非公認部活である「なかよし部」には、当然ながら部費など一銭も支給されない。
卓上ではAIストーン・ロゼッタが、無機質な声で個人の懐事情を暴露していた。
『ポーン。マスター・ユニの口座残高、残り三桁です。今月のおやつは「空気」を推奨します』
「……ふむ。霞を食べて生きよと言うのかね、ロゼッタ」
ユニは読みかけの哲学書から目を離さず、淡々と白湯(紅茶の茶葉すらない)を啜った。
「真理を探究する賢者には、生活の憂いを断つためのパトロンが必要不可欠だ。……どこかに、ボクの叡智に投資するだけの気概を持った資産家はいないものかね」
「地道にバイトしてくださいよ、ユニ先輩」
クロエがソファで寝転がりながら、気怠げにツッコミを入れる。
その横で、チエルが天井を見上げながら足をバタつかせていた。
「あーあ、暇ですね~。電気止められてスマホの充電もないし、マジで虚無です☆」
その時、扉が静かにノックされた。
「おや。……借金取りかな?」
ユニが立ち上がり、扉を開ける。
そこに立っていたのは、変装用のサングラスをかけた聖園ミカだった。
「やっほー☆ 遊びに来ちゃった」
ユニは少しだけ目を丸くしたが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、眼鏡を人差し指で押し上げた。
「おや、ミカ君か。……これはまた、珍しい客人が来たものだね」
(パテル派のトップが、このような辺境の塔にお忍びとは。……ふむ、何の風の吹き回しか)
ユニは動じることなく、扉を大きく開けた。
「ようこそ。見ての通り金目のものはないが、歓迎しよう」
「お邪魔しまーす。……あ、チエルちゃんいた!」
ミカはユニの挨拶には軽く手を振るだけで応え、一直線にチエルの元へ向かった。
「チエルちゃん! 今日暇だよね? もし良かったら、私と遊ばない?」
「おっ、ミカちんじゃないですか~! 暇ですよ~、もう干からびる寸前でした☆」
チエルが渡りに船とばかりに身を乗り出す。
ユニは静かに頷き、チエルに声をかけた。
「チエル君。行ってくるといい」
「じゃあ、お言葉に甘えて遊んできますね!」
「構わないよ。ティーパーティーとの個人的な友好関係は、非公認である我が部の存続において極めて重要なライフラインだ。……彼女と親睦を深め、あわよくば夕飯の一回分でも奢ってもらいたまえ」
ユニの声は平坦だが、その言葉には「分かっているね? 食い扶持を浮かせてくるんだ」という切実な、しかし部長としての的確な判断が込められていた。
ミカはそんなユニを見て、小さく笑った。
「ふふ、ユニちゃんは相変わらず難しいことばっかり言うね。……じゃあチエルちゃん、借りていくね☆」
「はーい! 行ってきまーす!」
二人が出て行き、部室のドアが閉まる。
訪れた静寂の中、クロエがポツリと呟いた。
「……大丈夫っすかね、あいつ」
クロエは雑誌を閉じ、天井を見上げた。
「相手はあのお姫様ですよ。機嫌損ねたら、この塔ごと消し飛ばされるんじゃ……」
「問題あるまいよ」
ユニは淡々と答え、再び本に視線を落とした。
「チエル君はああ見えて、人の心の機微には誰よりも敏感だ。相手が何を求めているか、どこに地雷があるか……その『感情』の分野において、彼女は我々よりも遥かに上手くやるさ」
「……ま、確かに。コミュ力お化けっすからね」
「左様。我々は大人しく、彼女の『戦果(お土産)』を待つとしよう」
トリニティ自治区の繁華街。
ミカとチエルは並んで歩いていた。
「さてさてミカちん! 今日は私が、とびっきり『パステルピンク』な遊びを教えてあげますよ!」
「パステルピンク?」
「そうです! 可愛くて、楽しくて、キラキラした最強の遊び方です☆」
チエルはミカの手を引いて、ファンシーな雑貨屋や古着屋を巡る。
「あ、この服可愛い! ミカちん似合いそう!」
「そう? チエルちゃんが選んでくれたなら買うよ。この棚のやつ全部」
「ブブーッ! それはNGです!」
チエルが両手でバツを作る。
ミカは不思議そうに首を傾げた。
「え、ダメ? 友達へのプレゼントって、これくらい普通じゃないの?」
「買い物は『迷う時間』が楽しいんですよ~! どれにしようかな~って二人で悩んで、お揃いのストラップを一個だけ買う! これが『ちぇるーん』な流儀です☆」
「へぇ……。一個だけ、かぁ」
ミカは自分の鞄につけられた、チエルとお揃いの安っぽい(でも可愛い)ストラップを珍しそうに眺めた。
その後、二人はゲームセンターへ。
「次はプリクラです! 盛って盛って盛りまくりますよ!」
「プリクラ……初めてかも」
「変顔対決とかしちゃいますからね! 覚悟してください☆」
狭いブースの中で、二人の笑い声が響く。
ミカは最初戸惑っていたが、チエルのペースに巻き込まれ、今まで見せたことのないような砕けた笑顔を見せていた。
最後にパンチングマシーンに挑戦した際、ミカが軽く小突いたつもりがドゴォォォン!! とマシンをへし折ってしまった時も。
「あははは! ミカちんヤバすぎ! 破壊神降臨じゃん! これぞパステルピンクな破壊活動☆」
「え、えへへ……ごめん、これってピンクかな……?」
周囲がドン引きする中、チエルだけがお腹を抱えて爆笑し、ミカもつられて笑ってしまった。
公園のベンチ。
遊び疲れた二人は、クレープを手に休憩していた。
ミカは足をぶらつかせながら、穏やかな口調で切り出した。
「……ねえ、チエルちゃん。なかよし部って、部費出ないんだよね?」
「あ~、そうなんですよ。基本自腹なんで、常に金欠です☆」
「だよね。だからさ、私が個人的に支援(サポート)してあげようか?」
ミカは純粋な善意で提案する。
「パテル派が管理してるゲストハウスがあるんだ。そこなら広いし、綺麗だし、スイーツも食べ放題だよ。ユニちゃんの研究費用も、私が出してあげる」
それは、彼女なりの「友情の証」であり、同時に彼女が知っている唯一の「繋ぎ止める方法」でもあった。
チエルはクレープを飲み込み、少し考えてからニカっと笑った。
「条件は超・最高です! グラつきますね~!」
「でしょ? じゃあ……」
「でも、ナシで☆」
ミカが驚いた顔をする。
「えっ、どうして? 遠慮しなくていいんだよ?」
チエルは人差し指を立てて、チッチッチと振った。
「ミカちん。友達って、そういう『契約』じゃないじゃないですか」
「契約……?」
「私が今日ミカちんと遊んで楽しかったのは、お金があったからじゃないです。一緒に迷って、変顔して、笑ったからですよ!」
チエルは自分の胸に手を当てる。
「それに、あのボロい塔で、ユニ先輩の長話を聞きながら駄菓子食べるのも、結構気に入ってるんです。……だから、お金で解決しちゃったら、私の『青春(ネタ)』がなくなっちゃいます☆」
ミカは目を丸くし、それから少し嬉しそうに、困ったように笑った。
「そっか……。変なの。みんな、私が何かあげると喜ぶのに」
「私は風間チエルですから! 予測不能ですよ☆」
チエルはウインクする。
「その代わり、今度ユニ先輩達が遊びに来たら、美味しいロールケーキくらいは恵んであげてください。あの人達、喜びますから」
「あはは! 分かった。……ありがとう、チエルちゃん」
夕暮れ時、象牙の塔の前。
ユニが本を読みながら待っていた。
「おかえりチエル君、そしてミカ君。……どうだね、有意義な時間は過ごせたかな」
ミカはユニを見て、イタズラっぽく微笑んだ。
「うん! すっごく楽しかったよ。パステルピンクな一日だった!」
「……ほう。それは重畳」
ユニは少しだけ眼鏡の位置を直し、淡々と頷いた。
「強固な信頼関係こそが、最大の資産になり得ることもある。……また来たまえ、ミカ君」
「うん。……じゃあね、チエルちゃん! また遊ぼうね!」
「もちろん! 連絡待ってまーす☆」
「またね、ミカちん!」
ミカが手を振って去っていく。
その姿が見えなくなると、チエルはくるりと振り返り、満面の笑みで紙袋を掲げた。
「ただいま戻りました~! お二人とも、見てください! ジャジャーン☆」
チエルが袋から取り出したのは、高級洋菓子店『クランベリー』の限定焼き菓子セットと、大量の紅茶葉だった。
「ミカちんが『お土産にどうぞ』って買ってくれました! もちろん経費ゼロです!」
それを見た瞬間、ユニがガタッと眼鏡をずり落とした。
「こ、これは……! 一箱で我々の食費一ヶ月分に匹敵すると噂の、幻のクッキー……!?」
「やるじゃん、チエル。お前、マジでいい仕事するな」
クロエも感心したように口笛を吹く。
「えへへ、任せてくださいよ! 友達付き合いも大事、お腹も大事、それが私の流儀です☆」
「素晴らしい……! さすがはチエル君だ、君のコミュニケーション能力は我が部の宝だよ!」
ユニは拝むようにクッキーを受け取った。
貧しい部室に、久しぶりの歓声と甘い香りが満ちる。
なかよし部の夜は、平和に更けていくはずだった。
一方、象牙の塔を後にしたミカ。
一人になった途端、その笑顔からふっと温度が消えた。
「『契約』じゃない、かぁ……」
ミカは夕闇に沈むトリニティの校舎を見上げる。
「ふふ。やっぱり欲しいなぁ、チエルちゃん。あんなに自由なんだもん」
ミカはポケットから携帯端末を取り出す。
そこには、『アリウス』に関連する短い通信履歴が表示されていた。
「でも、『今』手に入れても、すぐに壊れちゃうかもしれないしね」
ミカの瞳の奥で、星のような輝きが冷たく揺らめく。
「もうすぐ、セイアちゃんのところに『悪いお友達』が来る」
「お茶会はめちゃくちゃになって、ナギサちゃんは発狂して、トリニティはひっくり返る」
ミカは楽しそうに、歌うように呟いた。
「だから、チエルちゃんを私の鳥籠に呼ぶのは、その『後』にしよっと☆」
ミカは端末をしまい、スキップしながら闇の中へ消えていった。
嵐はすぐそこまで迫っている。
なかよし部の無邪気な日常が、トリニティを揺るがす大事件に巻き込まれるのは、もう時間の問題だった。