キヴォトスの辺境、かつては巨大な文明の恩恵を謳歌しながら、今は砂に飲み込まれつつあるアビドス自治区。
照りつける太陽は、容赦なく校舎のコンクリートから水分を奪い、窓の外には果てしない陽炎が揺らめいている。
「ふえぇ……暑い……。ノノミちゃん、氷、もう無いの?」
小鳥遊ホシノは、部室のソファに溶けた餅のように横たわっていた。彼女の頭上にあるヘイローは、心なしか元気なく明滅している。
「もう、ホシノ先輩。さっき使い切っちゃったじゃないですか。……でも、もう少しの辛抱ですよ。今日はお客さまが来るんですから」
十六夜ノノミが、団扇でパタパタとホシノを仰ぎながら、優しく微笑む。
「ん、先生が言ってた『かっこいいロボット』(先生基準)だっけ?」
砂狼シロコが、愛用の自転車のチェーンを調整しながら呟く。その隣では、黒見セリカが山積みの書類を整理しながら愚痴をこぼしていた。
「ロボットだかなんだか知らないけど、アビドスの借金を半分くらい肩代わりしてくれるくらいの太っ腹な人じゃないと、私は歓迎しないわよ!」
「セリカちゃん、それはさすがに……。でも、先生が『彼は非常に理知的で、子供たちへの慈愛に満ちた人物だ』と仰っていましたし、きっと素敵な方ですよ」
奥空アヤネが、タブレットのモニターを見ながら調整を加える。
その時だった。
砂漠の彼方から、一台の車両が砂煙を上げて近づいてくるのが見えた。その車両は校門の前で静かに停車する。
「あれじゃないですか?」
ノノミが窓から眺めながら知らせる。
「時間ぴったりね……、じゃあその『かっこいいロボット』を拝んでやりますか!」
セリカが立ち上がり、それに合わせてホシノを除く皆が立ち上がり部屋を後にした。
「ボンドルド……ね……」
部屋に一人だけとなったホシノがつぶやく。
思い起こされるのは昨日の先生からの通知だ。
『ホシノ、元気かな? 明日、アビドスに協力者を紹介するよ。名前はボンドルドさん。全身装甲の「かっこいいロボット」で、技術者としての腕は確かだ。アビドスの復興に、新しい視点を与えてくれると思う。
ただ……彼については、少しだけ気にかけておいてほしいんだ。悪い人ではない……はずなんだけど、私でも言葉にできない不思議な雰囲気があってね。ホシノの「勘」で、彼がみんなとどう馴染むか、そっと見守ってあげてくれるかな?』
「……不思議な雰囲気、ねぇ」
ホシノは端末をポケットにしまい、伸びをした。
先生はたまに、こういう曖昧な頼みごとをしてくる。単なる「変な人」なのか、それとも。
下からセリカが大声で呼ぶ声を聞きながら、いつものように「おじさん、眠いよ~」と呟き部屋を出る。
彼女の瞳の奥には、砂漠で生き抜く者特有の鋭い光が微かに宿っていた。
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校舎前に立っていたのは、一見して「異質」としか言いようのない姿の男だった。
身長は二メートル近いだろうか。全身を紫黒色の重厚な装甲服で包み、顔面には一本の白いスリットが走る、不気味なほど無機質な仮面を被っている。背中には巨大な、何かが詰まっているであろう「箱」を背負っていた。
だが、その威圧的な外見に反して、彼の動作は極めて優雅だった。
「おやおや……。皆さん、揃ってお出迎えいただけるとは。感激の極みです」
声は、ヘルメット越しとは思えないほど澄んでおり、慈愛に満ちていた。
「初めまして。私はボンドルド。……先生より、皆さんの勇気ある活動についてうかがいました。この過酷な砂漠で学び舎を守り抜く皆さんの姿に、私は深い感銘を受け、こうして馳せ参じた次第です」
彼は深々と、貴族のような完璧な一礼をした。
「パパ! 待ってよ、置いてかないで!」
その背後から、一人の少女が駆け寄ってきた。
ふわふわとした髪に、天真爛漫な笑顔。彼女の頭上には、キヴォトスの生徒特有のヘイローが、柔らかな光を放って浮いている。
「おっと、すいません。娘のプルシュカです。少し好奇心が旺盛なものでね」
ボンドルドが優しく、本当に愛おしそうに少女の頭を撫でた。
「こんにちは! 私、プルシュカ! あなたたちが先生の言ってた、アビドスのお姉さんたち?」
少女の明るい声に、アビドス側の空気が和らぐ。
セリカやノノミも、思わず笑みを浮かべて彼女を迎え入れた。
「……」
ホシノは、誰にもバレない程度に彼らを観察する。その目は、いつもの「昼寝を邪魔された眠そうな生徒」のままだが、彼女の神経はかつてないほど鋭敏に周囲の違和感を拾い集めていた。
(……何、この感じ)
ホシノの直感は、警報を鳴らしていた。
ボンドルドがプルシュカを撫でるその指先の動き。それは確かに、慈しみと愛情に溢れている。だが、ホシノには、それが「あまりに完璧に計算された演出」のように見えてならなかった。
まるで、高価な工芸品を傷つけないように扱う手つき。あるいは、未知の反応を期待して試験管を傾ける化学者の手つき。そこには「他者への共感」ではなく、「対象への深い執着」だけが純粋培養されているような、そんな空気が漂っていた。
「……ホシノ先輩?」
アヤネが小声で声をかける。ホシノは首を振って、「なんでもないよ」と微笑んで見せた。
「アビドス高等学校。……かつての七神環を司るほどの巨大な学園が、今やこの数名で支えられている。これこそが、魂の試練ですね。素晴らしい。逆境こそが、人を、そして可能性を、新たなる黎明へと導くのです」
「……その、ボンドルド……さん。先生から、私たちが砂漠の調査に協力する代わりに、あなたがアビドスの復興資材の支援と改善の提案してくれると聞いたんですが」
シロコが単刀直入に切り出す。
ボンドルドは、マスクの奥で満足そうに頷いた。
「ええ、では早速本題に入りましょう」
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応接室でボンドルドが提示したアビドス再生案は、あまりにも見事なものだった。
「アビドスの砂漠化は、単なる環境変化ではありません。地脈に淀む『未知のエネルギー』が熱源となり、地表を焼き続けている。……私はそのエネルギーを抽出し、無害化しつつ電力へ変換する装置を提案します」
アヤネがタブレットを覗き込み、驚きの声を上げる。
「理論上は完璧です……。これがあれば、アビドス全域の気温を下げ、植物を蘇らせることも……」
「ええ、そうですとも。アビドスの皆さんの情熱が、この地を再び黄金色に輝かせる。私はその手伝いをするに過ぎません」
ボンドルドの言葉は、誠実そのものだった。
だが、そのやり取りを少し離れた席で聞いていたホシノは、胸の奥に小さな「チリつき」を感じていた。
(……おかしいな。言ってることは正しいし、悪い人には見えない。プルシュカちゃんを見る目だって、本物のパパそのものだ。……なのに、なんでだろう)
ホシノの「勘」が、警鐘を鳴らすほどではないが、静かに波立っている。
彼が時折、生徒たちのヘイローを一瞬だけ凝視する。その時の「視線」が、まるで美しい美術品を品定めするような、あるいは珍しい標本を観察するような、非人間的な冷たさを孕んでいるように感じられたのだ。
「お姉さん、これ、食べていいの?」
話をしている最中、話に入れていないプルシュカが、ノノミが出したクッキーを指差す。
「ええ、もちろんよ。プルシュカちゃん」
ノノミが優しく微笑み、彼女にクッキーを手渡す。プルシュカは幸せそうに頬張りながら、ボンドルドのことを話し始めた。
「パパはね、とってもすごいの。キヴォトスの困ってる子たちを助けて、みんなに『黎明』を見せてあげるんだって。私も、いつかパパみたいになりたいの!」
「プルシュカちゃんはヘイローがあるけど、キヴォトスの出身なの?」
アヤネが冷たい麦茶を差し出しながら尋ねると、プルシュカはメイニャを抱きしめながら、ニコニコと頷いた。
「うん! 私、ずっと昔、どこかの路地裏で捨てられてたんだ。雨が降ってて、寒くて……お腹が空いて。でも、ヘイローもボロボロで動けなかった時に、パパが私を見つけてくれたの!」
笑顔のまま告げられた言葉に、アヤネは迂闊なことを聞いてしまったと後悔する。
「あ!……えと、ごめんなさい。つらいこと聞いちゃって……」
その言葉にプルシュカは不思議そうに返す。
「いいの!今とっても幸せなんだから!」
まったく気にしていない様子に、一瞬静まり返った部屋の空気が少し元に戻った。
一度空気を換えようとノノミがフォローを入れる。
「ボンドルドさんは優しい人なんですね~」
「そうだよ! パパはとっても優しいんだ。私を抱き上げて、『君はこんなにも生命の輝きに満ちている』って言ってくれたの。それから、私の壊れかけてたヘイローを治して、私の『パパ』になってくれたんだよ!」
プルシュカが誇らしげに胸を張る。その無垢な瞳には、ボンドルドに対する一切の疑いがない。彼女にとって、あの黒い仮面の男は文字通り「絶望から救い出してくれた唯一の光」なのだ。
「そっか……。ボンドルドさん、恩人なんだね」
シロコが静かにプルシュカの隣に座り、彼女の頭をなでる。
「うん! パパはとってもお仕事が忙しいけど、いつも私のことを一番に考えてくれるんだ。今回も、『アビドスには、君と同じように頑張っている素敵な人たちがいる。見に行こう』って連れてきてくれたの!」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれますね、プルシュカちゃん」
ノノミが鞄から高級なお菓子を取り出し、プルシュカの口に運ぶ。
「あむっ! ……わあ、これ、すっごく美味しい! メイニャも食べる?」
「めやぁぁぁー!」
メイニャがプルシュカの肩で跳ねる。その光景は、どこにでもある平和な放課後のワンシーンだった。
「ねえねえ、シロコお姉ちゃん! その銃、かっこいいね。私にも撃てるかな?」
「これは……少し重い。でも、練習すれば大丈夫」
「本当!? パパに教わって、私もみんなの役に立ちたいんだ!」
ホシノは、少し離れたところでその様子を眺めていた。
プルシュカの語る「救い」の話。それは感動的で、非の打ち所がない美談だ。だが、ホシノの胸の底にある、言葉にできない「ザラつき」は消えない。
(……ヘイローを「治した」? キヴォトスの技術でも、ヘイローに干渉するのはすごく難しいはずなのに……)
「ホシノおじさん、どうかしましたか?」
アヤネが小声で尋ねる。
「ん……? ああ、いやいや。プルシュカちゃんが元気で良かったなーと思ってね」
(……ねえ、プルシュカちゃん。君の言ってる『パパ』は、本当に君のことを見てるのかな。……それとも、君の中に映る『何か』を見てるのかな)
違和感は拭えなかった。
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その日の夜、ホシノは先生へ電話で今日の出来事を報告した。
しかし、話をすればするほど違和感が頭をちらつき、うまく言葉にできなくなってくる。
『……ホシノ?』
先生が、心配そうに声をかける。
ホシノはしばらく逡巡し、話すことに決めた。
『あのさ、先生。おじさん、ちょっと考えすぎかもしれないんだけど……』
ホシノは言葉を選びながら、視線を落とす。
『あの人……ボンドルドさん。彼は確かに、プルシュカちゃんを愛してると思う。それは嘘じゃない。……でもね、彼の愛し方は、おじさんたちが知ってる『愛』とは、何かが決定的に違う気がするんだ』
先生は黙って、ホシノの言葉に耳を傾けている。
『普通の人はね、相手を愛する時、相手の『幸せ』を願うでしょ? ……でもあの人は、相手の『価値』を願ってる。あの子がどれだけ純粋に彼を愛し、どれだけ美しい魂を持っているか……。それを確認すること自体に、喜びを感じているみたいで』
ホシノは、ボンドルドがプルシュカの頭を撫でていた時の指先の動きを思い出す。
『あの子の頭を撫でる姿がね……。まるで、大切に育てた果実を収穫する日を待ちわびているような……そんな、完成を愛でるような冷たさを感じちゃったんだ。……ねえ、先生。おじさん、性格悪くなっちゃったかな?』
先生は、ホシノの話を聞き、優しく返す。
『話してくれてありがとうホシノ。……ホシノは、誰よりもアビドスを、そして仲間を守ろうとしている。その直感は、きっと大切なものだよ』
『……ん。ありがと、先生』
ホシノは少しだけ安心したように息をついた。
気のせいかもしれない、でも気のせいじゃないかもしれない。
どこか浮つかない心のままホシノは夜空を一人見上げていた。