――何か難しいことをしたわけじゃない。俺はあの日の記憶を少ししか思い出せないから、赦さないとか断罪するとか、強い感情を抱けなかっただけだ。
そのようにイヌイ・リョウマは自身の選択を評価していた。
自分は聖者ではない。
つまりこれから先、怒りや憎しみを向ける対象が降って湧いて出る可能性は十分にある。
だが、それは少なくとも――ホシノ・ミツキではない。
そう信じた。
少女は裁きを求め、少年は赦しを与えた。
すっかり夜の闇は濃くなって、時計を見ればやはり夜と言ってしまっていい時間帯だった。
涙をぽろぽろとこぼしていたミツキが、泣き止むのを待つこと五分ばかり。
ティッシュで鼻をかんでいる少女は、すっかり落ち着きを取り戻していた。
この間、リョウマはずっと彼女の手を握っていた。
そう、これはかなり気恥ずかしい。場の流れでついやってしまったが、実のところリョウマに深い意図があったわけではない。
ただそうするべきだと思ったからそうした。
我ながら向こう見ずである。
横からその一部始終を見ていた幼馴染み、金髪碧眼の少女――ベルカ・テンレンは斬り込むように話を始めた。
「うん、湿っぽくて感動的なやりとりのところ悪いんだけど――」
「ベルカ、今のはちょっとデリカシーがないと思うぜ」
「き、キミにだけは言われたくなかった……!」
マジかよこいつ、という目で見られた。
ベルカ・テンレンに対するデリカシーのないツッコミの数々ゆえに、彼女からのリョウマに対する評価は
油断すると際限なく話が脱線するから、ベルカも深く追い打ちはしなかった。
ただやれやれと肩をすくめると、その青い瞳にひんやりとした
「悪いけど二人とも、このままいい感じに解散して明日また会おうってことにはならない」
その一言でようやく空気が切り替わった。
ベルカは怪奇事件の専門家であり、幾度となくミツキとリョウマを殺害している張本人だからだ。
つまり彼女が真面目にそういうからには、相応の理由があると信じるべきだった。
リョウマが視線で先を促すと、ベルカは我が意を得たりと語り始めた。
「今日はここに来てよかったよ。一気に謎が解けたからね――要するにホシノ・ミツキとイヌイ・リョウマの謎の起点は同じ事件だった。それは一年前、文化劇場で起きた崩落事故の真相にかかわっている。音楽コンサートの会場で発生した物理作用する実体化した特異――業界用語でアカシャゼロって呼ばれるものが、その元凶だと仮定していい」
ベルカは目を細めてそう呟いた。
リョウマの感想は正直だった。
――何が何だかさっぱりわからないが、雰囲気はばっちりの専門用語が出てきたな!
ミツキが胡乱なものを見るように、リョウマの顔を覗き込んできていた。
彼が考えていることは、この異能の少女に筒抜けなのだ。
イヌイ・リョウマは図々しい男なので、眼前の少女から「流石に緊張感なさすぎじゃないですか?」と非難がましい目を向けられても動じない。
如何にも深刻ぶって頷いてみせることすらしてしまう。
無意味だった。
心を読むミツキにはバレバレだし、第一、ベルカは幼馴染みなので彼の演技ぐらい簡単に見抜いてしまうのだ。
「リョウマはお利口だから余計なことを喋らないんだ。えらいね、あとでご褒美をあげよう」
「イヌイさんの扱いがちっちゃい子みたいになってませんか……?」
「理不尽だな、俺は慈悲の心を示した直後なんだぜ……!?」
少女二人は無言で顔を見合わせた。
このクソボケ野郎は置いておこう、と意思疎通が果たされるまで五秒、無言のアイコンタクトで条約が締結された。
おそらく恋敵の少女同士とは思えないほど鮮やかな同意だった。
「現在の世界の基準モデル――物理法則に対して強い影響を及ぼす特異点、わたしたちはそれを
ベルカの説明はかなりSFっぽかった。物理法則だの特異点だの、まず日常会話では耳に入ってこないタイプの言葉である。
イヌイ・リョウマは別段、理系に強いわけではない。
物理法則はわかる。要するにアレだ、光の速さは秒速三〇万キロメートルみたいなこの世界の根本的なルールのことだろう。
特異点はそういうルールの中の例外的な意味だろう。
そう、ここまでは雰囲気でわかる。
だが。
「物理法則に強い影響? つまり…………ああ、わかったぜ……どういうことだ?」
「リョウマ、わからないことは恥ずかしいことじゃないよ。でも知ったかぶりして格好つけるのって見苦しいよ」
「暗に恥ずかしいヤツって言われてるよな?」
「わかってるならやめな!」
リョウマのインテリジェンスはその限界を突きつけられた。
悲しみに沈む幼馴染みをじっとりと半眼で睨みつけつつ、ベルカ・テンレンはため息をひとつ。
少女は豊かで形のよい胸の膨らみの前で腕を組むと、すらすらと補足説明してくれた。
「言い方を悪くすれば、汚染を広げる存在ってことだね。ホシノさんの話を聞いただけでもわかるでしょ? その
「……ああ、そうだな」
世界の裏側で起きている怪奇事件のことも、高等な科学知識も持ち合わせていないリョウマにだってわかることはある。
一年前、自分の家族が亡くなったのは――十中八九、そのアカシャゼロとやらが出現したからだ。
そのきっかけにミツキの母アマネがかかわっていた疑惑など、深掘りすると闇の深い話題だが、ベルカの言わんとすることは理解できた。
「……つまり、こういうことか? 一年前の崩落みたいな大惨事が、もっと大規模に起きるかもしれない。だからホシノさんは監視されていて、戦闘ヘリコプターに襲撃されるぐらい警戒されていた?」
「不確定要素はいろいろあるけど、おおむねそういうことになるかな。わからないことはあるよ。例えばどうして今まで、組織が様子見に留めていたのかとか、わたしを配置しておいて情報に触れる権限は与えなかった意図とか」
「あたし、知ってます……秘密組織って内ゲバするんですよね! 日曜日の朝にやってる特撮番組でよくあるやつです!」
「否定したいけど否定しづらいね、この言及! キミたち二人ともボケが強くない!?」
気まずい話題に意を決して踏み込んできたミツキは、何故か男児向けの
そういうこともあるかもしれない、とリョウマとベルカはスルーした。
流石に頭も冷えてきている。
リョウマはたった今、ベルカが告げたこと――アカシャゼロと呼ばれる怪異は、世界の危機に直結するらしい――を噛みしめて、自分が経験してきたループを振り返った。
ふと気づく。
「…………もしかして。ベルカ、ちょっと推測になるけど、喋っていいか?」
「リョウマ、気づいたことは何でも教えて。それが事件解決の糸口になるかもしれない」
「単刀直入に言うぜ。今週末のお花見で、俺は何回も死んでるわけなんだけど――あれってひょっとして、時間経過で状況が悪化してたんじゃないか? 詳しい内情はわからないけど、きっかけさえあれば戦闘ヘリが飛んでくるぐらいヤバい事件なんだろ?」
リョウマは我ながら冴えていると思った。
ひとまず専門家のベルカがその存在を肯定した以上、一年前の崩落事故の真相――人ならざる怪異がかかわっていた――は確定事項としていいのだろう。
それが一年も経って危険域になった理由はわからないが、実のところ、怪奇事件は終わっていなかったというのは如何にもそれっぽい気がした。
まるでホラー映画の登場人物になったような気分だった。
ベルカは頷いた。
「その可能性は十分にあるね。問題は
ベルカはそう言ってミツキの顔を見た。細面の美しい少女は、居心地悪そうにストリートファッションに身を包んだ身体をもじもじさせた。
それは気まずいだろう、と思う。
如何に当事者のリョウマが赦したとはいえ、そもそもミツキの出自は不審な点が多すぎる。母親であるホシノ・アマネの怪しさだってそのままだ。
過激な手段を辞さないベルカ・テンレンが、即座に彼女を殺していないのが不思議なぐらいには。
「安心して、ホシノ・ミツキさん。わたしはあなたを殺さないし、殺させない。二人の話を聞いてみてわかってきたんだけど、たぶん、あなたが
「えっ?」
ホシノ・ミツキは長い黒髪を揺らして、その赤い瞳に不安げな色を浮かべた。
今すぐ死ぬことはないが、それよりも悪いことを言われているのではないかという不吉さ――ベルカは意味深な自分の物言いが、思わぬ副作用を生んだことに気づいたらしく、あー、とうめいた。
そして少女を安心させるように微笑んだ。
「ああ、ごめん。別に悪い意味じゃないよ。これはあくまで現状の整理だし、わたしがあなたを守る理由の説明ってだけ。うん、順を追って話そうか」
ベルカ・テンレンはいいやつである。
これは疑う余地がなく、今だってかなり危ない橋を渡ってリョウマたちに付き合ってくれているのだ。
なので口は出さなかった。
そのように傍観者をしゃれ込むつもりでいると、いきなりベルカは彼の名を出した。
「まずイヌイ・リョウマが何故、
不味い、意味がさっぱりわからない。
一年前の崩落事故の真相が、悪魔だとかお化けだとかのせいってだけでも大概なのに、愛の告白が原因でそれらが加速しただなんて――唐突すぎて戸惑うしかなかった。
理解が追いつかないのはミツキも同じようで、可愛らしく首を傾げている。
そんな二人の様子を見て、ベルカは話を続けた。
「今から口にするのはあくまで推測だよ。一年前の崩落事故のとき、文化劇場には何らかの特異が降臨していた。それが実体化して物理現象として作用したのは、きっと三十分にも満たない時間だったはず。でも自然に消え失せたわけじゃない。そういう風にわたしの所属してる組織は考えた。そこで彼らは、わざわざ太平洋の反対側にわたしを送り込んだ。万が一、この都市で再び異変が起きた場合の切り札としてね」
でも、とベルカは話を区切った。
そしてピンと右の人差し指を立てて、自らの立てた推測――事件の真相について語り始めた。
「崩落事故の生存者たちが、あの日あのとき、現場で何があったのかを忘れていたのは必然だった。忘れ去ることによって、自分たちに紐付けられた特異から逃れようとしたんだ――詳しい原理については説明を省くけど、オカルトではよくあるよね。見聞きすることで呪われる怪談と同じってわけ」
じわじわと背筋を駆け上がってくる感覚は、たぶん恐怖だった。
リョウマはいつもと変わらない自分の部屋が、見知らぬ異世界になってしまったかのような錯覚に襲われた。
カーテンの向こう側で窓の外に広がっているのは一面の黒。地球が自転しているから、日差しのない夜闇に覆われた景色があるだけだ。
治安の悪くない地方都市の住宅街で、その闇を恐れる必要なんてないはずだった。
それなのに今は、夜が恐ろしく思えた。
「どうして今になって、リョウマがループしたり、ホシノさんが命を落とすことになったのか――それはね、二人がそろったことで、呪いの親玉が目を覚ましているからだよ。誤解がないように言っておくけど、これ、悪いのはお化けだからね? 関係者が出会うと発動するブービートラップなんて性格が最悪だよ」
ベルカ・テンレンはすっぱりとそう言い切った。
きっと自責の念に襲われるはずのホシノ・ミツキ――その感情の流れを予期して、いっそ清々しいぐらいにその責任を否定する物言い。
配慮の行き届いている少女は、それゆえに一周回ってデリカシーがないような言い方になっていた。
ミツキは絶句している。
イヌイ・リョウマは言葉に迷った末、ぽつり、とうめくように呟いた。
「――お前って不器用なやつだよな。そこが可愛げだと思う」
ベルカは真顔で頷いた。
「わたしは世界一可愛い幼馴染みだからね――それでね、本題はここから。わたしたちは真実を追究してお互いに答え合わせをした。つまり
「――待てよ、それってヤバいんじゃ」
「安心して、わたしが二人を死なせない。即死じゃなければ何とかしてあげられるから、安心してわたしと一緒に命がけの行動をしよう」
めちゃくちゃなことを言われている――死ななければ安いので、勇気を持って死地に飛び込めと促されるような話だった。
だが、彼女の言わんとすることもわかった。
ベルカ・テンレンはどういう理屈か知らないが、瞬時に人間をバラバラに消し飛ばすような
安全に二人を
そういう話なのだろう。
リョウマは自分自身にそう言い聞かせて、ミツキをどう慰めるべきかと顔を上げた。
その瞬間だった。
――一五年ほど昔のアニメソングが鳴り響く。
聞き覚えのあるメロディーだった。
それは異口同音に、三人の懐の
顔面が蒼白になったミツキが、その白い指で端末を取り出して。
画面に映る着信の報せを、そっとリョウマに見せた。
――お母さん。
画面に表示されているのは、そういう死者を表す文字列だった。
用語集
・特異…超常現象の総称。幽霊から宇宙人、超能力者から怪獣まで幅広く当てはまる用語。
・
・ゼロハンター…現在の世界秩序の守り手。現代伝奇に出てくるタイプの特務機関。アカシャゼロを狩るものなのでゼロハンターを名乗っている。
・見聞きすることで発動する呪い…人の認知に紐付けられて作動する異能、超自然現象による自動機械など。仕組みはかなり機械的だが、仕掛ける存在の悪意は人間的な例。
ベルカさんは「物理で潰すか…」というモードになってるらしい。
終盤戦です。