「つまらないものですが……皆さんで召し上がってください」
「ご丁寧にどうも」
優雅な所作で立ち上がった銀髪の麗人──アシュモ・カーダドートが、するっとセンリに手土産を渡していた。
紙袋に入った洋菓子の詰め合わせだった。
地元の菓子メーカーが出しているもので、バターの効いたクルミ入りのパイが美味しい。
駅前で買える菓子折だった。
おかしい。
間違いなくこの家に押し入ってきた時点では、あんな手荷物なかったはずである。
虚空から取り出した銀色の剣もそうだが、どうやらアシュモは手荷物を何もない空間に出し入れできるらしい。
──ファンタジーもののゲームでよくあるやつだ。
リョウマはちょっとだけ感動した。
どうやら彼が一五年の人生で親しんできた異世界ファンタジーっぽいあれこれは実在したのである。
あとはそう、それらが自分の生活圏内に紛れ込んできている現実だけが受け入れがたいのだけれど──今さらだろうか。
冷静になって考えてみると、意識があるときはずっと思考や記憶を盗み見られている現状だって十分にどうかしていた。
──あれ? ひょっとしてホシノさんの方が俺の被害大きいのか?
気づいてはいけない真実の気配がした。
その瞬間、携帯端末から聞き慣れた少女の声。卓上スタンドに立てかけてあるリョウマの携帯端末は、ミツキのそれとチャットアプリで通話中だった。
『リョウマさん、騙されちゃダメですよ。ホシノ・ミツキはリョウマさんにとってのインフラを目指してますから……!』
「暗に俺の生殺与奪を握ろうとしてるって言ってない?」
『大丈夫ですよ、リョウマさん』
「何が大丈夫なのか全然わからないのすごいよな」
ホシノ・ミツキはリョウマにベタ惚れである。間違いなく自分に対して熱烈に好意的だし、ミツキ自身も悪い子ではないのだが、ただひとつ彼のプライバシーだけはまったく尊重されない。
恐ろしいほどにガン無視で
ありとあらゆる角度から
リョウマはあらためて、冷静に事実だけを参照すると終わってる自分の尊厳に思いを馳せた。
「なんてこった、これが弱味……俺は可愛い子に甘いってことなんだな」
「リョウマ、時々思うんだけど、キミって実はマゾなんじゃない?」
「やめろよベルカ、お客さんの前だぞ」
幼馴染みの軽口をたしなめた。
だが、いろんな意味でその指摘は遅きに失していた。
視線を感じて顔を上げると、菓子折のやりとりをしていた二人──従姉妹のセンリと異世界人アシュモが、同時にこちらを凝視していた。
冷や汗が首筋を伝い落ちた。
とてもよくない予感がしていた。
「待ってくれ、誤解があるんだ」
「退廃的な趣味はいけませんよ、リョウマ様。そういった趣味嗜好は過激化し、徐々に私生活を蝕むものですからね」
「思ったより真面目に心配されてる……!?」
褐色の肌に銀髪が絵になる美少女、アシュモは
自分がツッコミ側だと思っていた少年は、どうやら年上らしい少女から、常識的な立場でもの申される立場だった。
理不尽すぎる。
そんな彼の気持ちが表情に出たのだろう。
スーツ姿の働く社会人、ツキシマ・センリもまた、なんとも言いがたい表情でこちらを見ていた。
そして優しい声音で諭された。
「リョウくん……困ったことがあったらすぐ相談してね? センリ姉ちゃんはリョウくんの味方だから」
「センリ姉ちゃん、その優しさ、どっちかっていうと俺にトドメ刺してる!?」
「じゃあ介錯しようか?」
「たまに理不尽だよな、俺の従姉妹!」
武士の作法で自害しろと勧められていた。
なんてこった、これがサムライの国──ちなみに先祖の家系図を辿ると、一応、リョウマとセンリのご先祖は武士らしい。
なるほど、サムライの作法で切腹するのも間違っていない。
リョウマが混乱した思考でそんなことを考えていると、その馬鹿馬鹿しいやりとりを見ていたベルカが助け船を出してきた。
破壊された脳みそが復元されてきたらしい。
「センリさん、この人はアシュモ・カーダドートさん。リョウマに縁があるそうです。わたしがお邪魔してるときに訪ねてこられたので、お茶をお出ししてお話を聞いていました」
「申し遅れました、アシュモ・カーダドートです。センリ様、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ありがとうねベルカちゃん。リョウくんも隅に置けないよね、こうやってどこかで人助けしてるんだからさ」
センリはベルカの説明を聞いて、特に疑う様子もなくうなずいていた。
この二人は個人的に仲がいいし意思疎通もよく取れているから、幼馴染みの口から出た説明だってすんなり信じてくれるのだ。
素早く視線を走らせると、ベルカとアシュモは目で会話していた。
話を合わせろ、という感じ。
「はい、ベルカさんには大変、
「いえ、こちらこそ。
ついさっき、火花を散らして殺意をぶつけ合っていたとは思えないほど、二人のやりとりは穏やかな空気で進んでいた。
少なくともセンリにはそう聞こえているはずだ。
しかしことの経緯を知っているリョウマは、少女二人の言葉に含まれている剣呑な気配に気づいてしまう。
めちゃくちゃ恐ろしい。
ニコニコと笑顔でやりとりしている金髪碧眼に白い肌、銀髪碧眼に褐色の肌──その色彩すら対照的な二人の少女は、いずれも美しく棘のある花だった。
肝を冷やしているリョウマに、電話の向こうからミツキが話しかけてきた。
『間を取ってあたしを選ぶとバランスがちょうどいいですよ!』
「バランス崩壊させるのは間を取るって言わないと思うぜ?」
「……うっ……!」
「ベルカ、なんでお前もちょっとダメージ受けてるんだよ!?」
「いや、さっき粉々になったからガードが下がっててさ……」
「たぶんそれ修復できてないよな」
ベルカ・テンレンの脳みそは恋の駆け引きを見るとボロボロになるらしい。世間で人気の
ちょっと気の毒な体質である。
イヌイ・リョウマはクソボケ野郎なので、ベルカ本人が知ったら罵声を浴びせるような思考だって平気でする。
そして彼の思考はミツキに筒抜けなので、いずれバレる運命だった。
「ふふっ……」
そんな三人のやりとりを見て、くすり、とアシュモが微笑んだ。
不思議なほど毒気のない、裏表がないと感じさせるような無垢さ──おそらく計算尽くで自分の胸を触らせた女性とは思えないほど、その表情は童女めいていた。
アシュモは懐からメモ帳を取り出すと、ペンでさらさらと文字を書き連ねて、そっとテーブルの上に置いてみせた。
「わたくしの連絡先です。しばらくこちらのホテルに滞在しておりますので、何かご用があるときはどうぞ」
「旅行ですか?」
「ええ、こちらに親しい友人がいるのです」
「素敵ですね、楽しんでいってください」
ツキシマ・センリは何も知らないから、びっくりするぐらい社交的で当たり障りのない会話に収まっていた。まさかついさっき、従兄弟の手を自分の乳房に導くという強引なセクハラをしていた人物が、目の前の品のいい麗人だとは思っていないからだ。
真実は意味不明だし、異世界云々の事情にまで踏み込むと、間違いなく説明している側が悪ふざけをしていると受け取られるはずだった。
それがわかっているから、ベルカも言及していないのだ。
鈍いリョウマにもようやくわかってきた。ここはイヌイ家の団らんのための部屋だが、センリの存在によって、ベルカとアシュモ間では今──社会的体面を保ったまま相手を
──迫力あるな。
自分でもびっくりするぐらい他人事っぽい感想が出てきた。
わかっている。これはただの現実逃避で、実際のところどう足掻いても彼は事件の中心人物だった。
たぶんベルカとミツキとアシュモ、誰と喧嘩をしたって勝ち目がない最弱の駒なのに──少女たちの好意を浴びているという一点で、彼には大きな権利が与えられているのだ。
緊張感があった。
センリは大人だから、
「リョウくん、事情はよくわからないけど言っておくね? 筋は通さないとお腹に穴が空くと思う」
「怖いよな、俺に対する例え話がさ!」
「リョウくんのそういう割り切りの良さ、お姉ちゃんは美徳だと思うけど、たまーに心配になります。心配させないでね?」
ツキシマ・センリは背が高い。学生時代は運動部だったから身体も鍛えられていて、何よりスタイルが抜群にいい。スーツ姿でもシャツの胸元を押し上げている膨らみがわかるぐらいだ。
顔立ちは凜々しい美人だし、こうして距離感が近いことを言われると──ドキドキした。
センリは悪戯っぽく微笑んだ。
目が笑っていない。
「節操ない男の子が怒られないと思ったら大間違いだからね?」
「悪ィ、今日一番落ち込む……!」
ちょっと泣きたくなった。
◆
意外なほどあっさりとアシュモ・カーダドートは立ち去っていった。
要因はいろいろあるのだろう。
姫騎士の称号を贈られたベルカの存在、家人であるツキシマ・センリの帰宅──度重なる障害があったからこそ、向こうは引き下がる気になったというのがベルカの見解だった。
アシュモがホテルに帰っていったあと──なんと普通にタクシーを呼んで乗り込んだ──のことである。
ひとまず家の中を見て回ったベルカは、リョウマを二階の彼の部屋に引っ張り込んでこう言った。
「リョウマ、キミの生命とか貞操とかが危ういところだったの、自覚してよね」
「マジか?」
「マジだよ。家の鍵を自動で解錠できる異能者が、剣と魔法のファンタジーでございって顔して乗り込んで来たら、キミって抵抗できないでしょ? どこかに拉致されたら一発でアウトだよ」
「……怖いこと言うなよ!?」
「本当のことだ、受け入れろリョウマ。第一、どうやってキミの住所を割り出したのかわからないんだけど」
ベルカ・テンレンはこういう冗談を言うタイプではなかった。何度も何度も言葉を重ねられて、ようやく実感が湧いてきた。
イヌイ・リョウマはどうやら、身に覚えのない壮大な冒険の記憶を根拠にして──今日が初対面のはずの少女に、襲われそうになっていた。鍵をかけて家に引きこもろうと無意味で、相手は瞬間移動の使い手で、しかも腕力もものすごく強い。
詰んでいる。
鈍すぎるリョウマにも信じられることはあった。
確信を持ってうなずいた。
「ああ、絶対アシュモさんは……肉食系だよな……!」
『すごいですリョウマさん、食べられるお肉の側なのに緊張感がなさすぎです!』
ホシノ・ミツキのツッコミは冴え渡っていた。
少年は反論した。
「仮に俺が食べやすく切られたステーキ肉でも人権はあるだろ?」
「食べやすい肉の自覚あるなら、もうちょっと真剣になろうよ!? わたしの幼馴染み、なんでこんなクソボケ野郎に育っちゃったかなあ……」
嘆いたあと、金髪碧眼の少女はじっとリョウマの顔を見た。ものすごく真面目な表情だったので、不意討ちされた気分になって、リョウマはドキッとした。
ベルカ・テンレンは美少女である。ちょっとたれ目の目元が愛嬌になっているが、全体的に西洋人形みたいに整った造形をしている。
そして初夏を意識したワンピースの胸元には、豊かな膨らみがあった。
リョウマのベッドに腰掛けているから、ワンピースの裾からはみ出した太ももの肉付きまでわかってしまった。
肉感的なのに引き締まっている。
そういう気配がした。
『リョウマさんの……えっち……!』
「電話越しに俺の尊厳って壊せるんだ……」
ミツキからの一刺しは強烈だった。
幼馴染みは彼のよこしまな視線をあっさり受け流すと、ため息をついた。
「たぶん大丈夫だとは思うけど……リョウマ、キミのこと、これから遠目に警護するから。しばらくはわたしに見られているって覚えててね」
「守ってくれるんだろ? なんで俺に注意するんだよ」
「キミ、ひょこっとあの女の後ろを付いていきそうで不安なんだよ」
「信用ねぇな、俺!」
リョウマは笑った。
流石にいくら自分がチョロいからって、いきなり自宅に侵入してきた今日が初対面の女性に馴れ馴れしくするはずがないと思った。
本当にそう信じていたのだ。
◆
数日後のことである。
すっかり冬の名残も消えて、梅雨に入り出す前の穏やかな天気が続く週末──晴れ晴れとした快晴ではないけれど、気温も日差しもちょうどいい。
そんなピクニックにぴったりの朝だったと思っていただきたい。
駅前の広場でたたずんでいた、異郷の少女は──花開くように微笑んだ。
「──今日という日が、素晴らしい
──どこに出しても恥ずかしくないクソボケ野郎にしてクソチョロ野郎にして食べやすいステーキ肉。
──イヌイ・リョウマはアシュモ・カーダドートとデートすることになっていた。
喋るステーキ肉「デートすることになった」
幼馴染みの脳みそ「ぐあああああああああああぁあああ!?」