1. 聖域への招かれざる客
トリニティ総合学園。
キヴォトスでも指折りの歴史と伝統を誇るこの学園は、白亜の校舎と手入れの行き届いた庭園に囲まれ、平穏を絵に描いたような美しさを保っていた。しかし、その校門を潜ろうとする「二人」の姿に、正義実現委員会のモブ生徒たちは思わず手に持った銃を固く握りしめた。
「止まりなさい! 貴方、正体は何!? ここは許可なき者の立ち入りは禁じられています!」
一人の生徒が声を荒らげる。無理もない。陽光を反射する白亜の石畳の上に立っているのは、深紫の、見るからに重厚な装甲に身を包んだ大男なのだ。その仮面の中央を走るバイオレットの細い光は、感情を読み取らせない無機質な威圧感を放っている。
だが、男は驚くほど優雅に、まるで宮廷の騎士のような所作で深く一礼した。
「おやおや……。これは失礼。私はボンドルド、ただの探求家です。本日はティーパーティーのナギサ様より、学園の地下遺構に関する技術コンサルタントとしてお招きに預かりました。……ああ、素晴らしい。この門から溢れ出す知性の香りは、実に、実に見事なものだ」
男の声は、通信機のノイズを孕みながらも、うっとりとするような慈愛に満ちていた。その男の背後から、桃色の髪をした少女がひょいと顔を出す。
「お姉さん、こんにちは! 私、プルシュカ! パパと一緒に、この綺麗な学校を助けに来たんだよ!」
少女の無邪気な笑顔、そして彼女の肩で「ななー」と鳴くメイニャの姿。殺伐とした男の装甲服と、あまりにも対照的な「家族」の風景に、正義実現委員会の生徒たちは困惑を隠せない。
「パ、パパ……? 先生からの連絡にあった『ロボットのような技術者』って、この人のことなの……?」
その時、校庭の奥から、翼を広げたような気品を纏う一人の少女が現れた。ティーパーティーのホスト、桐藤ナギサである。
「お待ちなさい。……ボンドルド様、お待ちしておりました。先生からの推薦状は拝見しています。ようこそ、トリニティ総合学園へ」
ナギサはボンドルドの仮面の奥を射抜くような視線で一瞥したが、すぐに完璧な社交用の微笑みを浮かべた。しかし、彼女の手元のパラソルが微かに震えているのを、ボンドルドの「観測」が見逃すはずはなかった。
2. 秘密の茶会
ティーパーティーのテラス。
最高級の紅茶が注がれたカップの横で、ボンドルドはその巨体を持て余すことなく、折り目正しく椅子に腰掛けていた。プルシュカはノノミの時と同じように、ナギサの用意したスコーンを美味しそうに頬張っている。
「……信じられませんね。あなたが、あのエデン条約で破壊された大聖堂の地下深くにある『禁忌の術式』について、詳細な再起動プランをお持ちだとは」
ナギサが静かに問いかける。彼女がボンドルドを招いた理由は、トリニティが長年封印してきた地下迷宮から漏れ出す「未知のエネルギー」の制御だった。それは学園の安定を脅かす火種でありながら、トリニティの技術力では解明できないブラックボックスだった。
「おやおや、ナギサ様。禁忌とは、単に解明されていない真実の別名に過ぎません。……私はアビドスでも同様の事象を観測してきましたが、トリニティのそれは、より洗練され、より『愛』に満ちている。……ああ、素晴らしい。これを制御下に置けば、学園の防衛結界は従来の三倍の強度を保つでしょう」
ボンドルドが手元の装置から展開したホログラムには、複雑怪奇な数式と、幾何学的な紋様が踊っていた。それはトリニティの古文書に記された記述と、驚くほどの一致を見せていた。
「パパはね、すごいんだよ。どんなに怖いお化けがいる場所でも、『黎明を見つけに行こう』って言って、みんなを笑顔にしちゃうんだから!」
プルシュカが誇らしげに言う。ナギサはその言葉を聞き、微かに目を伏せた。
「……あなたは、この子を連れて、あのような危険な場所へ行くのですか?」
「ええ。プルシュカは私の希望であり、観測のパートナーです。……それに、トリニティの皆さんのような輝かしいヘイローを持つ方々に、不測の事態があってはなりません。……私一人の身を呈してでも、真実を掴み取るのが私の『愛』ですから」
ボンドルドの声には一片の嘘もなかった。彼は本気でそう思っている。それが、ナギサの背筋に形容しがたい冷気をもたらした。
3. 正義の「違和感」
「……納得いかない。あんな奴を学園の深部に通すなんて」
テラスの柱の影。正義実現委員会の副委員長、羽川ハスミは、愛銃のスナイパーライフルを抱えたまま、冷たく言い放った。彼女の隣では、委員長の剣先ツルギが「ぎ、ぎぎぎ……!」と奇声を上げながら、ボンドルドを凝視している。
「ツルギ、貴方もそう思うでしょう? あの男……礼儀正しいけれど、何かが欠けている。まるで、魂の入っていない精巧な自動人形を見ているような気分だわ」
ハスミの直感は、アビドスのホシノが抱いたものと酷似していた。
ボンドルドはプルシュカと話す時、確かに優しく微笑んでいるように見える。だが、その動作の合間に、彼は学園内を行き交う生徒たちのヘイローを、極めて事務的に、そして執拗にスキャンし続けていた。
「……あ、あ、ああ……ア……アツい……あいつ……中身……ない……!」
ツルギが珍しく、震えるような声で呟いた。彼女の本能は、ボンドルドの装甲の奥に、人の温もりではなく、底知れない「空虚」と「渇望」を感じ取っていた。
そこに、プルシュカがトコトコと歩み寄ってきた。
「お姉さんたち、お仕事? これ、パパからもらったキャンディ! 一緒に食べよう!」
差し出された色鮮やかなキャンディ。
ハスミは眉を潜めたが、プルシュカの瞳に邪気がないことを悟ると、そっと銃を下ろした。
「……貴女、プルシュカさんと言ったわね。あの方は……貴女にとって、本当に『パパ』なの?」
「うん! 私、昔、路地裏で一人ぼっちだったところを、パパに拾ってもらったの。パパは、壊れてた私のヘイローを治してくれて、名前をくれたんだよ! だから、世界で一番大好きなの!」
プルシュカの言葉に、ハスミは息を呑んだ。
ヘイローを治す。それはキヴォトスの理(ことわり)に反するような神業だ。もしそれが本当だとしたら、あの男は何者なのか。
「……ハスミ、あいつ……ヤバい……。でも……この子……本当の……光……!」
ツルギがプルシュカの頭を撫でようとして、手が止まる。プルシュカは怖がることなく、「えへへ、お姉さんの羽、かっこいいね!」と笑いかけた。
4. 地下遺跡への下降
技術協力の合意がなされ、ボンドルド一行はナギサ、ハスミ、そしてツルギと共に、トリニティ大聖堂の地下へと足を踏み入れた。
そこは、古の術式が息づく、迷宮のような空間だった。壁面には見たこともない結晶体が自生し、かすかな脈動を繰り返している。
「おやおや……。これは感激の極みだ。……見てください、プルシュカ。この地層に蓄積された人々の祈りと、その『成れの果て』。……これこそが、私たちが解き明かすべき真実の一端です」
ボンドルドは装甲の指先で、壁の結晶に触れた。瞬間、紫色のスパークが走り、地下室全体の温度が数度低下した。
「ボンドルド様、これ以上の接触は危険です! この結晶は精神を不安定にさせる毒素を——」
ナギサの警告を遮るように、ボンドルドは恍惚とした声を出した。
「毒とは、過剰なエネルギーの別称に過ぎません。……ああ、素晴らしい。この周波数、この拒絶反応。……トリニティの歴史は、これほどまでに強固な『意志』の上に成り立っていたのか」
彼は装甲から小さなカプセルを取り出し、結晶を無造作に採取した。その動作には、未知の危険に対する恐怖など微塵も感じられない。
「パパ、大丈夫? 私も手伝うよ!」
「ええ、プルシュカ。君の感応力が必要です。……さあ、私と一緒に、この闇の深淵に黎明を灯しましょう」
プルシュカが装置に手を触れると、地下遺跡が共鳴するように鳴り響いた。
ハスミとツルギは即座に銃を構えた。彼女たちのヘイローが、不吉な予感に激しく明滅する。
5. 黎明卿の「愛」
作業が一段落し、一行が地上へ戻る際、ボンドルドはナギサに歩み寄り、こう告げた。
「ナギサ様。素晴らしい収穫でした。……トリニティの地下に眠る力は、正しく抽出すれば、生徒たちのヘイローの『質』を一段階上の次元へと引き上げることも可能でしょう」
「……ヘイローを、引き上げる? そんなことが可能だというのですか?」
「ええ。適切な『犠牲』……いえ、『対価』があれば。……まあ、今はまだ、皆さんのような愛おしい子供たちに、そのような重荷を背負わせる必要はありません。……私がすべてを最適化し、皆さんがただ『完成』を待つだけの状態に整えて差し上げます」
ボンドルドは、プルシュカの手を握りながら微笑む(そう聞こえる空気の震えがあった)。
「私は、皆さんの未来を愛しています。……皆さんが、自分でも気づかないほどの高みへ登り詰め、その魂が美しく昇華する瞬間を。……それを観測することこそ、私の切なる願いなのです」
その言葉は、ナギサには「祝福」ではなく、「呪い」のように聞こえた。
彼がプルシュカを見る目は、確かに父親のそれだった。しかし、その「父親」の定義の中に、一般的な人間が抱く「守る」という概念が含まれているのか。
「……ボンドルドさん」
ハスミが、冷たい声で背後から呼び止めた。
「一つだけ確認させて。……貴方は、その子が……プルシュカさんが、傷つくような実験も、『愛』だと言うの?」
沈黙が流れる。地下からの冷たい風が、白亜の廊下を通り過ぎた。
ボンドルドはゆっくりと振り返り、仮面のスリットを眩いばかりに明滅させた。
「ハスミさん。素晴らしい問いだ。……私の答えは一つ。……彼女が傷つくことも、私がそれを嘆くことも、すべては真理へ至るための尊いプロセスです。……そこに、愛以外の何があるというのでしょうか?」
プルシュカは、ボンドルドの手をより強く握りしめた。
「ハスミお姉ちゃん。大丈夫だよ。パパと一緒にいるのが、私の幸せなんだから!」
少女の無垢な信頼と、男の底知れない狂気。
それらが完全に融合し、一つの「日常」として成立している異常さを、トリニティの指導者たちは突きつけられた。
ボンドルド一行が学園を去った後、ナギサは一人、冷めきった紅茶を見つめていた。
彼女の端末には、先生からの短いメッセージが届いていた。
『ボンドルドさんの仕事ぶりはどうだったかな? 彼の技術は本物だ。ただ……もし彼が「次の段階」の話を始めたら、その時は私に教えてほしい。……トリニティの子供たちを守るために』
ナギサは、そのメッセージを強く握りしめた。
白亜の聖域に、取り返しのつかない「汚れ」が混じり始めたような、そんな不吉な夕暮れだった。