ベルカ・テンレンには幼馴染みがいる。少々、事件性のある過去を持っているものの、今現在では平凡と言っていいはずの少年だ。
彼の名はイヌイ・リョウマ。
極東の弧状列島に生まれ育った一市民だった。この地球上に生まれ落ちる命にとって、確率論的な話で論じるなら運がいい方の個体である。
何せ、比較的、平和で豊かな地域に生まれたのだから。
とはいえ同時に、彼の悪運の強さもまた触れるべきだろうか。
――ひとつの家族が全滅する手前の状況で、一人だけ生き延びるような運をどう呼ぶべきなのだろう?
ベルカは幼馴染みの少年のことが好きだった。
これはたぶん、他者から見れば限りなく奇妙で信じがたいことだろう。
理由は明白だった。
生まれた国も人種も違い、育った環境も社会的階級も異なる誰か――普通に考えれば、結びつくのが途方もなく難しい断絶に隔てられている。
少女は大富豪の一族である。
唸るほどの金持ち――はるか天上の世界に人工衛星を打ち上げ、多額の出資をして軍事技術の発展を促し、次世代の発電炉の開発に貢献する桁違いの資産家。
富によって新たな富を作る類の群れ。
テンレンとはそういう一族の名である。正確にいえばベルカは養子であって、その一族に生まれ落ちたわけではないが――まあ相応の厚遇を受けている。
――でも仕方ないよね、好きになっちゃったんだから。
そう思った。
ベルカ・テンレンは自他共に認める美少女である。
極東の地では珍しい容姿をしているという自覚もある。黄金の髪は長く伸ばされ、背中側でポニーテールに結わえられていた。ミルク色の肌には染みひとつなく、青い瞳は晴れ渡った空のように澄んでいる。
なめらかで造形のよい顔立ちに、豊かな胸の膨らみ、きゅっと細い腰つき、引き締まった太もも。
素晴らしい。
重ねて言おう、ベルカ・テンレンは美少女を自認している。
――つまりわたしは美少女だし、リョウマのやつもおおむね、わたしのことが好きだと考えていいっ!
ベルカは臆病な女である。
ここまで自信満々に相思相愛を信じているくせに、肝心な一歩を踏み出せない。
別段、恋愛関係に発展するのが怖いなどという惰弱な理由ではなかった。
もっと根幹的な部分で、少女には負い目があった。
それはリョウマに対する罪悪感であり、それゆえに少女はこれまでの一年間――イヌイ・リョウマと再会してからの時間だ――において、じりじりと距離を測るようなコミュニケーションを取ってきた。
つまりベルカ・テンレンは――
――恋愛クソ雑魚生物だった。
悲しいことにベルカはその自覚があった。
わかっている。
自分は途方もない美少女であり、頭も家柄もよくて才能にあふれている。普通に考えれば一発でノックアウトさせて恋愛勝者になっているべき存在なのだ。
なのに情けないことに、実際の自分は流されるままに悪友めいた距離感に慣れてしまった。
危機感は抱いていた。
ちょうどリョウマの高校進学して新生活が始まったばかりである。
有象無象の知らない女が現れて、横から華麗にイヌイ・リョウマの初めての彼女の座を奪っていくことは――ありえた。
想像する。
ベルカの脳は強い負荷によって破壊された。
「うぬおおぉおおお……」
うめき声が口から漏れる。
送迎用の自動車を運転しているドライバーは、ベルカとも顔馴染みなので見て見ぬふりをしてくれた。
金髪碧眼の美少女が、想い人を寝取られる景色を想像して震えるという形容しがたい情景――誰がどう見たって不審者の挙動であった。
春物のワンピース、おろしたての新しい洋服を着ていても、その脳裏をよぎるのは最悪の可能性だった。
――いやまあ、あのクソボケ野郎のリョウマが急にモテるとは考えづらいけど!
だが、自分がそうであるように、そういう変な男が好みという女子もいるかもしれない。
少女は
そこまで苦悶するならさっさと恋人に名乗りを上げてしまえばいい――この世で最もシンプルで力強い答えを実行できないところに、ベルカ・テンレンの弱さがあった。
わかりきった葛藤である。
すぅーっと自動車が停車した。
目的地に到着したのである。運転手はいつの間にかバックミラー越しにベルカのことを見ていた。
「お嬢様、ファイトです」
「その応援、何に対するやつかな?」
「強いて言うなら運命……でしょうね」
運転手は詩人だった。
ベルカ・テンレンはもにゃもにゃと曖昧な返事をすると、するりと自動車を降りた。見慣れた住宅街の一角、イヌイ・リョウマの住む一軒家の玄関口が見えた。
腹が立つぐらいの晴れた空の下、春のそよ風が頬を撫でる。
何やら玄関で家人と話している少年の後ろ姿に、明るく弾むような声をかけた。
「あっ、リョウマ! ちょっと予定にないけど遊びに来たよ――」
刹那、リョウマが振り返る。
若干ぎこちない動作だった。心なしか顔色も悪い気がする。例えるならばそう、サスペンス映画で疑心暗鬼に陥ってる登場人物みたいな表情である。
ただならぬ事情を察して、ベルカは浮かれていた気持ちを引っ込める。
一拍遅れて、少年から問いかけが発された。
「なあベルカ、お前って実は俺に対して殺意を秘めてたりするか?」
唐突で意味不明だった。
それが流行りのショート動画とか、SNSで話題のネットミームの類とか、そういうものかと考える。
いや、リョウマはネタ振りを唐突にするタイプではない。
ゆえに理解に苦しむ。
少年の意図を理解しかねて、金髪碧眼の少女は困ったように微笑んだ。
「リョウマ、その質問って――わたしが
沈黙が降りた。
ベルカ・テンレンは察した。
事情は皆目見当がつかないけれど、たぶんリョウマは今――盛大に言ってはいけないことを口にしたのである。
少年はうろたえたあと、やけくそ気味に爽やかな笑顔を浮かべた。
「――よし、忘れてくれ」
ベルカはもちろん無慈悲だった。
「無理に決まってるじゃん!?」
◆
「…………えっ、ちょっと展開がだいぶヤバくない? なんでそうなったわけ?」
まず結論から言おう。
三〇分で決着はついた。
最初の一〇分でイヌイ・リョウマの口を割らせて、彼がこれまでの経緯を話し終えるまでにざっと二〇分かかった。
ベルカは周囲を見渡す。
ここは一軒家の二階部分、イヌイ・リョウマの自室である。
学習机とベッドが置かれた、さほど広くない一室。
見慣れた部屋であった。
よく整理された一室は、少々、思春期の男の子のそれにしては小綺麗すぎたが――とりあえずぱっと見だとアルコールの容器だとか、ヤバそうな違法薬物の使用痕跡などは見受けられない。
なのでそう、ベルカ・テンレンは困ってしまった。
「……話をまとめようか。つまりリョウマは今、どういうわけか、死んでは時間が巻き戻る怪奇現象に巻き込まれていて、これまでに三回ぐらいタイムリープしてると」
「ああ」
「それでついさっき……つまり
「そういうことになるな」
「……時間、どれぐらい巻き戻ってる?」
ベルカがいぶかしみながら問いかける――部屋の真ん中に置かれたローテーブルの向かい側、渋い表情をしている少年はしかめっ面になった。
「たぶん
「ごめん、ちょっとストップ。情報量が多すぎて意味わからなくなってきたよ」
ベルカ・テンレンにも許容量というものがある。様子がおかしい幼馴染みを問い詰めてみたら、いきなり時間跳躍と超能力者が出てくるドタバタ劇を聞かされたのである。
流石に厳しいものがあった。
金髪碧眼の少女はひとまず、リョウマの口からするする出てきた妄言――普通ならばそう切って捨てるのが当然だろう――に、どう対応したものか迷った。
そう、本当に困ってしまう。
ベルカ・テンレンにはそういう超自然現象に対する知見――彼の口にする概念が、絵空事ではないと納得してしまえる予備知識――があったのだから。
「リョウマ、ところでもう一回訊いておきたいんだけど。キミって何が原因で死んだんだっけ?」
ベルカはすっとぼけた顔で質問した。さっき一度は尋ねているのだが、にわかには信じがたい答えだったし、リョウマの反応をうかがうためだった。
「それだよ、それ。三回死んだ経験のうち、少なくとも二回はお前に殺されてるんだけど――心当たりあるか?」
「すごいよリョウマ。ループものっていろいろあるけど、自分殺したやつにいきなり聞き込みするのは前代未聞だよ。ノーガードにも限度があるでしょ」
ベルカは呆れてしまう。青い瞳の少女は半眼で幼馴染みを見た。
おそらく眼前の少年に深い考えはない。
イヌイ・リョウマは何かと神経が太いクソボケ野郎だが、自分の首が物理的に飛んでなお、この態度を貫けるのは大物すぎる。
クソ度胸の持ち主と言っていいだろう。
あるいは想像以上の大馬鹿野郎。
「待てよベルカ。想定外のバカを見る目はやめろ。俺だって動揺してるんだぞ、いきなり首が飛んで気づいたら一週間前にタイムリープだ。そりゃ思わず言っちゃいけないこと言ったりもする」
他人事みたいなドライさでリョウマは言い切った。ついさっき斬首されてた当事者にしては元気すぎる。
元々こういう男――すっとぼけていてタフで度胸にあふれている――なので、そういう意味では一貫性の塊ではあるけれど。
それにしても怖いもの知らずというか、もうちょっと慌てた表情をすべきである。
「それにほら、ループものって
妄言だった。
こいつ本気か、と困惑すること三秒。
言うか言うまいか迷った末、ベルカ・テンレンは首を傾げながら指摘すべきことを叩き込んだ。
「いや、死に戻りが能力ってわかってるなら対処法なんていくらでもあるじゃん? 拘束して監禁すれば無力化できるわけだし……例えば拷問や薬物投与で精神を破壊してリリースするのもありでしょ? 人間って意外と死なないから意思も尊厳も破壊できるよ。キミ、わたしが本物のヤバいやつで、そういう対処をしてくる相手だったときの想定がない。本当なら、わたしに問い詰められた時点で自決するぐらいの覚悟が必要だと思う」
無情にして残酷極まる指摘だった。
特に拷問と薬物のくだりがよかったらしく、リョウマはちょっと泣きそうな顔でうめいた。
「…………素面でおっそろしいこと言うなよ! 怖いだろ!」
「キミの蛮勇に恐ろしくなってるのはこっちのほうだよ!? そういうアホみたいな言動だから死んでるんじゃない?」
「少なくとも二回はお前に殺されてるわけだが」
「そう、問題はそこだよね」
ベルカ・テンレンにとってイヌイ・リョウマの供述は難題の中の難題であった。
ひとまず時間跳躍の話を信じるとしても、そのお話の中の展開があまりにも刺激的で苛烈すぎる。
わからないのだ。
よりにもよってこの自分が――この世の誰よりもリョウマを愛している自分が、彼を殺めるなど。
それはおそらく、通常ではまずありえない事象のはずだった。
だから正直に伝えた。
「わたし、とりあえず一時の激情でキミを殺すことはないと思うよ――
ベルカは本音をこぼした。
リョウマは押し黙った。急に眼前の幼馴染みから発された巨大すぎる感情に、何を言っていいかわからなくなったらしい。
気の利いた返しなど求めてはいないから、ベルカはそれでよかった。
恋する理由が要らないように、愛する理由も必要ではない。
数秒後、リョウマは意を決したように口を開いた。
「待てよ、
ベルカは微笑んだ。
つまるところ少女は絶対的なまでに、自分がどういう種類の人でなしなのかを把握していた。
その自覚を言葉にすると、こういうことになる。
「――時と場合による」
冗談には聞こえなかったはずだ。
リョウマは天を仰ぐと、深々とため息をついて、しぼり出すような声を発した。
「そこは大切な幼馴染みを殺すだなんて絶対無理、ぐらいは言ってほしかったな。俺の安心のために」
「わたしはキミに隠し事はする。だけど嘘はつきたくない。これはそういう種類の誠意だよ、リョウマ」
「ドン引きするぜ?」
「言うほどしてないくせに。キミはそういうやつだよ」
だから好きなんだよ、という言葉は飲み込んだ。そんなことはきっと、リョウマだってわかっているはずだから。
イヌイ・リョウマの自室は今、幼馴染み同士の気安い会話とは思えないほど、殺伐とした話題で満たされていた。
金髪碧眼の少女の目を見て、少年は問いかけた。
「…………つまりお前の正体ってなんなんだ?」
素晴らしい。
クソボケ野郎にしては冴えた質問だったので、ベルカは笑った。
まるで西洋人形のように美しい少女は――その桜色の唇に、答え合わせをさえずらせる。
「――エリア51って知ってる?」
・超能力ヒロイン(精神型。洗脳してくる)
・幼馴染みヒロイン(物理型。エリア51が関係している)←New!
主人公殿の質問は思わずガバチャーを走らせてるだけです(最悪)