仮想戦記   作:Shigy20250620

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変化の始まり

 夕暮れの兵站幕舎は、湿った紙と墨の匂いがしていた。

 主計大尉・村瀬は、届けられた書類を無言で読み返し、眉間を指で押さえた。

「……ぬか漬け野菜、味噌漬け肉、味噌漬け魚の定期支給を試験的に実施、か」

 向かいに座る大隊長の桐野少佐が煙草をくわえたまま笑う。

「乃木閣下らしいな。理由は?」

 村瀬は書類をめくる。

「“兵の食欲増進及び福利厚生向上のため”だそうです」

「絶対それだけじゃないな」

 二人同時にため息をついた。

 沈黙。

 外では炊事班が鍋をかき回す音がしている。

 桐野が煙を吐きながら言う。

「で、お前はどう読む」

 村瀬はしばらく考え、書類の端を指で叩いた。

「まず保存性。輸送中に腐りにくい」

「うむ」

「それと塩分。夏場の行軍で兵が倒れにくくなる」

「……続けろ」

「発酵食品です。腹を壊しにくくなる可能性がある」

 桐野の目が細くなる。

「可能性、か」

「ええ。乃木閣下はこういう時、“医学的に証明された”とは絶対に書かない。だが実際には何か見てる」

「いつもの奴だな」

「はい」

 村瀬は苦笑した。

 乃木保典という男は、妙な提案をする。

 しかも後から「なぜ今までやっていなかった」と言われる類の提案ばかりだ。

 靴下の予備支給。

 水筒の改良。

 携帯食の乾燥化。

 細縄の増配。

 全部、最初は変人扱いだった。

 だが、今では小隊長の少尉でありながら『閣下』とあだ名されるほど、良い意味で注目されている。

 桐野が机を指で叩く。

「兵站への負担は?」

「むしろ減るかもしれません」

「ほう?」

「漬物なら保存が利く。味噌漬けも同様です。塩と樽があれば現地加工も可能でしょう」

「現地加工……」

 桐野がニヤリとする。

「つまり輸送重量を減らせる」

「おそらくは」

「福利厚生向上、ねえ」

 二人とも笑った。

 そんな綺麗事だけで乃木が書類を回すはずがない。

 村瀬は声を落とした。

「閣下は“兵が飢える”ことを異常に嫌いますから」

「知ってる」

「空腹は士気を削る。病気も増える。行軍速度も落ちる。つまり戦力低下だ、と」

 桐野は煙草を灰皿へ押し付ける。

「で、お前はどうする」

 村瀬は書類を閉じた。

「通します」

「理由は?」

 村瀬は少しだけ笑う。

「何か裏がある、と判断しました」

 桐野が吹き出した。

「お前も大概だな」

「今まで、あの人の“裏”で損した試しがありませんので」

 桐野は立ち上がると軍帽を取った。

「よし。大隊として協力する。炊事班にも伝えておけ」

「はっ」

 幕舎を出かけた桐野が、ふと思い出したように振り返る。

「そういや以前、“乾いた靴下を増やせ”と言ってきた時も、お前、“何か裏がある”って言ってたな」

 村瀬は真顔で答えた。

「結果的に冬季演習の凍傷が半減しました」

「彼が軍人やってるのは運がいいのか悪いのか。……怖いな、乃木少尉」

「ええ」

 村瀬は静かにうなずく。

「たぶん、我々より先に答えを知っている人です」

 

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