──人が人を好きになるのは、たぶん当たり前の感情だ。
ゆえにイヌイ・リョウマが、目の前のとびきりの美人に好意を向けられて、ついその気になるのは必然的ではあった。
だが、少年にも常識はある。
これはあくまで、対等かつ好きあっている人間同士なら、とただし書きがつく類の話である。
すでに好きな女の子が二人もいて、その二人からはっきりと好意を伝えられているという前提に立つと──恐るべきクソ野郎の誕生である。
何故、クソ野郎なのかを考えてみよう。
わかりやすい話だ。
──俺は可愛い女の子全員に好きって言われてその気になってるけど、もし同じように、ベルカやホシノさんが別の男子に好きって言ってたらめちゃくちゃ落ち込むもんな。
独占欲である。
要するに「俺は可愛い女の子にいっぱい好きって言われたいけど……女の子には俺だけ見ててほしい!」という不平等と不公平を強いる構図だ。
以上の点から見て、リョウマの抱く素朴な感情──ベルカもミツキもアシュモも全員好きになってしまう──は限りなくクソ野郎の戯れ言ということになる。
自覚はあった。
あるのだが。
「……ヤバいね、理性ではダメだとわかってても、眼の前に最高の体験があると逆らえないってわけか」
「リョウマ様……覚悟を決められたのですね?」
アシュモは微笑みながらずいっと身を乗り出してきた。
異世界からやってきた少女の見た目はとびきり幻想的だ。
長く艶ややかな銀髪、柔らかそうな褐色の肌、エメラルドグリーンに輝く瞳、少し幼げながら造形の優れた小顔。
ノースリーブのハイネックブラウスから突き出た肩幅は小さく、それでいて胸元を盛り上げる膨らみははっきりしている。
いい匂いもする。
そして何より重要なこととして──アシュモはびっくりするぐらい肉食系だ。
リョウマは美味しそうな肉らしい。
「待ってくれ、俺、流石に覚悟できてないからっ!」
「リョウマ様、考え方を変えましょう。あなたにとって常に、一番若い瞬間は今このときなのです。思い出を振り返り、人生を豊かにする時間を長くするのなら──はい、わたくしとともに一歩、前に進むべきだと思いませんか?」
「すげえな、なんか人生の節目に新しいチャレンジしてみようみたいな前向きな話に聞こえてきた……」
スポーツの勧誘みたいな勢いすら感じる。
ちなみに実際の構図は、年上の女性(見た目はとびきり若々しいが一千年生きてるらしい)が高校生男子を性的に食べようとしているだけだ。
おそらく法律に引っかかるし道徳的にもよろしくない。
──あれ!? 法律と道徳の話すると、俺の幼馴染みと同級生がめちゃくちゃ引っかかるな!?
恐ろしいノイズだった。
なんとなく慣れてきたので、最近はベルカの監視やミツキの感情ストーカーっぷりも流してきたのだが、こうして改めて考えてみるとリョウマの日常は終わっていた。
「日常って終わらないと思ってたけど……意外と終わってる状態でもズルズル続いちゃうものなのかもな」
「ええ、愛を確かめあったあとの日常は……きっと今よりも素敵なものになることでしょう」
「肉欲に素直すぎるのって、現代社会だと危なっかしいと思うぜ?」
リョウマが反論すると、アシュモはうっすらと微笑んで優しくうなずいた。
まるで怯える年下の少年を、落ち着かせるために振る舞うお姉さんみたいな包容力を感じた。
「リョウマ様、安心してください。
「思ってたより生々しい事情が来た……!?」
「逆に考えてください、リョウマ様。誰もが肉食系の文明が、リスク管理を怠っているはずがありません。リョウマ様は安心して──身を委ねてくださっていいのですよ?」
「……要約するとこれ、エッチなお誘いだよな?」
「最初から最後までずっとそうです。はい、リョウマ様の理解は正常です」
「開き直ってる!?」
「リョウマ様は今、不道徳という価値観によって、わたくしとの関係を深めることを恐れていらっしゃる。ですので……あえてニルスタリヤの流儀をお披露目いたしました。ですがリョウマ様、ひとつだけ」
不意打ちだった。
それまで感情の見えない微笑みを浮かべていたアシュモが、恥ずかしそうに目を伏せて、ささやくような声で告げた。
「わたくし、こんな風に殿方をお誘いするのは……リョウマ様が初めてなのですよ?」
破壊力がありすぎた。
真偽が定かではないマイクパフォーマンスとか、ハニートラップとか、そういう懸念がガンガン脳裏をよぎっていくのに、自分自身の感情はそれと関係なく動いてしまう。
──ヤバい、ドキドキする! マジでこれはヤバい!
リョウマは何も言えなくなった。
顔を赤くして言葉に詰まった少年を、褐色の肌をした少女は好ましそうに見つめている。
突拍子もない性的なアピールにドン引きしていたはずなのに、気づくと距離を詰められてそれっぽい雰囲気になっていた。
もうデートどころではない。
テーブルの向かい側から、アシュモの手が伸びてくる。
それはコーヒーカップに添えられたリョウマの手指を優しく包み込もうとして。
「ちょ……ちょっと待った! すいません、デートの真っ最中に割り込みは、正直、わたしもしたくないんですが! 幼馴染みディフェンスです!」
聞き慣れた少女の言葉が、淫靡な空気を引き裂いた。
リョウマとアシュモのテーブルの真横に、金髪碧眼の少女が立っていた。
極東地域では珍しい身体的特徴──西洋人形のような美しい造形の顔に、豊かな膨らみが胸元を押し上げるブラウス。
青いキュロットから突き出した太ももは、引き締まっていながらも肉感的で、足元を固めるスニーカー共々、ポップで可愛らしい。
少したれ目の目元が、整った容姿に優しい愛嬌を付与している。
誰であろうベルカ・テンレンだった。
野球帽とサングラスで雑な変装をしていた少女は、少し顔を赤くしている。
先ほどまでの二人の会話を、全部聞いていたのだろう。
あまりにも直球のエッチなお誘いをするアシュモ、たじたじになって流されそうになったリョウマ──きっと幼馴染みの脳みそはズタボロになっているはずだった。
「ベルカ……!?」
「姫騎士の方、無粋ではありませんか? 互いを思い合う男女の秘め事に……外野が口をはさむのは、あまりにも無惨です」
「うぐっ……! いえ、わたしも自由恋愛に首を突っ込んでどうこう言う気はありません。アシュモさんの楽しいデートを邪魔したのも、よくないことだってわかっています」
では何故、首を突っ込んできたのか、という疑問が無言の視線で投げかけられた。
アシュモ・カーダドートはさほど不機嫌には見えなかったが、童女めいた疑問符の浮かぶ表情そのものが、巨大な圧力を発していた。
人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて死んじまえ──そういう想いが、悪意の一欠片もなく表現されている感じ。
たぶん普通の女の子なら、この時点で気圧されて喋れなくなる。
だがベルカは普通ではなかった。
「他人事ではないから、やむを得ずに口をはさみました。イヌイ・リョウマはわたしの大切な幼馴染みです。大好きな男の子です。だから──流れで持っていかれるのは嫌でした」
「ふふっ、つまるところ……覗き見をしていたら、耐えられなくなったのですね? 可愛らしいことです……しかし困ったことです。リョウマ様はあなたのものではないのですから」
半端者が独占欲を出すな、と言いたげな台詞だった。
正論である。
少なくともベルカ・テンレンは、リョウマ個人の人格を認めている。
ならばそれがどんなに認めがたい現実だろうと、受け入れるのが筋だろう、と──アシュモはそう言っているのだ。
しかしベルカ・テンレンは頭の回転がすこぶる早かった。
「──リョウマは食べやすいお肉ではないです。それとアシュモさん、一応、これはお伝えしておきますね。この国では、未成年と年の離れた大人がそういうことするの、犯罪ですから」
「むっ……正論……!」
アシュモの反応はちょっとズレていた。
感心したようにうなずいている。
どうやらエッチな行為の持つ現代社会での問題点について知っていたらしい。
突拍子もなく始まった修羅場に、思わずリョウマはうめいた。
「……忘れてたぜ!?」
幼馴染みの監視があることも、現代社会では未成年のエッチな行為に問題があることも。
けろっと忘れかけていたイヌイ・リョウマである。
ベルカは呆れたように肩を落とした。
「しっかりしろリョウマ! チョロすぎて薄く切られたしゃぶしゃぶ用の牛肉みたいになってるキミが悪い!」
「おかしいな……一般論だと、未熟な未成年を丸め込もうとした年長者の責任が問われるだろ? 俺はちょっと雰囲気に飲まれただけと考えられないか?」
「わたしは一般的な倫理観でキミと接してないからね。あとその言い方は人間のクズがよくやるやつだよ」
「とんでもない開き直りしてきやがったな……!? でも俺が悪かった、すまん」
リョウマはさりげなく倫理的踏み倒しに余念がない幼馴染みに戦慄した。
おそらく各種の監視網とストーキングについて有耶無耶にしつつ、エッチな雰囲気に流されそうになった少年の言動だけを責めるための姿勢。
なんてこった、これが幼馴染み。
イヌイ・リョウマの気性を心得ている。
恐ろしい生き物だった。
「……残念です。わたくし、リョウマ様とあわよくば……と思っていたのですが。もう、そういう空気ではないようですね」
「空気ぶち壊しにしちゃったのはごめんなさい。でもリョウマは純真な生き物なので、性的な目線抜きで愛してください」
「お前は俺の飼い主か……!?」
「リョウマ、飼育されたくなったらいつでも言ってね。南の島に別荘があるんだ。大丈夫、不自由はさせないから」
「ああ、俺そういうの知ってる。軟禁だよな?」
「愛だよ、リョウマ」
「思ってたより俺の幼馴染み病んでるな?」
冗談のつもりで軽口を叩いた。
ベルカもアシュモも笑ってくれなかったので、ただひたすら笑えない現実だけが浮き彫りになった。
冷や汗が吹き出てくる。
──ひょっとして俺、ホシノさん抜きでもヤバい女の子に囲まれてたのか!?
そんなことを思った瞬間、ベルカがうなずいた。
彼女は
『困ったときはホシノ・ミツキがオススメですよ! リョウマさんに理解のある彼女になれますから!』
ミツキは絶好調だった。リョウマの心をリアルタイムで読み込んでいるから、今だって空気を読んでからあえて無視しているのだ。
ありえないぐらい、ぐちゃぐちゃの人間関係に笑うしかなかった。
「理解はありそうだけど、配慮はなさそうだよな……!」
『逆に考えてください。リョウマさんの悩みはぜーんぶ解決して、あたしがゆるーく可愛がってあげるだけの高校生活……素敵ですよね?』
「物理的に飼育されるのと、心理的に飼育されるのって違いあるのか……!?」
『あたしはリョウマさんの自由、守りますから!』
「内心の自由を含まないのはわかってるぜ……!」
倫理観がゆるふわすぎて、リョウマの人生から主導権が消えている気配がした。
あまりにも凄惨な青春が垣間見えてしまったからか──気づくとアシュモはとても優しい瞳で彼のことを見ていた。
すごい、さっきまでの獣欲に満ちた眼光が嘘みたいだ。
慈愛を感じた。
「リョウマ様……こちらの世界でも女難の相をお持ちなのですね……おいたわしや……」
「待ってくれ、俺って異世界でも大変な感じだったのか!?」
「例えるならばゼロから始まる恋の
想像以上に過酷な異世界生活だったらしい。
リョウマはこれっぽっちも覚えていないニルスタリヤに召喚されたときの逸話も、こちらから尋ねるとアシュモは教えてくれるようだった。
どうコメントしていいかわからず、少年は絞り出すような声でうめいた。
「……困る!」
本音だった。
イヌイ・リョウマの心からの嘆きに対して、金髪碧眼の幼馴染みが優しくうなずいた。
「嫌なことがあったらいつでも頼っていいからね、リョウマ」
「この流れで頼ると、俺の人生が飼育される方向になるだけだろ!?」
「新しい価値観を育もう、ね?」
めちゃくちゃなベルカの言い分を聞いて、話の流れにアシュモも乗っかってきた。
「よいですね、新しい価値観。わたくしも賛成いたします。リョウマ様の人生をより豊かにすることでしょう」
「ああ……しゃぶしゃぶ用の肉とステーキ肉って、どっちの方が食べやすいんだろうな……」
『大事なのは、優しく食べてあげることだと思います。リョウマさんがお肉かどうかはわからないですけど!』
何故かミツキに慰められている。
倫理観がゆるくてふわふわしてると、本当に過酷な現実の中だと癒し系に錯覚してしまうのだと思った。
察しのよすぎる女の子たちに囲まれて、欲深な少年は悲鳴を上げるのだった。
「逃げ場がゼロだな……!」
たぶん半分くらいは自業自得だ。
幸せと呼ぶには、あまりにも前途多難すぎる現在に苦笑いを浮かべた。
次の瞬間だった。
──何もわからないまま、イヌイ・リョウマの肉体は瞬時に粉砕され蒸発した。
──解放された数千メガトンのエネルギーが、ありとあらゆる地表の構造体をプラズマ化させて薙ぎ払ったのだ。
恐るべき破壊だった。
それはほとんど何の前兆もなく、それゆえにベルカとアシュモの感覚器による警戒すらくぐり抜け、ただ純粋なる物理的破壊力の権化として地上に降り注いだ。
マッハ二四を超える超高速で振り下ろされたもの──それは巨大すぎたが、長大極まりない。
直径二キロメートル、全長数百キロメートルにもおよぶ何か。
人類の建造した如何なる建築物よりも巨大なそれは──
──大地が爆ぜる。雷鳴のごとき轟音が響き渡り、極東の弧状列島が震えた。
──数秒で都市を消滅させた運動エネルギーが、地殻を揺るがした。
──深さ数百メートルものクレーターが刻まれ、衝撃波とともに数億トンの土砂が巻き上げられて。
そして世界はあっけなく滅亡した。
今回のデスループのお披露目です。
だいぶ理不尽。
でも極論すると女の子を口説いて頑張るしかないやつです。
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