西区、旧・刀鍛冶街の地下に隠されたセーフハウス。薄暗い室内で、三津寺刃は己の右腕を抱えて荒い呼吸を繰り返していた。机の上には、ハースニールによってボロボロに削り取られ、もはや鉄屑の塊となった名剣たちが転がっている。
「……ありえない。あの時、俺の抜刀術は完璧だった。結合を破壊する振動は、確実に奴の刀身を捉えていたはずだ」
三津寺は、いまだに感覚の戻らない指先を忌々しげに睨んだ。一度冷静になれば、違和感は澱のように積み重なっていく。あの女は、三津寺が剣を引き抜くコンマ数秒前には、すでに最適な防御の形を取っていた。まるで三津寺が次に何を考え、どう動くかを知っていたかのように。
「――待ち伏せか。偶然じゃない。あの女、俺の技に合わせて、わざわざあの剣をぶつけてきたというのか……!」
屈辱が、冷たい汗となって背中を流れる。自分は獲物を狩りに行ったつもりだったが、実際には巨大な蜘蛛の巣の中心に、自ら飛び込んでいただけだったのではないか。
『――おや。ようやく正解に辿り着いたみたいだね、ジン』
虚空から、ノイズ混じりの電子音声が響いた。採点者だ。
「……何の用だ」
『君の今のコレクションを見ていたけれど……正直に言って、ひどく退屈だね。歴史があるだけの古びた鉄を並べて、何が楽しいんだい?』
「何だと……?」
『君が本当に手に入れるべきは、あの日、君のプライドを完璧に撥ね退けた「あの剣」じゃないのかい? 黒不浄の結合を解析し、あらゆる衝撃を無効化する。あれこそが、君の鞘に収まるべき唯一の獲物だ。あの一振りに比べれば、ここに転がっているガラクタは全部ゴミだと思わないかい?』
採点者の言葉が、三津寺の胸の奥にある劣等感と執着を激しく煽り立てる。
「……そうだ。あの剣を奪えば……あの一振りをこの手で鑑定し、屈服させれば……!」
三津寺のその瞳に凶相が浮かんだ。
『いい顔だ。君という器に、最高の執着が満ちてきたね……さあ、舞台を用意してあげよう。あの一振りを君の目の前まで引きずり出すための、とっておきの餌(人質)と一緒にね』
三津寺は笑った。採点者の掌の上で踊っていることにも、自分が狙っている「名剣」の正体が、自分を縛り上げるための「鎖」であることにも気づかないまま、彼は狂気へと身を投じる決意を固めたのだ。
境界対策課イズモ支部のメインモニターに、一通の電文が強制表示された。送信元は三津寺刃。正体不明の支援者の手引きにより、対策課の専用回線が直接ハッキングされた結果だった。
『イズモ境界対策課支部の者へ。 君たちが隠している仮面の剣士に伝えてくれ。 西区、旧・鍛冶街の第十四廃工場に、逃げ遅れた一般人が数名捕らえてある。下手に動けば、彼らは私の剣の圧力で即座に押し潰される。 あの仮面の女を一人で寄こせ。 彼女が持つ剣を、私の手で叩き折る。その瞬間を君たちに見せつけてやろう』
画面には、鋼刃の蔦で柱に縛り付けられた人質たちの画像が映し出される。それを見つめる久部幕内は、表情を変えることなく背後に立つケリーへ視線を送った。
「……バレてるわね。私がここの戦力だってこと」
ケリーは壁に寄りかかったまま低く吐き捨てた。予想の範囲内で、その為の上坂との訓練だったが、情報のイニシアチブを取られているというのは懸念点だった。
「罠だ。人質を盾に、君を確実に仕留めるための舞台を用意している」
久部はそう口にしながらも、心中ではケリーが自ら動くことを確信していた。もし彼女が沈黙を守るようなら、彼は迷わず「一人で向かい、人質ごと処理しろ」と命じるつもりだった。それが最も効率的で、被害を最小限に抑える唯一の解だと知っていたからだ。
「一人で行くわ。増援も、監視もいらない」
ケリーは仮面を装着し、静かに立ち上がった。彼女の目的は人質の救出ではない。自分の領域を荒らした三流の男を、その思い込みごと根絶やしにすること。
「私の仕事に、ゴミを混ぜないで……あいつの叫び声、通信機越しに聴かせてあげるから」
久部は黙って道を開けた。ケリーは一度も振り返ることなく、影のように部屋を滑り出した。夜のイズモを駆ける彼女の意識にあるのは、人質救済の地図ではない。三津寺というノイズを、最も速く、最も残酷に消去するための滴る様な悪意だけだった。
イズモ中央公園の地下、かつて防空壕として使われていた広大なコンクリート空間。 そこは今、異様な光景に塗り替えられていた。壁一面に突き刺された無数の折剣の残骸。そして、中央には境界対策課の若手剣士数名と、三津寺が「ハズレ」と称した呪詛犯罪者たちが、呪力の鎖で磔にされている。廃工場の内部は、冷えた鉄の匂いと、三津寺が放つ不浄な熱気に満ちていた。天井の梁からは、鋼の蔦に縛られた三津寺が適当に攫ってきた一般の人質たちが吊るされ、その直下には無数の折れた剣の破片が、主人の高揚に呼応するようにガチガチと音を立てて震えている。
「……来たか、仮面の剣士。いや、ハースニールの主よ」
三津寺刃は、もはや人間のそれとは思えないほどに黒く濁った眼でケリーを見据えた。彼の傍らには、採点者から授かった禁忌の祭具――対象の痛みを周囲の空間へ共鳴させる《共感覚の鐘》が設置されている。
「人質なんて、剣士のすることじゃないわよ。貴方の師が泣くんじゃない?」
ケリーはハースニールを担ぎ、冷ややかに周囲を見渡した。人質たちの恐怖、絶望。その「情報」が、彼女の脳内に不快なノイズとして流れ込む。
「誇りなど、あの夜に捨てた。俺が欲しいのは、その名剣が折れる音……そして、君の絶望に濡れた顔だけだ。さあ、構えろ。この場所にある全ての『無念』が、俺の刃に力を貸してくれる!」
三津寺が《万軍の鞘》から、これまでのコレクションを合体させたような禍々しい大剣を抜き放つ。 彼は地面を蹴り、爆音と共にケリーへ肉薄した。その一撃には、周囲に囚われた人質たちの苦悶が呪詛として上乗せされ、空間そのものを震わせる重圧を伴っている。
「折れろぉぉぉッ!」
ケリーの瞳が紫電に染まった。 三津寺の全力の斬撃がケリーの首元に届く寸前、ハースニールから放たれた逆位相の磁場が、三津寺の運動エネルギーを強引に停止させた。
「――!? 止まった……!? 触れてもいないのに!」
「さて、何故でしょうね?」
次の瞬間、三津寺が込めた破壊エネルギーは、ケリーの背後の電磁噴射へと一瞬でコンバートされた。 三津寺の視界からケリーが消える。 音速を超えた
「あはっ、背中、ガラ空きよ」
ハースニールが唸りを上げ三津寺に襲い掛かるが、振り返らず前方に身を投げ出す事で致命斬撃を回避。伸長した刃が退いていく三津寺の肩口を浅く、だが確実に削り取る。
態勢を立て直した三津寺が咆哮した。彼が右腕を突き出すと、周囲を浮遊していた数百の折剣が、目にも止まらぬ速度で連結し、巨大な鋼の尾を形成した。それは生き物のようにのた打ち、工場の柱や床をバターのように切り裂きながらケリーへと殺到する。
三津寺の身体は、採点者から与えられた力によって限界を超えて活性化していた。漆黒の戦闘狩衣の下で、強化外骨格が限界を告げる火花を散らし、血と油が混じり合った飛沫が彼の手足から噴き出す。だが、その激痛こそが彼の執念を加速させた。
「見えているぞ……!お前の動きは、すべてこの刃の檻の中に収束する!」
三津寺は、右腕の鋼の尾を円状に旋回させた。全方位、逃げ場のない切断の壁。工場の空気が物理的に削り取られ、猛烈な突風がケリーを襲う。
ケリーはハースニールを構え、正面からその嵐に立ち向かった。磁界による超高速振動を帯びた刃が、三津寺の放つ折剣の群れを弾き飛ばす。だが、三津寺の真価はそこからだった。
弾かれたはずの刃の破片が、空中で静止し、逆方向からケリーの死角――背後と頭上を急襲した。それは三津寺の執念が磁力を上回った瞬間だった。彼は折れた剣一本一本の「死」を繋ぎ合わせ、自身の神経と直結させることで、予測不能な多角射撃を実現していた。
一筋の刃が、ケリーの頬を掠め、黒い仮面に細い亀裂を入れた。仮面の一部が剥がれ落ち、そこから露わになったのは、驚愕ではなく、冷徹なまでに静かな紫の瞳。
「……ようやく、少しはマシな味になったわね」
その声は氷のように冷たく、冷静だったが。三津寺は追撃の手を緩めない。彼は大剣《万軍の鞘》を地面に突き立て、地中を伝わせて無数の刃をケリーの足元から突き上げさせた。同時に、自らも強化外骨格をフル稼働させ、肉薄する。上空からは折剣の雨、足元からは鋼の棘、そして正面からは三津寺自身の剛剣。
三津寺刃という男が、人生のすべてを賭して作り上げた、完璧な処刑の檻。工場の鉄骨が三津寺の放つ圧力に耐えきれず、激しく軋み、折れ曲がっていく。ケリーは迫り来る死の包囲網を前に、静かに息を吐いた。彼女の全身から、これまでとは質の異なる、透き通った青白い光が溢れ出す。
「でも、遅すぎる……おじさんとの特訓で、私はもう『予測』や『予知』なんて段階は捨てたの」
ケリーは足元から突き出す刃を、一歩も動かずに躱した。正確には、彼女の身体が「空気の揺らぎ」に合わせて、物理的な予備動作なしに数センチだけ横へ流れたのだ。
上空から降り注ぐ刃の雨を、ハースニールの刀身でなぞるように受け流す。斬るのではない。自分に向かってくる刃の流れを、磁場の糸で強引に曲げ、三津寺自身へと送り返した。
「――なっ!?」
自分の放った刃に、自分の身体を削られ、三津寺の顔に驚愕が走る。ケリーはそのまま、重力を無視した水平の加速で、三津寺の懐へと入り込んだ