ゼロ
「ずっと……走るのが好きでした。
昔は誰よりも早く走れて、みんなにチヤホヤされて……
それが嬉しくて、ただ夢中で走ってました」
声が震える。
思い出すほどに胸が締め付けられる。
ゼロ
「でも……大人になるにつれて、疎まれるようになったんです。
“男のくせにウマ娘の真似なんかしてみっともない”って……
何度も、何度も言われました」
ーそして…何度も好奇心の目に晒された。
拳が震える。
耳がしゅんと下がる。
ゼロ
「真似なんかじゃない。
俺は……性別が男ってだけで……
俺だって、ウマ娘の遺伝子を持ってる。
走るのは……本能なんです」
その言葉は、
ずっと誰にも言えなかった“叫び”だった。
沈黙が落ちる。
榊原は目を伏せ、拳を固く握りしめている。
理事長は腕を組み、深く息を吸った。
秋川やよい
「……なるほど。
お前は“真似”ではなく、“本物”だったわけだ」
ゼロ
「……出来心だったんです。
憧れの舞台に、一度だけ立ってみたかった。
それだけなんです」
声は震えていた。
悔しさでも、恐怖でもない。
“自分の夢を自分で否定しようとする痛み”が滲んでいた。
ゼロ
「でも……もう十分です。
あの舞台は、憧れだけで立っていい場所なんかじゃない……」
言葉を吐き出すたびに胸が締め付けられる。
あのスタートラインの感触。
風を切った瞬間の高揚。
背後から迫る気迫に震えた恐怖と興奮。
全部、忘れられるはずがないのに。
ゼロ
「俺みたいな……“存在しないウマ娘”が立っていい場所じゃない。
迷惑をかけただけです。
だから……もう、走りません」
その瞬間、
榊原が小さく息を呑んだ。
理事長の表情も、わずかに揺れた。
秋川やよい
「……ふむ。
そう言うか」
理事長は腕を組み、
俺の言葉を噛みしめるように目を閉じた。
榊原は拳を握りしめたまま動かない。
その横顔には、怒りとも悲しみともつかない影が落ちていた。
秋川やよい
「お前の気持ちはよくわかった……。
今回は厳重注意とする!
二度と“憧れだけ”でスタートラインに立つな」
その言葉は厳しいが、処罰ではなく“警告”だった。
俺は小さく頭を下げる。
だが、隣で榊原が一歩前に出た。
榊原
「待ってくれ。コイツは、ただものじゃない!
俺が責任をとる。
少し……時間をやってくれ」
その声は必死だった。
トレーナーとしての誇りと、
何かを見つけてしまった男の焦りが混ざっている。
秋川やよい
「榊原……お前がそこまで入れ込むのもわかる。
しかし、規則は規則だ……」
理事長はそこで言葉を切り、
ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。
外では、まだ学園祭の余韻が残っている。
模擬レースの話題は、今もあちこちで飛び交っているのだろう。
秋川やよい
「……と、言いたいところだが」
理事長は口元に笑みを浮かべた。
秋川やよい
「一度火のついた祭りの熱狂……
水を指すのは野暮だとは思わないか?」
榊原
「……!」
ゼロ
「……え?」
秋川は腕を組み、堂々と続ける。
秋川
「学園祭の目玉が、思わぬ形で生まれた。
観客も、ウマ娘たちも、職員も……
皆が“ゼロバンゲート”の話をしておる」
理事長の目が、俺を射抜く。
秋川
「この熱狂を、ただ“厳重注意”で終わらせるのは……
あまりにも惜しいとは思わんか?」
榊原は息を呑み、
俺は胸の奥がざわつく。
秋川
「ゼロバンゲート。
お前の走りは、学園祭を“事件”に変えた。
ならば――」
理事長はゆっくりと笑った。
秋川
「この事件、もう少しだけ続けてみる価値があるのではないか?
もう一度だけ聞く。
ゼロバンゲート――お前はどうしたい?」
理事長の声が、部屋の空気を震わせる。
逃げ場のない問い。
だが、それは“罰”ではなく“選択”を与える声だった。
俺はゆっくりと振り返り、榊原を見る。
榊原は黙っていた。
何も言わない。
ただ、まっすぐ俺を見つめている。
その眼差しは、
まるで俺のすべてを肯定してくれているようで――
胸が熱くなる。
ゼロ
「……もう一度だけなら……
走ってみたいです…。」
言った瞬間、胸の奥が震えた。
恐怖でも後悔でもない。
“本音”を言えた解放感だった。
秋川やよい
「――承知!!」
雷のような声が響き渡る。
秋川
「お前の気持ち、しかと聞き届けた!
聖蹄祭の異例の熱狂を受けて――
急遽、“追走祭”を開催する!!」
榊原
「追走祭……!」
秋川
「賞金はなし!
ただし――勝った者は話題総取りだ!!
学園祭の“裏の主役”として名を刻むことになるぞ!」
胸が高鳴る。
足が震える。
尻尾がベルトの下で、抑えきれずにぴくりと動く。
ゼロ
「……俺なんかが、本当に……?」
秋川
「お前だからだ!!」
理事長は力強く言い切った。
秋川
「憧れだけで立った舞台で、
憧れ以上の走りを見せた者がいるなら――
それを見届けるのが、学園の務めだ!」
榊原は小さく笑った。
それは、俺の背中をそっと押すような優しい笑みだった。
榊原
「ゼロバンゲート。
せっかく拾った機会だ……本気で走れ」
俺は強く頷いた。
ゼロ
「……はい!」
ゼロは決して不幸な子供ではありません。
ただ、彼の両親は「世間とどう向き合うべきか」
を教える術を持っていなかったのです。
その空白が、ゼロの孤独や迷いの根っこになっています。