聖テレサ女学院、旧校舎「象牙の塔」。
前回のブラックマーケットでの「発泡スチロール事件」により、結局一文無しのままのなかよし部。
薄暗い部室で、ユニは一冊の古びた本を開いていた。その本からは、独特のカビと古紙の匂いが漂っている。
「う~ん、ユニ先輩。その本、なんかすごい匂いしません? 湿気ってるというか……」
チエルが鼻をつまむ。
「失敬な。これは『知恵の香り』だよチエル君。このトリニティの片隅にある『古書館』から借りてきた、貴重な原典だ」
ユニは愛おしそうにページをめくる。
「この本の管理者である古関ウイ女史……彼女は極度の人嫌いで、太陽と騒音を何より憎む『古書館の魔女』だが、その知識量と解読技術は本物だ」
ユニは窓の外、鬱蒼とした森の方角へ視線を向ける。
「彼女とは『静寂と湿気を愛する』という点で、この学園において唯一、魂レベルで会話が通じる同志でね。先日も『恐怖(テラー)』の概念定義について、素晴らしい議論を交わしたばかりだ」
ユニにとって、セイアとウイ。この二人だけが、キヴォトスの深淵(神秘)について語り合える数少ない友人だった。
「へぇ~。ユニ先輩にも、そんな暗……ストイックなお友達がいたんですねぇ」
「ふっ、天才とは孤独なものだが、稀に共鳴する星も存在するのさ」
ユニが賢者ポーズを決めたその時、コンコンとドアがノックされた。
現れたのは、豪奢な装飾を施した招待状を持った使いの者だった。
「『なかよし部』の皆様へ。ティーパーティー、聖園ミカ様よりお茶会への招待状です」
「ミカ君から?」
ユニが眉をひそめる。
ナギサやセイアには「女史」をつけるユニだが、ミカに対してはその知性を(勝手に)低く見積もっており、あえて「君」付けで呼んでいた。
「セイア女史の幼馴染にして、パテル派のトップ……。だが、噂に聞く彼女は『力』こそが全てというタイプだ。ウイ女史のような知性があるとは思えんが……まさか、ボクの頭脳を政治的に利用しようというのか?」
「行ってみましょうよ! ロールケーキ出るかもですよ!」
能天気なチエルと、少し警戒するクロエ。ユニは「やれやれ、賢者の悩みは尽きないな」と片眼鏡をしまいつつ、本校舎へと向かった。
案内されたのは、本校舎にある特別温室。
そこは、花の香りと紅茶の湯気、そして甘ったるい重圧に満ちていた。
テーブルの中央には山積みのロールケーキ。その頂点に君臨するように、一人の少女が座っていた。
「やっほー☆ 待ってたよ、ユニちゃん! それに『なかよし部』のみんな!」
聖園ミカ。パテル派を統べる「魔女」であり、トリニティ最強の戦力の一角。
「招きに感謝するよ、ミカ君」
ユニが優雅に一礼する。
「単刀直入に聞こう。ボクたちを呼んだのは何故だい? 我々の活動領域と、キミの華やかなお茶会には接点がないはずだが」
「あはは、それがね! 昨日、ナギサちゃんがすごく怒ってたの」
ミカは楽しそうにロールケーキをフォークで突っつく。
「『またあの異端児たちが、ブラックマーケットで騒ぎを起こしました……トラックを爆走させて、治安を乱すなんて……胃が痛い』って」
ミカはナギサの声真似をしてクスクス笑う。
「ナギサちゃんがそこまで気にするなんて、どんな面白い子たちなんだろうって気になっちゃって! 特に……ゴミ山で軽トラ乗り回した子!」
ミカの視線が、ユニの後ろで欠伸を噛み殺していたチエルに向く。
「……なるほど。ナギサ女史の情報網か」
ユニは納得しつつ、少し姿勢を正した。
「だが、勘違いしないでくれたまえミカ君。あの作戦を立案したのは、このボクだ。セイア女史の友人であるボクの叡智に興味があるなら、相応の議論に応じよう」
ユニは自信たっぷりに胸を張る。セイアやウイと対等に渡り合う自分ならば、ミカに対しても知的なマウントを取れるだろうと踏んでいた。
しかし、ミカはポカンとして、次にクスクスと笑い出した。
「あはは! なにそれ、セイアちゃんみたい!」
「……ほう。やはりそう感じるかい? 彼女とはよく『世界の理』について語り合う仲でね」
ユニは満更でもなさそうに頷く。
「うんうん、そっくり! ……でもごめんね。セイアちゃん一人でも毎日お説教されて頭痛いのに、もう一人増えたら私、爆発しちゃうかも☆」
「……えっ?」
ミカの笑顔は変わらない。だが、その瞳の奥には冷ややかな拒絶があった。
「私ね、難しい話って嫌いなんだ。頭使うと甘いもの食べたくなるし、太っちゃうでしょ? だから、小難しい話をする子は、もう間に合ってるの」
ミカは悪びれもなくニコリと言い放った。
ユニの言葉に詰まる。
(……拒絶された!? ウイ女史となら朝まで語り合えるこの叡智が、ここではただの騒音扱いか……!)
「私が用があるのは……そっちの子! チエルちゃん!」
「ちぇる~ん☆ ご指名ありがとうございます! 私のドライビングテクニック、ナギサ様の胃袋にも響いちゃいましたか?」
チエルが嬉しそうに前に出る。
「うんうん! すごいよね! 私、セイアちゃんやナギサちゃんみたいな『頭のいい子』には囲まれてるけど、君みたいに『本能全開の子』って初めて見たの!」
ミカが目を輝かせてチエルの手を握る。
ミチミチッ……と、骨が軋む音が響く。
「い、痛いですミカさん! 愛が重いです!」
「あ、ごめんごめん☆ ついつい力が入っちゃって。ねえチエルちゃん、私に教えてよ。その……『ちぇるーん』ってやつ!」
「おっ! 興味ありますか? これは世界をハッピーにする魔法の言葉、私ことチエルの生き様(イズム)です! 理屈じゃありません、ハートで感じるんです!」
「うん! ハートだね!」
「腰を入れて、指先まで可愛さを充填して……放つ! ちぇるーん☆」
チエルが見事なポーズを決める。
「わかった! やってみるね! ……可愛さを込めて……ちぇるーん☆!!」
ミカが見よう見まねでポーズを取り、腕を振り抜く。
その瞬間。
ドォォォォォン!!!!
空気が爆ぜたような轟音が響き、衝撃波が巻き起こった。
温室の防弾ガラスが一斉にひび割れ、大理石のテーブルが粉々に砕け散る。
「…………は?」
クロエが口を開けて固まる。
「わぁ~! すごい破壊力ですミカちん! これがパテル派のバイブスですか!」
「あはは! なんかスッキリした~! これいいね! 今度セイアちゃんがお説教してきたら、これで返事してみようかな!」
無邪気に笑うミカ。
ユニは額に手を当てた。
(……訂正しよう。あれは猛獣などではない。『災害』だ。彼女に知性を求めたボクが間違っていた)
その時、温室の入り口から、冷ややかな声が響いた。
「……ミカさん? 何をしているのですか?」
現れたのは、ティーパーティーの一角にしてフィリウス派を率いる、桐藤ナギサだった。
「あ、ナギちゃん! 見て見て、新しいお友達と、新しいご挨拶! いせーのーで、『ちぇる~ん☆』」
ミカが軽く壁を叩くと、壁に巨大な亀裂が走った。
「…………。あなた方……ミカさんに何を教え込みましたか?」
ナギサの怒りの矛先が向く。
ユニは即座に計算した。勝てない。そして、弁償させられる。
「撤収だ諸君! 戦略的転進!」
「えー、まだケーキ残ってますよ~?」
「いいから走れチエル! 殺されるぞ!」
なかよし部は嵐のように逃走した。
「あ~あ、行っちゃった。……また遊ぼうね、チエルちゃん!」
ミカは逃げ去る背中に向かって、楽しそうに手を振った。
なかよし部が去り、ナギサが破壊された温室の惨状を見て頭を抱えている横で。
ミカは一人、紅茶を啜りながら、先ほどまでの無邪気な笑顔とは少し違う、昏く、熱っぽい瞳で空を見つめていた。
「……面白いなあ、あの子」
ミカの脳裏に焼き付いているのは、小難しいユニでも、常識人のクロエでもなく、あのチエルだけだった。
「私と同じ『力』を持ってるのに、全然悩んでないし、隠してもいない。……自由で、楽しそう」
ミカは指先でテーブルの上の亀裂をなぞる。
そして、独り言のように呟いた。
「ねえ、ナギちゃん。あの子……チエルちゃんのことなんだけどさ」
「……あの異端児の一人がどうかしましたか?」
ナギサが心底嫌そうに振り返る。
「あの子、まだ一年生だよね?」
「ええ、確かそうですが……」
「そっかぁ、一年生かぁ……。まだトリニティの『派閥』とか『政治』とか、なーんにも染まってない、真っ白な時期だよね」
ミカはふふっと笑い、その瞳に妖しい光を宿した。
「ユニちゃんみたいに『頭でっかち』な子は、理屈こねて動かないし。クロエちゃんみたいな子は、斜に構えてて可愛くないし」
ミカは、先ほどチエルが座っていた空席を見つめる。
「ならさ……あの子、パテル派(うち)に貰っちゃダメかな?」
「……はい?」
ナギサの手が止まる。
「だってさ、あんなに強くて、何も考えてなくて、私と気が合う一年生だよ? これから私が『色々』教えてあげれば……最高の『お友達(手駒)』になると思わない?」
セイアは口うるさい。ナギサは疑り深い。
ミカが求めていたのは、自分の圧倒的な力についてこれて、かつ自分の言うことを無邪気に聞いてくれる存在。
それが、あの「チエル」という原石だった。
「……ミカさん。悪いことは言いません。あの集団に関わるのはやめなさい。特にあの子は『混ぜるな危険』です」
ナギサが警告するが、ミカは聞いていない。
「ん~、どうやって誘おうかな~。ロールケーキ攻めかな~、それとも『ちぇるーん』のお勉強会かな~☆」
ミカは楽しそうに足をぶらつかせた。
その無邪気さは、残酷さと表裏一体。
トリニティの魔女が、お気に入りの新しいオモチャを見つけた子供のような顔で、新たな計画を練り始めていた。