キリングブレーダー   作:P-PEN

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第一章 ハウンドの遊戯

 

 イズモ境界対策課支部の最深部。電磁遮蔽が施された久部幕内の執務室には、沈香の重苦しい香りが停滞していた。照明を極限まで落とした室内で、久部は机に向かうことなく窓際に置かれた一点の陶器に向き合っている。

 

 それは飾り気のない備前焼の壺であった。久部は絹の布を使い、土肌の表面を一定のリズムで磨き上げている。布が乾いた陶器を擦る音だけが、メトロノームのように等間隔で室内に響いていた。政争の手練手管で数多の屍を築き、現場の祓魔師から蛇蝎のごとく嫌われる男の指先は、今はただ、偶然が生んだ土の景色をなぞることに費やされている。整えられた髪と、隙のない三つ揃いのスーツを纏った久部の背中は、官僚的な冷徹さと一点の塵も許さぬ潔癖さを体現していた。

 

 「ケリー。そんなに殺気を尖らせては、せっかくの香が台無しだ。見て見給えこの景色を。炎と土がせめぎ合い、偶然が形を成したこの歪み。これこそが、完成された不完全というものだ」

 

 久部は振り返りもせず言葉を紡いだ。その声には、相手の反応を無視した一方的な自己完結が含まれている。彼はケリーという魔女の有用性は認めていたが、その真の危険性については未だ測りかねていた。これまでの功績は確かだが、今はまだ、投資する価値のある実験体という認識に留まっている。

 

 「古備前の……いわゆる胡麻と火襷。自然釉が流れて、これだけ鮮やかな景色になっている……でも、おじさま。それをこれ以上磨いても、表面のカセが死ぬだけよ。道具を愛でるふりをして、自分の執着を押し付けているようにしか見えないわ」

 

 背後のソファに深く腰掛け、無造作に足を組んでいるのは、銀紫色の長い髪を波立たせた少女、ケリーであった。彼女は顔の上半分を無機質な黒い仮面で覆い、その隙間からは鋭利なガラス片のような瞳が覗いている。身体には、装甲板を継ぎ接ぎしたような異形の重装狩衣を纏い、華奢な体躯には不釣り合いな重厚さと、どこか機械的な冷たさを漂わせていた。その言葉に敬意の色はない。久部を「おじさま」と呼ぶのは、親愛からではなく、ある種の突き放した距離感の現れであった。

 

 「手厳しいね。しかし、その審美眼こそが君の美徳だ……では、この無価値な風景も、君の目には正しく映るだろう」

 

 久部は布を畳んで壺の横に置き、ようやく机の上に数枚の写真を滑らせた。そこには凄惨な現場が記録されていた。自らの愛刀で貫かれた剣士たちの姿。その中心には、歪にひしゃげ、断面が毛羽立つように叩き折られた名剣の残骸が散乱している。

 

 「ケリー。君が『剣士のフリ』を習得するための、教材を用意した。三津寺刃。彼は今、熱心に高名な呪詛犯罪者『黒不浄狩りの死火』の真似事をしているが……本質はただの、誰かに褒められたいだけの子供だ」

 

 久部は冷たく、唇の端だけで笑った。

 

 「彼は『採点者』と名乗る愉快犯に唆されている。君の仕事は、その三津寺を捕縛し、採点者が次に何を狙っているか吐かせることだ。もちろん、抵抗するなら殺して構わない。君の《ハースニール》の初陣には丁度いいだろう?言うまでもないが、この任務の結果次第で、祓魔第■班班長上坂君の指名任務へアサインするための予備テストを兼ねている」

 

 実のところこの任務の本命は別にあった――腕ごと刀を奪い去るという、さらに質の悪い呪詛犯罪者を追う任務。久部はケリーを次の段階へ進めるべきか否かを検討し、この三津寺捕縛任務をそのオーディションに設定したのだった。ケリーは渡された写真を一瞥し、ゴミを見るような目で吐き捨てた。

 

 「ふぅん……それでこの仮面っていうわけ?でも、この人センスが悪いわね。お友達になれそうにないわ」

 

 仮面の下、ケリーの瞳が紫電を帯びる。剣が保持していた均衡も、刃が切り裂くはずだった空間の質も、三津寺という男は泥靴で踏み荒らしている。その事実が、彼女の底にある冷徹な破壊衝動を刺激した。

 

 「私が剣士の真似事なんて滑稽だわ。でも、いいわよ、おじさま。その三流の泥棒に教えてあげる。自分が人生を懸けて追い求めた名剣が、実は私が気まぐれに用意した偽物の檻だったと知った時、どんな顔をするのか」

 

 彼女の瞳に、久部が磨いていた壺よりも冷たく、そして邪悪な光が宿った。

 

 「最高に悪趣味な舞台を見せてあげる。……オーディションの合格通知、用意しておいて」

 

 

 

 執務室を出たケリーは、エレベーターを降りると同時に、イズモ中央署の物理的な閉鎖空間から精神を解き放った。彼女が歩を進めるたびに、網膜に投影された現実の風景が、青白いグリッドと膨大なデータストリームへと侵食されていく。エネルギーを支配する魔女としての本質、その一端である異能を用いたハッキングの開始だった。

 

 ケリーは立ち止まらず、雑踏に紛れながら指先をわずかに動かす。それだけで、イズモ全域の都市インフラ――数万台の監視カメラ、交通制御システム、公共Wi-Fiの通信ログ、そして地下に埋設された電力網の脈動が、彼女の脳という巨大な並列処理回路に吸い込まれていった。

 

 「……あ。今の味。少し塩辛くて、焦げた鉄の香りがする」

 

 街路灯の明滅、あるいは特定のエリアで発生する不自然な電圧の降下。ケリーの五感は、それらをデジタル信号としてではなく、文字通り「味覚」として咀嚼する。三津寺刃の行動パターンは、久部が評した通り子供じみていた。彼は「黒不浄狩りの死火」という虚像をなぞるために、わざわざ名刀の伝承が残る場所や、誇り高い剣士が屯(たむろ)する道場跡を選んで現れる。その足跡は、ケリーの脳内の地図上に、不快なヘドロのような電気の味となって浮き彫りになっていく。

 

 「見つけた……次の獲物は、西区の旧・刀鍛冶街。そこで死火の真似事をする可能性が48%……現場で直接待ち伏せする価値がありそうな確率ね」

 

 ケリーは足を止め、自身の影の中に潜ませていた金属の塊を手繰り寄せた。 ダインホール事件で唯一失われなかったケリーの超特殊祭具――《グレイプニル》。本来ならば、全方位への捕縛と蹂躙を目的とした「鎖」の集合体。彼女はそれを、分解再結合。磁界操作によって一本の直線の形へと再構していく。ギリギリと、金属が悲鳴を上げるような音が耳元で鳴る。自由な形を望む合金の意志を、ケリーの凶悪な呪詛が、剣という不自由な枠組みへと押し込めていく。

 

 「……まぁ、こんなものかしらね」

 

 形成されたのは、一振りの美しい長剣。ハースニール。 それは、ケリーがこれから披露する「偽典」の主役であり、敵を欺くための精巧な檻。彼女はハースニールの柄を握り、その重さを確かめる。剣士の技量は持ち合わせていない。だが、彼女の異常な反応速度と、磁力による延伸のギミックがあれば、三津寺程度の呪詛犯罪者を翻弄するには十分だった。まともに打ち合うなら話は別だが、そうでないのなら少しだけリミッターが緩められている今回、敗北は考えにくい相手だ。

 

 「さあ、始めましょう。三流の泥棒さん。……貴方の薄っぺらな物語を、私が完膚なきまでに書き換えてあげる」

 

 ケリーの銀紫色の髪が、放熱のためにわずかな蒸気を放ち、夜の闇へと溶けていった。

 

 

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