厄ネタヒロインたちとラブコメをすることになった 作:灰鉄蝸@機甲猟兵エルフリーデ発売中
──誰にだって忘れ去りたいような過去はある。
──私の場合、それは十代半ばの子供だった頃の話だ。
忘れたいのは、自分自身の未熟さばかり思い浮かぶからだ。
なのにそのくせ、絶対に忘れたくないという気持ちだってある。
ああ、今でも目を閉じれば思い出せる。
──目も覚めるような、突き抜けそうなほどに青い空の下。
見たこともない天高くそびえ立つ塔の群れ、雲の上を飛び交うクジラのような飛空艇の船団、まるでファンタジーアニメみたいな格好をした人々。
大地の上には、これまたファンタジーって感じの不思議な生き物。
何もかもが未知数で、自分がどんな状況かもわからなくて、ただ怯えて周囲を見回すことしかできなかったあの頃。
高校の陸上部の帰り道、自宅に向かっていたはずの自分は──気づくとよくわからない異世界にいた。
「……何これ?」
まるでありきたりの異世界ファンタジーみたいな風景だ。
動画配信サイトに数限りなく、それっぽいタイトルのアニメが並んでいるような感じのあれこれ。
ひょっとして気合いの入っている映画の撮影現場に迷い込んだのかもしれない、と現実逃避。
きっと見慣れない景色は、最新の大型スクリーン背景とかホログラムとか、そういう感じのお金のかかった機材に違いない。
うん、そうだ。
きっとそうに違いない。
以前、SFが題材の海外ドラマの撮影で、大型スクリーンに風景を写して撮影してるってニュースで見たことがある。
昔の映画やドラマだとCG合成のためにグリーンバックの殺風景な景色だったけど、今どきはそうやってCG合成の手間を減らして見栄えよくしてるとか。
──すごい、最近は国産ドラマでもこういう撮影やるんだ!?
思わず感心してしまった。
ぽけーっと緊張感なく、ファンタジーっぽい景色を眺めた。
明らかに垂直方向に数キロメートルはありそうな超巨大建築とか、遠近感がすごくて空を飛んでるようにしか見えない船とか、最近の撮影現場ってリアリティが高い。
そうそう、甲冑を着た騎士とか、神官っぽい人たちの雰囲気も抜群である。
なにせ髪色も顔つきも、どう考えたって外国人のそれなのだ。
近頃は国際色豊かになってきたとはいえ、それでも極東に住む人間の大半は、たぶんここまで多様ではない。
数人ならまだしも、こうして集団と呼べる数をそろえるとはなると大変だろう。
流石に専門の役者を雇ってるんだろうけど──お金のかかってる映画なりドラマなりで、有名な役者をゴリ押ししないのは珍しいかも。
あれ、なんかすごく、こっちをじろじろ見てる。
「……ええっと、ひょっとして、私ってお邪魔でした?」
突き刺すような視線が肌で感じられた。
思わずそう呟くと、騎士の一団がさっと割れた。彼らは片膝をついて、これから通る人物に最大限の礼を尽くすという姿勢に。
自分が本当に何もわからなくて「えっ? 何?」ときょろきょろ視線をさまよわせるだけだった。
今にして思えば間抜けすぎて、死にたくなるほど恥ずかしい記憶。
それも仕方ないと思う。
だってあのときの自分は、あまりにも何も知らなくて、何も持っていなくて、何もできない子供でしかなかったから。
騎士たちの間を、まるで海を割った聖者よろしく、堂々と歩いてくる人影。
銀色の美しい長髪、鬼火のような緑色の瞳、チョコレートみたいに鮮やかな褐色の肌、微笑みをたたえた美貌──小柄ながらも綺麗な少女だった。
よく見れば宝石のネックレスや金細工のピアスを耳につけていて、たたずまいだけで高貴な人物とわかる。
あまりに浮世離れした美人だった。
流石に現実逃避にも限界はある。
──何これ? えっ、こんな人、現実にいるの?
──髪を染めてるのかな? どこの国の人か全然わからないや。
戸惑いの末、ぽけーっと突っ立っていた少女は、恐る恐る声を振り絞った。
「あのっ……私に何か、ご用ですか?」
たぶん勇気と蛮勇を取り違えた行為だったのだと思う。
その一言を放った瞬間、如何にも高貴なお姫様ですという感じの女の子の周りで、ざわっと空気が変わるのがわかった。
それはまるで、礼儀を失した振る舞いを咎めるような雰囲気で──事情が飲み込めないなりに、少女にも伝わるものはあった。
──ヤバい、なんか私、ミスしたっぽい?
ここはどこだろう。
ひょっとして、と脳裏をよぎる可能性。
もし眼前のファンタジー風コスプレ集団が、ゲリラ撮影してる映画やドラマの役者じゃなかったら。
明らかにこの世のものとは思えない風景が、手の込んだ特殊撮影の産物じゃなくて──本当に実在するものだったら。
ああ、遠回しな言い方はやめよう。
──
ありえない、そんなことあるわけがない。
自分はきっとバカみたいな夢を見ているのだ、と思いたかった。
暇つぶしに変なアニメを流し見したせいで、白昼夢にまで影響しているに違いない。
目と耳はそうやって、圧倒的に押し寄せてくる現実感から逃避しようとする。
鼻で感じ取る香りが、明らかに現代の通学路のそれとは異なっていることなど──向き合いたくもなかった。
ふわり、と甘やかなにおいがした。
目の前で異郷の美しさを持つ少女が、にこやかに微笑んでいる。
「ふふっ、怯えているのですね。遠き異界の子よ。怯えることはありません。あなたは勇者として、我らに選ばれたのですから」
言葉は通じていた。
そこに悪意は感じられなかった。
だからこそ恐ろしいものがあるのだと、その日、初めて知った。
ざわり、と肌がひりつくような錯覚。
その美しさも、所作の気品も、微笑みの優しさも、何もかもが脅威と無縁に思えるのに──直感的におぞましさを覚えた。
それはまるで、人の形をした怪物が、その振る舞いを真似ていることに気づいてしまったかのような不気味さ。
理屈ではなかった。
これは生理的嫌悪感であり、あまり褒められたものではない差別的な感情なのかもしれない。
理性はそのようにブレーキを踏んでいる。
自分の中の人並みにはある道徳心も、そういうのを初対面の人に見せるのはよくないと告げている。
なのに。
──怖いよ。
──この人のことが、私は怖い。
何もわからなかった。
どうして通学路を歩いていたはずの自分が、いつの間にか、ぬるりと景色が塗り替わった異世界にいるのか。
こちらをじっと眺めている騎士や神官のような連中は何なのか。
そして目の前で微笑みを絶やさない少女に覚えた、言いようのない不快さは何故なのか。
あるいはすべては
──もしここが本当に異世界で、私が知ってるファンタジーものみたいに剣と魔法の世界なら。
──あのコスプレ騎士団が本物で、彼らが剣を抜いたら、容易く自分は斬り捨てられるはず。
緊張感で口がカラカラに乾いていた。
先ほどの声がけに対して、どんな言葉を返すのが最適解なのか──いや、言葉を発さずにあいまいに笑ってる方がいいのだろうか。
通っていた高校の制服が、ひどく頼りない衣のように思えた。
「勇者って……私が? 私はただの高校生で、陸上部だけど……戦うとかそういう話なら、そういうのが得意そうな人、いるんじゃない?」
「いいえ、まったく問題ありません、若き勇者よ。あなたの存在こそが、未来に待ち受ける災厄との戦いを決定的に変えるのですから──わたくしたちは、あなたの生み出す可能性に賭けている。ですから現時点のあなたが、非暴力主義だったとしても構わないのです」
そこまで一息に言い終えたあと、銀髪褐色の少女は──後ろから聞こえてきた足音に沈黙した。
──コツン、コツン、コツン。
たぶん気取った革靴、それも立派なブーツなんだろうなって想像できるような足音だった。
履き慣れている様子はなくて、むしろ靴に履かれてしまっていて──歩きづらさだけが浮かび上がる。
一体どんな人間が不格好なブーツを履いているのか。
破れかぶれの好奇心を胸に抱いて、少女は後ろを振り返った。
そこにいたのは、如何にもファンタジーという感じのコスプレ騎士団ではなかった。
もっと奇妙に地に足ついた、どこか落ち着き払った少年が一人。
黒い髪を短く刈り込んでいて、意思の強そうな瞳が印象的な若者だ。
彼の存在は異質だった。
どういうわけかわかってしまう──生まれ育った環境、母語としていた文化圏、そういうものの積み重ねで生じるもの。
同胞を見つけたという安心感が、どれほど心に安らぎをもたらしたことか。
少年は数秒間、この場で一番浮いている少女に目を向けていたが──すぐに歩き始めた。
向かう先にいるのは、大勢の騎士を従えた銀髪褐色の少女だった。
「……驚いた。まさか同じ国の、同じ時代から呼んだのか?」
「おや、わかるものなのですか?」
「服装でわかったよ。たぶん時代だって十年二十年のズレだろ。ああ、認めるよアシュモ。君はどうやら、俺達の地球から狙った年代をピックアップしてる」
少年はまだ、少女のことを何も知らない。
もしかしたら一番残酷な出会い方をしているのに、それに気づくこともないように。
少女はまだ、少年のことを何も知らない。
だから少女は、繰り広げられる会話が示唆する真実にたどり着けない。
少年はあらためて、そっと少女に歩み寄った。
「
そっけない言葉の中に、こちらの激情を優しく抱擁するような落ち着きがあった。
こんな素朴な善意に、少女は泣きそうになった。
ポロっとこぼれた涙に負けじと、意地で自己紹介をした。
「私はセンリ、
──大抵の物事には、綺麗な
──異世界に放り込まれた女子高生の悪戦苦闘、聖剣片手に悪党をぶちのめす世直しの旅。
──
異世界ニルスタリヤの秘術は、時間と空間を超越した情報転送が可能ですが、その対象となる時間軸には多少のズレが織り込まれます。
例えば地球から勇者の魂を呼ぶと言っても、十年前後のズレが発生して、異なる時代の人間を同じ時間軸に集結させることがありえるのです。
これは地球とニルスタリヤの時空間的な距離を思えば誤差でした。
出身時代の誤差があるものの、ニルスタリヤで出会った少年と少女は、お互いを同郷の同年代と認識しています。