『おかえりなさい、リョウマさん』
気づいたときには、見慣れた自宅の景色が広がっていた。
ついさっきまでいたはずの喫茶店の内装なんて微塵も存在せず、聞こえてきた声はホシノ・ミツキのそれだった。
たしか数日前、ミツキと携帯端末越しに通話していた覚えがある。
戻ってきたのだ、と理解する。
ほぼ一瞬で肉体が消滅して、痛覚を感じるより先に即死したから、死の激痛なんてものすらなかった。
死に戻りだ。
目を何度かこすって、ようやく声を出した。
「今……いつか、わかるかな?」
『はい、金曜日の夜七時です。リョウマさんは来週の土曜日から戻ってきたんですよね。だからざっと一週間ぐらいさかのぼった計算になりますね』
「成功したのか……ありがとな。いきなり、わけわからない話になってるよな、これ」
『リョウマさんの事情はざっくりと把握してますよ! つまり地球の危機を救うため、死に戻りしてきたんですよね!』
ホシノ・ミツキは人の心を読み取る超能力者だ。
特にリョウマに対しては念入りにリアルタイム監視を行っているので、意識だけの時間跳躍なんて突拍子もない事情もすんなり理解してしまえる。
「ああ、とにかく理不尽なイベントだったし、たぶんめちゃくちゃ大変だと思う。あれ、ベルカは?」
『ベルカさんはさっきお手洗いに行きましたよ』
「マジか……ああいや、確かにそんなことあったっけ?」
『リョウマさんの記憶だと、首を刎ねられた理由について尋ねる場面の直前ですね』
「なあ、当事者の俺より記憶掘り起こすの早くないか?」
リョウマは困惑した。
そもそも無断で他人の心に踏み入る常習犯に、普通の倫理観で問いかけるのは何もかも間違っている。
わかっていても、ミツキのナビゲートの素早さは強すぎた。
携帯端末のスピーカーが楽しげに喉を鳴らした。
『あたしは好きですよ、こういうの。一番、リョウマさんの理解者なのはあたしだなーって思える瞬間ですから』
「前提として俺が死んでるけどな!?」
『リョウマさん、気負うのはよくないですよ。例えばの話、これから何度、死に戻りするかわからないのに──全部のループで、世界を救う宿命だなんて思い詰めてたら潰れちゃいます』
「俺よりループに適応してないか……!?」
ミツキは自由だった。
おそらく倫理的にはかなり最悪な行動──リョウマのプライバシーなんて紙切れ同然だ──なのに、それが安心感につながっているのだから、わからないものだ。
慣れてはいけないのに、その監視に安心感を覚えている自分がいた。
『リョウマさん、もっと安心していいですよ。あたしもベルカさんも、リョウマさんのことを一人にはしませんから』
「ヤバいな……こういうとき心強いのはありがたいな、これ」
リョウマは軽口を叩いた。
廊下の方から聞き慣れた足音がしている。
リビングのドアが開く。
ついさっき今生の別れとばかりに彼を送り出した、金髪碧眼の幼馴染みが顔をのぞかせた。
「ごめん、映画再開しようか──あれ、リョウマ? 雰囲気変わった?」
生きているベルカを見ると、愛おしさが込み上げてきた。涙を見られたくなかったので、リョウマは手短に事情を伝えた。
「ベルカ。俺は一週間後の世界から死に戻りしてきた。このままだと地球は滅びる。異世界から侵略されて大変なことになる」
ベルカ・テンレンは目を見開くと、ゆっくりと冷静なコメントを放った。
「そこまで……? ごめん、キミが死んでるのはまだしも、地球滅亡までいくの!?」
「ああ。敵は天体サイズのヤバい怪獣らしいぜ」
「人知を超えたスケール感だね……」
彼の幼馴染みはそれでもプロフェッショナルだから、それ以上、疑うようなことはしなかった。
思考を巡らせた末、ベルカはリョウマに力強くうなずいた。
「わかった。詳しい事情を聞かせて。時間はまだあるんだよね?」
「ああ。でもこのあとすぐ、お前と鍔迫り合いになるぐらい強い女の子が訪問してくる」
「えっ?」
「めちゃくちゃ可愛いし、俺に対して大好きアピールがすごい。あとなんかいい匂いがする。それで異世界からやってきたらしい」
リョウマのあまりにも遠慮ない情報提供に、ベルカはものすごい表情になって硬直した。
深呼吸のあと、ベルカ・テンレンはうめいた。
「その口ぶりだと、もう絆されてる感じだよね!? チョロすぎるよ、キミ!」
ツッコミに異論はなかった。
◆
かくして残り少ない時間で対策会議が開かれた。目下の話題は、異世界人アシュモ・カーダドートに対してどう対処するかである。
巨大な侵略者、
しかしリョウマの記憶にある限り、この時点でのアシュモは、それこそ美味しそうな肉を食べることしか頭にない雰囲気。
色ボケしてるっぽい。
それでいてとっさの切り合いで、ベルカを出し抜くほどの異能者と来ている。
──とりあえず敵じゃないことを伝えつつ、話をするしかないよな。
そういうことになった。
幸いにもベルカがこの家の周囲に張り巡らせたセンサー群のおかげで、お互いの接触タイミングを見極めるのは難しくない。
ミツキの読心が有効ではない相手だが、逆をいえば、まず他人の空似で見間違うこともありえないのだ。
──俺とベルカが玄関から外に出て、とりあえず話をする。
出会い頭に剣で切り結ぶよりは、友好的に話を進められるはずだった。
リョウマは浅く息を吐いた。
緊張しながら隣りにいるベルカの報せを待つ。
「……来た。銀髪に褐色の肌をした若い女の子。アシュモ・カーダドートだよ。あと二〇〇メートルくらい」
思いのほか近い。
リョウマは一応、アシュモが瞬間移動のような現象を起こしていたことも伝えていた。
果たして事前に知っていて、どうにかなるタイプなのかはわからないが──ベルカの対応力を信じるしかない。
「……今だ!」
刹那、ベルカが叫んだ。
意味はわからなかったが、ひとまず彼女の判断に従うという度胸を試されていた。
瞬間、いきなり眼の前に現れた人影──さらりと揺れる銀色の長髪、ふわりと漂う甘やかな香り。
伸ばされた褐色の腕を弾くように、ベルカの白い手が周囲を薙ぎ払った。
お互いにすごい速さで動いている──風圧でリョウマは目を開けていられなくなった。
「うおわ!?」
思わず悲鳴をあげた。
それを合図にして、金髪に白い肌/銀髪に褐色の肌──二人の少女が動きを止めた。
どうやらものすごい速さで距離を詰めてきたアシュモを、ベルカが間一髪で阻止した形らしい。
高速で伸ばされた腕を、これまた高速で払い除けたのだ。
まるで肉食獣が獲物を巡って睨み合っているような迫力。
澄んだ青い瞳と鬼火めいた緑の瞳が、バチバチと火花を散らしていた。
「ふむ……恋敵でしょうか?」
アシュモの第一声は、油断なく敵を値踏みする獣のそれだった。
ベルカがにっこりと笑った。
「わたしはイヌイ・リョウマの幼馴染みです。アシュモ・カーダドートさんですね? お名前はリョウマからうかがっています」
「勇者殿が? いえ、それはおかしい」
「彼はすでに一週間後の未来から死に戻り、時間をさかのぼってきています。その原因は
リョウマが口をはさむ余地はなかった。
そもそも二人の攻防が終わるその瞬間まで、ほとんど予兆も察知できなかった一般人なのだ。
とりあえず恋する乙女たちが、どちらも自分を凌駕する戦闘能力を秘めていることだけは、伝わって来てしまう。
緊張感あふれる状況だ。
「……なんでいきなり、睨み合いになってるんだ?」
「リョウマ様を怖がらせるつもりはなかったのです。ええ、二人でゆっくりお話できるよう……お誘いしたかったのですが」
「いきなり瞬間移動してなかった?」
「わたくし、胸の鼓動が止まらないのです。おそらくは恋の病ゆえ……」
話をそらされた。
ベルカが正確に事実を指摘した。
「たぶん誘拐未遂ですよね」
「そちらの姫騎士の方、誘拐というのは誤解のある表現です。我が故郷ニルスタリヤでは、恋する乙女が時折、情熱的に愛を表現することもあります」
「ここは地球ですからね?」
「ふむ……なるほど、そういうことでしたか」
ベルカの容赦ないツッコミを浴びて、アシュモはその幼さの残る顔立ちに、余裕のある笑みを浮かべた。
「幼馴染みとは、古くからの付き合いという意味でしたね。つまりリョウマ様に恋するものとして、新参者であるわたくしに
アシュモは先ほどの説明を聞き流して、ベルカの立場だけを読み当てていた。困ったことに間違ってはいない。
ベルカ・テンレンはイヌイ・リョウマのことが大好きで、恋人になりたいと思っているし、次々と現れる可愛い女の子たちを警戒してもいる。
だが、今それは大事なことではなかった。
「いえ、リョウマが死に戻りしてるので、その解決にあなたの協力が必要なんです」
「そのようですね。リョウマ様の反応を見る限り、どうやら説明は不要のようですので──はい、まずはご自宅でお話しましょう。案内していただけますか、リョウマ様?」
春物の可愛らしい装いで、ふんわりとした雰囲気──アシュモは緊張感なく笑みをこぼす。
とても一週間後に世界が滅びると知らされたとは思えないほど、彼女はリラックスしていた。
──どういうことだ? 俺のループ、もしかして前提が間違ってるのか?
早速、不安だらけである。
イヌイ・リョウマは戸惑いながら、ひとまず、アシュモを自宅に案内するしかなかった。
◆
「なるほど、一週間後に
リビングで出されたお茶をすすりつつ、アシュモは涼しい顔でそんなことを言った。
あまりにもあっけらかんとしていたので、思わず聞き間違いを疑うほどである。
リョウマはたまらず、問うてしまった。
「その原因が俺とアシュモさんだって聞いたんだけど、心当たりは?」
「一週間後のわたくしはずいぶんと大胆に情報提供したのですね。ふむ……わたくしたちがマーカーになっている可能性は否定できません。というより、
「……ごめん、詳しく説明してくれないか?」
わからなかったので、素直にリョウマがそう尋ねると、アシュモはうれしそうに笑った。
明らかにこの年齢不詳の麗人は、彼に対してだけダダ甘だった。
同じ質問をベルカがしたら、何度かやり取りした末に話すだろう。
リョウマ相手だと最初から丁寧に教えてくれる。
「かつてわたくしの故郷、ニルスタリヤは滅びに瀕していました。それは巨大な文明が追い詰められ、手段を選ばなくなるほどの危機です。高度に発展した魔法ゆえ、即座に滅びることはありませんでしたが……ええ、ひどいものでした。状況を打開すべく、我らは勇者召喚の儀式を執り行い……リョウマ様を始めとする勇者の皆様の助力によって、
「撃退ってことは……追い払っただけで、完全に倒すことはできなかった?」
「はい、当時の我々にそれの死を確信するだけのリソースはなかったのです。ともあれ、
異世界に召喚されて、星を滅ぼすほどの怪獣みたいな魔王と戦い、なんやかんやで恨まれてしまった。
そういう話になるのだろうか。
──俺が全然覚えてない壮大なストーリーすぎる!
困ったことに実感がわかない。
もし自分がそこまですごいやつなら、春先の事件で散々、無様に骸を晒したりはしていないはずだ。
そもそもアシュモの話を裏付ける物的証拠も、第三者の証言も取りようがないから、ひとまず事実として受け入れるしかないのだけれど。
──なんか引っかかるんだよな。
リョウマの直感がそうささやいていた。
別段、アシュモ・カーダドートが裏切っているとか、実は悪質なハニートラップだとか、そういう可能性は疑っていない。
疑っていないのだが、なんとなく事実すべてを口にされているという気もしない。
その疑問を解消すべく問いかけた。
「それじゃあ……アシュモさん、地球の滅亡を阻止する方法に心当たり、あるかな?」
これが大本命だった。
リョウマがわらにもすがる思いで発した質問に、アシュモ・カーダドートは甘やかな微笑みを返した。
彼を安心させようという、気づかいに満ちた慈愛の表情。
「はい、ご安心を──わたくしも初めてですが、きっと大丈夫なはずです。何も怖いことはありませんよ?」
「んっ!?」
会話の流れがおかしい。
リョウマが顔をこわばらせるのと同時に、見かねたベルカが介入してきた。
「あのっ、何の話ですか!?」
アシュモは微笑んだ。
邪悪な意図など微塵も感じられない、美しい花のような笑み。
チョコレート色の肌をほんのりと色づかせ、秘められた恋情を隠そうともせずに──銀髪の麗人は宣言した。
「わたくしとリョウマ様が交わり、お互いの魔術的な結びつきを強めることで……対抗術式の行使が可能となります。ええ、つまり、わかりやすく言うのなら」
誰もが耳を疑い、それゆえに聞き間違いの余地がない断言。
「男女の秘め事によって……世界は救われるのです」
携帯端末越しに話を聞いていた少女──ホシノ・ミツキは呆然と呟いた。
『リョウマさんの……えっちな話です……!』
人聞きが悪いな、とイヌイ・リョウマは思った。
残念ながら他人事ではないらしい。