堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
第9話で須藤事件の発生時期を間違えて表記していたので、修正しました。
しばらく原作を読んでないので色々とガバい部分があると思いますが、どうかお許しを。
もし気になるようでしたら感想にてお知らせください。
須藤の事件を防いでから、数日が経った。
堀北は、教室で一人の少女を観察していた。
佐倉愛里。
内気で目立たない生徒。いつも俯いて、誰とも話さない。存在感が薄く、クラスメイトは彼女のことを何も知らない。
けれど、堀北は知っている。
この少女には、ある秘密がある。
そして、その秘密が原因で、彼女は危険な目に遭う。
前回の記憶が、蘇る。
佐倉は、かつてグラビアアイドルとして活動していた。その過去を知る男が、彼女をストーキングしていた。
前回、この問題は須藤の暴力事件の後に発覚した。
堀北は直接的に関わっていないが、綾小路が中心となって解決したと聞いている。
佐倉は数ヶ月に渡るストーキング被害に、精神的に大きなダメージを受けていたと。
前回はその状態に気づかなかったが、今回は既に知っている。そして、知っているならもちろん助ける。これを放っておけば、彼女は危険な目に遭うかもしれないのだから。
だが、問題があった。
佐倉との距離だ。
入学から二ヶ月近く経つが、堀北は佐倉と上手に会話が出来ないでいた。
彼女は極端に内向的で、誰とも関わろうとしない。教室では常に一人で過ごし、話しかけられても最低限の返事しかしない。
一方の堀北も、コミュニケーションが得意ではない。
どうやって、彼女に近づけばいいのか。
どうすれば、彼女の心を開くことができるのか。
その答えが、見つからないまま日々が過ぎていった。
けれど、いつまでも悩んでいるわけにはいかない。
ストーカー被害は、放っておけば深刻化する。最悪の場合、彼女の身に危険が及ぶかもしれない。
行動を起こさなければ。
放課後。
堀北は、意を決して佐倉に声をかけた。
「佐倉さん、ちょっといいかしら」
佐倉が、びくりと肩を震わせた。
「……わ、私ですか?」
「ええ。少し話したいことがあるの」
佐倉は、怯えた目で堀北を見ている。
彼女にとって、クラスメイトから声をかけられること自体が珍しい。しかも相手は、最近クラスで存在感を増している堀北だ。緊張するのも無理はない。
二人は、廊下の隅に移動した。
「佐倉さん。あなた、何か困っていることはないかしら」
「え……? ど、どうしたんですか、急に……」
「最近、元気がないように見えたから。何かあったのかと思って」
堀北は、探るように佐倉の表情を窺う。
佐倉は、目を泳がせている。
明らかに、何かを隠している様子だ。
「べ、別に……何もないです……」
「本当に? 困っていることがあれば、相談してほしいの。私でよければ、力になるわ」
「……っ」
佐倉が、僅かに表情を変えた。
何かを言いかけて、けれど言葉を飲み込む。
「ほ、本当に、何もないです。ご心配、ありがとうございます……」
佐倉は、逃げるように去っていった。
堀北は、その背中を見送りながらため息をついた。
また駄目だった。むしろ怪しまれたかもしれない。
堀北は、コミュニケーションが苦手だ。人の心に踏み込むのが下手だ。こういう繊細な問題を扱うには、向いていない。
けれど、放っておくわけにはいかない。
別の手を考えよう。
翌日。
堀北は、二人の人物に協力を依頼した。
一人目は、櫛田桔梗。
「櫛田さん。お願いがあるの」
「何かな、堀北さん?」
「佐倉さんのことなんだけど……彼女、最近元気がないみたいなの。あなたなら、上手く話を聞き出せるんじゃないかと思って」
櫛田は、にこりと笑った。
「うん! 分かったよ。私に任せて」
櫛田の社交性なら、佐倉の心を開くことができるかもしれない。もちろん、櫛田の本性は知っている。けれど、今は彼女の能力を利用させてもらう。
二人目は、綾小路清隆。
「綾小路くん。相談があるの」
「何だ?」
「佐倉さんのことなんだけど……彼女、何かトラブルを抱えているみたいなの。できれば、気にかけてあげてほしいのだけど」
綾小路が、堀北を見つめる。
「なぜ、そう思う?」
「……女の勘よ」
「また勘か」
綾小路は、呆れたように呟いた。けれど、断りはしなかった。
「分かった。気をつけておく」
これで、佐倉を見守る体制は整った。
あとは、事態の推移を見守るだけだ。
数日後。
昼休み。
堀北は、屋上で一人、昼食を取っていた。
風が心地よい。夏の始まりを告げる、爽やかな風。
握るのが上手になってきたおにぎりを頬張りながら、最近のことを振り返る。
須藤の事件は防げた。佐倉の件も、櫛田と綾小路に任せることが出来た。
今のところ、前回よりは良い結果を残せている。
けれど、油断はできない。龍園が堀北を監視していることは分かっている。いつ、何を仕掛けてくるか分からない。
そんなことを考えていると、屋上の扉が開いた。
振り返ると、綾小路が立っていた。
「ここにいたか」
「綾小路くん。どうしたの?」
綾小路が、堀北の隣に座る。
「報告がある」
「報告?」
「佐倉の件だ。ストーカーはオレが撃退した」
堀北は、目を見開いた。
「もう解決したの?」
「ああ。佐倉を付け回していた男がいた。家電量販店の店員らしい。昨日の夜、佐倉を襲おうとしたところを、オレが止めた」
「そう……。ありがとう、綾小路くん」
堀北は、ほっと息を吐いた。
やはり、ストーカーは存在していたのだ。そして、綾小路が撃退してくれた。
これで、佐倉は安全だ。
けれど、安堵したのも束の間。
「堀北」
綾小路の声が、低くなった。
「お前、この事も事前に知っていたな」
「……」
「佐倉にストーカーがいることを、お前は知っていた。だから、オレと櫛田に見守るように頼んだ」
堀北は、沈黙した。
反論できない。確かに、知っていた。
「それだけじゃない。須藤の事件もだ」
「須藤くんの事件……? なんの話かしら。彼に何かあったの?」
「とぼけるな。お前と須藤が関わり、未然に防いだトラブルがあったはずだ」
堀北の心臓が、跳ねた。
なぜ、綾小路はそのことを知っている?
「どうして、そのことを……」
「佐倉から聞いた」
綾小路が、淡々と答える。
「あの日、佐倉は特別棟にいた。須藤がCクラスの連中に絡まれているところを、物陰から見ていたらしい。そして、その近くにお前もいたと」
「……っ」
佐倉が、見ていたのか。
前回、佐倉は須藤の暴力事件を目撃していた。完全に忘れていたが、確かにそんな記憶もある。
今回、事件は起きなかった。けれど、佐倉は同じ場所にいた。そして、堀北の姿も見ていた。
「お前は、起きる「前」から知っていた。須藤に関わり、事件を未然に防いだ。どうしてそんなことができた?」
綾小路の目が、堀北を射抜く。
観察するような、探るような目。
堀北は、沈黙した。
どう答えるべきか。
嘘をつくか。はぐらかすか。
けれど、綾小路は鋭い。下手な嘘は、すぐに見破られる。
「綾小路くん」
堀北は、意を決して口を開いた。
「もし、私が「未来」を知っていると言ったら、あなたは信じる?」
綾小路の目が、僅かに見開かれた。
「……は?」
「冗談よ」
堀北は、苦笑した。
「……ただ、情報収集の結果、可能性として予測できただけ。CクラスのリーダーがDクラスを狙っているという噂を聞いて、須藤くんが標的にされるかもしれないと思った。それだけよ」
「……」
綾小路は、黙って堀北を見つめている。
その目は、完全に疑っている。堀北の言葉が真実かどうか、見極めようとしている。
「堀北。お前は、入学初日からオレに興味を持っていた。Sシステムの裏を見抜いていた。須藤の事件を予測していた。佐倉のストーカーも知っていた」
綾小路が、一歩近づく。
「お前は、何者だ?」
心臓が、激しく音を立てている。
綾小路の視線が、堀北の心を貫くようだ。
けれど、堀北は目を逸らさなかった。
「私はただの――やり直したいと思っている人間よ」
「やり直し?」
「過去の失敗を、取り戻したいの。それだけ」
時が止まる。
風が、屋上を吹き抜ける。
髪が揺れる。雲が流れる。
綾小路は、長い間堀北を見つめていた。
その目は、何かを探っている。堀北の言葉の真意を、見極めようとしている。
けれど、同時に――どこか、納得したような色もあった。
「……そうか」
綾小路が、呟いた。
それ以上、追及しなかった。
堀北は、内心で安堵した。
恐らく、完全には信じていないだろう。けれど、今はこれ以上踏み込まないでくれた。
それだけで、十分だった。
「ありがとう、綾小路くん」
「何がだ?」
「追及しないでくれて」
綾小路が、少し訝しげな顔をした。
「……普通は、そこで礼を言わないだろう」
「そうかしら。私は感謝してるわ。あなたが、私の言葉を受け入れてくれたことに」
「受け入れたわけじゃない。保留にしただけだ」
「それでも、十分よ」
堀北は、優しく微笑んだ。
綾小路が、その笑みを見て、僅かに目を見開く。
「……お前、そんな表情も出来るんだな」
「失礼ね。私だって笑うことくらいあるわ」
「いや、入学してから、そんな風に笑ってるところを初めて見た気がする」
「そう? 意識してなかったけど……」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
入学してから、堀北はずっと緊張していた。前回の失敗を繰り返さないために、常に気を張っていた。
表情に気を遣う余裕など、なかったのかもしれない。
「でも今、ちゃんと笑えた」
堀北は、自分でも驚いていた。
「あなたの前だと、少しだけ……肩の力が抜けるのかもしれないわね」
「……そうか」
綾小路が、視線を逸らした。
けれど、その口元が――僅かに、緩んでいるように見えた。
「……お前は、本当に面白い奴だな」
「面白い? 私が?」
「ああ。オレは今まで、色々な人間を見てきた。だが、お前みたいな奴は初めてだ」
「どういう意味?」
「分からない。ただ、そう思っただけだ」
綾小路が、空を見上げる。
青い空。白い雲。夏の始まりを告げる、爽やかな風。
「私が、面白い……」
堀北も、空を見上げた。
「それは、褒め言葉として受け取っていいの?」
「好きにしろ。お前の解釈次第だ」
「じゃあ、褒め言葉として受け取っておくわ」
そう言って、堀北は笑った。
今度は、意識して。
綾小路が、その笑みを見て――
ふっ、と息を吐いた。
それは、笑いとも溜息ともつかない、曖昧な音だった。
けれど、その目元が緩んでいる。口角が、僅かに上がっている。
綾小路清隆が、笑っている。
堀北は、その光景に驚いた。
前回の三年間、綾小路が笑うところを見たことはなかった。
彼は常に無表情で、感情を表に出さなかった。笑うことも、怒ることも、悲しむこともなく、ただ淡々と日々を過ごしていた。
それが今、笑っている。
小さな笑みだ。他の人が見たら、気づかないかもしれない程度の。
けれど、確かに笑っている。
「……何を見てるんだ」
綾小路が、堀北の視線に気づいて問いかける。
「いいえ、何も」
堀北は、首を振った。
けれど、口元には笑みが浮かんでいる。
「嘘だな。何か言いたそうな顔をしてる」
「そう? 私、そんなに分かりやすいかしら」
「ああ。お前は、意外と表情が豊かだ」
「……それは、褒め言葉?」
「好きにしろ」
また、同じ言葉。
堀北は、思わず吹き出した。
「何がおかしい」
「いいえ、何も。ただ……」
堀北は、笑いながら言った。
「あなたって、意外と面白いのね」
「オレが?」
「ええ。無表情で、何を考えてるか分からないと思ってたけど……話してみると、案外普通の男の子のように感じるもの」
「普通の男の子、か。そう言われたのは初めてだな」
綾小路が、少し驚いたような顔をした。
そして――
「……悪くないな、その評価は」
小さく、本当に小さく。
けれど、確かに笑った。
堀北も、つられて笑った。
二人は、屋上で笑い合っていた。
青い空の下。爽やかな風の中。
声を上げて笑うようなものではない。ただ、静かに微笑み合っているだけ。
けれど、それは確かに「笑い合う」という行為だった。
互いの壁が、少しだけ低くなった瞬間。
互いの距離が、少しだけ近づいた瞬間。
堀北は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
前回の三年間では、こんな瞬間はなかった。
綾小路と二人で笑い合うなんて、想像もできなかった。
それが今、現実になっている。
小さな変化。けれど、確かな変化。
「綾小路くん」
「何だ」
「私、あなたと話すのが好きよ」
「……そうか」
綾小路は、また視線を逸らした。
その仕草は、どこか照れてるように見える。
気のせいかもしれない。
でも、堀北はそう思った。
「オレも……まあ、お前と話すのは、悪くないと思ってる」
綾小路が、ぼそりと呟いた。
「え? 何か言ったかしら」
「何も言ってない」
「嘘ね。何か言ったでしょう」
「空耳だ」
「絶対に聞こえたわ。「悪くない」って――」
「言ってない」
綾小路が、立ち上がった。
その動きは、少しだけぎこちなかった。
「そろそろ戻る。午後の授業が始まる」
「あ、待って。私も行くわ」
堀北も立ち上がり、綾小路の後を追う。
屋上の扉に向かいながら、二人は並んで歩いた。
「ねえ、綾小路くん」
「何だ」
「また、ここで話しましょう。昼休みに」
綾小路が、足を止めた。
振り返り、堀北を見る。
「……なぜ」
「なぜって……理由が必要?」
「普通は、あるだろう」
「じゃあ……あなたと話すのが楽しいから。それじゃダメ?」
綾小路は、しばらく堀北を見つめていた。
その目には、困惑と、戸惑いと、そして――ほんの少しの喜びが混じっているように見えた。
「……好きにしろ」
綾小路は、そう言って歩き出した。
堀北は、その背中を見て笑った。
また、同じ言葉。
でも、まったく嫌な気持ちはしなかった。
それが、綾小路なりの「いいよ」だと分かったから。
「ええ、好きにするわ」