ハンブルク港襲撃作戦
Hamburg Harbor Raid Operation(独:Warum sind japanische Zerstörer im Fluss!?)
概要
ハンブルク港襲撃作戦とは、第二次世界大戦中に日本海軍が実施した「なんでそんな事したの?」ランキング上位常連の港湾急襲作戦である。
この作戦によりドイツ海軍のUボート運用能力は壊滅的打撃を受け、連合国海運は大きく改善された。一方でドイツ陸軍は、
> 「日本海軍がエルベ川を遡上してくる」
という文章を報告書に書かされる羽目になり、多数の将校が頭痛薬と胃薬を必要とした。
なお、この作戦は後年、
> 「護衛駆逐艦思想の完成形」
とも、
> 「海軍が陸軍の仕事場に殴り込んだ事件」
とも呼ばれている。
背景
当時のドイツ海軍はUボートによる通商破壊戦を継続していた。
しかし日本海軍は、
> 「輸送船沈められると経済が死ぬ」
という極めて当たり前の結論に到達していたため、通商護衛と対潜戦に異様な情熱を燃やしていた。
特に、老朽駆逐艦による避難民船防衛事件、対潜護衛思想の発展、特に 「輸送船団を守れない艦隊に意味はない」派の台頭などにより、日本海軍は徐々に、「敵主力艦よりUボート基地のほうが危険では?」という現実的かつ夢のない結論へ近づいていった。
夢のない海軍は強い。
作戦準備
日本海軍はまずハンブルク河口を封鎖。
最上型航空巡洋艦を投入し、水上機隊による偵察、対潜哨戒という掃除を実施した。
船舶への攻撃や川岸に設営された防衛施設への爆撃も辞さない強引なやり方により半日足らずでエルベ川を航行する船は消えたという。
なお、この頃の日本海軍では、水上機は空飛ぶ双眼鏡から小型多用途航空戦力へ進化しつつあり、各国海軍関係者の頭を抱えさせていた。
さらに正規空母艦載機による制空支援も投入。
ドイツ側から見ると、
> 「なぜ日本軍が北海で航空優勢を取っているのか」
が最大の謎であった。
作戦経過
第1段階:河口封鎖
日本艦隊はエルベ川河口を制圧。
出入りする船舶を停止させ、川を「空けた」。
この時点でドイツ軍はまだ、
> 「本当に川を上がって来るとは思っていなかった」
と言われている。
坂東武者の末裔相手にその考えは甘かった。
第2段階:航空・艦砲攻撃
最上型による艦砲射撃と、水上機・空母機による航空攻撃が開始される。
特にUボート関連施設、燃料タンク、通信設備、魚雷庫、修理ドックが重点的に破壊された。
同時に吹雪、白雪がエルベ川に進入しハンブルクに向かって進軍開始する。
ドイツ守備隊は「川に軍艦が突っ込んでくる」という状況に混乱。
記録には「敵艦は被弾を無視して前進」などの報告が残り、記録から相当に混乱していたことが読み取れる。
日本海軍「駆逐艦はそういうものだが?」
第3段階:駆逐艦突入
ついに日本海軍駆逐艦隊がハンブルク港突入。
駆逐艦隊は、艦砲射撃、機銃掃射、煙幕展開を組み合わせながら港へ突入し阿修羅のごとく暴れまわり施設を破壊した。
なお、ドイツ軍下士官の回想録には
> 「こちらの砲撃を受けても止まらなかった」
> 「艦橋の機銃を見た瞬間に隠れろと叫んだ」
> 「弾薬庫が誘爆しなかったので生き残った」
などの証言が残っている。
生き残れてよかったですね。
結果
ドイツ海軍はUボート基地機能に壊滅的打撃。
さらに補給、修理、指揮通信というUボート運用に必要な能力が大幅低下。
ドイツ海軍上層部は、
> 「なぜ日本海軍が河川突入作戦を成功させているのか」
について長時間議論したが、結論は出なかった。
日本海軍は作戦成功と評価したものの少なくない死傷者と突入した艦を最終的に破棄、自爆させてハンブルク港にとどめを刺したことを 「また駆逐艦が無茶した」と評価した。
通常運転である。
アメリカでは病床のフランクリン・ルーズベルト大統領が報告を受け、「この戦争、我々の勝ちだ」と述べたという。
そして
> 「また、日本の駆逐艦だぞ」
と語ったとされる。
後年、この発言は駆逐艦が世界を変えた象徴として有名になる。
後世への影響
本作戦は後の港湾急襲作戦、対潜基地攻撃、統合海空作戦、通商保護思想などへ大きな影響を与えた。
また、日本海軍の「駆逐艦は盾であり槍でもある」という思想が完成した作戦ともされる。
余談
後年の軍事オタクの間では「戦艦でなく駆逐艦が戦争を変えた」という点から異様な人気を誇る。
一方でゲーム化されると大抵、河川座礁、燃料切れ、魚雷誤爆、味方空爆などで悲惨なことになる。
特に某惑星でのイベントでは顕著であり、航空支援ミッションで味方艦を誤爆をせずに生還できたら一人前卒業とまで言われる高難易度ミッションである。
ちんたらしてると駆逐艦が体当たりして川岸の砲座をつぶしちゃうからね。
現実はゲームより理不尽である。