キリングブレーダー   作:P-PEN

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第三章 石火

 

 特訓は毎日数十時間に及んだ。 ケリーの首元のリミッターは警告の赤光を放ち、彼女の肉体からは白い蒸気が立ち上っている。生身の人間ならとっくに昏倒している負荷。排熱が追いつかず、彼女の視界は熱で歪んでいた。

 

 「ケリー君、そこまでだ。君のバイタルが閾値を超えている。……これ以上は脳が焼けるよ」

 

 「……うるさい。……まだ、おじさんの動きと……『同期』しきれてない」

 

 ケリーは膝を震わせながらも、再びハースニールを構える。 彼女の脳内では、上坂から盗んだ「境対近距離戦闘術」のライブラリが、魔女術という異質な言語で猛烈に書き換えられていた。

 

剣士が十年かけて辿り着く無駄のない動きを、彼女は自分の神経信号をバイパスすることで強引にショートカットしていく。 『ミッドナイト・ダスト』が彼女の周囲を旋回し放つ攻撃を、鮮やかに受け流し始めていた。

 

 「――ほう」

 

 上坂は、思わず漏れた感嘆を隠さなかった。はケリーという存在を、生まれながらに全能を与えられた天才だと認識していた。訓練などという泥臭いプロセスを必要とせず、ただそこに居るだけで人類の頂点に君臨する異形。それが上坂の見ていたケリーの経歴であり、見込んでいた資質であった。

 

 だが、今目の前にいる少女はどうだ。天賦の才に胡坐をかくどころか、自らの肉体を燃料として焚べ、脳が焼ける苦痛さえも加速の糧にしている。敗北という屈辱をただ一点の執念に変え、限界を物理的に突き破ろうとするその精神性。それは、合理性を重んじる魔女の性質とは正反対の、あまりにも人間臭く、そして凄絶なまでの克己心であった。

 

 地下訓練場の冷気が、上坂の放つ殺気と、ケリーから立ち上る熱気で歪んでいる。 上坂は指先一つ動かさず、背後に展開した『ミッドナイト・ダスト』を群れとして操る。黒い立方体粒子が、幾何学的な死の網となってケリーを包囲した。

 

「……はぁ、はぁ……っ!」

 

 ケリーの銀紫色の長髪が、静電気を帯びて微かに浮き上がっている。それは単なる威嚇ではない。髪の一本一本が放熱板(ヒートシンク)となり、限界を超えて加速する脳と神経系が発する廃熱を、周囲の空気に逃がそうと必死に機能しているのだ。

 

 「遅い、ケリー君。視覚(カメラ)で粒子を追うな。瞳に頼れば、君の脳は情報過多で先に焼き切れてしまうよ」

 

上坂の叱咤と共に、三つの粒子がケリーの腋部―——装甲の欠落した急所を狙って射出される。ケリーは瞬時に『電磁視覚』を全開にした。紫の瞳に映るのは物理的な物体ではなく、粒子が空気分子を切り裂くことで生じる磁場の歪みと電位の揺らぎ。

 

 「……分かってるわよ!」

 

 ケリーは自身の『神経信号を強制増幅』。通常、筋肉が反応するのに要するコンマ数秒を、脳から直接磁力駆動(リニアドライブ)でハースニールへと命令を飛ばすことでスキップした。

 

 キンッ!と鋭い接触音。 しかし、その代償は即座に現れる。筋肉ではなく、神経そのものを過電流が駆け巡り、彼女の肉体温度を急上昇させた。

 

 「あ……が……っ、つ……」

 

 腋部や太腿の露出部から、逃げ場を失った熱が陽炎となって揺れる。重装狩衣の内部流路からは、イオン風による強制排熱が微かな「キーン」という高周波音を立てていた。

 

 「いい、今の反応だ。だが、まだ『同期(シンクロ)』が足りていない。君の神経信号と、ハースニールの磁場、そして私のミッドナイト・ダストが描くベクトルのすべてを、単一のコードとして統合するんだ」

 

 上坂は攻撃の手を緩めない。今度は粒子の群れが、螺旋を描いてケリーの脊椎装甲を叩きに行く。 ケリーは、上坂の剣士としての理を自分というシステムにねじ込もうとした。

 

 (……筋力(ハード)が足りないなら、電磁力(ソフト)で補強すればいい。おじさんの粒子の動き……その『波形』が見える……そこに、私の力を乗せて……逆位相で『同期(シンクロ)』する!)

 

 極限の集中。 ケリーの脳内の演算領域が、熱暴走(オーバーヒート)の閾値を告げるアラートを無視して加速する。 彼女は襲いくる粒子の群れを回避する事をやめた。自らの周囲に微細な電場を展開。粒子の持つ慣性を、電磁誘導によって自分の剣筋へと「同期」させ、吸い寄せるように受け流したのだ。

 

 「……これなら、どう……っ!?」

 

 最小限の動き。隙間を抜ける粒子を、わずか数ミリの体軸移動だけで躱し、そのまま流れるような一撃が上坂の胸元へと迫る。

 

 「……あはっ、見えた。おじさんの『呼吸』……これ、三津寺に当てたら、あいつ……どんな顔するかしら」

 

 銀紫色の髪が激しくイオン風を放ち、ケリーの全身は熱で真っ赤に上気している。しかし、その瞳だけは凍てつくような冷徹さで、上坂という正解を捉えていた。

 

 (本来なら合格をあげてもいいが……)

 

 上坂はしばし考えた後、こう言い放つ。

 

 「……まだだ。今の君の踏み込み、コンマ数秒のラグがある。脳が磁場を操り、筋肉を動かすまでの『解釈』に時間をかけすぎだ」

 

 上坂の『ミッドナイト・ダスト』が、さらに苛烈な包囲網を形成する。それはもはや雲ではなく、生き物のようにうねる死の激流。ケリーの電磁視覚(センサー)は、四方八方から押し寄せる破壊のベクトルを捉え、処理能力の限界を告げる警報を脳内に鳴り響かせていた。

 

 「脳を捨てろ、ケリー君。君の神経系そのものを、ハースニールという『回路』の延長線上に直結させるんだ……君自身が、エネルギーそのものになるんだ」

 

 「……っ、言われなくても……やってるわよ!!」

 

 ケリーの叫びと共に、彼女の銀紫色の髪が激しく発光し、大量のイオン風が周囲に真空状態を作り出す。自身の脳内で行っていた「演算」を、手に持つハースニールの電磁界へと直接オフロード(委託)する。

 

 肉体はただの触媒と化し、彼女の意識は自身の身体を超え、ハースニールを介して訓練場の磁場全体へと拡張される。

 

 ドッ、と空気が爆ぜた。 ケリーの姿が消える。 それは上坂の『tachyon』が放つ超高速移動に肉薄する、ミッドナイト・ダストの粒子一つ一つが、ケリーの肌に触れる寸前、彼女が纏う反発磁場によって弾かれ、逆に彼女の加速を助ける加速板へと変質していく。

 

 (……見えた。おじさんの粒子の『隙間』じゃない。……この世界そのもののバグが……!)

 

 ケリーは流れるような円を描き、三つの粒子を同時に斬り飛ばすと、そのまま上坂の懐へ潜り込んだ。ハースニールの先端が、上坂の喉元を正確に、かつてない鋭さで捉える。

 

 静寂。 ケリーの全身から噴き出す蒸気が、霧のように訓練場を包む。彼女の肌は熱で赤く染まり、太腿や腋の露出部からは、命を削るような廃熱が陽炎となって揺れていた。上坂は、喉元に突きつけられた刃を見つめ、やがて狂おしいほどの喜びを込めて笑った。

 

 「……素晴らしい。完勝だよ、ケリー君。君は今、剣士が一生をかけて辿り着く境地の一つを、自らの勇気と無謀さと、演算能力で私から奪い取って(ハッキングして)みせた……正直に言おう、君の異才の成長に関われたことを、私は心の底から誇りに思う」

 

 上坂の科学者として、そして近接戦の師としての心からの称賛。だが、ケリーは荒い呼吸を整えながら、その刃を冷たく引き抜いた。

 

 「……気色悪いわよ、おじさん」

 

 仮面の下の瞳は、微塵も慢心していない。それどころか、剣士として上坂への絶望的なまでの差を誰よりも理解しているがゆえの、苛立ちすら混じっていた。

 

 「褒めたつもり? ……今の私の一撃、おじさんが本気なら、道を開くのに私が剣を振り抜くタイミングで、私の首が飛んでたわ……私は、おじさんが見ている『景色』の、ほんの入り口を解析できただけ」

 

 ケリーは重装狩衣の襟を正し、汗を拭うこともせず、出口へと歩き出す。

 

 「私って、とっても我儘なの。だからおじさんもいつか、私の剣理で超えてあげるわ……三津寺みたいな三流を逃がして、おじさんの引き立て役で終わるなんて、私のプライドが許さない……だから、あいつは。徹底的に、一番惨めなやり方で解体してあげる」

 

 その言葉の裏には、いつか上坂自身にも、三津寺と同じような敗北と屈辱を味わせてやるという、不遜極まる意志が宿っていた。

 

 上坂は遠ざかる少女の背中を見送りながら、静かに新しい缶コーヒーのプルタブを引いた。カチリ、という軽い金属音が、この異質な師弟関係の終焉と、新たな捕食者の誕生を祝福するように響く。

 

 「……ああ、そうだね。君はもっと高く、もっと美しく狂うべきだ」

 

 上坂の口元には、かつてないほどの愉悦が刻まれていた。弟子に首を狙われる恐怖など微塵もない。むしろ、制限をかけたまま、自分という頂を削り取ろうとするその邪悪なまでの向上心を、彼はこの上なく歓迎していた。

 

 

 

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