厄ネタヒロインたちとラブコメをすることになった   作:灰鉄蝸

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28:待ち受けるもの!

 

 

 

 結論から言おう。

 夜闇を駆け抜ける旅はあっという間に終わった。

 ベルカ・テンレンはこの街の監視カメラの位置を把握しているらしく、その死角を選んで跳びはねながら跳躍と疾走を繰り返した。

 

 リョウマとミツキをがっちりと捕まえて、自らの身体能力だけで即席のアトラクションを作ってみせる──言葉にしてみると楽しげだが、実際に体感してみるとこれほど肝が冷える経験もそうはあるまい。

 

 そう、恐ろしく消耗する。

 時間にして五分ほどで終わったはずの移動時間──前後左右の感覚がおかしくなりそうな三次元的機動の果てに、いつの間にか二人は解放されていた。

 

 優しい手つきで地面に降ろされる。

 身体の平衡感覚が消え失せていた。

 リョウマは両手でアスファルトに手をついて、ぐるぐる回る目を何とか落ち着けようと深呼吸。

 

 

「……し、しぬかと思った……」

 

 

「あ、あたし……絶叫マシンはもう乗りたくないです……」

 

 

 車酔いの強烈なやつを喰らった感じだ。

 頭がフラフラしたし吐き気もする。

 人間は水平方向の移動能力は高いけれど、垂直方向の移動能力は低い。

 

 つまりどういうことかというと、一〇メートル前方に進むのは容易いが、一〇メートル上方に登るのはすごく大変である。

 普通に歩いて移動するのと、ハシゴを登るのを思い浮かべてみればわかりやすいと思う。

 そう、できないことの適性は低いのだ。

 

 まるでド派手なバトルアクションものみたいな動きを、実際にやらされてみると──全身をシェイクされたような状態になって感覚が麻痺してしまう。

 そういうわけでリョウマとミツキは死にそうになっていた。

 

 

「ごめんね、二人とも。深呼吸して落ち着いて──うん、あんまり長いこと休んでもいられないけど」

 

 

「あ、あぁ……えっと、今どこだ?」

 

 

 周囲を見渡す。

 辛うじて街灯はついているけれど、すっかり人気がなくなった人工物だらけの空間だった。

 街路樹はある。

 

 それはたぶん、どこかの駐車場のように思えた。

 夜景である。

 真っ昼間の明るい情景とは、何もかもが違いすぎて、とっさに場所を推定することはできなかった。

 

 ベルカは涼しい顔で駐車場に立っている。

 黄金の髪の少女を照らすのは、頼りない街灯の明かりだけだった。

 

 

「……文化劇場の駐車場だよ。一年前の事故から封鎖されてるけどね」

 

 

「……あ」

 

 

 気の抜けたような声が、喉からあふれた。

 先ほどまでの気分の悪さが嘘みたいに、別種の冷たい理解が脳髄に広がっていく気がした。

 視線をぐっと上に向けた。

 

 二〇メートルほど離れた場所には、鉄筋コンクリートで建てられた大きな建築物があった。細部のディティールは、夜の闇に飲み込まれてよく見えないが、内部に巨大な空間があるはずだった。

 言われてみると見覚えのある建物だ。

 

 文化劇場。

 一年前に起きた崩落事故で、リョウマの人生から多くを奪い去っていったもの。

 

 

 ──ここに俺の仇がいるってことか。

 

 

 意地で立ち上がる。

 ふと視界の隅に違和感。

 ベルカ・テンレンが差し出した手があった。

 迷いなく、その柔らかな掌を握った。白くて優雅な掌は、そのくせ見た目よりずっと力強い。

 

 

「……ありがとな」

 

 

 ベルカはにっこりと笑うと、リョウマが立ち上がるのを待って手を離した。

 その手のぬくもりが名残惜しい気がして、少年はドキドキしていた。

 

 

「どういたしまして。ホシノさんはどう? 立てる?」

 

 

「い、今なんとか」

 

 

「ごめんね、無理させちゃって」

 

 

 やはりベルカに差し出された手を、ミツキが握って立ち上がる。顔色は悪いものの、何とか吐き気は治まったという様子であった。

 周囲には何もなかった。

 それもそのはずだ。

 

 文化劇場は崩落事故が起きて以来、危険さゆえに立ち入り禁止になっている。

 それにともなって駐車場も封鎖されていて、自動車を停車することはできない。

 夜のこんな時間帯に利用者がいるはずもなかった。

 

 明らかに人工的な四角い空間に、無人の車両ひとつないという空白──それは強烈な違和感を、見るものにもたらす景色だ。

 設置された街灯がぼうっと照らし出す空間にだけ、白っぽい光が落とし込まれていた。

 

 明かりがあるから闇とのコントラストも強い。

 遠くの道路から自動車の走行音が、わずかに聞こえてくる以外──音らしきものがない奇妙な静寂があった。

 

 

「静か、ですね……」

 

 

 ミツキが心細げに呟いた。

 その瞬間だった。

 ジジジジ、と異音。駐車場を照らす照明が、明滅し始めた。

 

 異様だった。

 狂ったように光が消えては現れ、それにともなって強烈な異臭さえ漂い始めていた。

 それはスーパーマーケットの鮮魚コーナーの生臭さとか、夏場に処理し忘れた生ゴミの悪臭とか、そういうものに似ていたけれど。

 もっと不吉で耐えがたい不快感に満ちていた。

 たぶんこれは──

 

 

 

 ──()()()

 

 

 

 視線を足下に落とす。

 強烈な違和感の源を見ないようにした。

 ベルカがそっと声を出して、二人の手を取った。

 

 

「わたしと手を繋いで──目をつぶって歩こう。わたしが手を離すまで、何が聞こえても目を開いちゃダメ」

 

 

「返事もするな、か?」

 

 

「さっきの応用編だよ。できるよね?」

 

 

 有無を言わせぬ言葉だった。

 リョウマはこくりと頷いて、ベルカの右手を握った。続いて恐る恐るという感じでミツキが左手を握る。

 そして目を閉じた。

 

 ベルカ・テンレンが二人の手を引っ張って、それに引きずられるようにして歩く。

 まぶたを閉じているから周囲の様子はわからない。

 ただ尋常ではない違和感があった。

 

 

 

 ──ハァハァ、ハァハァ

 

 

 

 荒い息づかいが聞こえる。

 リョウマは最初、それが自分の呼吸器から漏れているのだと思った。

 

 しかしすぐに気づいた。

 これは自分のものではない。かといってミツキやベルカの声音と比べて、その音は低すぎた。

 奇妙にしわがれたような呼吸音が、耳元で聞こえている。

 

 

 

 ──ふぅふぅ、ふぅふぅ

 

 

 

 異臭がした。

 あの耐えがたい生臭さが、顔面に吐きかけられているような感覚があった。

 なんだこれ、何が起きてるんだ。

 

 リョウマは忘れ知らず、勝手に震えだしそうな手を抑え込むのに必死だった。冷や汗が背中を伝い落ちる。

 ぎゅっと彼の手を握り返してくれる、ベルカの柔らかな掌だけが救いのようだった。

 

 

 

 ──聞こえてるよね? ねえ、無視しないでよ、ねぇねぇ

 

 

 

 低い声だった。

 男の声のようにも、喉の潰れた女の声のようにも聞こえるがらがらした声音だ。

 吐きかけられる異臭は強まる一方だった。

 

 生ぬるい吐息。

 耳元にささやきかけるような声は、唐突に声音を変えた。

 幼い少女の声がした。

 

 

 

 

 

 ──お兄ちゃん、来てくれたんだ

 

 

 

 

 

 妹の声だった。

 ぶっ殺してやる、と怒りがわき上がった。彼が思わずまぶたを開きそうになったとき、一際強く、指に圧力が加えられた。

 

 掌が握り潰されるのではないか、というぐらいに──強く握りしめられている。

 ちょっと悲鳴が漏れた。

 ベルカ・テンレンの握力はひょっとして、類人猿といい勝負なのではないだろうか。

 瞬間、ぱたりと声がやんだ。

 

 顔面に吐きかけられる生ぬるい異臭も途絶えた。

 三人の足音だけが、夜闇に反響しているようだった。

 歩いて、歩いて、歩いて。

 

 

 

 

「もういいよ、目を開いて。お疲れ様、()()()()()

 

 

 

 

 ベルカの声が聞こえた。

 違和感にはすぐ気づけた。リョウマはその瞬間、ほぼ反射的に声を出していた。

 

 

「罠だ、ホシノさん──目を開けるな!

 

 

「えっ、あっ……」

 

 

 刹那、手が千切れそうなぐらいの勢いで身体が引っ張られた。

 ベルカだった。

 リョウマとミツキの身体を、細腕でぐいっと引っ張り込んで──次の瞬間、異音とともに何かが破砕される音が響き渡った。

 

 おそらくドアかシャッターをぶち破ったはずである。

 猛烈な勢いで引き込まれた身体が、ほこりっぽい床に打ち付けられる。

 衝撃があった。

 

 びたーんと音。

 正直、今のはこたえた。

 身体が痛い。

 

 

「痛ぇ……」

 

 

「こ、腰が抜けました……」

 

 

 手が離された。

 ようやくリョウマが目を開けると、そこには──目に見えて疲れた様子のベルカ・テンレンがいた。

 

 金髪碧眼にポニーテール、白いブラウスとハイウェストの黒いキュロットパンツ。足下のスニーカーに至るまで、軽快でありながらオシャレという上品な着こなしの美少女である。

 ベルカの顔色だけが、駐車場に到着したときよりも悪かった。

 

 

「ありがとうリョウマ、ナイスアシストだったよ。わたしも正直、二人を庇いながらだと面倒な状況だった」

 

 

「あ、あぁ……その、何がいたんだ?」

 

 

「外は見ない方がいいよ」

 

 

 たった今、ベルカが蹴破ったシャッターの方に目を向けると、ぴしゃりと制止された。

 慌てて視線を逸らす。

 

 

「そうだね、なんていうか……生肉っぽいゲルニカっていうか……まあ、不愉快なものが見られたと思うよ。目を閉じてて正解だったね」

 

 

「その説明だけで嫌になってきたな……」

 

 

 ゲルニカというと、世界大戦の折、有名な画家が都市に降り注ぐ空襲の様子を描いた絵画のはずである。

 抽象的でありながらおどろおどろしい、美術の教科書でも一際、存在感を放つ絵だったと思う。

 それの生肉っぽいバージョンとは、あまり想像したくない光景だ。

 

 

「あのっ……ドア壊しちゃいましたけど……大丈夫なんですか、警備会社とかそういうの……」

 

 

「んー、大丈夫だよ。わたしの異能(ちから)は器用だからね。結構、何でもできるんだよ」

 

 

「便利ですね……!」

 

 

 一方、ミツキはとても現実的な心配をしていた。

 オカルト全開の怪奇事件に巻き込まれて、生きるか死ぬかの瀬戸際であろうと軽犯罪が気になってしまう──ホシノ・ミツキは変なところで俗っぽいし現代っ子だった。

 

 それにしても暗かった。

 イヌイ・リョウマの視力は人並みである。夜目がずば抜けて効くわけではないので、電源が落とされた夜の劇場ロビーは、暗すぎて何があるかわからなかった。

 たった今、ダイナミックな不法侵入をしておいて、図太いかもしれないが。

 

 

「暗いな……」

 

 

「はい、ペンライト」

 

 

「用意がいいな……!」

 

 

 ベルカ・テンレンは相変わらずだった。

 手渡されたライトをつける。

 ああ、と喉から声があふれた。

 

 

 

 

 

 

 ──それは一年前に見た景色の名残。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──荒れ果てて、何もかもが変わってしまった文化劇場の廃墟だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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