翼によって統治される区で構成される。
巣と裏路地。組織とフィクサー。強者と弱者。
幾つものラベルによって人々は細分化されるが、都市には「人間」だけが住んでいる。
紫煙が空中へと立ち昇っては鴻園の裏路地の間をすり抜け霧散していく。
私はその姿を黙々と歩きながら、ただ見つめていた。
煙は私を先導する様に右隣前方を歩く、背丈の低い女の口元からもくもくと噴き出ている。
「この煙草は出来損ないだ。人工甘味料の様な甘みと香水みたいな甘い臭い。若人の間で人気らしいんだが……最近の若い奴は五感まで丸の副作用で捨てちまったようだな」
その女はぶつぶつと元の姿よりも3割程短くなった煙草を咥えながらぼやき、手持ちぶさたからくる苛立ちからか中空を睨みつけた。
彼女……つまり私のフィクサーとしての先輩は感情が態度に出やすい人なのだ。それも特に嫌な方向に。
いつだってこういう不機嫌な時には、耳を鋭くピンと立て不機嫌さを私にアピールする。彼女は無駄に器用なので2つではなく4つも。
寒さからかほのかに赤い人間の耳と、彼女の髪色と同じ栗色の頭から垂直に伸びる長い耳。
先輩には兎の耳が生えていた。元々はそれはもう猛々しい漢だったらしいのに、今では丸らしい顔立ちと小さな背丈も相まってなんとも可愛らしいバニーガールだ。なんと無残な。
鴻園には丸というある種の漢方薬がある。それの形態は軟膏だったり飲み薬だったりと様々、効能もそれに伴ってそれはもう様々である。
丸には作用も副作用も驚く程あるのだが、その中でもメジャーな効能の一つは肉体の変質。
千切れた腕の代わりに猿の腕を生やしたり、より強い身体を手に入れる為に皮膚をサイのものにしたり用途は効能の数だけ数多ある。
これにまつわる話で個人的に面白いと思ったのは、細分化した丸の種類を数え出すと鴻園に住む人間の数よりも遥かに多いという話。
この話で伝えたい事は、つまり数える事すら馬鹿らしい程の種類がある丸の中でも、元々男であった彼女(彼)はとんだハズレを掴まされてしまったという事だ。
「クソみたいな煙草だ、二度と買わん」
半分か、六割だろうか、白かった部分が既に大体灰に変わった頃、彼女は残った灰をそこら辺の壁に擦り付けた後に振り返りもせず地面にそれを投げ捨てた。不法投棄と建築物棄損のダブルコンボだ。
先輩はカスだった。その内痛い目に遭うだろう。きっと。
「おい、クソガキ。今日の依頼内容は当然覚えているな?都市怪談ですらない底辺みてぇな依頼だが油断だけはするな」
4、5分程歩いていた頃だろうか、先輩は突然立ち止まり私の方へと振り向きざまにそう言った。
当然、依頼内容は覚えている。
組織とすら呼べないチンピラ共の集まりの壊滅。裏路地には珍しくもないいわゆる鼠という奴だ。
構成員は7人。依頼人の情報だけで判断するなら烏合の衆共。兎にとって烏というのは少し不味い気もするが。
「もちろんです。矛先は既に鋭いですから」
私がそういうと先輩は目を一瞬閉じ、何を言うでもなく振り返って歩き始めた。
私もそれに続いて背を追って歩く。道のりは閑散としていて一言二言の会話すらもない。
再び先輩が足を止める。
そこはよくある大規模集合住宅の一室。1208号室の薄汚い扉の前だった。
「中には6人居る。私が扉を蹴破る、続いて入れ」
裏路地の集合住宅地は脆い。壁は薄く音は漏れるし、ろくな生活設備はそろってないし。だから当然この程度の扉は私たちみたいなちょっとしたフィクサーにとってすらは発泡スチールみたいなものなのだ。
ある深夜の一時間の間以外は、だが。
扉が蹴破られる、それと同時に中にいた人間の頭が破裂する音が響く。
一迅の風とでもいうべき速さ。瞬き一つする間には先輩が叩き壊した人間だったものの破損音が周囲に響いている。悲鳴を上げる時間さえも存在しない。
続いてニつ、ともに頭蓋を割られる。今度は視界に収めた。その頃になって遅くも残りの二人が悲鳴を上げたが、僅かな旋風が通り過ぎるとすぐにその声はただ一つになった。
「たすけ」
先輩が一人残った女の左の脚を砕き、何処から出したのか白い布を女の口に食まして、女の恐怖に歪んだ瞳を直視しながら言葉を発する。
「残り一人は何処だ。悲鳴は嫌いだから余計な事と嘘は吐くな」
女は泣いていた。先輩は何を言うでもなくもう片方の脚も砕いた、悲鳴は上がらなかった、上げられなかった。白い布は僅かに赤く染まっている。
「かいだしにいきました ちかくです さんじゅぷんまえのことだからもうすぐかえってきます たすけ」
破裂音。頭が潰れた。
小さく見窄らしい部屋の中には先輩と私の呼吸音。それと先輩が死体を漁る、臓物の音が響いている。
なんともまぁ、気分が、悪い
私は意識を僅かでも逸らすためにもういなくなってしまった彼らの生活を盗み見る事にした。
自分では無い他人の生活には興味が合ったから。
部屋を見渡す。
パーティーでもしていたのだろうか。部屋の中は既に肉片と血液と骨片によって荒みきっているが、机にはピザが3枚と2Lのペットボトルコーラが1本、空のまま置いてある。
ピザはまだほのかに温かくチーズとベーコンの乗ったものが2枚、もう1枚は魚らしきものの肉と海老が散りばめられたものだった。
人体がトッピングされていたから勿体ない精神が働く事は無く、食べようなどとは思わないけれども、どうにも裏路地の鼠にしてはらしくもない豪勢な食事に見える。
きっと……なにかの誰かの記念日だったんだろうな。
私は未だに香ばしい臭いを放つそれらを見る事すら嫌になった。
だから、目を逸らして先輩は今、何を思っているのだろうかと彼女へと視線を滑らす。
特に何も感じていなさそうに未だに死体を漁っていた。
先輩曰く「こんなカスどもの、しょうもない武器と内臓でもいい感じに売れば端金にはなる」と少し昔に言っていた。それこそテーブル上にあるピザ位の価値にはなるらしい。
彼らの命の価値はそれぐらいでしかないのかな。
先輩のうさ耳がピクリと跳ねる。部屋の外側から近づいてくる一人分の足音。哀れな犠牲者がまた一人増える音だった。
「お前が殺してこい。槍の使い方を忘れるのはよくないからな。」
私はその言葉に何を思うでもなく背負っていた槍を引き抜き、構えながら蹴破れられた扉から部屋外に出る。
そこにいたのは青年だった、私と同じくらいの19歳前後の。
彼の両の手は重力で下側に引き伸ばされたビニール袋で埋まっている。
片方の手にはコーラとか発泡酒が入っていて、もう片方の手には唐揚げとかと一緒にポップコーンが入っていた。
槍を構える、息を吐き、そして刺す。
脳天に一突き、彼の目はほんの一瞬恐怖と驚きで大きく見開いたが、そこまでだった。
抵抗するでもなし、構えようとするでもなし、彼らには才能が無かったのだと思う。
都市で生きていく才能が。
これまで生きてこられたのが不思議なほどに、だからこそ死ぬ瞬間に何かを見ずに済んだのかもしれないけど。
「今日、何か学びはあったか?ミト」
先輩が……事務所の代表者であるムカンが私にそうやって尋ねる。
テーブルの前には2枚のピザとポップコーン、コップになみなみと注がれた生ビールとオレンジジュース。それと依頼料と端金を合わせた86万眼。
「特別な事はありませんでした。ですが、一つだけ」
先輩は生ビールを一気に飲み干し、小さな口でピザを2切れ同時に口にほうばる。
「才能が無い人間に都市での未来は無いという事ですね」
先輩の口角が上がって、私に向かって嘲る様に口を開いた。
「本当に特別でも無い、当然のことだな」