疑いというものは、基本的に一度生まれてしまうと打ち消すのが難しい。
人間は
それは根っからの楽天家でおおらかなイヌイ・リョウマとて同じである。
ちょっと緊張感がなさ過ぎるボケを口にしたりもするが、センリの指摘はもっともらしいと感じてしまった。
しかしわからない。
アシュモ・カーダドートは結構な腹黒い異世界人で、ゆえに信用に足らないと言われても──リョウマの記憶が鮮やかに戻って、答え合わせできるわけではない。
それに見るからに、センリとアシュモは険悪な関係のようだった。
──人間関係って難しいよな。仲が悪い相手だと、何でも悪く見えちまうもんだし。
リョウマにはアシュモの無罪を断定する材料がない。
同時にセンリの
直感である。
状況証拠で考えるとアシュモは怪しすぎるが、さりとて地球滅亡を脅しにして、リョウマとベッドインしようとする大悪人というのも何かしっくりこない。
これまで話した人物像と一致しない感触──いや、それこそハニートラップに引っかかった男の妄言かも。
リョウマが首を傾げて考え込んでいると、張り詰めた状況を打開するように、
『すいません、あたしはベルカさんやリョウマさんと違って、そこまでお二人と深いお付き合いがないので──ちょっと気になったことがあるんです』
ホシノ・ミツキだった。
時刻がすでに夜であることも手伝って、彼女はオンラインでこの修羅場に参加していた。流れとしてはリョウマたちと見ていた映画視聴の続きである。
端末の通話アプリ越しに殺伐とした会話を聞いているだけなのに、やけに場を把握するのが早かった。
──ああいや、読心能力で俺の感情とか思考とかを読んで、リアルタイム実況してるんだっけか。
ミツキはとんでもなく格が高い超能力者だ。直線距離で何キロメートルも離れていて、障害物たっぷりの市街地だろうと、リョウマ個人を対象にして心を読むことができる。
そこらのスパイ顔負けのとんでもない異能だった。
リョウマは現代科学とか軍事技術とかには詳しくないが、たぶんベルカが駆使している最新テクノロジーのハイテク機器よりも凶悪なことをしている。
冷静になってみると、常に自分のプライバシーは侵害されていた。心の自由すらないのはガチガチの監視国家だってそうはあるまい。
ともあれミツキは、身体的には遠隔地にいるが、リョウマと同等にこの場の空気を見切っているはずだった。
そんな少女の一言に、ベルカとセンリとアシュモの意識が向けられる。
卓上に置かれた小さな携帯端末のスピーカーが、とぼけた調子で言葉を続けた。
『リョウマさんはセンリさんとほとんど面識がなくて、一年前の事故のあと、初めて顔を合わせたそうですね。なのに異世界の記憶を取り戻したのは、ついさっきの出来事って、
「……えっ?」
思わず声が出た。
てっきりアシュモに関する話題だと思ったのに、予想に反して言及されたのはセンリの方だった。
ミツキの口にした疑問の意味がわからず、何を言うべきか迷う。
そんな少年の動揺を知ってか知らずか──いや、確実にわかった上でたたみかけるように──言葉が重ねられる。
『客観的に見て、リョウマさんの
要約するとこういうことだった。
不自然なまでに顔もほとんど会わせたことがない
異能の少女はそう問いかけていた。
リョウマはまず、視点が斬新すぎて感心した。
皮肉抜きでそうなった。
「……いや、超美人の金持ちの幼馴染みとか、初対面で告白してくる超美人の同級生がいるし?」
『リョウマさん、あたしやベルカさんが美少女なのは事実ですけど! これ絶対、普通じゃないですよ! センリさんの立ち位置、不自然です』
「……すげえ説得力あるな!」
今この瞬間も彼の内面を覗き込んで、その思考も感情も五感も
限りなく異常な側の存在だからこそ、妙に説得力のある台詞を言えるのだと思う。
確かにこれが普通の社会は嫌すぎるが、何故か今、常識人の側はミツキの方である。
リョウマは世間知らずでぼんやりしてる人みたいな立ち位置だった。
『あっ、リョウマさんは今の生き方でいいと思いますよ、その方が可愛いので』
「わりと邪悪な愛玩するよな!?」
『ええ、二一世紀スタイルの愛情表現です!』
「この世の終わりみたいなスタイルだよ!」
二一世紀は愛ゆえに飼育するタイプの恋人の時代らしい。
倫理と道徳が軽んじられた現代文明の末路とか、そういう社会批判的な
おそらくミツキがとびきりヤバい感性をしてるだけである。
一途な恋をされている側としてはうれしいが、ふと「俺の将来ってひょっとして誰に飼われるかを選ぶ感じか!?」と
たぶんベルカもミツキもアシュモも、そういう傾向がある。
こんなことを考えているから、クソボケ野郎と罵倒されるのかもしれない。
リョウマのぼんやりした思考を余所に、リビングはピリピリした空気になっていた。
「──センリさん」
ベルカ・テンレンだった。金髪碧眼の幼馴染みは、静かにその瞳を、リョウマの従姉妹に向けていた。
そこにあるのはかばい立てするような共感ではなく──静かに問いかけるような理性の炎だ。
センリは目を細めて笑った。
「その目を見る限り、ベルカちゃんも同じ意見ってことかな?」
「はい。わたしはセンリさんの人柄を信じています。あなたがリョウマに害意を持っていないのも知っています。だけどこうして、超常の力を持っているとわかった以上──見過ごせない違和感もあります」
「ううん、リョウくんは幸せものだね。こんなに賢くて可愛い子たちに想われてるんだから」
センリの態度は
その振る舞いの落ち着きぶりに、全部が取り越し苦労なのではないかと思いたくなった。
感情はそういう安易な結論を選びたがっている。
だけどリョウマの中にある理性は、冷徹に従姉妹の受け答えのおかしさに気づいていた。
「違うだろ、センリ姉ちゃん。本当に何もないんだったら、姉ちゃんはもっと笑い飛ばすタイプだろ。何でそんな風に──いたずらがバレたみたいに笑うんだよ」
「リョウくんさ……せっかくベルカちゃんやミツキちゃんが、駆け引きっぽいことしてるんだから。もうちょっと耐えようよ。本当に馬鹿正直なんだから……」
ふにゃっとセンリの表情が崩れた。あまりにも愚直すぎるリョウマの台詞に、駆け引きも何もあったものじゃない正直さを見て取って──ツキシマ・センリは笑っていた。
その笑みに交じった破れかぶれの感情は、これまで少年が見たことのない種類のものだった。
どうしてだろうか。
リョウマはこの一年間で感じたことがないほど、おのれの心臓が高鳴るのを自覚した。
それは恋のときめきではなかった。
もっと切実に心臓を素手で掴まれるような、痛々しくて刺々しい感情だ。
──センリ姉ちゃんは明るくて頼りになって、いつだって俺を
──
何を言うべきかわからなくなった。
下手なことを口にして、センリを傷つけたくなかった。なのに沈黙を選べば、それ自体が彼女を傷つけるとわかってしまう。
クソみたいな時間だった。
つい二ヶ月ほど前、一年前の劇場事故の真実を知ったときみたいな苦痛──バクバクと心臓が早鐘のように鳴り続けている。
今にも叫び出したいほどに感情は荒れ狂っている。
それなのにイヌイ・リョウマは愚かな子供だから、大人のセンリにどういう言葉を選べばいいかわからない。
泣き出したいほどの無力感と焦燥感に駆られるリョウマに、冷や水を浴びせたのは──先ほどまで話題の渦中にいた人物だった。
「おやおやおやおや……気まずい
アシュモだった。
様々な隠し事をしていたことが、あっさりと暴露された異世界人──千年女帝なる異名を持つ女は、その幼い容姿に見合わない、
切れ長の目にはめ込まれた鬼火色の瞳には、はっきりと嘲笑の意図が浮かんでいた。
外行きの仮面を取っ払ったということなのか、先ほどまで攻撃されていた意趣返しということなのか、生き生きとしている。
リョウマはちょっと呆気に取られた。
「……元気すぎないか?」
「リョウマ様。要点をかいつまんでお伝えしますが──ええ、我が故郷ニルスタリヤが、地球の倫理観で裁くのならば外道の所業をしていたのは事実。ゆえに術者であるアシュモ・カーダドートが疑われるのも相応の評価です。その点において、ツキシマ・センリの言は正しい」
「もしかして今、開き直ってるのか?」
「正直は最大の美徳ですからね」
「おお……」
面の皮が厚すぎて呆れるより先に感心してしまった。
腹黒くて過去の所業がアレでいい性格しているとバレていく──アシュモは客観的に見ると、空中分解してる飛行機みたいに悲惨な状況なのに、晴れ晴れとして、むしろ魅力的だった。
たぶんその顔に浮かぶ笑みが、あまりに
あるいは取りつくろって、異世界からの押しかけ女房していたデートのときと同じぐらい、その邪悪な微笑みは綺麗だった。
携帯端末の向こうでミツキが叫んだ。
『リョウマさん、リョウマさん! ちょっとチョロすぎて、すぐ尻尾振るダメダメなワンちゃんみたいです!』
「人聞き悪ぃな!? シンプルに悪口だろ、今の!」
ちょっと見惚れていたのがバレバレだった。
すぐ隣でベルカ・テンレンが机に突っ伏して「うわっ……わたしの幼馴染みが駄犬すぎる……!」とうめいている。
どいつもこいつも情緒不安定すぎた。
さっきまでの気まずい空気が嘘みたいに、バカみたいな
リョウマが感情をどう落ち着ければいいかわからず、
「ふふっ、そろそろお
「ここで帰るとめちゃくちゃ怪しいままだと思うぜ?」
お人好しの少年の口から飛び出た正論──銀髪褐色の美女はそれを聞いて、本当に楽しげに喉を鳴らした。
その愚直さを嘲笑うことなく、ただ好意を抱いているのだと伝えるように。
甘やかにアシュモは微笑む。
「──あなたはわたくしを信じている。ならば他の何者が、どんな
有無を言わせない迫力があった。
それはまるでギラギラと輝く太陽のような感情だった。毒々しい光を放って、大地を照りつけて人の命を奪う日差しのような恋情。
とびきり
リョウマはその一言できゅうっと
理屈ではない。
アシュモという人物の多面性を、たっぷりと浴びせられたような気持ち。
そんな彼の反応のひとつひとつが、愛おしくてたまらないとでも言うように──異世界からの来訪者は、華麗に一礼した。
センリのすぐ横を歩いて、玄関まで去っていくその最中。
女は不敵にこんなことをのたまった。
「アシュモ・カーダドートの愛が地球人類にとって有害であるかが問われるように、ツキシマ・センリの始まりが真実であるかも問われているのです。つまらない見栄など、捨ててしまいなさい」
これっぽっちも自分に非があると思ってはいない人間の自信があった。
力ない笑みを浮かべていたセンリは、その瞬間、苦々しい感情を露わにして──本音を叫ぶのだった。
「リョウくんの童貞狙ってる
アシュモはすまし顔でうなずいた。
「乙女心です」
聞いたことない定義の乙女心が飛び出してきた。
異世界って恋愛のやり方もすごい、と圧倒されるしかない。
彼の気持ちにまるっと同調するように──携帯端末の向こうで、ぽろっとミツキが呟いた。
『すごいことになっちゃいましたね』
「今の流れ作ったの、俺たちだからな?」
ホシノ・ミツキは自由だ。
相変わらずすぎて、こっちもすごいよなと感心するリョウマだった。
一般的ヒロイン:疑われると傷ついたり焦ったりする(普通)
アシュモ:まあ雑魚が何を言おうが想い人の好意があるならどうでもいいか(最悪)
ミツキ:わぁ(感心)
わりと雰囲気で言いくるめています。