実力の指標として
深夜2時。聖テレサ女学院、旧校舎「象牙の塔」。
草木も眠る丑三つ時、なかよし部の部室から、音もなく滑り出る一つの影があった。
黒いパーカーのフードを目深に被り、気配を完全に殺したその少女は、クロエだ。
「……静かだ。闇夜は私の友。誰にも見られず、誰にも知られず……」
クロエは懐に手を当て、そこにある一通の封筒の感触を確かめる。
宛先は『月刊・黄昏の詩篇 編集部』。
中身は、彼女が徹夜で推敲を重ねた、魂の叫び(ポエム)の投稿原稿である。
「この想い、世界へ届け……。今日の消印有効だ。急がねばな」
普段の気怠げなダウナー口調とは違う、どこか酔いしれた「ポエマー人格」の独白を心の中で呟きながら、クロエは闇夜を疾走した。
ユニやチエルには絶対に秘密の、孤独な聖戦が始まった。
トリニティ自治区の市街地。
街灯がまばらに道を照らす路地裏を、クロエは影のように移動していた。
目指すポストまで、あと数ブロック。
その時だった。
クロエの「暗殺者(アサシン)」としての勘が、強烈な寒気を捉えた。
「…………ア?」
前方の曲がり角から、不気味な声が漏れた。
そこに立っていたのは、トリニティの制服を着た、長身の少女。
長い黒髪を振り乱し、両手には二丁のショットガンを引きずっている。
そして、その顔は――
「キェェェェェェ!! ヒャハハハハ!!」
白目を剥き、よだれを垂らしながら、裂けんばかりの笑顔(?)で絶叫していた。
正義実現委員会・委員長、剣先ツルギ。
偶然にも、彼女は深夜のパトロール中だったのだ。
(あ、こんばんは! こんな時間に女の子が一人歩きなんて危ないよ!)
ツルギの内心は純度100%の善意と心配だった。
しかし、その出力形式(アウトプット)は、完全にバケモノのそれだった。
「ッ!? (殺気!? なんだコイツ、問答無用で殺す気か!?)」
クロエが身構える。
ツルギが「大丈夫?」と近づこうとして一歩踏み出した瞬間、バキィッ! とアスファルトが粉砕された。ただの足踏みで。
「(……マジかよ。目が合った瞬間に戦闘態勢か。トリニティの治安維持部隊は、夜間外出即・処刑ってわけか)」
クロエは冷や汗を流しながら、懐のポエム(封筒)を庇う。
「上等だ。……私の『魂(原稿)』は、誰にも渡さない……!」
「キェェェェェ!!(危ないから、私が家まで送るよー!)」
ツルギがドタドタと走ってくる。
クロエには、それが「獲物を見つけた捕食者の突進」にしか見えなかった。
「……チッ。運が悪いな」
クロエの手元で、ジャラッと金属音が鳴る。
スローイングナイフ。
彼女が瞬時に腕を振るうと、ナイフはツルギではなく、頭上の街灯へと突き刺さった。
パリーン!
ガラスが砕け、路地裏が完全な闇に包まれる。
「ギギッ!?(あれっ、真っ暗になっちゃった!?)」
「視界を奪えば、デカブツもただの的だ」
クロエは闇に溶け込み、ツルギの側面へと回り込む。
ユニやチエルの前では見せない、「元・裏社会のプロ」としての洗練された動き。
クロエはツルギの死角から、関節を狙って蹴りを放つ。
ドゴォッ!
「アブッ!?(わぁ、すごい! 君、動きいいね! カッコいい!)」
蹴りは直撃したが、ツルギはビクともしない。それどころか、クロエの鮮やかな体術に感動し、テンションが最高潮に達してしまった。
「ヒャハハハハハ!! イイぞォォ!! もっとダァ!!」
興奮したツルギは、喜びの表現として、手にしたショットガンを空に向けて乱射し始めた。
ズダダダダダダダダッ!!!!
「なっ!? 威嚇射撃にしては殺意が高すぎるだろ!?」
クロエが慌てて遮蔽物に飛び込む。
コンクリートの壁が、ツルギの弾幕でチーズのように削り取られていく。
「(クソッ、なんてデタラメな火力だ……! まともにやり合ったら、私の『魂の詩(ポエム)』が蜂の巣になっちまう!)」
クロエは必死に逃げ回りながら、隙を窺う。
しかし、ツルギの野生の勘は凄まじく、どこに隠れても即座に見つかり、「ヒャッハー!(見つけたー!)」と追いかけてくる。
「ハァ……ハァ……。しつこい悪霊だ……!」
クロエは路地の行き止まりに追い詰められた。
「ギギギ……アハァ……(へへへ、鬼ごっこ楽しかったね……)」
ツルギがゆらりと近づいてくる。
クロエは最後の手段として、隠し持っていた閃光弾(スタングレネード)のピンを抜いた。
「(ここで目眩ましを使って、強行突破でポストへダンクシュートする……!)」
クロエが決死の覚悟を決めた、その時。
「――そこまでになさい、委員長!!」
凛とした怒声が響き渡った。
ツルギの動きがピタリと止まる。
「アブ……?」
現れたのは、長い黒髪と巨大な翼を持つ、グラマラスな少女。
正義実現委員会・副委員長、羽川ハスミだった。
「まったく、銃声が聞こえたと思えば……。深夜に何をしているのですか! 市民への威嚇射撃は禁止と言ったでしょう!」
ハスミがツルギの首根っこを掴む。
「ウググ……アババ……(ち、違うの、あの子がすごくて、つい……)」
ツルギは借りてきた猫のように縮こまり、「シュン……」と小さくなった。
ハスミは溜息をつき、クロエの方へ向き直る。
そして、ハスミの眼鏡がキラリと光った。
「……貴方、お怪我は?」
「……ない。アンタが止めてくれなきゃ、危ないところだったがな」
クロエは警戒を解かず、パーカーのフードをさらに深く被る。
ハスミの視線が、クロエを値踏みするように観察する。
(……委員長の暴走を、この至近距離で凌いだ? 息は上がっているけれど、外傷はゼロ……。しかもあの制服、ニ年生?)
正義実現委員会は常に人手不足だ。
特に、ツルギの暴走を止められる「実力者」は、ハスミにとって喉から手が出るほど欲しい人材だった。
ハスミの表情が、厳格な風紀委員から、「有能な人材を見つけたヘッドハンター」のそれに変わる。
「貴方、お名前は?」
「……通りすがりの善良な市民だ。(名前がバレたら、ポエム投稿の事実まで芋づる式にバレる!)」
「そうですか。では、その『善良な市民』さんに提案です」
ハスミが一歩、詰め寄る。
「正義実現委員会に入りませんか?」
「……は?」
クロエが呆気にとられる。
「貴方のその身のこなし、判断力、そして何より『ツルギ委員長と対面しても正気を保てる精神力』。素晴らしい。我が部に来れば、特別待遇(主に委員長のお守り役)を約束します」
「…………」
クロエは顔を引きつらせる。
冗談じゃない。政治の犬になるのも御免だが、あんな怪獣(ツルギ)の世話係なんて、命がいくつあっても足りない。
「……パスだ。私は群れるのが嫌いでね」
クロエは手の中で転がしていた閃光弾を、足元に落とした。
カッ!!!!
強烈な閃光が路地裏を白く染める。
「しまっ……!?」
ハスミが腕で目を覆う。
視界が戻った時には、既にクロエの姿は消えていた。
ただ、少し先の郵便ポストに、一通の封筒が投函された音が、カタン……と響いただけだった。
「……逃げられましたか。ですが、あの身のこなし……」
ハスミは手帳を取り出し、何かをメモした。
その横でツルギは、「あの子、行っちゃった……」と寂しそうにアスファルトをいじっていた。
明け方。
象牙の塔、なかよし部の部室。
「あ~、お腹空いた。ユニ先輩、カップ麺まだですか~?」
「待てチエル君。3分ジャストで蓋を開けるのが美学だ」
徹夜明け(ゲームと読書)のチエルとユニが、朝食の準備をしていた。
そこへ、ドアが開く。
「……ただいま」
ボロボロに汚れ、疲れ切ったクロエが入ってきた。
「おや、クロエ君。お帰り。随分とやつれているな。悪霊にでも会ったか?」
ユニが麺を啜りながら尋ねる。
クロエは深くため息をつき、いつもの気怠げな椅子に深く沈み込んだ。
「……ああ。この世で一番うるさい悪霊と、しつこい勧誘員にな」
クロエはポケットを探る。
そこには、いつの間にかねじ込まれていた一枚の紙が入っていた。
『正義実現委員会・入部届(推薦者:羽川ハスミ)』。
「(……勘弁してくれ)」
クロエはそれをくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱へと投げ捨てた。
そして、窓の外の白み始めた空を見上げ、心の中で一句詠んだ。
(静寂は、硝煙の匂いと共に去りぬ。……字余り)
彼女の魂の叫びが掲載されるかどうかは、編集部のみぞ知る。