堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない   作:ほりきたすずね

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第11話:呪縛

 

 

 

 

 

 七月第一週。

 

 期末試験まで、あとニ週間。

 

 放課後のDクラス教室は、いつもより静かだった。

 

 試験が近づいているせいか、クラスメイトたちの顔には緊張の色が浮かんでいる。五月のポイント激減を経験した彼らは、成績の重要性を理解し始めていた。

 

 堀北は、自分の席で荷物をまとめていた。

 

 今日も勉強会がある。平田と協力して、クラス全体の成績を底上げする計画だ。

 

 そんな時だった。

 

 

 

「堀北鈴音はいるか」

 

 

 

 教室の入り口に、一人の上級生が立っていた。

 

 生徒会の腕章をつけている。三年生だろう。見覚えのない顔だ。

 

 クラスメイトたちの視線が、一斉に堀北に集まる。

 

 

 

「私ですが」

 

 

 

 堀北は、立ち上がった。

 

 

 

「生徒会長がお呼びだ。生徒会室まで来てくれ」

 

 

 

 教室が、ざわめいた。

 

 生徒会長。

 

 その名前は、一年生の間でも知れ渡っている。

 

 堀北学。

 

 この学校の頂点に立つ男。生徒会長として、絶対的な権力を持つ存在。

 

 そして、堀北鈴音の兄。

 

 

 

「堀北さん、生徒会長に呼ばれたの?」

 

「マジかよ。生徒会長って、あの堀北学だろ?」

 

「堀北さんと生徒会長って、兄妹なんだよね……」

 

 

 

 ひそひそと囁く声が、あちこちから聞こえてくる。

 

 堀北は、それを無視した。

 

 

 

「……分かりました」

 

 

 

 内心の動揺を押し殺して、堀北は答えた。

 

 上級生の後について、教室を出る。

 

 廊下を歩きながら、堀北は考えていた。

 

 兄が自分を呼び出すのは、知っていたことだ。

 

 けど、前回とは状況がだいぶ異なる。

 

 もっと早く呼び出されると思っていたが、入学してから三カ月後にようやくきた。

 

 なぜだろうか。

 

 これもバタフライ効果の一部なのだろうか? 原因は、いまいち分からない。

 

 いずれにしろ、今回、兄と対面するのはこれが初めてだ。

 

 前回は、入学してすぐに呼び出され、きつい言葉を浴びせられた。

 

 「お前には、上を目指す力も資格もない」と。

 

 堀北は、その言葉に深く傷ついた。

 

 悔しくて、情けなくて、必死に反論した。「私はAクラスに行ける」「兄さんを超えてみせる」と、虚勢を張った。

 

 けれど、結局は何も変えられなかった。

 

 三年間、兄の背中を追い続けた。兄に認められたくて、兄を超えたくて、必死に足掻いた。

 

 でも、最後まで届かなかった。

 

 卒業の日、堀北はBクラスとして校門を出た。兄が目指した高みには、一度も手が届かなかった。

 

 今回は違う。

 

 三年分の経験を経て、堀北は変わった。

 

 もう、兄の言葉に振り回されない。

 

 もう、兄の影に縛られない。

 

 生徒会室の前に着いた。

 

 上級生が、扉の前で立ち止まる。

 

 

 

「ここだ。中で会長が待っている」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 堀北は、深呼吸をした。

 

 心を落ち着ける。

 

 そして、扉をノックする。

 

 

 

「入れ」

 

 

 

 聞き慣れた声が、中から響いた。

 

 冷たく、威厳のある声。

 

 堀北は、扉を開けた。

 

 生徒会室は、広く整然としていた。

 

 大きな窓から、夕日が差し込んでいる。室内が、赤く染まっている。

 

 本棚には、書類や資料がきちんと並んでいる。机の上も、整理整頓されている。

 

 そして、窓際に一人の男が立っていた。

 

 堀北学。

 

 長身で、端正な顔立ち。黒い髪。冷徹な瞳。

 

 完璧という言葉が、似合う男だった。

 

 三年間、堀北が追いかけ続けた背中。

 

 そして、最後まで届かなかった存在。

 

 

 

「久しぶりだな、鈴音」

 

 

 

 兄が、振り返った。

 

 その目は、相変わらず冷たかった。

 

 

 

「……兄さん」

 

 

 

 堀北は、兄の前に立った。

 

 堀北学は、変わらない。

 

 冷徹で、完璧で、近づきがたい存在。

 

 兄が卒業する日には、二人は互いを認め合って、抱擁を交わすことになる。

 

 前回はそうだった。

 

 けれど、今の兄はまだ変わっていない。冷たく、厳しい兄のままだ。

 

 

 

「座れ」

 

 

 

 兄が、ソファを指し示した。

 

 堀北は、促されるままに座った。

 

 兄は、向かいのソファに腰を下ろす。

 

 しばらく、沈黙が続いた。

 

 夕日が、窓から差し込んでいる。

 

 兄は、じっと堀北を見つめている。観察するような、値踏みするような目。

 

 

 

「また、性懲りもなく俺を追ってきたようだな」

 

 

 

 兄が、口を開いた。

 

 

 

「Dクラスに配属されたと聞いたが、そんな人間には上を目指す力も資格もない」

 

 

 

 前回と同じ言葉。

 

 同じ見下すような目。

 

 前回の堀北なら、ここで反発した。「私はAクラスに行ける」「兄さんを超えてみせる」と、必死に反論した。

 

 けれど、今回は違う。

 

 

 

「そうかもしれません」

 

 

 

 堀北は、静かに答えた。

 

 兄が、僅かに眉を上げる。

 

 

 

「……何?」

 

「私がDクラスに配属されたのは事実です。この学校の評価基準では、私は最下位のクラスに相応しい人間。それは、認めます」

 

「……」

 

「でも、それが最終結果じゃない」

 

 

 

 堀北は、真っ直ぐに兄を見つめた。

 

 目を逸らさない。逃げない。

 

 

 

「Dクラスからでも、Aクラスに上がる道はある。私は、その道を歩みます」

 

「口だけならなんとでも言える」

 

 

 

 兄が、冷たく言い放つ。

 

 

 

「Dクラスの生徒がAクラスに上がった例は、過去にほとんどない。お前は、現実を見ていない」

 

「現実は、見ているつもりです。だからこそ、結果で示すと言いました」

 

 

 

 堀北は、立ち上がった。

 

 兄を、見下ろす形になる。

 

 

 

「私は、兄さんに認められるために、ここに来たわけじゃありません」

 

「……」

 

「昔の私は、兄さんの背中を追いかけていた。兄さんに認められたくて、兄さんを超えたくて、必死だった」

 

 

 

 堀北は、兄の目を見据える。

 

 

 

「でも今は違います。私は、私のクラスを――私の仲間を、Aクラスに導くために来ました。兄さんは関係ありません」

 

 

 

 妹の宣言を受けて、兄はしばらく黙っていた。

 

 生徒会室に、静寂が満ちる。

 

 夕日が、二人を照らしている。

 

 堀北学の表情に、初めて変化が生じた。

 

 困惑か、驚きか、それとも――

 

 

 

「……変わったな、鈴音」

 

 

 

 兄が、呟いた。

 

 

 

「はい。変わりました」

 

 

 

 堀北は、小さく微笑んだ。

 

 三年分の成長を胸に、堀北は兄の呪縛から自らを解き放つ。

 

 

 

「失礼します、兄さん」

 

 

 

 堀北は、一礼して生徒会室を出た。

 

 扉を閉めた瞬間、堀北は深く息を吐いた。

 

 心臓が、激しく鼓動している。

 

 緊張していた。

 

 兄の前に立つのは、いつだって緊張する。三年分の経験があっても、それは変わらない。

 

 けれど、不思議と気分は軽かった。

 

 ずっと、兄の影に縛られていた。

 

 兄に認められたい、兄を超えたいという想いに、囚われていた。

 

 でも今、その呪縛から解放された。

 

 もう、兄の顔色を窺わなくていい。兄の評価を気にしなくていい。

 

 自分の道を、自分の足で歩いていける。

 

 堀北は、廊下を歩き出した。

 

 夕日が、窓から差し込んでいる。

 

 その光は、どこか温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室。

 

 堀北鈴音が去った後、堀北学は窓の外を見つめていた。

 

 

 

「堀北君、どうかしたんですか?」

 

 

 

 声がして、振り返る。

 

 生徒会書記の橘茜が、心配そうな顔で立っていた。

 

 

 

「……いや、何でもない」

 

 

 

 堀北学は、短く答えた。

 

 けれど、その視線は遠くを見ている。

 

 

 

「妹さん、堀北君から聞いてた話と少し違いましたね」

 

 

 

 橘が、控えめに言う。

 

 

 

「もっと……堀北君の事を妄信してる、幼い少女のイメージだったんですけど」

 

「……ああ、俺もそう思っていた」

 

 

 

 堀北学は、呟いた。

 

 確かに、鈴音は自分の知っている妹とは違った。

 

 以前の鈴音は、兄の前に立つと萎縮した。必死に虚勢を張り、認められようと足掻いていた。

 

 けれど、今日の鈴音は違った。

 

 落ち着いていた。自信を持っていた。

 

 そして、何より――兄を見る目が、変わっていた。

 

 以前は、兄を「目指すべき存在」として見ていた。羨望と、劣等感と、焦燥が入り混じった目だった。

 

 今日は、違った。

 

 兄を「関係ない存在」として見ていた。

 

 冷静で、落ち着いていて、迷いのない目だった。

 

 その変化が、堀北学には理解できなかった。

 

 妹と離れてから二年近い空白がある。その間に、何があったのか。

 

 何が、鈴音をあそこまで変えたのか。

 

 

 

(あの目は……何だ?)

 

 

 

 鈴音の目には、迷いがなかった。

 

 まるで、全てを理解しているかのような。全てを経験したかのような。

 

 そんな目だった。

 

 

 

「堀北君?」

 

 

 

 橘が、再び声をかける。

 

 

 

「……何でもない」

 

 

 

 堀北学は、首を振った。

 

 けれど、妹の異変が、彼の興味を引いたことは確かだった。

 

 Dクラスに配属された妹が、この先どうなるのか。

 

 堀北学は、それを見届けることにした。

 

 

 

 

 

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