よろしくお願いします。
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俺の名前は
少し前まで大学院生だったが、研究課程を修了して一区切りつけた。
専攻は天文学。宇宙の構造や進化を研究していた。宇宙というのは、人類が理解し得る最大の知的対象だ。
海も同様に謎が多いが、宇宙の方が圧倒的にスケールがデカくて美しい。
大学での研究生活は刺激的だった。自惚れではないと嫌でも認識できるほどの評価と学生らしからぬ立場も得ていた。
しかし、これからの人生での社会的義務や研究機関の制度的拘束を考えた瞬間、妙に億劫になってしまった。
要するに、今は無職だ。
ただし、経済的な問題はない。親の支援もあるし、自分の資産もある程度は築いている。
親の社会的・経済的資本が子に与える影響は、統計的にも無視できないほど大きい。冷静に考えれば当然の事実だ。
いわゆる親ガチャというものだ。
とはいえ、暇だ。
研究論文を読むくらいしかすることがない。
今までの過密なスケジュールと研究でろくに睡眠時間と休みを取っていなかった頃とは別世界の自由を満喫していたが、刺激がなさすぎる。
旅行でもしようかと思い始めた頃、例の技術革新の結晶が正式リリースされた。
――「Infinite Dendrogram」。
十数年前のVRMMO「NEXTWORLD」から今日に至るまでのゲームは技術的欠陥が多かった記憶がある。
だが事前に調べた限り、これは全く別次元のシステムらしい。過度な期待は禁物だが、試さない理由もない。
というわけで――始めよう。
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目を開けると、書斎らしき空間に立っていた。
現時点で現実との差異はほとんど認識できない。
視覚だけでなく、触覚や嗅覚まで精密に再現されている。五感のシミュレーション精度が異常に高い。
「はーい、ようこそ〜」
いつの間にか二足歩行の猫型存在が目の前にいた。
「こんにちは。君は?」
「僕は《Infinite Dendrogram》管理AI13号、チェシャだよ。よろしく〜」
「じゃあ早速プレイヤーネームを決めてほしいんだけど、何にする〜?」
「……特に考えていない。まあ『あいうえお』でいい」
「本当にそれでいいの?」
「問題ない」
実名とは別のアイデンティティのフレームを設計する行為に、奇妙な心理的抵抗を感じた。
だからといって実名にするのは論外だからな。
「次は容姿設定ねー」
キャラクターメイキング画面を見る。形態自由度が異常に高い。
「動物や昆虫形態も可能か?」
「そうだよー」
「人間の脳が非人間形態の感覚入力に適応できるとは思えない。感覚統合破綻を起こす危険はないのか?」
「出来るもんは出来るしなあー」
「なら、脳の入力フィルタリングを強制しているはずだ。生体神経モデルを改変しているな?」
「うーん、秘密〜」
「一般配布アイテムを渡すねー」
カバンが出現した。
「UIではなく物理オブジェクト化したアイテムボックスか。サーバー同期遅延は?」
「ほぼゼロだよー」
「量子通信か、あるいは局所的演算基盤を各ユーザーに配布している?」
「さあ?」
NEXTWORLDの発売から十数年経っているとはいえ、俺が知る限りの実用化段階の通信技術から言えば革命的技術だ。
装備が瞬時に反映され、重量感まで再現された。
「触覚の完全再現は皮膚電気刺激だけでは不可能だ。筋紡錘まで完全に直接制御している?ハード側の技術でどうこう出来るもんなのか?」
「細かいねえ」
「軍事転用すれば兵士の戦闘能力を仮想訓練で極限まで高められる。国家が無関心でいられる技術ではない。」
「初期資金は銀貨5枚」
「価値換算は?」
「円で約5万円」
「現実のデータにアクセス出来るのか?」
「あー、まあね」
「どのレベルまで?金融市場、衛星データ、軍事機密ネットワークも小国を完全管理できるAIなら干渉し放題か?」
「そこまでは言えないかなあ」
「軍事利用されていないのか?」
「されてないよ」
「これほどのAIは必ず軍事研究機関が接触する。拒否した理由は?」
「企業の方針かな」
「では運営企業自体がが国家なのか、何らかの対価を元に不可侵契約を結んでいるか、あるいは抑止力を持つ?」
「違うよー」
「なら、技術の源泉は実装されてる軍事機密秘術で、レベルを下げて民間に流出させたか?」
「想像力豊かだねえ」
「想像で片付けられるのは困るな。」
「ではなぜ大国が介入しないと思っている?」
「わからないなあー」
「意図的黙認か、介入不能な制約があるか。」
「質問多いよー」
「科学者は疑問を放置しない」
「もうエンブリオ移植するよ?」
「エンブリオか。これも驚異的な技術だ。ユーザーのあらゆる行動履歴から強化学習を行って1つの方向性に絞るというのを全プレイヤーを対象に行うとは…。」
「なら個人心理モデルも構築できるな。倫理的には監視社会に近い」
「規約に書いてあるよ」
規約で正当化されるレベルか?
「で? 所属国家は?」
「アルター王国」
「一応なんでー?」
「無難なテンプレート設定で政治的癖が少ないと判断したから。」
「じゃあ飛ばすよー?」
「待ってくれ。本棚の本は?」
「あー大したこと書いてないよ。」
「じゃあゲーム内の世界に宇宙は存在するか?」
「あるよー」
「宇宙に行くことは可能か?」
「うーん。まあある程度までなら許されると思うよー。」
「許される? 誰に? 宇宙空間の広さや技術的限界が問題なのではなく、それ以外に考慮しなければならない仕組みや決まりがある?」
「まあねー」
「それはなんだ?」
「さあねー。自分で調べてみるのもいいんじゃないかなー。」
そう言って転送される。
青空に落下する。
「おぉ。」
360°目一杯の青空と体で引き裂かれる空気と風に思わず声が出た。
「現実よりも現実を味わえるという事か。」
大気散乱まで忠実。
現実物理の模倣精度も完璧に再現してるのか。
いつぶりかな。新しい玩具を与えられた子供のようにワクワクしている自分が居る。
そうしてアルター王国へ落下していった。
◾︎アルター王国 王都アルテア
王国に到着した瞬間、まず人の密度に圧倒された。
サービス開始からそれほど時間が経過していないにもかかわらず、視界に収まりきらないほどの人間がいる。
単一のサーバーでこれほどの同時接続者を処理する計算資源は、現代の大規模クラウドインフラを遥かに超える。
運営企業はどのような分散計算基盤を構築しているのか。純粋に技術的な関心が湧く。
しかも、観察している限りNPCとプレイヤーの識別が困難だ。
行動の微妙なランダム性や視線の揺らぎまで人間と区別がつかない。
社会的チューリングテストの実証実験場としても極めて興味深い。
とりあえず、最初に自分のステータスを確認する。
あいうえお
レベル:0(合計レベル:O)
職業:なし
HP(体力):98
MP (魔力) : 36
SP (技力) : 23
STR (筋力) : 10
END(耐久力):12
DEX(器用):15
AGI(速度):14
LUC (幸運) : 16
早く職業に就きたい。
ゲーム内でも無職というのは精神衛生上よろしくない。
社会的役割がない状態は、実験動物でもストレス指標が上昇する。
王都を見渡していると、クマの着ぐるみを被った不審人物から声をかけられた。
「おいおい……お前紀良だよな!?」
「誰だ」
「俺だよ俺。シュウだよ」
「ああ。久しぶりだな」
大学時代、同じ大学のある教授にいつもくっ付いていたので、その関係でよく顔を合わせていた知人だ。
「久しぶりじゃねーよ。なんで顔変えてねえんだよ?」
「面倒だった」
「着ぐるみ被ればいいだろ。俺も故意じゃねえけど顔変えてないから着ぐるみ着てんだぜ?」
「不要だ」
「だろうな……」
「そういえばジョブってどうやって就くんだ?」
「ギルドで適職診断カタログもらえる」
「ギルドか。助かった」
「待て。フレンド登録しとこう」
「方法は?」
「ほれ」
空中操作により視界に申請が表示された。
認識できる範囲では遅延は無い。
「承認した」
「じゃあな」
「ああ。」
無駄にデカイくせに人混みで前進すら困難なギルドに到着し、適職診断カタログを確認する。
表示された職業は
【哲学者】【数学者】【騎士】【斥候】【魔術師】。
戦闘職なら魔術師だが、当面は戦闘予定はない。
知的活動に最適化された【哲学者】を選択する。
そのまま図書館へ向かった。
都市地図を見た時点で興味を惹かれていた施設だ。
入場料は2000リル。約2万円。
高額だが妥当な価格設定だろう。
中世風治安環境では情報資源は厳重管理されるのが合理的だ。
むしろティアンだけでなくマスターという理解不能な存在にも解放するあたり十分寛容だ。
門番に料金を支払い、学問系書架へ向かう。
国家中枢図書館らしく蔵書量は膨大だ。
迷惑にならない範囲で本を机に積み上げる。
今日は読書に全リソースを割く。食料も事前に確保済みだ。
【哲学者】スキル《思考》で思考加速を行い、《煩悶》で集中力を最大化しながら読み続ける。
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疲労。
ゲーム内で朝10時から夜8時まで読書していた。現実では3時間程度。
時間感覚の圧縮は認知科学的にも極めて興味深い。
教育用途に転用すれば、授業効率の劇的改善が可能だ。
午前中に仮想授業を終え、午後に解散というモデルも現実的だろう。
この時間拡張技術は、教育・研究・医療・訓練などあらゆる分野に革命的影響を与える。
そして最も平等で価値のある資源は時間だ。
人類史上、時間だけは完全に平等と言えるものだった。
それを低価格デバイスで3倍に拡張できる。文明史的に見て異常事態だ。
このデバイスを入手出来る環境か否かであらゆる格差が大幅に広がりうる。
今回は《思考》によるAGI10倍加速を使用したため、SPをアイテムで回復し続けて常に利用すれば、常人の1日を約4日10時間に拡張できる。
教育や勉強に利用すれば人間の生涯知識取得量が指数関数的に増加し、より高い知的能力を持つ人口が増えるだろう。
地球にとっていい事もあるのだ。
【哲学者】はレベル21に到達した。
そして取得した情報から推測してアルター王国の知識水準は地球の1800年代前半程度。ドライフ皇国はそれ以上の可能性は十分にある。
数学や物理の基礎理論は共通しているが、発展段階で魔力概念が絡み、地球理論体系との互換性が低下する。
基礎理論は適用可能かつ拡張可能だが、応用理論は別体系だ。
翌日。
天文学系統書籍を読む予定だったが資金不足に気づき、ギルド事務系依頼を受注する。
報告書作成、依頼掲示整理などの業務。
単純作業に近い楽なタスクだが報酬が高い。
非戦闘職プレイヤーは希少らしい。
VRMMOの主流は戦闘体験であるため、事務労働を選ぶ人間は少数派だろう。
また、エンブリオによる個別能力獲得は、人間の自己実現欲求を強く刺激する。
誰もが「何者かになりたい」と漠然と思っているはずで、何者かになるため、もしくは自分の人生に意味を見出すためにこのゲームを始める人も少なくない数いそうだ。
エンブリオは条件次第では極端な能力差が生じる設計だ。
超級職という唯一職業も存在する。
レベル上限がないという設計は、格差を産むだろうがゲームとしては面白い設計だ。
午後から天文学書を読む。
専攻分野なので知的好奇心が刺激される。
予想通り発展は限定的。
飛行機も普及しておらず、空域には危険生物が存在するため宇宙という概念への意識は低い。
少量の基礎理論は存在する。
そしてこの惑星は地球と酷似した環境条件を持つ。
自転周期や公転周期も一致している可能性が高い。
球体惑星ならユーラシア大陸程の大きさらしいこの大陸の反対側にも大陸が存在する可能性がある。
重力は不明。巨大生物の存在から低重力環境の可能性も考えられる。
アバター感覚補正で見かけ上分からないようになっている可能性もある。
生物学的種族も地球人類と同一とは限らないため、空気組成も大幅に変わるかも知れない。
魔力代謝という未知の生理機構がある可能性もある。
〈旧果樹園〉の巨大昆虫の存在は酸素濃度が高いことを示唆する。
ドラゴン飛翔も大気密度・大気圧条件に依存する可能性がある。
魔力という未知の概念を持ち出されては今は何も言えなくなるがな。
そうして【哲学者】はレベル38に到達。
さらに約5日程で知識体系を把握し、レベルもカンスト。次職業を選択。
新規職業:【芸術家】【天文学者】【物理学者】【思想家】。
文化系職業の追加は行動履歴に基づく判定だろう。
【物理学者】はここアルター王国ではなくてドライフ皇国でないと就職出来ないらしい。
哲学者上級職【哲人】条件も満たす見込み。
だが下級職を全埋めしてから上級職に就く予定だ。
次職業は【数学者】を選択する。
順当な選択だ。
最近王都に籠りすぎている。
明日はシュウを狩りにでも誘って一息しよう。
途中で気づきましたが、【芸術家】がなんと上級職らしいです。
見逃してくれますかね......
あとシュウの口調がわからん。最初は語尾にクマ付けてなかったよね?
【哲学者】SP特化職
《思考》
思考加速。アクティブ。
《煩悶》
未知の事柄に対して思考する際、集中力を上げる。アクティブ。
【数学者】MP特化職
《計算》
思考加速。アクティブ。
《測定》
目視しているあらゆるモノの長さや角度が分かる。アクティブ。
原作デンドロ世界に宇宙は実装されていると思いますか?
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実装されているが、進出不可。
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実装されていて、進出可能。
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実装されていない。