1 地下聖堂
静かな部屋に、その声はよく響いた。
「……よって汝の罪は許される」
壇上の女性が語り終えた。白い肌と形の良い鼻が目を引く、ダークブロンドの女性だ。
彼女の近くにはステンドグラスがある。その向こうは濁っていて、形あるものは見えない。
いや、目を凝らせば泡が動くのが分かる。
部屋は城の地下深くにあり、湖底と隣り合っていた。
女性の切れ長の瞳が、壇下の少女たちの列を捉えた。皆一様に布を被っている。
その中の一人、赤毛の少女が前へ進むと、膝をついた。
少女は声を漏らした。
「聖女さま……。エリシェヴァさま……」
壇上の女性、エリシェヴァは応えない。唇を開く代わりに、瞳が揺れた。
聖堂の入口に控える私と目が合う。
一瞬の交錯。
私は杖に添えていた指を離した。霧が吹く。水と石に覆われた部屋の、なけなしの熱を奪った。
少女たちが悶える。
そしてエリシェヴァは口を開いた。身を乗り出し、赤毛の少女へ近付く。少女は戸惑いながらも頭をもたげる。
「大丈夫よ」
ダークブロンドの女性が微笑むと、虹彩が細くなる。そこに映る赤毛の少女の像が、歪んだ。
少女は恐る恐る口を開いた。
時折、思い出してしまうのだと。
父も兄も、無辜の民を殺めたこと。
蛇の紋章や貴き家を誇っても、自身には何もないこと。
いや、ある。
裁かれるべき悪の血が、己に流れている。
その全てをエリシェヴァは否定しない。微笑み、耳を傾け、続きを促す。
次第に少女の口ぶりは早くなっていった。もはやそれは聞いてもらうための言葉ではなくなった。吐き出し、楽になるための、告解。
しまいには試験で不正をした話や、友人の許嫁と寝た話までし始めると、エリシェヴァは両手を合わせた。
「今夜はここまでにしましょう」
歌うように唱える。
「ルーモス」
目に痛いほどの光が、鞭の軌跡を描いた。獣の叫びが上がる。赤毛の少女の悲鳴だ。
服を乱し、床に這いつくばる。髪は脂汗で額に貼りついている。
聖女の──エリシェヴァ・ヤックスリーの声が響き渡った。
「扉は、じきに開く」
赤毛の少女の左手首には、焼き印が浮かんでいた。
2 城内
空き教室で男女が声を潜めている。
「スリザリンの女子たちが消えるらしい」
「消える? どういうこと?」
「決まった夜にベッドを抜け出し、どこかへ行くんだ」
「ベッドから抜け出すなんて珍しい話じゃないでしょ」
「違う」
声が更に低くなる。
──少女たちは皆、二世だ。
中庭で生徒たちが屯している。
「あの壁に書かれた文字、消えないらしいぞ」
「へえ。ただの血じゃないってことか?」
「継承者の敵よ、気を付けろ……なんてな」
彼はそう呟くと、杖先を遠くの生徒に向けた。周りは小さく笑った。
「『秘密の部屋』か……あると思うか?」
「あるわけないだろ。僕の父も祖父も探したらしいが、ないんだ」
「だが、ホグワーツにはどんな部屋があってもおかしくない」
「なら面白い説があるぜ。ミス・ヤックスリーと消える女子たち、あいつらの行き先が、そこだ」
一人の顔から笑顔が消えた。彼は言う。
──ヤックスリーに探りを入れるな。
図書館の奥。司書の目が届かぬ物陰で、監督生が顔を突き合わせている。
「エリシェヴァ・ヤックスリー。スリザリンの令嬢にして、今年の首席」
「彼女がどうしたの?」
「エリシェヴァの父は魔法省の高官。……今もね」
「まだ捕まっていない側、か。スリザリンといえば、あの不気味な奴は? 黒髪で隈の濃い男」
「キア・カンジラスだね」
「奴も死喰い人の二世なの?」
「分からない。ただ昔から、カンジラスはヤックスリーの傍にいた」
3 バルコニー
私は化け物の傍にいた。
それは今にも飛びかかりそうな姿勢で、顎を開いている。
魔物の像だ。絵画が喋り鎧が動くホグワーツ城では珍しく、沈黙している。
台座に足をかける。鎖が揺れる音と共に、像は私を引き連れて降りていった。
昨晩私がいた場所へと行き着く。
侍女たちが大理石を掃き、ランプに火を灯している。
誰も立っていない壇の奥には門扉があった。
男の身の丈をゆうに超える高さに、深く重い黒色。流麗な彫り物が施されている。
この扉はここに来た時からずっとある。
取っ手も鍵穴もない。
私は扉から目を離すと、堂内のバルコニーへと登った。階下の壇に向き合う形で、オブジェが置かれている。
家具だ。古めかしいキャビネット。
両開きの戸が、前方へ鋭角的に張り出している。その影は日時計のように伸びていた。
懐から林檎を取り出し、棚に入れた。
「ハーモニア・ネクタレ・パサス」
呪文を唱えると、林檎が消えた。
少し待つと、また現れる。先ほど消えたのと同じ、小ぶりの青い果実。
いや、色味がわずかに違う。
あと少しか。
その時、視界の端に白い光が瞬いた。遅れて私の手元に熱が走る。掌の上の林檎が溶ける。酸味が混じった独特の臭気が立ち込めた。
「キア、まだできない?」
ゆったりとした声の中に、どこか挑発する含みがあった。
攻撃が続く。私のローブの端を焦がし、足元の床を砕いた。
私は振り向く。
「もう少しで直る。荒らさないでほしい」
「なあに? 声が小さいわ」
ダークブロンドの女性が言葉と共に杖をしならせると、より大きな光が広がった。
頰を熱いもので殴られたような衝撃。エリシェヴァが私の皮膚を炙った。
「相変わらず、痛みじゃ声を出さないのね」
どこからともなく侍女が現れると、円机と椅子を用意している。彼女はそれに腰掛けた。
机の上に置かれた紅茶を、彼女は啜る。
私は侍女にちらりと目を向けた。
精巧な亡者だ。生者のような皮膚と、艶やかな髪。
そして、隠し切れない腐臭。
「貴方も飲む?」
何年も前からの、いつもと同じやり取り。
いつもと同じ結末。
「……いただこう」
私がカップを持ち上げた途端、その底が抜け落ちた。
溢れた液体が私の下半身を濡らす。
エリシェヴァは口に手を当て、眇める。
「粗相しないの。罰として仕事を増やしましょうか。城の外……マルシベールの野営地へ行きなさい」
4 野営地
私はホグワーツの尖塔から箒を飛ばした。
枯れ木の間に流れる風は乾き、少し前に昇ったはずの日が姿を消していた。
十二月に入り、冬は日々深まっている。
不可視の外套を羽織り、体を隠した。
目指すのはハイランド地方のはずれにある野営地だ。暗がりの中、剥き出しの自然の中を進む。しばらくすると、人の気配が増した。
焚かれた火に、漂う水煙草。そこには確かな営みがあった。
木に布を張り、土に腰をおろす若者たち。
男たちは骰子を投げて博打に興じ、炙った肉を食らう。
彼らにしだれかかる女たちの肌からは刺青がのぞいた。獣を模した柄のそれは生きているかのように動く。爪を立てて体を震わせ、牙を剥いた。
肌の外に出ることはない。
中には十代らしき雰囲気の者もいる。明らかにホグワーツ生ではなかった。未就学なのか、中退しているのか。
ふいに、涼しげな匂いが割り込んだ。
眼鏡を掛けた銀髪の男が姿を現した。野営地にざわめきが広がる。
──マルシベールだ。
──ユリウスが来たわ。
ユリウス・マルシベールは柔和な表情を浮かべていた。鞄を置き、座に加わる。
男の一人が、すぐに彼の水煙草の調整へ入る。
「ゆっくりでいい」
マルシベールはそう言いながら、本を取り出した。
「何を読んでいるの?」
あどけない顔をした女性が話しかけた。
マルシベールは彼女を近くに招いた。会話が始まるが、常に彼の目線はページの上に注がれている。
しばらくすると、鞄から塊を取り出した。
髑髏だった。
煙の調整を終えた男が、管を渡す。
マルシベールは管から煙を含み、吐き出した。
続けて杖を立てる。大きな幕が空を覆った。
次は髑髏に向かって息を吐いた。煙は色を変えて立ち上り、夜の星となった。
あたりは静まり返っていた。
私は一層、自らの気配を押し殺す。
「……闇の帝王がお隠れになってから、早十年余りが経った」
語りが始まった。
「王がいたこと、戦争があったことが忘れられている。彼の支配と、強さと、恐怖……。その忘却の象徴がホグワーツだ」
マルシベールは指差した。その先に、城の影がある。
「ダンブルドアとポッターのいる平和の城。だが、いつまで続く? 闇の帝王が、お戻りになられないとでも?」
話は続く。
「臣民たる『死喰い人』を継ぐ僕たちは今も生きている」
マルシベールはもう一度煙を吹いた。見下ろす星々が大きくなる。
「星は予言を告げている。じきに、二度目の戦いが起きる」
煙と光に満たされた劇場。
続く沈黙。
聴衆が声を上げた。
──どこで戦う?
天幕にある光景が浮かび上がった。
見慣れた黒い扉だ。
「見えるだろう。湖より深い場所にある、エリシェヴァ・ヤックスリーの秘所だ」
皆がざわめくのを、マルシベールは手を上げて抑えた。
「そうだ。僕たちの親を監獄に送った、裏切り者のヤックスリー。その娘だよ」
彼の口調は変わらず柔らかい。しかしその眼鏡の奥は爛爛としていた。
「僕たちは名誉を取り戻す。……そして、闇の帝王をお迎えする」
夜空に映る扉が開くと、緑の煙が漏れ出た。
聴衆は息を呑む。
その時、私は背後に気配を感じた。
殺気は三つ。
5 森
私は動いた。緩やかに、しかし確実に足を動かす。
広場から離れるにつれ、次第に木が多くなる。森が近い。
三つの気配も共に動いている。魔法で透明化しているのだろうが、殺気までは消せていない。
距離は私とつかず離れず。
袋小路に追い詰め、包囲するつもりだろうか。
その前に手を打つ。
私は外套をぬぎ捨てた。同時に杖を薙ぐ。
霧が凍てつき、砕け、散弾と化して襲った。
彼らは反射的に顔を守った。疎かになった体を氷が打ち、透明化が解ける。それでも杖は落としていない。
私は片手で杖身を掴んだ。
途端に周囲の温度が更に下がる。風が冬を巻き上げ、刺客たちを震わせた。
彼らの動きが目に見えて遅くなり、杖の狙いが逸れた。
私は杖身から指を離していく。
一人の首が絞まり、痙攣した。視線があらぬ方向を向く。口から泡を垂らし倒れた。どさりという音と共に土埃が舞う。
少し遅れ、もう一人も同じく倒れた。
しかし、最後の男は倒れない。
石を削ったような、重たげな面を被っている。
隙間からのぞく瞳と、長柄の杖が、真っすぐにこちらを狙っていた。
空気が爆ぜた。
身を翻して躱すと、呪文は大木に衝突した。
しばらくの沈黙。
その後、轟音と共に木が倒れた。地面が抉れ、雪と泥が目線の高さまで飛んだ。大木が私と男の間に横たわり、分つ。
杖先を向けたのは同時だった。私と男の呪文が中空で衝突する。
わずかに私の方が強い。仮面を砕いた。
あらわになった男の顔は、火傷に覆われていた。
未だ燃えているかのように痛々しい。
「ヴント、待て」
割って入る者がいた。
ヴントと呼ばれた男の隣に、眼鏡の青年が現れていた。
「殺さなくていいのか」
ヴントが口を開いた。低く、くぐもっている。
「もっと相応しい舞台がある」
マルシベールはそう言うと、倒れた刺客たちを見下ろす。
「驚いたね。これはまさに……」
私はその言葉の続きを引き取った。
「……吸魂鬼に襲われた時の反応」
「まさに」
マルシベールは頷く。
「カンジラス家の鬼子、キア・カンジラスか」
私が黙っていると、彼は指を鳴らした。
「ヤックスリーの狗が来てくれてちょうど良かった。郵便を頼まれてくれないかな」
飾り箱が現れた。しっかりと封をされ、リボンまで巻き付いている。私の近くで漂う。
「雪が降ってきた」
彼はそう言い残すと、背を向けた。
6 蛇の箱
「遅い」
ソファに寝転んだ令嬢が呟く。長い脚を持て余し、曲げてアームに載せ、もう片方には頬杖をついている。
壁には彼女が閃光を撃ち込んだ真新しい跡があり、文字を綴っていた。
“Bored”
「持ち帰ったものがある」
エリシェヴァは何も言わない。早く本題に入れと、その目が告げている。
私はマルシベールから受け取った箱を開く。添えられていた手紙を読み上げた。
「ミス・ヤックスリーへ。
このたび僕は妖しき蛇を手に入れた。スリザリンの女王たる君に似合うと思ってね。友好の印として受け取って欲しい。
ユリウス・マルシベールより」
エリシェヴァと私の視線が、箱の中へ向かう。
一つの胴体に、三つの頭を持つ蛇だ。
「ずいぶんと仲が悪いようだ」
頭突き、威嚇し合っている。今にも牙を立てようとしているが、実際にはそうならない。
一つの頭が噛みつこうとすると、別の頭が割って入る。
「間抜けなやつね」
「そういう生き物だ。頭のそれぞれに意思があるから、互いに対立してしまう」
「ふうん。普通の蛇に生まれて来たら良かったのに。キア、もしかして憐れんでるわけ?」
エリシェヴァは目を細める。昔から見慣れた、心底愉しい時の癖。
「いや……この狭い箱が嫌なのかもしれない。ずいぶん閉じ込められていたようだ」
「違う」
彼女は言い切った。
「こいつは閉じ込められたから噛み合ってるんじゃないわ。
生まれながらに噛み合うのよ。どこに行ってもね。
それはそうと、キャビネットはいつ直るの?」
「あと三日……いや、二日か。既に通路は安定期に入った。聖夜には間に合わせる」
「なら良いわ。それにしても聖夜だなんて、笑っちゃうからやめて頂戴」
「……そうだな。聖女さま」
私がぽつりと呟くと、彼女は手を口に当てる。
「やっぱりおかしくてたまらないわ。なぜ彼女たちはわたしを崇めるのかしら」
いつもの夜を思い出す。
非魔法族の宗教を模した儀式。死喰い人の娘たちが列をなし、跪く。光で焼かれ悲鳴を上げて、その血の闇を祓う。
聖女の血が最も暗いと知らずに。
エリシェヴァは妖蛇の首、そのうちの一つを杖で叩いた。
「第一の鍵は冬至。雪が太陽を隠す夜」
続けて、もうひとつの首も叩く。
「第二の鍵は風穴。城の結界を貫く力」
彼女は確認している。
聖堂の奥にある開かずの扉。それを開くための儀式の手順を。
これまでずっと、その準備をしてきた。
「マルシベールは言っていた。ここが『秘密の部屋』で、扉の奥には闇の帝王がいると」
私が言う。
「ここが『部屋』かどうかなんてどうでもいいわ」
エリシェヴァが吐き捨てる。
「キア、貴方もまだ聞こえるんでしょう?
……あの声が」
「ああ。ずっと聞こえてる」
私とエリシェヴァがこの部屋を発見した時からずっと、扉の向こう側から聞こえる。
耳を澄ますたびに彼方へ消えていく。しかし確かに、そこにある声。
どこか懐かしい、誰かの囁き。
「闇の帝王の声じゃないわ」
そう言って、彼女は続ける。
「わたしは勝利してきた。これまでも、これからも。あの扉にも」
エリシェヴァは決然とした顔で、私に向き直った。
蛇の紋章を縫い留めたローブ。
眩い髪に、透き通るような瞳。
彼女は自らの首元に杖を当てる。銀白色の何かが漏れる。
そのまま、私の喉を突いた。
想念が流れ込む。
景色が脳裏に映る。
聖堂の中、キャビネットの影が濃くなる。黒く重たい門扉が音を響かせ、開いていく。
扉の前、堂の床は真っ赤に染まっていた。
「三位一体、最後の鍵」
彼女はそう言って、三つ目の首を撫でた。
音もなく蛇の首が落ちた。
脳裏に浮かぶ、生家の記憶。
骨肉の争い。
繰り返されている。
今や双頭となった頭が、互いを噛み千切った。
鮮血が飛び散る。
それが儀式の名前だ。
【人物】
Keir Kanjirath《キア・カンジラス》
カンジラス家の鬼子。
エリシェヴァに従う。
Elisheva Yaxley《エリシェヴァ・ヤックスリー》
ヤックスリー家の令嬢。
父は魔法省の高官であり、裁かれなかった死喰い人。
Julius Mulciber《ユリウス・マルシベール》
マルシベール家の生き残り。
父は死喰い人で、収監されている。
野営地で人を集める。
Wunde《ヴント》
顔に火傷のある男。
マルシベールのもとで戦う。