コミカライズ版にて大英帝国風味が出ているグラ・バルカス帝国ですが、本作品内ではこのままで行かせて貰います。
重要会議が終わり、出席者達が参謀本部正面門から銘々公用車で衛兵が警備する正面門を尻目に出ていく姿が窓から見える。
「ナグアノ君、無理を言ってすまなかったな、退出していい」
「はい」
ナグアノ少尉が執務室から退出する。
視線を窓の外に移すと、黒塗りの公用車に群がる新聞記者達の群れが見える。
「相変わらず記者連中は強引ですな」
「ふん、統一戦争以前から個人的な伝手を使い参謀本部内に入り込んで作戦内容を聞き出す様な不埒者すら居たからな」
「幸い、幾つか参謀本部で提案されていた作戦内容の1つでしたから廃案という形で治める事が出来ましたが…」
「新聞にデカデカと載せられていた時は参謀本部全体が大騒ぎだったからな」
「本部長は運命戦争の当事者であらせられますから」
私が参謀本部長に任命されるより前、まだとある殖民地*1において現地殖民地軍の参謀長を務めていた頃の事だ。
帝国始まって以来の損害とされた「運命戦争*2」の当事者として、私はあの大戦と相対した。
敵艦隊と上陸船団の索敵に失敗した事で上陸直前まで敵軍の作戦行動に気付かなかった事が災いし、上陸海岸を守っていた殖民地師団、海岸部よりやや内陸部に駐留していた帝国歩兵師団に膨大な犠牲者が出てしまった。
幸いな事に現場海域へ急行したリーテ潜水艦隊による魚雷攻撃で上陸輸送船団に大損害が生じた事で上陸軍の動きが鈍った隙に、艦砲射程圏外に大急ぎで構築した防衛線によって辛うじて内陸部進出の阻止に成功出来た。
「陸軍の連中、焦った故か外務省はおろか参謀本部や海軍への通達も無しに徹底抗戦の宣言を出しましたからな」
「短期間に軍団規模に迫る損害を出してしまったのは前代未聞だったとはいえ、あの時は帝国議会にさえ激震が走ったからな」
「防衛線による持久に失敗していたら、恐らく私は此処に居なかっただろうな」
「前線視察中に艦砲弾を受けたと聞いておりますが…」
「半地下式の指揮所で視察中にな。後で知った話だが、巡洋艦クラスから放たれた15cm級砲弾だったそうだ、至近弾だった事と指揮所が鉄筋コンクリート製だったから助かったが、万一直撃を受けていたらと思うとな」
「しかし、我が軍が最終的に勝利した事で返って機密漏洩に関する処罰は御座なりになってしまいました」
「間違っても負けた方が良かった等とは言えん、言いたい事は山程あるが」
あの砲撃時に運悪く総司令が負傷して指揮が不可能になった為、私はなし崩し的に実戦部隊の総指揮を執る羽目になってしまった。
殖民地軍総司令が指揮を執れない場合は本来ならば次席の殖民地軍各師団を統括する軍団中将が指揮を取る事にはなっていたのだが、その次席指揮官は前線の残存部隊を指揮中であり、とても総指揮を執る余裕は無かった。
「本部長が本国から増援部隊が到着する迄全体の指揮を担当したと聞きましたが、その時の功績が今の第4師団編制案に繋がったと」
「今では陸軍内でも【電撃戦】だの【陸軍初の機械化部隊】だの御大層な名称を付けられているが、あれは防衛線再構築の時間を稼ぐ為に行った窮余の策だったのだがな、1人歩きしてしまった」
「殖民地軍に配備されていた全ての戦車・装甲車を集成した、臨時の反撃部隊でしたか」
「1号戦車*3を主力に、2号軽戦車シェイファー、僅かに配備されていた2号戦車ハウンドを含んだ350両程の部隊*4だ。数合わせの為に殖民地警備用の装甲車*5まで編制に加えた、な」
正直、寄せ集めと言われれば反論し難い。
リーテ潜水艦隊の活躍と殖民地陸海軍現地航空隊の奮戦が無ければ、制空権を奪われた此方側の反撃部隊は壊滅していた可能性すらあった。
「反撃作戦自体は成功と言ってよいのだが、参加した集成機械化部隊は半壊を超える損害を出してしまった」
「機械化部隊に追従した歩兵師団・殖民地師団も少なからず損害を被りましたからな、相手の内陸進出が止まり塹壕を掘っての防御戦闘へ移行した幸運も重なりました」
「加えるなら内陸部への侵攻中故に陣地構築が殆ど行われておらず、対戦車火器*6等の重火器類も少なかった、どれか1つの要素でも欠けていれば敗北していたかもしれん」
「その後2ヶ月程は本国からの増援到着と奪回までは只管耐え抜く日々だったと」
「ふん、華々しい機械化部隊の戦果ばかり聞かれる事には辟易したがな」
「参謀本部長へ任官なされて直に行ったのが軍紀粛正でしたからね」
「連戦連勝が続いていた事を鑑み様が、幾ら何でも緩み過ぎていたからな、お陰で記者連中や彼等懇意にしていた連中からは【冷血参謀】等と陰口を叩かれる始末だ」
コーン、コーン、コーン。
壁掛け時計*7が時間を知らせる。
「お、もう時間か」
「では先方の手筈通りに動きましょう」
「しかしなぁ、上手く行くか?」
入室して来た従兵から衣服を受け取る、不審者に見えないだろうか?
「従軍カメラマン*8ですか」
「転移前のユグド統一戦争、今回のビフレスト大陸派遣軍にも何十人と従軍を認めているからな、参謀本部から出て来てもおかしくはないが⋯」
個人的な敵視と軍としての宣伝広報は別だ。
故の持ちつ持たれつなのが悩ましい、いっそ直接彼等を雇用して参謀本部官報*9に梃入れしてみるか?
山高帽に伊達眼鏡と開襟服、詰襟が基本の帝国陸海軍軍服とは全く違うな。
「確かに軍人には見えませんが⋯」
「何処ぞの勤め人にしか見えんか?」
「それに、態々変装用にカメラまで渡されているからな、それも市井の者には手を出しにくい機種*10だぞこれは」
「大卒初任給の2倍はするフィルム・カメラですか。陛下かハイラス様の物かは分かりませんが、御大臣ですな」
35mmフィルム・カメラの最新機種か、軍も戦果確認に各種のカメラは導入されているが、私個人は大将へ出世した時の記念撮影時に写真屋で撮ってもらったのが最後だ。
改めて姿勢を正し真剣な顔に戻る。
「陛下自ら本部長を秘密裏に呼び出すのです、間違いなく厄介事です」
「それも海軍御用達の料亭を御指名と来た、海軍関連だろうな」
正直気が重いが、帝国全体の事を考えればビフレスト大陸だけで止まるとは思えん。
転移現象のゴタゴタで一時棚上げになってはいるが、ユグド統一戦争がもう一歩で世界統一という所で肩透かしを喰らったという不満や遣り切れなさが今後どの様に爆発するか分からん。
穏当な着地点が見つかるのが理想なのだが…。
従兵が入室して来る。
「本部長、ラグナ・タクシー*11が参りました」
「うん、参謀次長、後は頼む」
「は、従兵!打ち合わせ通りにな」
「お任せ下さい」
本部長室を抜け出し、従兵を先頭に正面階段を下りて正面門前に停車しているタクシーに乗り込もうとすると、案の定記者連中が寄って来る。
「お~いあんた!参謀本部から出て来たんだろ?陸海軍の重鎮や陛下迄参加してた会議なんだ、謝礼は弾むから教えてくれねぇか?」
「すまねぇが大至急現像して送る様言われてるんだ」
「け、統一戦争からこの方【冷血参謀】サマのお陰でネタ掘りも難く成りやがった、上手く取り入ってる様だな」
言うに事欠いてこれだ、半分以上貴様らの自業自得故だろう。
「フィルムも現像液もタダじゃないんでね、会社勤めで出張代も取材費も経費で出して貰えるあんたらと違って、ぜーんぶ自分持ちさ」
「この…」
「すまねぇがお客を乗せなきゃいけねぇんだ、喧嘩なら他所でやってくれ。それとも、あんたが乗るんで?」
帝都ラグナのタクシー運転手は元軍人も多い。
急速に発達していた帝国のモータリゼーション化に伴い、それ迄の2頭立て輜重馬車と並行し軍内にも多数のトラック、将校用の乗用車が配備されている事もあって軍内の教習所で自動車免許を取ろうとする下士官・将校は増えつつある。
運転手の剣幕に押されたのか、記者達が押し黙る。
「すまねぇな、出してくれ」
「あいよ」
クラッチの音と共にタクシーが発車する。
暫く走ると、運転手が声を掛けて来る。
「陛下の命とはいえ、様になっておりましたぞ?大将閣下」
「やめてくれ、正直バレやしないかと内心は冷汗ものだった」
「公用車と同じ車種を使うタクシー会社は最近では珍しくなありませんからな」
「予備役の騎兵科将校や輜重科将校の人材プールという面もあるし、何より帝都は広いからな」
郊外交通は蒸気機関車、市内は市電と一応棲み分けはなされてはいるが、急速に発達したラグナ市街は人口の過密化によって都市交通は悲鳴を挙げている状態だ。
「そう言えば、今日も朝早くからスモッグ警報が出されていたな」
「転移前は警報が鳴らない日の方が珍しかった程ですからな」
「機械文明の象徴であり豊かさの証等と言う者もいるが、海が緑色に変色する様な有様が豊かさの象徴と言う者達は頭の中身を何処かに置き忘れたか?」
「工場群からの煤塵被害も深刻です、川沿いの集落では顔が真っ黒になる住民もいるとか」
「帝国重工業の急速な発達が我が帝国の世界統一の源動力にして工場労働者達の懐を潤わせている、一長一短だな」
信号機を潜り、他の車共にラグナ最大の市民公園前を走り抜ける。
「閣下、ラグナ中央東公園前にて手筈通り停車致します」
「うん御苦労」
タクシーが停車、幅20mはある東公園の並木道を歩いて公園内を歩く。
「さて、先方が居られる筈だが⋯」
「総長、此方だ」
顔を向けると、灰色の中折れ帽と同じ色のスーツを着こなして丸黒眼鏡を掛けた老紳士に声を掛けられる。
ん?まさか⋯。
「へ、陛下?」
「つい数時間前まで顔を合わせていた故、まぁ気付かれてもしかたないか」
「幾ら秘密の会談とは言え、少々不用心なのでは?」
「偉く成り過ぎると人と会うという一事ですら新聞沙汰になる故な。何、此処を指定したのは仕事を頼んだ実業家の老紳士と仕事を頼まれたカメラマンという体裁だ」
帝国産業界を支える実業家が、帝国紳士録*12に名が載る名望家なのは珍しくもないが⋯。
「ではスピニッチへ向かうとしよう、先方も既に到着している事であろうしな」
「やはり主体は海軍でしたか」
「うむ、一応の目的は達したとは言え今後の方針を決めるには公式では暫く先だが、今の内に大まかな方針を共有しておきたいそうだ」
来た道を陛下と共に戻り東公園前まで行くと、別の車が停車している。
「スピニッチまで頼む」
「は」
今度は海軍の将校服か、海軍の公用車だな。
「他の者達は既に到着しているかな?」
「カイザル大将閣下にミケレネス中将の御二方は既に」
「ハイラスは余が公園に行く時には既に到着していると聞いている故、我々が最後になるな」
「5名ですか」
「あまり大人数で動くと記者連中に気取られる故な」
スモッグで霧が掛かったラグナ中央通りを公用車が進んで行くと、一際大きい料亭が目に入る。
「陛下、到着しました」
「御苦労⋯、と言いたい所だが、今此処に居るのは海軍首脳に招待された実業家と専属カメラマン故、今夜の事は忘れてくれ」
「あっ、は」
「カイザル御墨付きの従兵故、心配は無用だ」
「はぁ」
料亭正面門を抜けると、仲居が出迎える。
「カイザル様に招待された方々ですね?」
「うむ、今夜は世話になる」
料亭で会合するのは秘密保持という意味合いの方が強い。
この手の格式高い料亭はお客の事を詮索しないという暗黙の了解で政界との繋がりを維持している。
仲居に2階の一室に案内され、引き戸を開けると。
「来られましたか」
「これで全員揃いましたな」
カイザル大将とハイラス殿下だ。
「仲居、用が出来たら呼ぶから、暫く部屋には他の仲居含めて近付かない様にしてくれ」
「ごゆるりと」
ミケレネス中将が仲居に言い、退出する。
「しかし⋯如何にも名望家の老紳士とカメラマンという風体ですなぁ」
「私物のスーツに袖を通すのは久方振りであったが、上手く変装出来ていた様だ」
「一目では私も分からなかった程です故⋯」
「今日の秘密会合は我等海軍上層部の要請なのだが、私、カイザル個人としては君の大将昇進祝いという面の方が大きいのだ」
「私のですか?」
「まぁ先ずは一献」
そう言って、差し出されたワインボトルをグラスに注ぐ。
「帝国北部の川左岸の物ですな?」
「流石、勉強家として通ったお方だ」
ミケレネス中将が感心した様に言う、何方かと言えば覚える必要があったからだが。
「軍紀粛清の件だよ」
「必要な事をしただけですが⋯」
「その必要な事を本来する筈の者達が役目を果たせていない事が問題なのだよ」
ハイラス殿下が残念そうに言う。
「ユグド統一は、確かに戦乱治まらぬユグドに安定を齎すと私も信じていた。だが勝利すればする程軍紀は緩み、今まで曲がりなりにも安定していた既存の殖民地にても軍民の諍いが増加しつつあった、これが旧大国の占領地等では言わなくとも分かるだろう?」
「は⋯急激な軍の拡大によって本来軍犯罪を取り締まる憲兵が不足し、酷いと共犯関係になる者まで出始めておりました故」
「その手の輩は殖民地の閑職送りか予備役送りにした故、今の所は問題にはならぬ。⋯幸運な事に今回の転移現象で物理的に消滅してしまったからな」
「我等海軍も無関係ではないからな」
「イシュタムの連中ですか」
頭を掻きながらカイザル大将が言う。
「連中は本来転移現象が発生した日の1日後にケイン神国侵攻艦隊とは別行動でギムレーの軍港都市へ向かわせる予定だったのだが」
「旧八大国の重軽犯罪者を集成した者共ですからな、連中は」
基本的に我が帝国は征服した国々が元々保有していた軍隊を解散させ、一部を新編する現地の殖民地軍へ編入させるのを通例としてきた。
だが2戦級とは言え海軍の1個艦隊を丸々犯罪者集団にしたのは前代未聞だ。
「重犯罪者まで入れたのは失敗という他ありませんな」
「帝国議会で採決されと聞かされた時は余も耳を疑ったぞ、皇帝大権を以て拒否する事も出来たが⋯」
「それをした場合、陛下へ責任を擦り付ける格好になりますな、あくまで議会の責任とせねばなりません」
「念の為に第52地方隊には艦隊の整理と称して西部港湾都市の1つ、ヘルムガル*13の海軍基地にて陸軍憲兵隊が目を光らせております」
「幸いメイナード、あやつめの統率力のお陰で大きな問題ならば発生はしていない」
イシュタム司令を務めるメイナード海軍少将、本来なら中将クラスが勤める艦隊司令としては階級が低いが、奴の場合は流石に特殊な例だ。
本人の被虐志向や数々の犯罪含む問題行動で本来ならばとっくに裁判に掛けられてもおかしくない程の人物なのだが。
同じ海軍内からも【海軍の恥晒し】と公言される程だが、どういう訳かあの荒くれ犯罪者達を統率する力は認めざるを得ない。
「あれで下手な高級軍人より高学歴ときているのだから、人間とは本当に分からんものよ」
「私自身が当時の本部長であれば断固として拒否したでしょうが、連中が編制されたのは私の着任前ですからな。最早解散は難しい故、旧式艦で揃えた地方隊1個艦隊に集約させるのが限界でした」
「第52地方隊全体で万単位も居るのだ、今更刑務所に戻せば刑務所が溢れるし、市井に戻すのは問題外と来た」
「いっそ何処かで全滅してくれれば良いのですが、ケイン神国との前哨戦できちんと手柄を立てたものだから始末が悪い」
ミケレネス中将が前菜を摘みながら言う。
グラスのワインを飲み干し、改めてカイザル大将が言う。
「まぁ、辛気臭い話は此処までにするとしよう」
「ムー大陸に関する今後の方針ですか?」
「それもある。が、この世界の事だ」
「やはり、軍民の熱狂は冷めておりませんか」
「うむ⋯混乱が収束しつつあるのは良い事なのだが、厄介な事にユグド世界統一直前にこの様な事態になったものだから、【統一熱】とでも言うべきか?、この世界をユグド世界と同じく帝国の基に統一するべきだという世論が出始めている」
【統一論】、小難しい理屈を抜けば、戦乱続くユグド世界を覇道を以て統一し、帝国の威光の基に繁栄させるという論理だ。
「なまじ本当に統一する寸前にまで行った帝国の実績が、目を曇らせている様ですな」
「君らしいと言えばそれまでだが、はっきり言うな」
「⋯統一の為に膨れに膨れ上がった帝国軍という怪物を統制するのは一筋縄では行きません」
陸軍も海軍も統一戦争前の規模から数倍を超える程の規模にまで膨れ上がっている、【物】である兵器より、【人】の統制は人事含めて頭の痛い問題だ。
「特に統一戦争中に促成教育を受け任官した連中が厄介です」
「統一戦争で出世の道を開いた故、手柄を立てられる戦場が無くなる事を恐れている節があるからな」
「本末転倒にも程がありますな」
ハイラス様がそう言われるが、拡大する帝国軍の人材不足を補う為にした処置だ。
本来なら陸軍大学校*14や海軍大学校*15を卒業せねば任官されない筈の席に未卒業の者が座っている。
本来の帝国軍ではあり得ない人事を統一戦争を進める上で実行しているのだ。
「陛下、無礼を承知の上でお聞きしたい。この世界でも統一戦争を推進する御積もりですか?」
「戦時経済に適応し過ぎた帝国経済界は、最早止めれば帝国が自壊しかねん状況だ。君は立場上それが分かっている筈だな?」
「はい」
お互いに無表情で見つめ合う。
「金本位制*16から管理通貨制*17に変えた事が、これ程恐ろしい結果を生む事になるとはな…」
「本国政府と植民地征統府とで外貨準備たる【金】を奪い合う事から解放され必要な通貨量に見合った通貨供給が出来る様になったのは良かったのですが、今度は帝国政府が通貨量を統制する必要が出ましたからな」
統一戦争前におけるユグド世界は旧八大国含む我が帝国も金を外貨とした経済体制を当たり前の様に推進していたが、【正貨*18】たる金の確保が産出量に縛られるにも関わらず、帝国経済が求める通貨は増加の一途を辿っていた。
帝国銀行〇〇代元総裁にして、貴族院議員・経済学者でもあるとある議員*19は。
【国家全体で必要な通貨量はユミル神*20の御業によって決められたりはしない、そして今迄の様な金本位制度では必要量の通貨を国全体へ行き渡らせるのは不可能である】
【金本位制では資本調達が難しい、その一方で資本調達後は必要な物資・人員の調達が容易になる。管理通貨制ではこれが逆転する】
【必要な通貨量が足りない以上、不兌換紙幣や銀の貨幣化によって通貨量を増やすべきである】
【通貨を正貨から切り離す事によって、植民地と本国との長年の確執たる金塊問題を解決すべし】
我が帝国が金本位制から管理通貨制へ切り替えたのは10年程前、それに合わせる様に「重化学工業」への未曽有の投資が行われていた。
これによって、鎬を削っていた旧八大国とは一線を画する国力を短期間に整備する事が出来た。
「戦時経済の常態化はユミルの火車を回すが如き有様、なにより軍需系企業が労働力を吸いに吸い上げています」
「統一戦争中に出した【贅沢は戒めよ*21】の標語も、とどのつまり物品統制により物品消費を押さえ付けられ資金が水膨れした都市部中流層の庶民達が演劇や旅行にかまける様になった事への“あてつけ”の様な物だからな」
「最も、半分滑稽な話でもあるのだが」
「資金が溢れているにも関わらず物品統制でお金が自由に使えなければ、必然的に軍需系企業に勤めている者達は皆金持ちになりますからな」
物品が統制されている以上、物品を消費しない映画等のサービス業に資金が流れ込むのは必然と言ってよい。
「鉄道や船舶による本土や殖民地向け避暑地・観光地向け団体旅行を規制したのは、君が直面した運命戦争のから幾ばくか経った頃だったな」
「この職に就いて試しに資料を取り寄せた事があるのですが、当時の本土鉄道網が直面した軍事輸送の逼迫は深刻だったとありました、これではやむを得んでしょう」
物品を消費しないサービス業は統制する意味そのものが無い為、転移現象直前段階でも盛況を極めていた、しかし旅行となると軍事輸送と噛み合ってしまう。
今では貨物主体のダイヤが組まれ旅客輸送は漸減する一方だ。
ただ、軍需工場で働く勤め人向けに最低限の余力は残す様鉄道省には政府から働きかけているらしい。
この場に居る全員が憂鬱な顔をする。
「この状態で戦時体制を解除する等、考えるだけでも恐ろしい」
「戦時体制が終われば今までの弾薬・兵器等の生産ラインは無用となります、果たしてどれだけの失業者が出るやら」
「そしてその失業者達を抱え込める民需はこれ迄の戦時体制で強い圧迫を受けている、とても全員は吸収出来ない」
「それだけではありません、現在陸軍が動員中の予備役将校・下士官・兵卒達も含まれます。百万人単位の復員軍人を果たして元の職場に戻せるでしょうか?」
「我が海軍も加えた場合三百万を軽く超えるでしょう、困った事に」
未曽有の軍拡は未曽有の軍縮に通じるか。
ユグドの歴史上初の統一戦争は、グラ・バルカス帝国初となる未曽有の軍縮を行う事でしか終われない。
果たして最終決戦において我が帝国がケイン神国に勝利を得てユグドを統一したとして、それを維持出来ていたのであろうか?もはや考えても詮無い事ではあるが。
「何処かで歯止めを掛けねばなりません」
ハイラス殿下が言う。
「このままでは軍備の為に無定見な戦争を続ける事になります、ましてこの世界においては我が帝国に旧八大国の様な鎬を削る敵等本来いないのです」
「だが帝国議会両院においても統一論を叫ぶ議員は増加傾向にある。何より民選された議員が言うのだ、ある程度国民も支持していると見るべきだろう」
「故に私が穏健派を代表して外交交渉にあたりたいのです、先に現地国家との外交窓口を健全化しておけば統一論推進派を先んじて牽制する事が出来ます」
「しかしユグド世界における外交官の安全を保障する万国ユグド公法*22はこの世界には存在しません、殿下の御身に万一の事があれば…」
「帝国の存亡の前では些細な事に過ぎない」
駄目だな、これは言葉では止められん。
「…せめて外交交渉に行く場合は警護を万全にする様、出来る範囲で御手伝いさせて頂きたい」
「なに、ビフレスト大陸の件も終わったばかり故、話にあったムー大陸とやらの件は今直ぐ動向と言う訳ではない、暫くはビフレスト大陸を駆け回る事になる」
帝国では外交官の警護や大使館・総督府・征統府の警備は陸軍憲兵隊が担っている、ある意味転移現象で一番打撃を受けた兵科なのだが。
「さてさて、伝えたかった話は大方終わった事であるし残りの料理を平らげてしまおう」
「そうですな、この後にメインディッシュも残っておりますし」
さり気無く品書きを見るが、牛肉の赤ワイン煮込みとある。
その後メインディッシュも平らげ、表向きの会合は終わった。
「ではカイザル閣下、ハイラス殿下、この度の会合に参加させて頂き有難う御座います」
ルークス陛下が語る、表向きはカイザル閣下に招待を受けた名士という設定だ、仲居も居る事だしな。
「一介の記者には身に余る光栄でした」
「うん、今後ともよろしく頼む」
「では行こう」
陛下に続き、階段を降り公用車が待つ表玄関へ向かう。
「またお越し下さい」
「うん、有り難う」
公道へ面する出口の門を潜る。
「(小声)パスタル君、記者連中の事がある故、君の私室がある官舎へは遠回りするよう言ってある」
「何から何まで申し訳ありません」
「大将に任じた者を無理を言って秘密の会合に呼び出したのだ、この位どうという事は無い…これからより帝国の舵取りは難しくなるだろう、その時は宜しく頼む」
「パスタル君を頼む」
「は、陛下」
番号標*23が陸軍のでも海軍のでもない、王款庁の公用車か。
「申し訳ありません、記者連中は何処にでもおりますもので」
「確認もせず書く飛ばし記事やら世間話記事、困っているのは王款庁も同じ様ですな」
「ええ、主にカバル閣下の件なのですが」
「と言うと、スノッラ出版か…」
帝室のゴシップ記事を屡々書くゴシップ誌の出版会社か、私を【冷血参謀】を書いたのもこの会社だ、一々相手にしておれんから半ば無視する形にしているが…。
「まぁ、統一戦争中はどの出版社も他の会社を蹴落とそうと華々しく戦果を吹聴する傾向にありました故」
「それで今度は転移現象で無くなった戦果ネタ記事の代わりをを帝室の方に向けたか」
「はい…」
「カバル殿下もカバル殿下で、もう少し自重して下さればな、あなた方も大変でしょう」
お互いの身の上話をしていると、不思議と時間も早く経つ。
「閣下、此方ですね?」
「うん何時もの官舎だ、すまないな」
「いえ、仕事をしただけですので」
公用車から降り、衛兵が2人立つ門が見える。
「誰何!」
おっと、カメラマンに変装したままだったな。
「任務御苦労、此方が手牒*24だ」
「少し待て」
伍長の階級を襟に付けた衛兵が詰所に行く。
詰所から慌てて出て来る者が数人、1人は少尉だな。
「本部長閣下!大変失礼致しました!」
「事情があって外出していた、君達の落ち度ではない」
「階級に物怖じせず職務を果たしたのだ。よい部下を持っている、之からも頼む」
「は!では、お通り下さい」
重々しい鉄柵の門が開く。
明日からはまた決裁する書類との睨み合いが始まるのだろう。
我が帝国がこの世界で生き抜いていく為に万全を尽くすつもりだが、一体どうなる事やら。
追記 中央歴1939年11月某日日誌より
ハイラス殿下をパガンダ王国の一件で失った事は我が帝国にとって取り返しのつかない損失となった。
パガンダを報復行動で滅ぼし、次いでこの世界の列強レイフォルを容易く下した事で軍民の増長は目に余るものとなってしまった。
一体、我が帝国は何処へ向かうのだろうか。
マネタリーベース(中央銀行が供給する【銀行券】+【硬貨】+【当座預金】)を正貨たる金に縛られ増やせない金本位制故に必要とされた、「市場としての殖民地獲得圧力」
後書き
えー当初予定していた分量の3倍近くにもなってしまいましたが、これにて外伝は終了となります。
コミカライズ版グラ・バルカス帝国は地球世界旧列強国を全て混ぜ合わせた様なカオスな軍容となっている様ですが、ロウリア王国が帝政ローマ風味、パーパルディア皇国が19世紀ナポレオン・フランス風味である事を考えれば“らしい”改変と思っています。
(1) 戦場カメラマン
イズコカメラ【写真で解説】
「【写真で語る】日清戦争で撮影された明治二十七八年戦役写真帖-First Sino-Japanese War 1894-1895【亀井茲明】」
日本最初の従軍写真家亀井伯爵家13代目にして旧石見国津和野藩当主
(2) 総力戦
「ニワトリでも分かる総力戦下の金融・財政 (青井孔雀のニワトリ小屋)」
著者 青井孔雀氏
呼んだ上で言える事、戦時中の財政分からん…全然分からん…
(3) ネタ元 大日本帝国における戦時中の旅行産業
j-stage
「戦時観光を通してみる1930年代後半の帝国日本の諸相」書評
著者 Ruoff, Kenneth J氏 翻訳 木村 剛久氏
本文内抽出
確かに戦場において観光が成立することは難しいだろうが、本書がしめしたように戦時における観光は不可能ではない。本書は近代における観光と戦争の関係性についても再考を迫っているの
である。