今のはすこぶるパンチのある発言だった。
リョウマは深呼吸した。実際のところ、自分はことの真偽はさっぱりわからないし、ミツキの発言の真贋なんてこれまた判断不可能だった。
浮き足だってしまうのは単純に心構えがよろしくない。
ミツキが神秘的でエキセントリックな言動をするから忘れがちだが――彼女がどういう人間なのか、イヌイ・リョウマはまだ全然わかっていないのだから。
「そうだな――仮にベルカが人間じゃないとしたら。たぶんめちゃくちゃいいやつなんだと思うよ、俺は」
「すごいですね、イヌイさん。普通、もっとむきになって怒られるかと思いました」
「ああ、別にいい気分じゃないけど。でもホシノさんが、ふざけてそういうこと言ってないこともわかる。じゃあ俺にできるのは、こういう気休めだけさ」
自分で言っていて情けなくなってきた。
よくよく考えてみれば、ホシノ・ミツキの問いかけでベルカ・テンレンが一時離席したのだって十分よろしくない展開である。
このお花見を企画した人間として、多少なりともフォローすべきだった気もするが――いや、これは未練だろう。
やくたいもない思考を読み取ったのか、ミツキがくすりと微笑んだ。
「イヌイさんは――もし、あたしが、あなたが思っているより悪い子だったらどうします?」
謎かけみたいな問いかけだった。
長い黒髪に白い肌、端整な細面に赤い瞳――本当につくづく浮世離れした美人だ。こんな綺麗な子に、どういう経緯かわからないまま好かれている。
都合がよすぎるといえば、よすぎる状況である。
だが、リョウマの口から転がり出てきたのは本音だった。
「――もう今の時点でだいぶ悪いやつだし、道を踏み外してるし、道徳的にはモンスターの部類だと思ってるよ。嘘偽りなく」
「そ、そこまで……!? そこまで言われるほどですか!?」
「会って五秒で洗脳しようとするやつ、俺も初めてだから……ああ、初見の衝撃ありすぎてマジでびっくりしたけど」
「そんな……好きな人によく思われたいのは普通のことだと思います!」
「ああ、手段が洗脳じゃなければ俺も同意するよ」
リョウマなりの誠意を込めた言葉だった。なので口にした部分と心の中の本音に乖離はない。一言一句違わない裏表のない言動のはずである。
ゆえにミツキがどんなに人の心を読める超能力者だろうと、真意を探っても、押し殺してる本心なんて存在しない。
馬鹿正直すぎる断言に、それまで余裕たっぷりだった少女は、口の端を引きつらせた。
「ほ、本当に隠し事ゼロなんですか……!? 信じられない、そんなのありえるんです!?」
「ひどいな。人間、正直が一番だってよく言うじゃないか。俺、腹の底では別のことを考えてる類の保身はしないことにしてるんだ」
「イヌイさんって変な人ですよね」
憮然とした表情だった。存外、そういう感情が表に出ている姿も可愛いものだな、と思う。
それが伝わったのか、ミツキは目を細めて――にっこりと微笑んだ。
しまった。心を読まれるのでこの手のやりとりでは、リョウマに勝ち目はないのだ。
「でも今のは嘘ですよね。イヌイさんって自分のためには嘘をつかないかもしれませんけど――他人のためなら嘘をつくじゃないですか」
「ノーコメントでいいかな?」
「保身はしないんですよね?」
「うん、だけど――他人のための嘘なら突き通さなきゃいけない。そういうもんじゃないか?」
イヌイ・リョウマには自覚がある。間違いなく自分の価値観は、世の中の多数派だとか普通だとか言い張れるものじゃないという自覚だ。
そして世知辛いことに、こういうのは世の習いに従った方が生きるのが楽である。
そんなことはわかっている。
だが、自分にも譲れない一線はあるのだ。
ホシノ・ミツキの自由奔放で、容易く他者の心の内に踏み入るありようは――そんな彼から見てあまりにも開放的だから魅力的で、同時に反発を覚えるものでもあった。
――まあでも、俺の心を読むだけならそんなに不愉快でもないんだよな。
たぶん普通の人は、びっくりしたり怖がったり薄気味悪いと思うのだろう。
それは常識的なことだ。
マッチで火をつければ薪が燃えるように、自然現象のような当たり前の心のありようだった。
――
イヌイ・リョウマはそのように、自分と他人の違いを認識している。
レジャーシートの上に座って、春のお花見としゃれ込んでいるというのに――どういうわけか今、少年の心に吹き荒ぶのはそういう冷たい納得だった。
不意に、自分の手に触れる柔らかなものを感じた。それは少しひんやりとしていたが、血の通った人間の手指だ。
目を向けると、そこにホシノ・ミツキの手があった。少女の頬は少しだけ上気していて、緊張がその指先から伝わってきた。
細くてしなやかで、リョウマのそれよりずっと小さな手だ。
「……少しはドキドキしてくれますか?」
ミツキがやわらかに微笑んだ。
現金なものだった。イヌイ・リョウマは人並みに初心な男だから、こんな仕草をされたら心が揺れ動いてしまう。
たとえつい先日、幼馴染みのベルカ・テンレンから恋愛感情を告げられていたとしても――綺麗なものに親しみを向けられると、それに応えたい気持ちだって生まれるのだ。
鋼のような理性を総動員して、少年は問いかけを口にした。
「照れてるよ、これでも……ひとつ、質問していいかな?」
「どうしてイヌイさんを好きになったのか、ですか?」
「もう俺の心のプライバシーないね、わかってたけど!」
暴かれ放題の心には、もう隠し事する元気もない。
不意にミツキは重ねた掌をぎゅっと握って、すぅっと深呼吸した。
ほっそりした指先のこわばりで、鈍いリョウマにもわかった。
――
意外だった。
思えばホシノ・ミツキには、出会ったその瞬間から振り回されっぱなしだったのである。
動揺したり緊張したりするのは、どう考えたってリョウマの方だった。
彼の疑念は少女にも伝わったはずだった。
だが、答えはない。
「イヌイさん、あたしは――」
美しい娘だった。晴れ渡った空の下、流れるような黒髪がそよ風に揺れていた。雪のように白い肌は紅潮していて、切れ長の目の奥では赤い瞳が揺れる感情を表している。
泣きそうな顔だと思った。
目と鼻の先と言えそうな距離に、まだろくに胸の内も知らない少女がいた。
リョウマにはきっと、彼女の好意に応える義理なんてない。
こういう状況になったのはやけくそ気味のトライ・アンド・エラーの果てで、巡り合わせとしか言いようがなかった。
それでもよかった。
――縁ができちまったからな。
リョウマは力強く、頷いてミツキの顔を見つめ返した。
この風変わりにもほどがある少女が、何故、自分のようなとぼけた男を好きになったのか――よもや初見時の一目惚れだなんて言葉を、そっくりそのまま受け取るほどリョウマは大人ではない。
理由が知りたかった。
理由のわからない好意は怖いから、理由がわかれば、何かが変わるかもしれないと思った。
「答えられるなら答えてくれ。俺、チョロい方だから
ミツキはびっくりして目を見開いた。その小さな口から、正直すぎる言葉がこぼれ落ちた。
「イヌイさん、自分でチョロいって自称するのどうかと思います……!」
「待ってくれ! 俺、今ちょっといい感じの台詞言ってたぜ!?」
「でもちょっとナルシシストっぽいです……!」
少女は浮世離れしてる美貌の持ち主だが、ツッコミの感性は意外と俗っぽかった。
自分でも「今の俺ちょっとかっこいいかもしれない」と思っていたリョウマは、そのよって立つ根拠を粉砕されてしまった。
上手いこと誤魔化されたな、と悟る。
だけど困ったことに、そこまで不快でもなかった――むしろ楽しく感じている自分を見つけて、リョウマは笑った。
「そう言われるとマジで返す言葉もないね! ……でもよかったよ、少しだけわかった気がする」
イヌイ・リョウマには人の心を読む超能力もなければ、一から十を知る名探偵みたいな洞察力もない。
だから格好良く全部を知るなんて、土台、無理な話だった。
「俺が保障するよ、ホシノさん。たぶん君はよこしまな目論見があって、俺に近づいてきたんじゃない。死ぬほど不可解だし、道徳的にはどうかしてる要素しかないけどね」
「……ええっと、褒められてます?」
「うん、初見の印象からするとすっげえ改善されてる」
「それ最初のイメージが最低なだけですよね!?」
白い肌の少女は、むうっと頬を膨らませた。どこか童女めいた幼い仕草だが、ミツキはとにかく綺麗な子だったので、そんな幼稚な仕草すら可愛らしさに思えた。
重ねられた掌のぬくもりを感じた。
静かにそよ風を肌で感じる。
――歌が聞こえる。
それは遠く、彼方から聞こえるかすかな音の連なりだった。
女の声だった。
誰かが歌っているのかと思ったが、歌い手の姿は影も形も見えなかった。
それは綺麗な歌声だったけれど、何故か、どうしようもない不吉な印象を抱かせる声だった。
「……歌声?」
リョウマの呟きを訊いた瞬間、びくん、とミツキの手が跳ねた。
それまで子供っぽくすねていた少女の表情に、その刹那、確かに動揺が走っていた。
「……え……あ……うそ、なんで……」
か細くしぼり出すような声が、ミツキの喉から漏れ出していた。
リョウマはそこに宿っていた感情を見て取った。少女の赤い瞳を揺らしている感情は――
ただ事ではない怯えようだった。
「――ホシノさん、ここにいてくれ」
ランチシートから立ち上がる。重ねられた手を離す。少女の体温から遠ざかる。
歌声が聞こえてくる方角を特定しようと、リョウマは視線をさまよわせて。
次の瞬間、何かが弾ける音を聞いた。
全身をめちゃくちゃ強い力でぶん殴られたような衝撃――イヌイ・リョウマの身体は、思い切りハンマーを叩きつけられたかのように転倒する。
続けて轟音が聞こえた。
――深紅の液体が飛び散る。
何が起きたかわからなかった。自分の背後で起きた何かが、一体、なんであったのかすらわからないまま、もがくようにリョウマは立ち上がる。
激痛が全身を支配していた。
関係ないと思った。
掌をべっとりと濡らす液体と断片。
命を駆動させる熱量をともなったそれ。
うっすらとその正体に気づきつつ、現実を拒むために、後ろを振り返った。
「ホシノさん――」
そこにあったのは人影ではなかった。スプラッター映画のようにそれっぽい残骸が転がっているわけでもない。
ただ真っ赤な染みだけが、広げられたランチシートの上に広がっていた。
リョウマは混乱はしなかった。
ひどく落ち着いた理解が、冷たい実感に支配された脳髄を埋め尽くす。
――この真っ赤な染みが、ホシノ・ミツキだったものだ。
つまりこういうことだ。
リョウマのすぐ傍を通り過ぎて、衝撃波が生じるほどの速度で何かが飛来して、ついさっきまで言葉を交わしていた少女を跡形もなく消し飛ばした。
全身が痛む。
ありえないだろ、と呟く暇もなかった。
刹那。
――リョウマの頭は高々と宙を舞っていた。
血を噴き出す自分の肉体を見た。
そして宙を舞うリョウマの脳髄は、鮮血に支配された世界の中で――黄金の髪を目に焼き付けた。
「ごめん、リョウマ――
意識が闇に落ちるまでの数秒間で、リョウマは確かに実感した。
どうやらこれは夢でも幻でもなく――自分を殺したのは、ベルカ・テンレンであるという事実を。
主人公「精神干渉型の洗脳ミーツヒロインが襲ってきたと思ったら、幼馴染みヒロインは物理破壊型だったようだな…」
いわゆる「バッドエンドだけど拾える情報が多い」タイプの分岐でした。
トライ・アンド・エラーは続きます。
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