1. 聖域の静寂と、仮面の男
アリスのレールガンが放った閃光によってイドフロントの重厚な門が消滅した。立ち込める爆煙と焼けた鉄の臭いの中、先生と生徒たちはついにその聖域へと足を踏み入れた。
そこは、外観の荒々しさとは裏腹に、不気味なほどに静謐な空間だった。磨き上げられた黒い石材の床には、キヴォトスでは見られない未知の回路が血管のように走り、微かな紫色の光を放っている。
「……誰も、いないの?」
ヒフミが震える声で周囲を見渡す。迎撃のロボットも、無名の守護者もいない。ただ、奥へと続く広大なホールの突き当たりに、一つの影が立っていた。
逆光の中に浮かび上がる、細長いシルエット。特徴的なスリットの入った仮面、重厚な甲冑のような装束、そして背後で蛇のようにうごめく機械仕掛けの尾。
「おや……。おやおやおや」
その声は、通信越しに聞いた時よりもずっと深く、そして慈愛に満ちていた。
「ようこそ、私の愛おしい探求者の方々。そして……シャーレの『先生』。わざわざこのような僻地まで、私の研究を見学に来てくださるとは。これ以上の喜びはありません」
ボンドルドは、まるで旧知の友人を招くかのように、恭しく一礼した。その仕草には一点の曇りもなく、純粋な歓迎の意すら感じられる。それが、かえって生徒たちの鳥肌を立たせた。
「ボンドルド……。プルシュカはどこだ」
先生が数歩前に出ながら、低く鋭い声で問う。ボンドルドは仮面のスリットを淡く発光させ、わずかに首を傾げた。
「ああ、あの子のことですか。安心してください。プルシュカは今、非常に重要な『役割』を全うしようとしています。彼女自身の望みによって、私の一部となるための準備をね。彼女は本当に素晴らしい子です。私への愛のために、すべてを捧げる決意をしてくれた」
「……ふざけないで」
シロコが銃口をボンドルドの眉間に固定する。
「あの子がそんなこと、望むはずがない。あなたは、あの子の信頼を利用しているだけだ」
「おや、アビドスの砂狼(すなおおかみ)さん。信頼と利用……それは同じコインの裏表ではありませんか? 私は彼女を愛し、彼女も私を愛している。愛ゆえにこそ、私たちは一つになれる。……おっと、これ以上の対話は平行線のようですね。あなた方は、私の『研究』を止めに来たのでしょう?」
ボンドルドがゆっくりと手を広げると、彼の背後から無数の漆黒の触手のような機械腕が展開された。
「ならば、示していただきましょう。あなた方の抱く『正義』や『愛』が、私の『探求』を上回るものであるかどうかを」
2. 分断:二つのチーム
「先生、ここは私たちが食い止めます!」
ホシノが盾を構え、ボンドルドの攻撃を弾き飛ばす。火花が散り、衝撃波がホールを揺らした。
「ヒフミさん、アリスさん! あなたたちはメイニャと一緒にプルシュカちゃんを! この建物は広すぎる……メイニャの鼻が頼りだ!」
「了解しました! 勇者アリス、隠密ミッションを開始します!」
「行こう、メイニャ!」
ヒフミ、アリス、アズサ、コハルの「プルシュカ捜索チーム」は、メイニャの鳴き声に導かれるように脇の通路へと滑り込んだ。一方、先生、ホシノ、シロコ、ユウカ、ネル、そしてハナコは、ボンドルドという巨大な「壁」と対峙する。
「……二手に分かれる判断。合理的ですが、少々寂しいですね。ですが構いません。こちらも『祈手(アンブラハンズ)』たちに相手をさせましょう」
ボンドルドの影から、同じような仮面を被った黒ずくめの男たちが次々と現れる。しかし、ボンドルド本体の力は圧倒的だった。彼が振るう『枢機へ光(スパラグモス)』の光線は、ヘイローを持つ生徒たちの防御を紙のように切り裂こうとする。
「ネル、ユウカ! 右から! ホシノ、正面を維持して!」
先生の指揮が飛ぶ。ネルが「へっ、気味の悪い仮面野郎が!」と叫びながら近接戦闘を仕掛け、ユウカが計算に基づいた正確な支援射撃でボンドルドの動きを封じようとする。
しかし、ボンドルドはまるで見切っているかのように攻撃を回避し、あるいはその装甲で受け流した。
「素晴らしい……。キヴォトスの生徒たちの神秘、これほどまでに強固で美しいとは。素晴らしいサンプルです。あなた方のヘイローを詳しく観察させていただければ、私の研究はさらなる高みへ到達できるでしょう」
戦いの中であっても、ボンドルドの声には興奮と喜びが混じっていた。彼は戦っているのではない。彼は「観察」し、「採取」しているのだ。
3. 深淵への迷い路
一方、ヒフミたちはメイニャを先頭に、迷路のようなイドフロント内部を突き進んでいた。
「メヤァ! メヤァ!」
メイニャは必死に鼻を鳴らし、螺旋階段を駆け下り、血の匂いと消毒液の匂いが混ざり合う不気味な実験棟へと一行を導く。
「……ここ、何? 病室……? でも、何だかすごく、嫌な感じがする」 コハルが自分の腕を抱きしめる。通路の両脇には、中身の見えないカプセルが並び、不気味な拍動音を立てている。
「プルシュカさん! 聞こえますか!? アリスが来ましたよ!」
アリスの声が虚しく響く。彼女の高性能なセンサーですら、この建物の奥底にある「何か」を正しく解析できずにいた。
「メイニャ、こっちで合ってるの……?」
ヒフミの問いに、メイニャは悲痛な声を上げ、さらに地下へと続く大型エレベーターの前で止まった。
「……この先、すごく冷たい空気を感じる」
アズサが銃を構え直す。
エレベーターが地下最深部、通称『箱の底』に到着したとき、彼女たちが目にしたのは、無数の『箱(カートリッジ)』を製造するためのラインだった。機械が規則正しく動き、何かを削り、何かを詰め込み、肉厚な黒い箱を次々と生み出している。
「これ……何を作ってるの……?」
ヒフミがその一つを手に取ろうとしたとき、メイニャが激しく吠えた。
「メヤァ!! メヤァ!!」
メイニャはそのまま、再び上へと続く別の昇降機へと走り出した。
「待って、メイニャ! どこへ行くの!?」
ヒフミたちはメイニャを追いかけ、再び迷路を逆走した。混乱、焦燥、そして言いようのない不安。メイニャが向かう先は、先ほど別れた「先生たちのいるホール」だった。
「どうして……? プルシュカちゃんはこっちにはいないはずなのに……」
ヒフミの心臓が早鐘を打つ。メイニャの嗅覚は間違っていない。プルシュカの匂いは、確かに、自分たちが来た道を戻った先——あの「ボンドルド」がいる場所から、最も強く漂ってきているのだ。
4. 収束:絶望の帰還
ホールでは、激闘が続いていた。
ネルの双銃がボンドルドの装甲を削り、シロコの狙撃が彼の仮面の端を掠める。しかし、ボンドルドは倒れない。それどころか、彼は傷つくたびに「祝福」を感じているかのように、その力を増していく。
「おやおや、戻ってきましたか。お帰りなさい」
ボンドルドが、背後から飛び出してきたヒフミたちに向かって声をかける。
「ボンドルド! プルシュカちゃんをどこへ隠したんですか! メイニャはあなたのところへ私たちを連れてきた! 答えてください!」
ヒフミが叫ぶ。その目には涙が浮かんでいた。
「……隠す? 滅相もない。私は一度たりとも、彼女を隠してなどいませんよ」
ボンドルドは、ネルを突き飛ばし、ゆっくりと先生たちの前に立った。
「彼女は、約束を守ったのです。私を助けるために、私の力になるために。彼女は自分のすべてを、私の旅の『糧』として差し出してくれた。……見てください。彼女は今、これほどまでに近くにいます」
ボンドルドが、背負っていた巨大なバックパック——その側面にあるスロットへと手をやった。そこには、先ほどヒフミたちが地下で見た「黒い箱」が数個、整然と差し込まれている。
「な……何を……」
先生の言葉が詰まる。
そのとき、メイニャがボンドルドの足元に駆け寄り、彼の腰元にある『箱』の一つを、必死に見つめていた。
「メヤァ……メヤァ……」
泣いているような、嗚咽のようなメイニャの声。
その声に導かれるように、先生の視線がその『箱』に釘付けになった。
ボンドルドが装備している、その漆黒のカートリッジ。
その隙間から、何かがはみ出していた。
それは、キヴォトスではありふれた、しかしプルシュカにとっては「友達からもらった大切な宝物」だった。
パステルカラーの、可愛らしいキャラクター。
かつてヒフミがプルシュカにプレゼントし、彼女が「これは、友達との絆の証だね」と言って、大切そうに抱きしめていたもの。
『モモフレンズ』のキーホルダー。
それが、無機質な鉄の箱の隙間に、血のような赤黒い液体にまみれて、所在なげに揺れていた。
「……嘘、だろ」
先生の膝から力が抜ける。
ユウカが口を押さえ、その場にへたり込んだ。アリスのセンサーがエラーを吐き続け、警告音が静かなホールに鳴り響く。
「ああ、それですか。彼女がどうしても持っていくと言って聞かなくてね。……困った子だ。ですが、その強い意志があったからこそ、このカートリッジはこれほどまでに安定している。彼女の愛が、私を護っているのですよ」
ボンドルドは、愛おしそうにそのカートリッジを撫でた。
「さあ、続きを始めましょうか。プルシュカも、あなた方との再会を、内側から喜んでいますよ」
キーホルダーが、ボンドルドの動きに合わせて、カタカタと乾いた音を立てて揺れる。
ヒフミの絶叫が、奈落の底へと消えていった。
5. 壊れた夜明け
「——先生。……ねえ、先生。おじさん、これ、どうすればいい?」
ホシノの声は、感情を失った機械のように平坦だった。
彼女の手の中にあるショットガンが、かつてないほど激しく震えている。
目の前にいる男は、生徒を守り、導き、共に未来を歩むべき「大人」としての責任を、これ以上ないほど冒涜的な形で果たしていた。
「あの子を……。……プルシュカちゃんを、そんな箱の中に……詰め込んだの……?」
セリカの絞り出すような問いに、ボンドルドは答えなかった。ただ、仮面のスリットが紫色に輝き、冷徹な科学者の眼差しが、打ちひしがれる生徒たちを冷酷に分析していた。
「先生、あなたの教育は素晴らしい。……個としての存在を超え、種の進化のために礎となる。これこそが、私が彼女に与えた最高の救済であり、愛なのです」
「黙れッ!!」
先生の叫びが、ホールの空気を切り裂いた。
それは、一人の人間が、もはや「人間」であることをやめた怪物へと放つ、魂の拒絶だった。
「お前が言っているのは愛じゃない。それはただの、自己満足のための虐殺だ。……ボンドルド。お前を……お前という存在を、私は絶対に許さない。……お前だけは……お前だけは、ここから生かして帰さない」
先生の瞳に、暗く、底知れない怒りの炎が灯った。
その背後で、生徒たちのヘイローが、かつてないほど禍々しく、そして強烈な光を放ち始める。
「おやおや……。……素晴らしい。絶望を経てなお燃え上がるその意志。……ああ、実に素晴らしい」
ボンドルドは、背中のカートリッジから供給される「娘の愛」を全身に浴びながら、再びスパラグモスの光を手に宿した。
「さあ、見せてください。その怒りが、私の彼女達への愛よりも重いのかどうかを……!」
崩れゆくイドフロント。
キーホルダーが虚しく揺れる中、キヴォトスの生徒たちと、深淵の探求者による、本当の「殺し合い」が始まった。