デートの話をしよう。
まず最初に知っておいてほしいのは、イヌイ・リョウマは別段、デートに慣れているスマートな男子ではないということである。
たぶん理論上はそのはずだ。
──いや、ベルカとだらだら映画見たりしてたのがデートにカウントされるなら百戦錬磨なのか!?
少年は戸惑った。
今までまったく考えてこなかった前提に今さら気づいたから、まるで賢者に教えを授けられて
──よく考えると可愛い幼馴染みのショッピングに付き合わされるのはデートか!?
おそらく超巨大恐竜だってここまで神経が鈍くはない。
時間差である。
自分のデート経験の有無について、自覚するまでの時間差は半年以上あった。
不味い。
ここまで自分がクソボケ野郎だとは思わなかった。
そしておそらく、このぐだぐだすぎる気づきは、ミツキを経由してベルカにもバレている。
ちらりと周囲の景色を見渡すと、見慣れた人影があった。
野球帽を被った金髪碧眼の美しい少女──ブラウス姿がめちゃくちゃ可愛い──は、めまいでもしたかのように目元を押さえている。
──めちゃくちゃ至近距離から監視されてたな。
イヌイ・リョウマは異能者である。
かつて存在した全能者──神に等しい力を持った異能者の到達点──の残滓として、世界を改変する力を持っているらしい。
問題はこれを持っているだけで、意識的に使ってチートだ無双だと夢のある展開にはできないことだ。
死に戻りループ能力という、これはこれでルール無用のやり直しができるけれど、戦闘能力には大きく欠ける。
そして幼馴染みのベルカ・テンレンは特務機関のエージェントで、彼とは正反対に戦闘能力が恐ろしく優れている。
だからこうして目と鼻の先で、護衛についてくれるのは合理的な判断だった。
──大丈夫かな、あいつ脳みそが恋愛に弱いからな。
リョウマは素直にベルカのことが心配だった。
間違いなく彼女の脳みそを粉々に破壊しているのは自分だという認識があるのだ。
あった上で言動のチョロさは筋金入りだから、手が付けられないともいう。
──どう心配しても変わらないか。俺がアシュモさんとデートすること選んだのは変わらないしな。
クソ野郎をやり切るのが筋ってものだろう。
リョウマはそのように覚悟して深呼吸した。甘い香り。
すぐ隣りにいる女性のふわっとした甘いにおいだ。
たぶん女の子のにおいと香水のそれが混ざりあった、決して嫌ではないのに意識せずにはいられない香り。
困ったことにリョウマの心臓は、これ以上なくドキドキしている。
──ヤバい、このままだと俺、緊張感でドキドキしすぎて死ぬんじゃないか?
もしこれが死因だったら笑うしかない。
もちろん少年とて間抜けではない。今だって、ついさっき死に戻りループしてきた自分の死因が、異世界からの来訪者──アシュモ・カーダドートであることを疑っている。
すべては割り切りの問題だった。
もし自分の生存だけを考えるなら、リョウマの取るべき行動はひとつだけだ。
デートの約束だの週末の予定だのを投げ捨てて、セーフハウスに引きこもって、ベルカの手配した護衛に付きっきりで守ってもらう。
これがおそらく、生き残る上での最適解だ。
──でもこの方針には致命的な穴がある。
──結局のところ、俺が今、直面してる事件が何もわからないってことだ。
──アシュモさんは最初の出会いから数日間、学校に通う俺を襲ったりはしなかった。
つまりイヌイ・リョウマの社会生活を尊重する程度の理性と倫理は持ち合わせているのだ。
そういう相手に対して、正体不明の死因だなんてあやふやな根拠を元に、場当たり的な対応をするのはよくない。
イヌイ・リョウマはこう考える。
明日、アシュモ・カーダドートが突然、何の脈絡もなく急死するかもしれないのに──恐れを理由にして自分にできる最大限の誠意を見せないのは、筋が通らないはずだ、と。
ゆえに少年はアシュモの誘いに乗った。
見知らぬ異世界人の美少女と街でデートするという不確定要素を飲み込んだのだ。
今さらここによくわからないがそのうち自分は死ぬ、という条件が加わっても、大して現実は変わらなかった。
──要するに俺は、刹那的なやつなんだって言われたら反論できないけどな。
リョウマは遠くのベルカの影に軽く会釈した。
どうせ自分が気づいているくらいだし、アシュモの方はとっくの昔に監視者を知っていたはずである。
案の定、くすり、と隣でアシュモが笑った。
「リョウマ様は慕われているのですね。こんなにも深く、あなたを想い、守ろうとする人々に囲まれていらっしゃる。素晴らしいことですね」
「意外と寛容なんだね、アシュモさん。てっきりデートに水を差されてやしないかって、俺は気を揉んでたところだよ」
「ふふっ、まさか。姫騎士の方に見守っていただけるなら、わたくしも安心して
アシュモ・カーダドートは上機嫌である。
一般人のイヌイ・リョウマにだって、好きな男の子の傍に、他の女の子の影があったら嫌だろうという想像力ぐらいは働く。
なので彼女の心象をおもんぱかることはできた。
しかし心配無用とばかりに、褐色の肌をつやつやさせて、異郷の美少女は笑っていた。
ニコニコとして本当に楽しそうだった。
これがすべて演技だったなら、たぶんリョウマには見抜くことができない超高度な演技力の持ち主なのだろう。
「信じることしかできないってしんどいね。俺、もっと人間観察とか駆け引きとかを学ぶべきかも。これでも名探偵ホームズみたいな生き様に憧れてるしさ」
「ホームズ……聞いたことがあります。こちらの世界で有名な探偵小説でしたね。ふふっ、殿方が英雄譚に憧れるのはいつの世も変わらぬようです」
「アシュモさんって博識だよね。とても異世界生まれの人と話してるとは思えないぐらい、いろんな話が通じて楽しいよ」
素直な称賛を投げかけると、アシュモは照れくさそうにはにかんだ。
さらり、と長い銀髪が揺れる。
「はい、多くの時間を費やして……地球の営みについて学びました。この地にとってわたくしは異邦人、身分もなく財産もない来訪者であるがゆえに。ですが確かな目標を元に、コツコツとすべてを積み上げていくのは楽しいものですよ?」
「そっか、アシュモさんって長生きなんだよな。これって聞いても大丈夫な話題かな?」
「ええ、もちろんです。好ましく思っている殿方に、自分の人生について興味を持っていただける……素晴らしいことですね。それでは……あそこの喫茶店でお話しましょう」
そう言ってアシュモは、リョウマの指先に手を伸ばした。小さな女の子の手だったが、硬質な硬い皮膚が感じられた。おそらく営みとして剣を握る人間の手だった。
その力強さに驚きつつ、少年はその誘いを断らなかった。
自分より頭ひとつ分は背の小さい少女──実際には悠久の時を生きる長命種だという異世界人──その腕の温もりに、秘められた悪意がないと信じられる気がしたのだ。
「もしかして最初からその気だったかな、やられた」
「ふふっ、リョウマ様は可愛らしい御方ですから。突然、デートにお誘いしたものとして、計画を練っておくのは当然の作法かと」
「マジか。こういうの、男の子が頑張ってデートのプラン考えるものだって思ってた。俺って考え方が古いのかな」
「ニルスタリヤ流の逢瀬では、女子が主導権を握るものなのです。お互いを深く知り、人柄を確かめ、心を重ね合う……理想のデートを実現するため、切磋琢磨して、素敵な殿方を射止める。わたくしもまた、その作法に従っています」
どうやら異世界人の文化では、女の子がめちゃくちゃ攻勢に出て、男の子はその猛攻を受け切るか陥落するかで勝負が決まるらしい。
リョウマは思わずうめいた。
「ひょっとして……ニルスタリヤの人ってめちゃくちゃ肉食系なのか……!?」
「面白い表現ですね。ええ、確かに我らは誰もが肉食の獣です。狩りをして殿方を仕留める。ふふっ、刺激的な表現ですね? さしずめリョウマ様は柔らかくて栄養満点の美味しいお肉でしょうか」
「そこはせめて草食獣にしてほしかったかな!」
「リョウマ様、草を食む獣は素早く身をひるがえし、逃げる生き物ですよ? リョウマ様のように美味しそうな殿方は……ええ、まるで一流の料理人が腕を振るって仕上げた、極上の料理のようなものです」
お前は草食獣未満の食べやすい肉だと断言されてしまった。
なのに困ったことに、リョウマには眼前の少女に対する抵抗感がない。
明らかに慕情が大きくて、隙を見せれば取って食われそうな間合いだというのに──まるで長い間、共に過ごしてきた相手であるかのようにやり取りがしっくり来る。
「困ったな、俺って今、食べられる寸前のコース料理ってことか?」
「わたくしもはしたない真似はしたくありませんが……ええ、時と場合によっては、強引なロマンスも嫌いではありません」
「喋る肉になって肉食獣の気持ちを聞くのってドキドキする……!」
「もしすべてのお肉がリョウマ様のように可愛らしかったのなら、きっと肉食獣も大変です。食事のたびに恋をしてしまいますからね」
いたずらっぽい微笑みは、百の言葉よりも雄弁にアシュモ・カーダドートの本心を表していた。
恋する乙女が、そこにいたのだ。
信じてみたくなっても仕方がなかった。
◆
駅前の喫茶店に二人で入って、コーヒーの香りの良し悪しについて語らい、注文したケーキの好みについて雑談して、アシュモの人生の断片を聞いた。
それはたぶん、実際に彼女が歩いてきた長い旅路のほんの一部を、面白おかしく話せる範囲で語られただけなのだ。
イヌイ・リョウマは刹那的な生き方をする楽観主義者だが、決して人の悲しみに鈍感な男ではなかった。
話す内容のその時々に、アシュモが経てきた人生の出会いと別れを見て取った。
きっと彼女は、リョウマには想像もつかない決意と共に、この世界にやってきたのだ。
言葉の端々から感じられる、
そうも常識の異なる故郷から、遠く離れた異郷の地にやってくるまでに、如何ほどの覚悟があったのだろうかと。
──アシュモさんは律儀だ。俺の知らない俺、異世界に勇者として召喚された俺の話を全然しない。
──俺にとってそれが、どう頑張っても他人事だってわかってるからだ。
──たぶん本当はもっと、俺との思い出を話したいはずだ。そうしないのは、この人なりの筋の通し方なんだ。
初対面でいきなりおっぱいを触らせてきて、子作りの誘いをかけてきたのは何だったのだろう。
リョウマがそう思ってしまうほどに、アシュモは自制心の効いた人物だった。
イヌイ・リョウマの話の一つ一つに笑い、共に過ごす時間を楽しいものにしようとしてくれている。
その心遣いがわかった。
──ハニートラップだったら完璧な掴みだな。マジで美人にこういう話術されると好きになる。
我ながらチョロい。
ちなみにアシュモの選んだ喫茶店はコーヒーが美味しいお店だった。ケーキ類も上品な味付けで、リョウマの舌に合う。
おそらくアシュモは、実際に足を運んで下調べをして、この店を選んだに違いなかった。
「すごいな、俺は完敗だよ」
「リョウマ様は勝負をされていたのですか?」
喫茶店で向かいの席に座る美少女──銀髪に褐色の肌、鬼火のようなエメラルドグリーンの瞳、小柄ながら胸もお尻も大きなアシュモは、小首をかしげて問うてきた。
ゆったりした布地のフェミニンな衣装。そのくせノースリーブのハイネックブラウスだから、柔らかな曲線を描く肩が丸出しだった。
絵になる。
しかも可愛い。
そしてエッチだった。
おそらく今後、一週間ぐらいの間、自分はアシュモの肩を思い出してジタバタすると思う。
「うん。たとえ美味しそうな肉だったとしても、綺麗な女の子にデレデレしないって決意してたよ。結果は見ての通り……負けっぱなしだ」
「敗北宣言されると困ってしまいます。このあとの予定を変更しても?」
アシュモは艶やかに笑った。
狩りをする肉食獣の眼光が、ギラリとその瞳に宿っている。冗談めかしているが、たぶん返答を間違えると本当にお持ち帰りされると思う。
リョウマはクソ野郎になると決めた。
「敗者復活戦って盛り上がると思うんだ。そこはチャンピオンとして寛大に見守ってほしいかな」
「難しいことをおっしゃるのですね……この国には、据え膳食わぬは男の恥、という言葉があるそうです。ニルスタリヤでは男女が反対ですが、まったく同じ意味のことわざがあります」
「……もしかして俺ってめちゃくちゃ誘ってる判定なのか……!?」
「無自覚なのもリョウマ様の魅力ですからね」
「否定してほしかったな……!」
アシュモはその瞳にじっとりした欲望を秘めて、再び上品な微笑みを浮かべた。おそらく擬態である。
時と場合によってはすぐに、牙を剥き出しにした肉食獣として振る舞うことだろう。
思ったよりだいぶ危うい均衡の元に守られている、自分の貞操について思いを馳せた。
「ニルスタリヤに召喚された俺、よく無事だったな……」
アシュモ・カーダドートは意味深な微笑みを浮かべた。
沈黙の帳が降りた。
その無言の間が恐ろしすぎて、リョウマは恐る恐る口を開いた。
「なんか言ってくれないか!? すげえ怖いんだけど!」
自分の死因も、異世界召喚された過去のことも、わからないことだらけだが──イヌイ・リョウマはひとつ、大事なことを学んだ。
異世界ニルスタリヤの女性はめちゃくちゃ肉食系だった。
◆
そして一方その頃。
喫茶店に入店して、二人のデートを監視していたベルカ・テンレンの脳みそは、ぐちゃぐちゃにシェイクされて再起不能になっていた。
「ミツキちゃん……わたし、もうダメかもしれない……」
『しっかりしてください、ベルカさん! 仮にリョウマさんがもう食べられてたなら……あんなねっとりした視線になりません!』
「……わたしは……まだ……立てるかな……?」
ベルカ・テンレンとホシノ・ミツキ。
数奇な運命で出会った二人の少女は、謎の友情で結ばれつつあった。