37:夢の中で会いましょう。
美しい少女だった。
年頃はおそらく十代後半だろう。
ゆったりとウェーブした銀の長髪、艶やかで張りのいい褐色の肌、どこか幼さを残した甘い顔立ち、ぽうっと暗闇に
形のいい耳にはばっちりとイヤリングがはめ込まれている──若者のファッションというよりは、貴婦人が着飾るためのそれという雰囲気。
純白の法衣に包まれた肢体は肉感的で、その尻の丸さが布地の上からわかるほどはっきりとしている。
神聖さを匂わせているはずの法衣は、どういうわけかスカートに当たる部分に切れ込みが入っていて、むっちりと肉付いた太ももがあらわになっていた。
一言で言おう。
たぶん異世界ファンタジー風の美少女が、石造りの床と壁が続く空間──何かしらの神殿を思わせる場所に立って、何事かを呟いていた。
それは祈り。
「──告げる。遠く、遠く、天の星々よ。我らニルスタリヤの民は、ここに誓う。星を喰らう大魔、
色の薄い唇が語り出すのは、奇妙な響きの言葉だった。リョウマが聞き慣れている言語──故郷である弧状列島の固有言語とか、国際語として様々な大陸で用いられている外国語とは根本的に発音が異なる響きだった。
しかし別に言語学を修めているわけではないので、具体的な文法がどういうものかはわからない。
そう、わからないはずなのだ。
にもかかわらずリョウマには、少女の語る言葉の意味がわかった。
どうやら自分は夢を見ているらしい、と気づいた。その場に肉体がある気配はないのに、目と鼻の先でまじまじと異国の少女を眺められているのだ。
なるほど、きっと夢に違いない。
「──愛しい人よ。あなたのことを夢に見ない日はありません。どうか、もうしばらくの辛抱です」
それまで目を伏せて呪文のように祈っていた少女──その鬼火色の瞳が、ついっとこちらの方を向いた。
息を呑むほどに美しい瞳だった。
宝石をはめ込んだようなエメラルドグリーン──煌々と輝く意思の色、一途に願う少女の思いを表すかのようにうるんだ瞳。
そう、恋愛経験が皆無の少年にだってわかることはあった。
これはたぶん、きっとそう。
──恋する乙女の目だった。
ぽうっと不思議な粒子の光、淡い
ミルクチョコレートみたいな色の肌をほんのりと色づかせて、湿った息を吐き出す乙女──それだけで色っぽい神官風の乙女は、やがて一言、こう告げた。
「わたくしが、あなたを探し出します。たとえそれがこの世の終わりになろうとも、必ずや──」
どこか不吉さと
おそらくは恋する乙女が、じっとリョウマのことを見据えていた。
いつまでも、いつまでも。
◆
「そういえば俺、なんで首を刎ねられたんだろうな」
すっかりあたりも静まりかえった、金曜日の夜のことである。
イヌイ・リョウマはいつの間にか自宅に上がり込んできた幼馴染みに対して、ずばり、遠慮なく無神経な問いかけを発していた。
ここはイヌイ家のリビング、ローテーブルに合わせてテレビモニターも本棚もあつらえられている生活空間である。
家具のデザインこそ洋風だが、その実、限りなく靴を脱いで床に座って生活する民族の文化に合わせた居住空間──如何にも地方の一軒家ですという感じがした。
リョウマの隣に座って、だらだらしながら、これまた集中力が欠片も要らないB級アクション映画を見ていた少女は、びっくりして彼の顔を見た。
「えっ、リョウマ……今さらそれを聞く? よりによって、わたしに?」
「お前以外に聞ける人間いないだろ? それにな、やっぱ死んだ経験ってまあまあ重いっていうか」
「根に持つな、流せ。すべては過去だよ!」
「それはまあまあ人間のクズの台詞だぞ、ベルカ!」
たしかあれは革命がテーマのアニメ映画だったと思うが、主人公はその台詞を親友に言い放って裏切られていたように思う。
ベルカ・テンレンはやれやれと肩をすくめると、ちょっと気まずそうな顔をして目を泳がせた。
そして意を決したように喋り始めた。
「うーんとね、これはたぶん推測なんだけど──きみが巻き込まれてた時間のループの経過時間から推測はできるかな。きみがわたしに殺されてたループって、日付がたしか、他より五日間ぐらい遅かったでしょ?」
「おう」
「そこが問題なんだよ。あの事件で暗躍してた黒幕は、時間経過とともにその力を増していたと考えられる。どのみち、きみとホシノさんが出会った日曜日の段階で、暴発すると大災害が起きるレベルの脅威にはなってたようだけど」
「……初耳だぜ?」
「言ってなかったからね」
「おい」
リョウマが
万能すぎる幼馴染みに全幅の信頼をおいている身としては、そういう秘密主義みたいな姿勢は勘弁してもらいたいのだけれど。
「リョウマ、わたしはもう神様じゃないんだ。わたしって探知さえできれば大抵、物理で何とかできるけど──本気で潜伏しようとしてる力ある異形は、土壇場まで気づけないこともある。たぶんお花見のときは、文化劇場の外まであふれ出した化け物の影響圏に、きみたちが取り込まれたんだろうね。なので五秒ぐらいで殺すことにしたっぽい」
「……ノリが軽いよな!? でもそうか、俺、わけがわからないタイミングで死んでるもんな……あれって手遅れになった段階で、お前が気づいたパターンなのか?」
「端的に言うと……そのループのわたし、無能だね!」
「開き直るなよ!?」
「神ならざる我が身を省みて自省するのは、異能者にとって大事なことだよリョウマ。油断してるとサクッと死ぬのが、この業界のルールだからね」
ベルカはちょっと気まずそうな顔でうなずいた。
そして気を取り直したように、謝意を表明するような感じで、顔の前で手を合わせてきた。
ごめんね、と可愛らしく謝る女の子って感じ──ベルカ・テンレンは金髪碧眼の美少女なので、そういう仕草をすると全部が男心に効いた。
困った、こいつ可愛すぎる。
──二回ぐらいぶっ殺されてるのに、どうでもよくなってきた俺がチョロすぎる!
自分でも命の価値に関して、感覚が麻痺している自覚はあった。
そんなイヌイ・リョウマの複雑な心境を知ってか知らずか、ベルカは形のいい顔にこれまた魅力的な微笑みを浮かべた。
天使みたいな笑顔だ。
「わたしはきみを殺す。時と場合によっては容赦なく殺す。だって死んだ方がマシな
「怖すぎるんだよ、その匂わせ! 死んだら人間おしまいだろ!?」
「うん、でもね? 永遠に苦痛と絶望だけを感じながら存在し続ける肉塊って嫌だよね……」
「やめろよ、そういう方向のホラーは救いがないから苦手なんだよ俺!」
「リョウマもちょっとはわたしのいる業界がわかってきたみたいだね。幼馴染みとして誇らしいよ」
「知りたくなかったな、できれば知りたくなかったなこの情報!」
イヌイ・リョウマはつい先日まで一般人だった。
四月にかけて訪れた強烈すぎる出会いの連続──恐るべき超能力者ホシノ・ミツキからの告白、洗脳未遂、読心によるプライバシーの侵害、そして意味不明の世界滅亡。
そして交流のため企画したお花見では、幼馴染みの襲撃によって頭と胴を切り離されて即死。
それを乗り越えた先で襲ってくる戦闘ヘリコプター。
「……クソッ、俺の日常がズタズタすぎる! もうちょっと何とかならなかったのか!?」
そのとき携帯電話が喋った。
開きっぱなしのチャットアプリ、その音声通話機能──ホシノ・ミツキからだった。自宅がリョウマの家から遠いので、サブスクの見放題で映画を同時視聴していたのである。
『リョウマさん、逆に考えてみてください。あたしとの新しい価値観を築くチャンスですね! 今って
「ホシノさんは俺に対して遠慮がなさ過ぎないか?」
『あたしは……リョウマさんと一心同体になりたいです。身も心も一つに!』
「ちょっとセクハラになってるだろ、この言い回し!」
ちょっと空気が冷えた。
リョウマのたくましすぎる想像力の飛躍、要するにスケベ心の覗いた一言に対してすっとイエローカードが差し出される。
ベルカはじっとりと据わった半眼だ。
青い瞳のジト目。
「リョウマ、今のはちょっと気持ち悪い。それはきみの欲望が見せた……幻覚だよ」
「そ、そこまで……言われなきゃいけないか?」
『リョウマさんの……えっち……!』
「追い打ち容赦ねぇな!」
リョウマは泣きそうになった。ちなみにツキシマ・センリは残業になるとチャットアプリで連絡してきた。
そういうわけで夕飯は、ベルカが持ち込んできたいい匂いのする料理だった。
超がつく大金持ちの養女であるベルカは、自宅に専属のシェフがいる類のお嬢様だ。
ゆえにそこらのスーパーの惣菜とは、明らかに材料費も調理工程もグレードが違いすぎる料理を手土産に持ってきたりする。
今日のメニューは気軽に食べられるサンドイッチと、保温水筒に入った熱々のコーヒーだった。
具材が贅沢だった。
揚げたてのとんかつを使ったカツサンド、ハムとレタスとトマト、アボガドタルタルソースとむきえび、生クリームたっぷりのフルーツサンド。
悔しいぐらいに美味かった。
『ううっ、美味しそうです……リョウマさん、もっと味わって食べてくださいね』
「なあ、ひょっとして俺の味覚までジャックされてるのか?」
『好きな人とは同じ感覚を味わいたいですから……!』
「これが何らかの法に触れないの、たぶん現在の司法制度の落とし穴だと思うぜ!?」
ミツキは絶好調だった。ストーカーとしての格が高すぎる。
この少女、春先に起きた事件が解決して以来、びっくりするぐらいに元気である。
ちなみに部活はリョウマ共々、文芸部に決まった。さりげなく意中の男との距離を詰めにかかっていて、幼馴染みであるベルカが警戒感を抱くほどに見事なフットワークの軽さだった。
二人のチャットアプリ越しの漫才みたいなやりとりを、ベルカは生ぬるい温度の視線で眺めていた。
「無知は罪だよ、リョウマ。安心して生きられるかもしれないけど、いざ危機が迫ったら、狼が飛び込んできた羊みたいに殺されるってこと。きみはどうせなら、狼を突き殺す山羊になるべきだ」
「そこは頼れる番犬のベルカさんが何とかしてくれるんじゃないのか?」
「そうしてあげたいのは山々なんだけどさ。ほら、わたしも仕事で出張するときがあるわけで──きみの機転とか勇気とかが試されると思うんだ」
「死にたくねぇ……死にたくないなあ!」
「最初から死ぬの前提に喋るの、やめたほうがいいよリョウマ」
ベルカ・テンレンは人間ができているので、リョウマの不謹慎な軽口にもそっと釘を刺す。
ついさっき、わりとアレな過去のループでの殺人について言及した人間とは思えない切り替えである。
それはそれ、これはこれ──徹底されると一種の真理に思えてくるから不思議だった。
たぶん錯覚だ。
「そういえばベルカ、何か異常を感じたらすぐ報告するのが日常生活を送る条件って言ってたよな」
「うん、何かあった?」
リョウマはカレンダーを見やる。あのドタバタとして、ありとあらゆる非日常が襲ってきた四月はあっというまに過ぎ去っていった。ゴールデンウィークはめまぐるしく楽しかったし、中間考査という高校一年生の最初の試練も何とか乗り切った。
そう、今は平和な季節のはずだった。テスト勉強に追われる日々はひとまず終わって、初夏が近づいてきた気温に汗ばみ、ゆるりと日常を過ごす権利が与えられている。
ベルカがリョウマの自宅に立ち寄ってくるのも、名目としては保護対象の定期観察なのだ。
そう、リョウマはできるだけ幼馴染みに誠実でいたい。
なので正直に言った。
「最近、変わった夢を見るんだ」
「夢か……うん、ある種の異能者は、夢を予兆として何らかの異変を察知するらしい。もしかしたら、きみがそうなのかもしれない」
『えっ、あの、リョウマさん、この夢って……』
ミツキはいち早くリョウマの頭の中を覗いているらしく、少年が口にしていない夢の内容を察していた。
ごにょごにょと消え入るような声になった少女──顔を真っ赤にしてうつむいている、黒髪の美少女の姿が目に浮かぶようだった。
『て、照れてませんからっ!』
「んんっ? リョウマの夢の話だよね、なんでホシノさんが照れてるの?」
ベルカが首をひねった。
幼馴染みに対して、リョウマは真剣な表情で──すべてを告げた。
「最近、夢の中で女の子を見るんだ。銀髪で褐色の肌をしていて、なんか神官っぽい白い服を着てて……すげえ異世界っぽい感じの場所でお祈りしてる。そしてめちゃくちゃ可愛い」
ベルカ・テンレンは五秒間ほど黙り込んだあと、天を仰いでうめいた。
心からの嘆きだった。
「うぐぉおおおおお……わ、わたしの幼馴染みが! 知らない女の子に浮気してる……!」
恋愛クソ雑魚生物はローテーブルに突っ伏した。
2章開幕です。
褐色デカ尻美少女神官はお好きですか?(あいさつ)
新たなる厄ネタヒロイン、新たなる脅威、ジャンルが変わったホラーを交えてラブコメします。
たぶん元ネタはわかる人にはわかるかも。
ベルカさんは恋愛クソ雑魚生物とじめじめした巨大感情、殺伐とした価値観がわりとシビアに切り替わる変な生き物です。
バトルものではともかくラブコメに向いてねぇビルド…!