堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
期末試験が終わった。
七月下旬。夏休みを目前に控えた、学期末の日々。
Dクラスの結果は、中間試験よりも大幅に改善していた。
赤点者はゼロ。クラス平均も上昇。
堀北自身も、全科目でトップクラスの成績を収めた。
クラスポイントも、着実に回復している。入学直後の惨状を思えば、大きな進歩だ。
その日の放課後。
堀北は、茶柱に呼び出された。
生徒指導室。
扉をノックし、中に入る。
茶柱は、ソファに座っていた。窓から差し込む夕日が、室内を赤く染めている。
「呼び出して悪かったな」
茶柱が、ソファに座ったまま言う。
「いえ。何か、ご用でしょうか」
「大したことじゃない。少し、話がしたかっただけだ」
茶柱が、堀北を見上げる。
その目には、いつもの冷たさとは違う、複雑な光がある。
「すぐに終わる話だが、まあ座れ」
「……はい」
何の話か分からないが、警戒しながらも大人しく座る堀北。
前回も茶柱に呼び出されることはあったが、兄の時と同様に時期が異なる。
全てが三年前と同じとは限らないので、些細な問題なのかもしれない。
だが、徐々にズレが増えていく現状に、堀北は不安を覚え始めていた。
「堀北。お前、なにかあったのか?」
「……何がですか?」
「入学前に面接官から聞いていた人物像と、実際のお前が同一人物に思えなくてな」
茶柱が、腕を組む。
「入学前は、一匹狼だったはずだ。誰も頼らず、誰も信じない。そういう生徒だと聞いていたんだが」
「……」
「だが目の前にいるお前は、ほとんど別人に近い。入学してから今に至るまで、お前は常にクラスのために動いていた」
茶柱が、書類を手に取った。
おそらく、堀北の成績表か何かだろう。
「中間でも期末でも勉強会を主導し、クラスメイトに勉強を教え、クラス全体の成績を上げた。赤点者ゼロは、お前の功績が大きい」
「私だけの力じゃありません。平田くんや、櫛田さんや、みんなが協力してくれたからです」
「そうだろうな。だが、そもそもお前は入学初日から様子がおかしかった。Sシステムの裏をすぐに見抜き、それをクラスメイトに伝えようとしていた」
茶柱が、書類を置いた。
「何があった? なぜ、お前は変わった?」
堀北は、どう答えるべきか考えた。
真実を話すわけにはいかない。「未来から来た」などと言えば、頭がおかしいと思われる。
けれど、嘘をつくのも気が引けた。
茶柱は、堀北のことを真剣に見ている。興味本位ではなく、本当に知りたいと思っているのが分かる。
「……私は、過去に失敗したことがあるんです」
堀北は、慎重に言葉を選んだ。
「過去の失敗だと? それは中学時代の話か?」
「はい。昔の私は、一人で全部やろうとしていました。誰も頼らず、誰も信じず。その結果……大切なものを、失いました」
「……」
「だから今回は、違うやり方をしようと思ったんです。仲間を信じて、協力して、一緒に目標を目指す」
茶柱は、じっと堀北を見つめていた。
その目には、何か複雑な感情が浮かんでいる。
「過去の失敗、か」
茶柱が、呟いた。
その声には、どこか重みがあった。
「……お前は面白い生徒だな」
「面白い、ですか?」
「ああ。普通の高校一年生は、そんなことを考えない。お前は、何か特別なものを持っているようだ」
茶柱が、立ち上がった。
窓の外を見つめる。夕日が、校舎を赤く染めている。
「私も、過去に失敗したことがある」
茶柱が、静かに言った。
「先生が……?」
「ああ。詳しくは言えないがな。私も、過去の失敗を引きずっている人間だ」
茶柱が、振り返る。
その目には、いつもの冷たさはなかった。
「だから、お前の気持ちは少しだけ分かる。過去の失敗を取り戻したい、という気持ちが」
「……」
「期待しているぞ、堀北。お前がこのクラスをどこまで導けるか」
「……はい」
「話はそれだけだ。わざわざ呼び出して悪かったな」
茶柱は、それだけ言って部屋を出ていった。
堀北は、その背中を見送りながら思う。
茶柱佐枝。
かつてこの学校に在籍し、Aクラスで卒業できなかった経験を持つ教師。
前回の三年間で、堀北はその事実を知った。茶柱は、生徒時代にBクラスからDクラスまで落ちた。その過去を、今も引きずっている。
だからこそ、Dクラスの担任を引き受けた。過去の失敗を、今度こそ取り戻すために。
彼女は、堀北の言葉に何かを感じ取ったのかもしれない。
同じように、過去の失敗に苦しんだ者として。
(いつか、先生とも分かり合える日が来るかもしれない)
堀北は、そう思った。
翌日。
期末試験の結果が、茶柱の口から正式に発表された。
Dクラスの教室は、歓声に包まれていた。
「やったな、堀北!」
須藤が、嬉しそうに声をかけてくる。
「俺、今回も赤点回避できたぜ! お前のおかげだ!」
「あなたが頑張ったからよ。私は、少し手伝っただけだから」
「いやいや、お前がいなかったらヤバかった。マジでサンキューな」
須藤が、ニカッと笑う。
白い歯を見せて、屈託のない笑顔。
その表情に、堀北は少し驚いた。
前回の須藤は、堀北に対してもっと反抗的だった。
けれど今回は、素直に感謝を伝えてくれている。
「堀北さん……ありがと」
声がして、振り返る。
軽井沢が、少し照れたような顔で立っていた。
「私も、勉強会のおかげで助かったから、お礼言っとかなきゃと思って」
「いいのよ。クラスメイトなんだから、助け合うのは当然でしょう」
「……そうね。そうかも」
軽井沢が、少し照れたように笑う。
前回の軽井沢は、堀北のことを「近寄りがたい奴」と敬遠していた。
今回は、少しずつ距離が縮まっている。
クラスの空気が、変わっている。
以前よりも、まとまりが出てきた。助け合う雰囲気が、生まれてきた。
「堀北さん」
平田が、近づいてくる。
「今回の試験も、君のおかげで上手くいった。本当にありがとう」
「平田くんも、たくさん手伝ってくれたでしょう。お互い様よ」
「でも、中心になって動いてくれたのは君だ。僕一人じゃ、ここまでできなかった」
平田が、手を差し出す。
「これからも、一緒に頑張ろう」
「ええ。よろしくね」
堀北は、平田と握手を交わした。
その時、視線を感じた。
振り返ると、綾小路が教室の隅で本を読んでいる。
けれど、その目は本ではなく、堀北を見ていた。
視線が合う。
綾小路は、僅かに頷いた。
言葉はない。けれど、それだけで十分だった。
「よくやった」と、言われた気がした。
堀北は、小さく微笑み返した。
放課後。
堀北は、教室の窓から外を眺めていた。
一学期が、終わる。
思えば、長い三ヶ月だった。
入学式の朝、目が覚めた時の驚き。三年前に戻っていたという、信じられない現実。
そこから、堀北は走り続けてきた。
前回の失敗を繰り返さないために。今度こそ、Aクラスに到達するために。
クラスメイトとの関係を築いた。平田と協力関係を結び、軽井沢との距離を縮め、須藤の信頼を得た。
綾小路との距離も、確実に近づいている。彼は、少しずつ心を開いてくれている。
兄との対話も、前回とは違う結果になった。呪縛から解放され、自分の道を歩み始めた。
茶柱との関係も、変化しつつある。同じ「過去の失敗」を抱える者として、分かり合える部分があるのかもしれない。
全てが、前回とは違う方向に進んでいる。
「一人か」
声がして、振り返る。
綾小路が、いつの間にか隣に立っていた。
「ええ。少し、物思いにふけっていたの」
「そうか」
綾小路が、窓の外を見る。
「一学期、お疲れ様」
「……ありがとう。あなたもね」
「オレは、なにもしてない」
「嘘ね。あなたがいなかったら、私はここまでやれなかったわ」
堀北は、真剣な目で綾小路を見た。
「ありがとう、綾小路くん。これからも、よろしくね」
綾小路は、しばらく黙っていた。
そして――
「……ああ。よろしく」
小さく、けれど確かに頷いた。
「未来予知が出来る誰かさんからの情報によれば、夏休みに無人島で試験があるらしいな。茶柱先生はバカンスと言っていたが」
「意地悪なのね。この学校の言うことを鵜呑みにしてはいけないことくらい、あなたなら分かるでしょう?」
「まあな。それにしても無人島か……大変な試験になりそうだ」
「ええ。……でもあなたと一緒なら、乗り越えられる気がするわ」
「そうか」
二人は、小さく笑い合った。
夕日が、二人を照らしている。
一学期が終わり、夏休みが始まる。
そして、無人島試験が待っている。
前回の記憶では、無人島試験は過酷なものだった。Dクラスは苦戦したが、綾小路の活躍により何とか乗り越えた。
今回は、違う結果を出したい。
前回よりも良い成績を。前回よりも強いクラスを。
堀北は、静かに決意を新たにした。
「さあ、帰りましょう。綾小路くん」
「ああ」
二人は、並んで教室を出た。
それは三年前では決してあり得なかった、仲睦まじい光景。
全てが順調に映る中、夏休みが始まろうとしていた。
だが、堀北は気づかない。
小さな変化の蓄積が大きな変化となり、すでに彼女の目前に迫りつつあることに。