キリングブレーダー   作:P-PEN

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第三章 狂人の庭

 

 

 

 イズモ境界対策課の緊急退避用シェルター。重厚な防音気密扉が閉塞した瞬間、ケリーは支えを失った操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 

「…………っ、は、あ……っ」

 

 喉の奥から、熱せられた空気の塊が喘鳴と共に吐き出される。震える指先で顔を覆っていた仮面のロックを解除した瞬間、抑え込まれていた高熱の蒸気が、圧力鍋の蓋を開けたときのように一気に噴出した。

 

 仮面の下から現れたのは、沸騰直前の磁器のように赤く上気した白い肌と、熱に浮かされ潤んだ瞳だった。銀紫色の髪は排熱の熱風に煽られて激しく逆立ち、彼女の周囲の空気は陽炎のように歪んでいる。

 

 極限まで加速させた神経信号と、磁界操作によって無理やり剣の形に押し込められた《グレイプニル》の電磁摩擦。その二つの熱源が、彼女の肉体を内側から焼き焦がしていた。ケリーは、傍らに用意されていた緊急冷却用の大型水槽へと、這うような動作で手をかける。

 

 ドボン、と凄まじい水音を立てて上半身を冷水に沈める。

 

――ジィィィィッ!!

 

 冷水と高熱の肌が触れ合った瞬間、爆発的な水蒸気が発生し、狭い室内を瞬く間に真っ白に埋め尽くした。氷が溶け、水温が急上昇する感触を全身で受け止めながら、ケリーは水中で瞳を見開く。

 

 (――演算終了。現状の近接戦スキルツリーにおける三津寺刃の完全捕縛、および抹殺の成功率、12%。不足因子:決定的な致死打撃の不足、および転移術式への介入速度)

 

 冷やされたことで、暴走寸前だった脳の演算速度が平時に戻る。水から顔を上げたケリーの表情は、怒りよりもむしろ、冷徹なまでの自己嫌悪に満ちていた。

 

 「ハースニールの出力不足じゃない……私の、最適化不足ね。あの泥のような男を、逃がした」

 

 滴る水滴が床を叩く。三津寺を圧倒しながらも仕留めきれなかったという、予測の中の一つの結果に到達しただけとはいえ。プライドの高い彼女にとって、それは肉体の火傷よりも深く、耐え難い屈辱として胃の奥に居座っていた。

 

 ケリーは水槽から這い上がると、濡れたままの体でコンソールへ向かい、久部への直通回線を開いた。彼女の瞳には、すでに次のアップデートへの飢餓感が宿っていた。

 

 「……おじさま。三津寺を逃がしたわ。今の私のスキルセットじゃ、あの『採点者』とかいうノイズの介入を振り切って、対象を解体するまでには至らない。……もっと、別の次元の技術が必要よ。今すぐ、私に近接戦闘のアップグレード・パッチを寄越しなさい」

 

 通信の向こう側、久部は磨き上げたばかりの壺の肌を撫でるような、慇懃で底知れない沈黙を返した後に応答した。

 

 「ふむ。君が自分から学習を求めるとはな……オーディションの一次審査としては、その屈辱も含めて『合格』としようか。ちょうどいい。君を指名してきた上坂君が、君の戦いぶりを直接見たいと言って、近くまで来ている」

 

 久部の口角が吊り上がる気配が伝わってくる。

 

「彼なら、君という荒削りな魔女を、三津寺を殺すための精密な凶器に仕立て直してくれるでしょう。……上坂君、入ってきなさい。君の新しい『生徒』が、ひどくお腹を空かせているようだ」

 

 

 

 境界対策課イズモ支部地下訓練場。そこは無機質な鉄とコンクリートの揺り籠である。

 

 「――そこっ!」

 

 ケリーは手にしたハースニールを無造作に振り抜き、模擬標的の頭部を叩き割った。斬るというより、本質的には電磁加速による質量打撃なのだが、結果としては斬撃となっている。

 

 「剣士のフリをしろって言うから付き合ってあげてるけど……おじさん、これに何の意味があるの? 相手を殺すなら、心臓に電流を流し込めば済む話でしょ」

 

 仮面の下から投げかけられる、氷のように冷たい視線。 それを受け止めるのは、白衣を羽織り、やたらと甘い匂いのする缶コーヒーを手にした男――上坂光だった。

 

 「ははは! 実に素晴らしい、君は最高だケリー君! 私の指導をわずか五分で全否定するその合理性、まさに私が求めていた『停滞の打破』だよ!」

 

 上坂は楽しげに笑い、手にした脇差『tachyon』の鍔を親指で弾いた。彼自身もまた、電磁系の加護を操る神速剣士。だが、その瞳に宿るのは、後遺症すらも燃料に変えて燃え盛る、純粋で狂気じみた知的好奇心だ。

 

 「いいかい、君が提示した『剣術の再定義』は、既存の流派ツリーには存在しない。だが、電磁誘導を歩法に組み込み、摩擦抵抗をゼロにする君の『スライド(滑走)』……これは新しい電磁系祓魔師の近接形だ。むしろ私が学びたいくらいだよ!」

 

 「……変な人。褒めても何も出ないわよ」

 

 ケリーは鼻で笑うが、不快感はなかった。今まで出会った大人たちは、彼女を異常者として恐れるか、道具として利用するかのどちらかだった。だが、この男は違う。彼女の異常性を、まるで最新の数式でも見つけたかのように、対等な強さのみを賞賛している。

 

 「ところで、そのハースニール、少しだけ結合が甘いね。攻撃の瞬間にわざと微振動をさせているんだろう? 相手の肉を削ぎ落とすために」

 

 「…………」

 

 「いい、とてもいい。だがね、その振動周期をあと0.12マイクロ秒早めてごらん。君の雷と共振して、空間そのものを震わせる『絶唱』になる。切断効率の向上が見込める筈だ」

 

 上坂は自分の限界を見極めようとするかのように、熱に浮かされた表情でモニターの数値を指し示した。

 

 「今回のターゲット、三津寺刃は『本物』に拘泥する古いタイプの蒐集家だ。彼にとって、君のような『完成された異物』は、理解の範疇を超えた恐怖になるだろう。……さあ、ケリー君。君の新しい剣技(アルゴリズム)に、私の理論を少しだけ混ぜさせてくれないか?」

 

 ケリーは肩をすくめ、手元のハースニールを一度解体し、再び電磁力で組み上げた。紫電の火花が、以前よりも鋭く、より不気味な鳴き声を上げる。

 

「いいわ。おじさんのコーヒーくらいには、甘い結末を用意してあげる」

 

こうして、境界対策課の「魔女」と「狂人」による、常識を置き去りにした殺人術の編纂が始まった。

 

 

 

 「いいかい、ケリー君。三津寺は折剣の音を好む変質者だが、その根底にあるのは徹底した『剣への執着』だ。対する君は……あまりにも剣に興味がなさすぎる」

 

 「境界対策課の近距離戦闘術――近接武器と遠隔武器を同時に用いた戦術に置いて、その基本は実は予測ではない。相手の呪力/加護循環を自分の呼吸の一部にする同期(シンクロ)だ」

 

 地下訓練場の冷たい空気は、上坂がただそこに立っているだけで、まるで重い泥のように肌にまとわりついた。

 

 「ケリー。君の戦い方は、いつも『自分』が主役だ。自分の周りに見えない網を張り、獲物が掛かるのを待っている……だが、これから君が身につけるのは逆だ。――自分という存在を、この場の『空間』に溶かして消せ」

 

 上坂が、音もなく一歩を踏み出した。 それはただの歩行に見えた。だが、ケリーの鋭敏な感覚が異常を知らせる。目の前にいるはずの男から、生きている人間が発するはずの気配が、不自然なほどに消え失せたのだ。

 

 「……ッ、どこに!?」

 

 ケリーは反射的に、手にしたハースニールを横に薙いだ。しかし、刃は空を切る。手応えは何もなく、ただ自分の振った剣の風切り音だけが虚しく響く。 次の瞬間、彼女の装甲のない腋の下に、上坂の指先がそっと触れた。

 

 「――死んだよ、ケリー」

 

 「……っ、いつの間に……!」

 

 心臓が跳ね上がり、ケリーの背中を嫌な汗が伝う。 筋肉の少ない彼女にとって、無駄な一振りは命取りだ。焦りから血流が早まり、銀紫色の長い髪が、熱を逃がそうとするかのように微かに逆立った。

 

 「君は今、私の『体』を見て、剣の動きを当てようとした……それが間違いだ。君が見るべきは私の姿じゃない。私が動こうとする前の『予感』と、この場に流れる『流れ』そのものだ」

 

 上坂が再び、ゆったりとした足取りで近づいてくる。

 

 「いいかい。常に体の中心を一箇所に止めず、全身の細胞をバラバラに、それでいて同時に動かすんだ。君の異常なまでの反応速度なら、筋肉のひとつひとつに個別の命令を飛ばして、短時間でこれを再現できるはずだ」

 

 「……無茶言わないでよ。そんなことしたら、頭が熱で焼き切れちゃうわよ!」

 

 「なら、より早く殺せばいい。それが、力のない君に許された唯一の道だ」

 

 上坂が、ついに腰の剣を抜いた。 鋭い音さえ置き去りにする、銀の閃光。ケリーは喉の奥で叫び、脳の奥底に眠る全神経を強引に叩き起こした。

 

 脳から送られる過剰な電流が、細い手足を無理やり突き動かす。腋、太腿、そして剥き出しの肌から、白い蒸気が一気に噴き出した。 熱い。脳が煮えるような、焼けるような熱。 だが、その熱の中で、ケリーの視界が変質していく。

 

 雷光の申し子であるケリーですら上坂は速すぎる。加速する世界の中、彼が動こうとした瞬間の、空間を満たす物質、その原子のわずかな震動周期が、水面に落ちた雫の波紋のように、彼女の感覚に直接流れ込んでくる。

 

 「……見え、た……!」

 

 ケリーは、上坂の剣の筋道に沿うように、自分の体を滑らせるように横へずらした。 骨や筋肉の動きを無視し、重力に逆らうように軸をずらす、異様な身のこなし。 初めて、上坂の刃がケリーの肌をわずかに掠めるだけで通り過ぎた。

 

 「……ふぅ、はぁ……っ! これなら……どう!?」

 

 「――いい。その『不自然な動き』こそが、君の武器になる」

 

 汗だくになり、体が発する猛烈な熱に耐えながら、ケリーは自分だけの戦い方の入り口を掴みかけていた。 上坂という圧倒的な本物の技を、自分の壊れかけの体で、別の何かに作り変えていく。 彼女の瞳には真摯に超えるべき頂きを目指し羽搏く為の、灼熱の意志だけが宿っていた。

 

 「さて、近接の『理』を学んだところで、もう一つ。三津寺の《万軍の鞘》は多角的な攻撃を仕掛けてくる。君の《グレイプニル》もオールレンジが可能だが、今の剣士である君には、視界の外から来る悪意を押し返す技術が必要だ」

 

 上坂が取り出したのは、数百もの極小の立方体が詰まった円筒状の祭具だった。

 

 「私が開発した自律型浮遊祭具、コードネーム『ミッドナイト・ダスト』。私の電磁操作に反応して展開する『思考連動型の攻防粒子群』だ。君の訓練のために特別に持ち込んできた」

 

 「……それをハースニールで対処しろってこと?」

 

 「ああ。君なら最終的にハースニールと《グレイプニル》の制御と反撃を、並列でできるはずだ。死ぬ気でやってごらん」 

 

 特殊祭具を用意しながら上坂は言う。 

 

 「いいかい、ケリー君。君が魔女の戦い方を一つでも見せれば、三津寺の背後にいる採点者は即座に撤退コードを入力するだろう。彼を仕留める唯一のチャンスは、彼に『この剣を折れる』という希望を抱かせ、その執着で足を止めさせることだ」

 

 上坂が指を鳴らすと、彼の背後から数百の立方体粒子『ミッドナイト・ダスト』が、黒い雲のように展開された。

 

 「私がこの粒子で君の退路を断つ。君は魔女術による広域殲滅も、遠距離からの狙撃も禁止だ。……《ハースニール》一本で、私の懐に飛び込んでおいで」

 

 

 

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