事実が、私の中で小さな自信になっていたからだ。

「思春期相談窓口」として、初めて真っ当な仕事ができた。誰かを暴力ではなく、対話と少しの圧力で救うことができた。

 

 事務所では、ウタハさんが改良を加えた全自動雀卓の動作テストを行っている。

 牌が混ぜられるジャラジャラという音が、平和なBGMのように響いていた。

 

「うん、撹拌率は向上したな。次は配牌のスピードだが……」

 

「ウタハさん、あんまり改造しすぎると先生がイカサマしにくくなるって文句言いそうっすよ」

 

「はは、その時はその時だ」

 

 そんな軽口を叩き合っていた、その時だった。

 先生が自身の端末を見つめたまま、低い声で言った。

 

「……おい。動画サイトを開け」

 

「え? なんすか急に」

 

「いいから開け。今すぐだ」

 

 先生の声色が、いつもの気怠げなものではないことに気づく。

 私は慌てて自分のスマートフォンを取り出し、動画サイトのアプリを起動した。

 トップページに、異様なサムネイルが表示されている。

 

『復讐』とだけタイトルが付けられた、生配信。

 

 視聴者数はものすごい勢いで増え続けていた。

 

「これ……」

 

 タップすると、画面にはどこかの廃工場のような場所が映し出された。

 薄暗く、埃っぽい場所。

 画面の中央に、覆面を被った人物が座っている。

 加工された、不気味な低い声がスピーカーから流れてきた。

 

『……はじめまして、キヴォトスの皆さん』

 

 仮面越しの声。けれど、私はその人物が指先を落ち着かなさそうにトントンと膝で叩く癖を見て、息を呑んだ。

 見覚えがある。

 数日前、私の目の前でおどおどしていた少女。

 

「……ハノ、さん?」

 

 まさか。どうして。

 私が呟いた瞬間、カメラのアングルが少し引いた。

 ハノさんの背後に、ブルーシートか何かで覆われた「人らしき形」が横たわっているのが見えた。

 ピクリとも動かない。

 その横に、見覚えのあるヘアピンが落ちているのが見えた。

 ホソバさんが付けていたものだ。

 

『後ろにいるのは、私の友達です』

 

 加工された声が、淡々と告げる。

 

『彼女は昨日、自らヘイローを壊しました。……もう、動きません』

 

「ッ……!?」

 

 心臓が早鐘を打つ。

 嘘だ。だって、解決したはずだ。

 いじめっ子たちには釘を刺した。二人には笑顔が戻っていた。

 なのに、どうして。

 

『耐えられなかったんです。いくらあの日、助けてもらったとしても……悪は止まらなかった』

 

 ハノさんはカメラに向かって、まるで私を見透かすように語りかける。

 そして、カメラが横にスライドした。

 

 そこには、猿轡をされ、椅子に縛り付けられた二人の生徒がいた。

 先日、私が忠告をした「いじめっ子」の二人だ。

 恐怖に顔を歪め、涙を流しながら必死に何かを叫ぼうとしているが、声にならない。

 

『だから、私が終わらせます。このクズたちと、私自身を』

 

 ハノさんは手元の拳銃を持ち上げ、彼女たちのこめかみへ向けたり、自分へ向けたりと弄ぶ。

 そして、カメラを指さした。

 

『この配信を見ているであろう、私の知り合いN・Iさん』

 

 イニシャル。けれど、それが私を指していることは明白だった。

 

『ゲームをしましょう』

 

『今から24時間。それがリミットです』

 

『24時間以内に、私たちがいるこの場所を特定して、会いに来てください』

 

『もし見つけられなければ……この二人と、私自身のヘイローを破壊して、私も友達のところへ行きます』

 

 画面の向こうの狂気。

 けれど、それは決して支離滅裂なものではない。

 冷たく、透き通るような絶望がそこにあった。

 

『正義実現委員会やヴァルキューレ警察学校が組織として動いているのを少しでも確認したら、その時点で全員殺します』

 

『ヒントは……これから私が語る、地獄のような日々の記憶だけです』

 

 そう言って、ハノさんは縛られた二人には目もくれず、語り始めた。

 今まで彼女たちが何をされてきたのか。

 靴を隠された日。教科書を破られた日。トイレで水をかけられた日。

 淡々と、けれど詳細に。

 

「ウタハさん! 逆探知は!?」

 

 私が叫ぶと、ウタハさんは既に端末を操作していたが、苦々しい顔で首を横に振った。

 

「……ダメだ。これだけ大規模な配信だ、サーバーを経由しすぎていて特定には時間がかかりすぎる。24時間じゃ到底間に合わない」

 

「そんな……」

 

「それに、彼女は『組織が動けば殺す』と言った。私がミレニアムの回線をフルに使って解析を始めれば、そのトラフィックの動きで『組織が動いた』と判断されるリスクがある」

 

 つまり、技術的な解決は封じられたということだ。

 ただひたすら、流れ続ける彼女の独白を聞き、その中にある僅かな手掛かりから場所を割り出すしかない。

 

『……あの日、雨が降っていました。私は傘もなくて……』

 

 配信は途切れることなく続いている。

 ハノさんは、ただひたすらに語り続ける。

 誰かを特定するような固有名詞は巧みに避けながら、けれどその情景だけは鮮明に。

 

 私は画面を見つめたまま、動けなかった。

 数日前の自分の言葉が、呪いのように頭の中でリフレインする。

 

 ──『また何かあったら、相談に来てくださいね』

 

 なんて無責任な言葉だったんだろう。

「何かあってから」じゃ、遅かったんだ。

 彼女たちは、もう限界の淵に立っていたのに。

 私が「解決したつもり」になっていた間、彼女たちは死へと向かって歩いていたんだ。

 

「……行くぞ、イチカ」

 

 先生が、吸っていた煙草を携帯灰皿に押し込みながら立ち上がった。

 その顔に焦りはない。けれど、底知れない昏い光が宿っていた。

 

「場所は当てるしかない。……あいつの話を、一言一句聞き逃すな」

 

 先生の声で、私は弾かれたように顔を上げた。

 そうだ。落ち込んでいる時間なんてない。

 これ以上、私のせいで誰かのヘイローが砕かれるなんてこと、絶対にあっちゃいけない。

 

 スマートフォンから流れる、ハノさんの悲痛な独白。

 それが、私への断罪のように響き続けていた。

 

「待ちたまえ、トリニティ自治区全体の地図……それに加え廃墟として登録されている建物くらいはリストアップできる」

 

 先生と事務所を飛び出ようとして、ウタハさんに呼び止められた。

 ウタハさんがプロジェクターで壁に投影した地図には、トリニティ自治区内に存在する「廃墟」あるいは「長期間使用されていない施設」を示す赤い点が無数に表示されている。

 

「……無理っすよ」

 

 私は乾いた声で呟いた。ハノさんの配信は続いている。彼女は淡々と、しかし確実に時間を削っている。

 背景は暗く、場所を特定できるような特徴的なランドマークは見当たらない。ただ、コンクリートの壁と、古い鉄骨のようなものが見えるだけだ。

 

「ここから一カ所ずつ回るなんて、物理的に不可能っす。24時間あったとしても、この数の1割も回れない」

 

 私は頭を抱えた。正義実現委員会の生徒たちを動員できれば話は別だ。でも、それをすればハノさんは即座に引き金を引くだろう。彼女は本気だ。覆面越しの目を見ればわかる。

 私たちだけで、この広大なエリアからたった一つの正解を見つけ出さなければならない。

 

「トリニティの自治区とはいえ、どれだけの廃墟があると思ってるんすか……!」

 

 私の悲痛な叫びに、ウタハさんは痛ましげに表情を曇らせ、キーボードを叩く手を止めた。

 

「……すまない。私個人で逆探知も試みているが、回線が幾重にも偽装されている。特定には時間がかかりそうだ」

 

「そんな……」

 

 思考が空回りする。焦りばかりが募って、視界が滲む。その時だった。それまで黙って配信画面を凝視していた先生が、静かに口を開いた。

 

「イチカ。地図を見るな。画面を見ろ」

 

「……え?」

 

「場所を探すんじゃない。彼女の『記憶』を探すんだ」

 

 先生は吸い殻を携帯灰皿に押し込むと、画面の中のハノさんを指さした。

 

「彼女はさっきから、いじめの辛さを語っているだけじゃない。ホソバとの思い出も語っている」

 

『……ここでは、誰にも邪魔されなかった。先生にも、親にも、あいつらにも。ここにあるのは、冷たい壁と、私たちの声だけ……』

 

 ハノさんの加工された声が、スピーカーから響く。

 

「背景の音を聞け。……ウタハ、ノイズを除去して環境音だけを抽出できるか?」

 

「やってみよう」

 

 ウタハさんが即座に操作を行うと、ハノさんの声が消え、背後の音がクリアになった。 ゴーッ……という低い唸りと、時折聞こえるポチャン、という滴る音。

 

「これは……水音?」

 

「ああ。それも、かなり大きな水流の近くだ。だが、川じゃない。反響している」

 

 先生の言葉に、私の脳裏にある記憶がフラッシュバックする。 数日前、相談に来た時のことだ。 怯えきっていたホソバさんが、帰り際にぽつりと漏らした言葉。

 

『……また、地下に行こうかな』

 

『あそこなら、落ち着くから』

 

 ただの隠語か、あるいは校舎の地下室のことだと思って聞き流していた。けれど、もしそれが具体的な「場所」を指していたとしたら? 

 

「地下……水音……反響……」

 

 私は壁の地図に駆け寄り、赤い点の分布を見る。トリニティの広大な敷地の地下には、かつて使用されていた古い治水施設や地下水路が網の目のように走っている。だが、そのほとんどは埋め立てられているはずだ。 人が入れて、ある程度の広さがあって、今も水が流れている場所。

 

「……あるっす」

 

 私の指が、地図の端、旧校舎エリアの地下深くを指し示す。

 

「『第3地下貯水槽』。数十年前に廃棄されましたけど、構造が複雑すぎて埋め立て工事が中断されたまま放置されているエリアっす」

 

「そこに行けば、ホソバとハノだけの『世界』があったってことか」

 

 先生がジャケットを羽織り、立ち上がる。

 

「決まりだな」

 

「……行くっす!」

 

 私は自分の銃を背負おうとして、やめた。私は戦うために走るんじゃない、止めるために走るのだ。それならば銃はいらない。

 彼女の居場所に確証は……ない。でも、今の私たちにはそこに縋るしかない。記憶の海に沈んでしまった彼女たちを、引き上げるために。

 

「ウタハ、留守番を頼む。万が一場所が違った場合、すぐに別の候補地を出してくれ」

 

「任せてくれ。……二人の健闘を祈る」

 

 ウタハさんの力強い言葉を背に、私たちは雨の降りしきる外へと飛び出した。

 

「(待っていてください、ハノさん。 絶対に、最悪の結末にはさせないっすから)」

 

 ……二度と、あの雨の日みたいな情けない私に戻らない。

 

 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼

 

「ねえ、ハノちゃん。私たち、ずっと一緒だよね」

 

 記憶の中のホソバちゃんは、いつも笑っていた。 トリニティの綺麗に手入れされた中庭。二人で食べたクレープの甘ったるい味。 放課後の教室で、くだらない話をして、お腹が痛くなるくらい笑い合った日々。 私の世界は、彼女がいるだけで鮮やかだった。彼女のヘイローが輝いているだけで、明日が来るのが楽しみだった。

 

 いつからだろう。その光に影が差したのは。

 

 最初は些細なことだったと思う。 挨拶を無視されたり、教科書が見当たらなくなったり。 「気のせいだよ」とホソバちゃんは笑っていたけれど、その笑顔が日に日に引きつっていくのを私は知っていた。

 

 上履きに画鋲。 机に書かれた『邪魔』の文字。 通りすがりに聞こえる、クスクスという嘲笑。

 

 私たちは相談した。あの「思春期相談窓口」に。 仲正イチカさんは優しかった。真剣に話を聞いてくれた。 いじめっ子たちに直接話をつけてくれた時、これで終わるんだと、救われたんだと本気で思った。

 

 でも、人の心にある悪意は、注意されたくらいで消えるものじゃなかった。 むしろ、それは「大人にチクった」という理由を得て、陰湿な地下水のように見えない場所へ潜り込んだだけだった。 誰も見ていないSNSでの中傷。すれ違いざまの無言の圧力。 直接的な暴力がなくなった分、逃げ場のない精神的な摩耗がホソバちゃんを削っていった。

 

『ごめんね、ハノちゃん。もう疲れちゃった』

 

 彼女から届いた最後のモモトーク。 駆けつけた時には、もう遅かった。 自らヘイローを砕いた彼女は、もう二度と、あの大好きなクレープを食べることも、私の名前を呼ぶこともない。

 

 ──プツン、と。私の中で何かが切れた音がした。

 

 ……。 …………。

 

 意識が、冷たい現実へと浮上する。

 

 廃工場の淀んだ空気。 埃と錆の混じった匂い。 背後には、猿轡をされ、恐怖に震えているかつての「同級生」たち。彼女たちは今や、私の復讐劇のための舞台装置に過ぎない。

 

 私はゆっくりと視線を上げた。 そこにあるのは、無機質なカメラのレンズだ。 この向こう側には、何千、何万という野次馬がいる。そしてその中には必ず、彼女たちがいるはずだ。

 

 無意味にも正義を実現しようとする者たちが。

 

 モニターの隅に表示された時計を見る。 タイムリミットまで、まだ時間はある。だが誰もここには辿り着けない。辿り着けるはずがない。だってここは、私たちが誰にも言わずに見つけた、二人だけの秘密基地だった場所なのだから。

 

 私は手元に視線を落とす。 そこには、天井の梁から吊るされたロープがあった。 ざらついた麻の感触を、掌で確かめるように強く握りしめる。

 

 カメラのレンズを見つめた。 光のない、死んだ瞳で。焦点は、その観客席(レンズ)の奥にいるたった一人へ向けて。

 

「N・Iさん……」

 

 画面の前には加工された機械音声で、私自身の掠れた声が漏れ出る。

 

「どうか私の死をもって、この世の残酷さ、正義の脆さを胸に刻んでください。救いなんて、無いんですから」

 

 ホソバちゃんのいない世界に、未練なんて一つもない。 私はロープを握りしめたまま、静かにその時を待った。

 





今更ですが、これからは毎日21:32投稿です。

皆さんに評価をしていただけたおかげで、一般二次創作のルーキー部門で一位になった瞬間がございました。今もなお上位にとどまれています。
評価・感想などをたくさん送っていただき、ありがとうございます。

この場をお借りして厚く感謝申し上げます。
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