イヌイ・リョウマは常識人である。
少なくとも自分ではそのように自身を認識しているので、いきなり出現した非常識なシチュエーションに、思わずツッコミを入れてしまう。
「ちょっと待ってくれ、俺の童貞の価値がつり上がりすぎだ! 地球を救う鍵みたいなあつかいは変だろ!?」
正論である。
間違いなく男子高校生の与太話のネタになることはあっても、真剣に検討されるような話ではないと思った。
リョウマのそういう常識に沿ったコメントに対して、幼馴染みの少女はゆっくりとうなずいた。
「うん……流石に童貞で世界を救えるやつは、人類史上初めてだろうね」
「他人事だと思いやがって……」
「わたしの脳はぐちゃぐちゃだけど!?」
「俺が悪かった……!」
ベルカ・テンレンは恋愛について深く考えると脳みそにダメージを受ける繊細な生き物だった。
当然のことながら、想い人であるリョウマの純潔が失われるかどうかの瀬戸際で、平常心を保っていられるはずもない。
リョウマはそう判断したのだが──金髪碧眼の少女は、落ち着いた振る舞いを崩さない。
リビングのテーブル越しに、銀髪褐色の美しい乙女──アシュモ・カーダドートを見やるベルカ。
少女は確認するように問いかけを発した。
「アシュモさん、確認させてください。あなたは性的な行為を通じて、イヌイ・リョウマの秘めている力にアクセスして、魔術によって世界を
「はい、そのとおりです。もちろんリョウマ様につらい思いをさせないよう、わたくしも最大限に努力して参ります」
涼しい顔でアシュモはそんなことをのたまった。
自信に満ちあふれた異世界人に対して、ベルカは淡々と言葉を返した。
「少々、疑問があります。お話をうかがった限りでは、アシュモさんとリョウマはどちらも純潔を保っているんですよね?」
「はい、わたくしは乙女です」
「なのに過去、
話の要点は簡潔だった。
異世界に勇者召喚されて世界を救った少年と、異世界の魔術師だか神官だかがそろっていて──二人とも童貞と処女だというのなら、そもそも性行為が必要な儀式とやらの存在が怪しい。
幼馴染みはめちゃくちゃ冴えていた。
リョウマは感心した。
「頭いいな、俺の幼馴染み……!」
『リョウマさんはすごくぼんやりしてますね』
「わりと冷酷なコメントで刺してくるよな」
ミツキに何故か追い打ちを喰らいつつ、リョウマは幼馴染みと来訪者の顔を相互に見やった。
アシュモは余裕たっぷりの笑みを崩さずに、リョウマとベルカの視線を受け止めている。
幼気な童顔だというのに、その顔に浮かぶのは艶やかな微笑みだ。
「なるほど、論理的な疑問ですね。しかしながらベルカ様、あなたは二つほど大事なことを見落としています」
「ご教示願えますか?」
「ええ、もちろんです──では遠慮なく。まず第一に、あなたの質問には大前提があります。それはイヌイ・リョウマ様が、女性を知らない童貞であるということです」
「うっ……!」
ベルカ・テンレンの顔がこわばった。
というより目に見えて表情が死んでいるし、目から光が消えていっている。
おそらく今、ベルカの脳みそは深刻なダメージを受けていた。
あまりにもあんまりだったので、リョウマはツッコミを入れた。
「待ってくれ、俺にその……女の子との経験なんてないぜ!?」
「はい、リョウマ様はニルスタリヤでの出来事を覚えていらっしゃらない。ゆえに実際はどうだったのかはわからない。無理からぬことでしょう」
「自分の知らないところで卒業してた可能性、反証も何もあったもんじゃないな!?」
そうなのだ。
結局のところ、アシュモ・カーダドートのする話を裏付ける要素は何もない。
異世界の話、勇者召喚の話、
そのどれもがあいまいで、「アシュモはこう言っていた」以上の確証が得られるものではない。
であるからして「世界を救うにはリョウマとエッチな行為をする必要がある。異世界では別の人物とエッチをした。アシュモは初めてだが、これから頑張る」でも説明は可能なのだ。
「そ、そんなはずは……ないです……! わたしの幼馴染みはチョロくて惚れっぽいやつだけど! やれるからで体を明け渡すような男の子じゃないから……!」
ベルカは見るも無惨な
論理的には否定の余地が見つかる話だとわかっていても、リョウマが知らない間に童貞卒業していた可能性を検討するだけで、彼女の脳みそはズタボロだ。
アシュモはにっこりと微笑んだ。
「初めてのキス、初めての秘め事。ふふっ、果たして真実の証明は、何者にできるのでしょうね?」
「事実かどうかで判断するなら、そもそも性行為を起点に世界を救うって話が胡散臭いんですよ……!」
ベルカは喋るだけで脳みそがボロボロになっていく、壊れかけのマシンみたいな状況だった。
それでも
アシュモは童女のように首をかしげた。
「誤解があるようですが──ここがニルスタリヤであれば、リョウマ様と交わる必要はありませんでした。豊富な決戦魔術の数々が、
説明の筋は通っていた。
天体サイズの宇宙怪獣みたいな化け物と戦う力がない地球で、いきなり孤立無援のアシュモがものすごいスーパーパワーを発揮するなら、全能者の残した力の欠片──リョウマの存在が必要になる。
そういう話なのだろう。
だが、何かが引っかかる。
──俺は自分の力が全能者に由来するって話した覚えはない。
──となるとアシュモさんは元々、俺の力を知っていて近づいてきたことになる。
疑おうと思えばいくらでも疑えるシチュエーションだった。
アシュモの好意をハニートラップではないと判断している根拠は、単にリョウマの勘である。
リョウマの純潔問題を置いておくとしても、アシュモの欲する交わりが、本当に善意からのものなのかはわからない。
おそらくベルカも同じ結論に達したのか、むむっ、とうなっている。
そのときだった。
『すいません、あたしも疑問があります。たぶんリョウマさんもベルカさんも、とっても優しいから言えないんだと思うんですけど──』
魔性の少女は、身も蓋もない指摘をぶっ放した。
『──仮にリョウマさんとエッチしないと滅びる世界、別に滅んじゃってもいいと思いませんか?』
流石のキレ味だった。
一同がそろって絶句していると、ミツキは相変わらずのとぼけた口調でとつとつと言葉を重ねていく。
『昔見たアニメで、女の子を生贄にしないと大勢の人が困る、みたいなお話があったんです。それと同じですよね。生贄がいないと滅びる世界って、そもそもダメダメだと思います』
リョウマもベルカも、彼の身を売り渡すことの是非とは別に「世界は救われるべきだし、大勢の人が助かるのはよいことだ」という価値観を大前提にしていた。
それが彼らの善悪の基準だったし、アシュモはそこを突いて、リョウマの純潔を奪うことを既成事実にしようとしていた。
だがミツキはそういう価値観を切って捨てていた。
呆気にとられたように、アシュモが呟く。
「その世界とは、あなたやあなたの大切な人が生きる未来なのですよ?」
『そうですね。きっと大人の意見はそういう風に、想像力を働かせて、いろんな人が安心して生きていけるように頑張ることだと思います。でも──リョウマさんを生贄にする前提って、気持ち悪いから嫌です』
ミツキの言葉は、おそらく素朴な感情に基づくものだった。
それが倫理的とか道徳的とか、わかりやすい基準での物語ではないことも明白だ。
それでもなお、胸に響く言葉だと思った。
「俺って今、生贄にされそうになって助けられるヒロインみたいな感じなのか……!?」
「キミの緊張感のなさはどうにかならないのかな!?」
間の抜けた呟きに、幼馴染みは頭痛をこらえるようにうめいていた。
とぼけた会話を横目に、褐色の肌をした美しい乙女──アシュモが、色っぽい吐息をもらした。
「ふむ……まるでわたくしが、逆らえない力関係を使って青少年の肉体をむさぼる汚い権力者のような扱いを受けていますね……嘆かわしい……!」
「自己言及が客観的なのってすごいと思うぜ」
「ふふっ、ありがとうございます。リョウマ様、確かに差し迫った危機ゆえに、わたくしに性行為を強要されていると錯覚するかもしれませんが……とっても気持ちいいと思いますよ?」
「前後の文脈がハチャメチャじゃないか!?」
「気持ちいいことはお嫌いですか?」
細められた目の奥で、エメラルドグリーンの瞳がしっかりとリョウマのことを見ていた。
誤魔化すことさえせず、ただひたすらにリョウマのことを愛し、その体を求める情欲の炎が燃え盛っていた。
「……開き直られると困る」
うめいた。
たぶん自分は今、誰から見ても情けないし優柔不断なことを口にしているのだと思った。
何を言うべきかわからない。
あるいはベルカなりミツキなりが、助け舟を出すのを待つべきなのかもしれない。
等身大の女性から、まったく隠すつもりもなく求められるという状況に、少年は間違いなく混乱していた。
アシュモの唇が艶めかしく動いた。
──今まさに言葉が発されようとしたその瞬間。
──その背後で、ガラス板が割れるように景色にヒビが入った。
アシュモが身をひるがえし、猫科の猛獣よろしく飛び上がった。
その右手には、いつの間にか握られた白銀色の剣が一振り。
西洋風のこしらえの長剣、真っ直ぐな刀身が印象的な武装である。
刹那、銀光が閃いた。
──虚空を引き裂いて現れた剣閃。
──刃紋が美しい曲刀が振り下ろされ、銀色の長剣と切り結んでいた。
その瞬間、アシュモは目を見開いた。
まるで人生でもう二度と見るまいと思っていた宿敵に、ばったりと再会したとでも言いたげな──忌々しさを隠そうともしない表情。
歯を食いしばり、銀髪の乙女は吠えた。
「よもや! あなたが記憶を取り戻したのですか!? 時巡りの剣、聖剣の使い手よ!」
その瞬間、リョウマは確かに見た。
虚空を割って現れ、その手に曲刀を握って現れた人物が何者であるのかを。
──黒髪を整えたボブカット、陽気な笑みにすらりと長い手足。
──鍛えられた体は引き締まっていて、衣服の布地越しにもわかる大きな胸とお尻の丸み。
──快活なユーモアを忘れない頼れる姉貴分。
信じられないほどに見覚えがあった。
仕事帰りっぽいビジネススーツに身を包んだその美女は、刀で鍔迫り合いになりながら、リョウマに対して片目を閉じてウィンクしてみせた。
「センリ姉ちゃん!?」
戸惑いだけが声になってしまう。
イヌイ・リョウマの日常の象徴、保護者であるところの年の離れた従姉妹は、気さくな笑みをこぼした。
「リョウくん、悪い虫はお姉ちゃんに任せていいよ!」
さっぱり事情がわからないなりに、鈍い自分にもわかってしまう真実がある。
リョウマは叫んだ。
「……俺の周りの女の子、めちゃくちゃ物騒だな!?」
否定の余地はゼロだった。
・恋愛クソ雑魚生物なので勝手に寝取られ感を味わう幼馴染みヒロイン。
・電話越しに超無礼なマジレスしてくる黒髪ロング超能力ヒロイン。
・セクハラをえっちな雰囲気でしてくる異世界ヒロイン。
・地球と引き換えに童貞を狙われる主人公。
・スーツに日本刀で乱入してくる従姉妹のお姉ちゃん(New!)
ふうん一般人がいないんだよね
怖くない?