彼女が生を受けたのは、北アメリカ大陸の西部、ネバダ砂漠の一角に用意された実験施設だった。
この地上に堕ちた天使の残骸、人間を切り刻んで得られた成果物、戦争に勝利するための栄誉ある科学の進歩、偉大なる救世連邦という祖国。
果たしてどこからどこまでが、願いによって書き換えられる前の世界でありえたことだったのか──それはもう、全能者ならざる少女にはわからないことだった。
ただ少女は知っていた。
自分の持つ異能がすでに全能者とは呼べないほど、ちっぽけな
この世で起きる事象の再定義と、物理現象としての出力。
それが少女の異能だった。
それは最初、非人道的な研究の果ての偉大な成果と賞賛され──やがて政治的風向きが変わったことにより、この世から消したいほどおぞましい呪いと断定された。
──その日、ネバダ砂漠の地下実験施設に投下されたのは、超大型の
上空数千メートルの高さから投下されたそれは、合金で覆われた外殻に膨大な運動エネルギーを帯びて──大地に大穴を開けながら地下深くに到達。
そして次の瞬間、大地の下に太陽の火が生まれた。
低出力型純粋水爆──原子爆弾を起爆剤とせず、ただ純粋なる核融合反応だけを兵器とする科学だった。
一瞬で生まれる数億度の火球。その膨大な熱量は瞬時に土砂を融解させ、発生したエネルギーは衝撃波となって周囲を粉砕した。
まず大地の奥深くで、鈍い地鳴り。
続いて砂漠の地表が、波打つように隆起した。
恐ろしい速さで地中を
地中で生じた熱と衝撃波によって、空洞化した地面がクレーターに変わったのだ。
表面上、地上から見えた景色はそれだけだった。
──地下実験施設を襲った惨劇は、職員と実験体、双方を生かして帰さなかった。
岩盤でくり抜いて作った強固な地下施設は、一瞬で押し潰されて圧壊した。
襲い来る電磁パルスによって照明や空調は焼き切られ、暗闇とともに押し潰されていく施設の破砕音がやってきた。
衝撃波と熱波によって、生き残れたものは存在せず──やがてそれも、強烈な放射線によって汚染され尽くした。
絵に描いたような皆殺しだった。
やがて陥没したクレーターから、もうもうと土煙を上げて熱された空気が立ち上る──生存者ゼロの報告をするために、防護服を着た兵士たちが派遣されたのは当然の成り行きだった。
そして。
──彼らは奇跡と出会った。
本来、如何に純粋水爆を謳おうと放射性物質は発生する。
核融合反応のときの莫大なエネルギーが、周囲の物質を放射化させ、放射性物質に変えてしまうからだ。
輸送ヘリから降り立った兵士たちの一団は、驚くべき数値を目にした。
放射線の値を測定する装置──ガイガーカウンターはゼロを指し示している。
ありえなかった。
ここが核兵器の爆心地でなかったとしても、自然界に存在する放射線は微量ながら観測されるからだ。
ガイガーカウンターの故障を疑い、困惑する防護服の兵士たち──彼らはふと、もうもうと上がる蒸気の噴出口、クレーターのど真ん中に人影を見つけた。
誰もが思わず神に祈った。
──低出力型純粋水爆の爆心地で、放射化したすべての物質を線量ゼロに改変した奇跡の申し子。
それが後に、ベルカ・テンレンと呼ばれる少女の始まり──これが幸せな人生のスタートラインだとしたら、笑ってしまうほどにすべてが異常だろう。
幸せになりたいと願った誰かの分身として、この世に生み出されたはずなのに、眼前の世界は残酷で理不尽だった。
わけがわからないのに、誰にもその理由を説明できないのだ。
──空間をねじ曲げ、時間を幾重にも折り曲げて、飴細工のように溶かして成形する。
世界はそうして再誕した。
砕けた夢の欠片から、少女の生は始まった。
自分がそうあるべくして生まれたことを、彼女は意識が発生した刹那から知覚していたが、それは同時に究極的な喪失を意味していた。
そう、何かが失われたのである。
かつて存在したもの、究極の全能者、アカシャゼロと呼ばれる現実改変の主たち──彼らはいずれの場合もこの世界から消え去った。
これは何も世界の摂理のようなものが、代償を払わせてそうなっているのではない。
それは
むしろ逆だ。
氷が水になるように、水が蒸気になるように──時間と空間に作用する異能は、強まれば強まるほど相転移を促していく。
否応なく、高まったエネルギーに従って、強くなりすぎた全能者は昇天する。
人間がその知性と感覚器で認識できる生命の領域は、驚くほど限られた幅の狭い領域に限られているのだ。
そうして人間世界から蒸発した超越者は、神話に名を残すだけのものになる。
そう、だから──本来その少女もまた、この世から消え去るべきだった。
そうならなかったのは、つまるところ全能者が驚くほど強大で傲慢で欲深だったからだ。
そいつはたぶん、こう祈った。
──どうか、わたしを愛してくれる誰かを。
願いは叶えられた。
通常の因果律に従って生きている人間から見れば、ほとんど神と呼んでいい領域の存在が願ったことだ。
恐ろしいほどの空間的スケール、時間的スケールで歴史が改変された。人類の歴史は数千年、あるいは数万年という広大な範囲にわたって加筆、修正されていった。
人類史にぞっとするほど深い爪痕を残し、結果に収斂するためだけに膨大な量の事象が書き換えられ、気が遠くなるような歳月をかけて森羅万象が整理される。
その最果てに──全能者はこの世から消失した。
液体としての水が蒸発するように、自らが行使した世界改変のエネルギーによって昇天し、この地上から観測できない領域に至ったのである。
矛盾だけが残された。
自分自身が愛されるために救いを願った少女──空白を埋めるために、ぽん、と代理人が配置された。
それがベルカ・テンレンだった。
──この世界は狂っている。
少女は人型特異であるとカテゴライズされ、その利用価値を認められたがゆえに生存を許された。
トントン拍子で大金持ちの養子になることが決まった。
物好きな大金持ちは、まるでオークションでお気に入りのコレクターズアイテムを手に入れたような口ぶりで、彼女にこう言った。
「自由にしなさい、御使いの子よ。きっとこの世界は、君にとって最高の遊び場になるだろう。私はね、だから君を庇護下におくことにしたんだ」
笑えるほどに世俗の秩序に興味がない大金持ち──その倫理なき賞賛を浴びながら、ベルカは大きな疑問とともに生きてきた。
自分は強大な何者か、全能者の願いによってこの世に生まれ落ちたのに──ちっとも自分は幸福を感じていない。
あるいは歪んだ願いを祈った誰かさんは、しくじったのではないかと思う。
そうでなければ──こんなにも醜悪で残酷な世界ばかりが、目に入ってくるわけがないはずだ。
そう信じていた。
養子になったあと、もろもろの事情で極東の地へと連れてこられた少女は──何もかもに嫌気が差して、大人たちの監視を逃れることにした。
そう、難しいことではなかった。
ベルカはどれほど零落した身であろうと、全能者の欠片としての力を使える。黒服の男たち、監視カメラ、ドローン。そんなものが役に立つはずもなかった。
見慣れぬ街を、一人、さまよい歩いて──
「もしかして、迷子か? 一緒にいた大人、探そうか?」
──
異国の空の下、きっと育った土地も文化も階層も異なる誰か。
その幼い少年が示したのは、見知らぬ金髪の少女に話しかけて、精一杯の親切心を示すだけの平凡な善だった。
ああ、愚かしい一目惚れだ。
特別だから好きになるわけではなかった。
華やぐような美しいものが、無数の闇を蹴散らすわけでもなかった。
ただそこに善があると示すだけの誰か。
──きっとわたしは、キミに出会うために生まれてきたんだ。
それがどれほど呪わしいかを知りながら、それでもなお、こいねがうように──ベルカ・テンレンの恋は始まった。
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