堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
無人島特別試験、三日目。
その朝は、叫び声で始まった。
「な、何だこれ!?」
須藤の怒号が、洞窟に響き渡る。
堀北は、寝袋から飛び起きた。
まだ夜明け前。空は薄明るく、朝靄が立ち込めている。
洞窟の入り口から外へ出ると、信じられない光景が広がっていた。
ベースキャンプが、荒らされている。
備蓄していた食料が散乱していた。
昨日、苦労して集めた木の実や魚が、地面に投げ捨てられている。一部は踏み潰され、もはや食べられる状態ではない。
水を貯めていた容器がひっくり返されている。
クラスメイトが汲みあげてくれた水が、土に染み込んで消えていく。
そのうえ、購入した備品までも荒らされ、泥まみれになっていた。
「誰がやりやがった!」
須藤が、周囲を見回しながら怒鳴る。
その声には、怒りと困惑が入り混じっている。
「落ち着いて、須藤くん」
平田が、必死になだめる。
だが、須藤だけではない。他のクラスメイトも動揺している。
「せっかく集めた食料が……」
「水も全部こぼれてる……」
「最悪だよ、これ……」
池と山内が、途方に暮れた顔で立ち尽くしている。
女子生徒たちも、不安そうな表情を浮かべている。
クラス全体に、動揺が広がっていく。
堀北は、荒らされたキャンプを見つめながら考えた。
誰がやった?
いや、考えるまでもない。
こんなことをする人間は、一人しかいない。
龍園だ。
Cクラスの支配者。狡猾で、残忍で、目的のためなら手段を選ばない男。
昨日、綾小路が接触した時、龍園は堀北を「面白い女」「遊びがいがある」と言っていた。
これが、その「遊び」なのだろう。
だが、前回こんな事件は起きなかったはずだ。
前回の無人島試験では、龍園はこのような直接的な妨害をしてこなかった。
その理由は明確だ。
前回のルールでは、「他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、対象者の所属するクラスは即失格」だった。
だから、龍園もこんな露骨な妨害はできなかった。リスクが高すぎる。
今回も、そのルールは存在する。
マニュアルにも明記されている。
だが――
堀北は、マニュアルを取り出して読み返した。
「他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、対象者の所属するクラスは即失格となる」
器物破損。
だが、今回破壊されたのは「器物」なのか?
食料は、自然物を採取したもの。森で拾った木の実、川で獲った魚。学校から支給されたものではない。
水も、川から汲んできたもの。容器は壊されておらず、中身がこぼれただけ。
備品も壊されてはいない。
「証拠がない……」
堀北は、呟いた。
龍園は、ルールの隙間を突いている。
「破壊」ではなく「散乱」させた。食料を盗んだわけでも、壊したわけでもない。ただ、散らかしただけ。
備品も泥まみれになってるだけ。川で洗い流せば、使える程度のダメージだろう。
厳密に解釈すれば、「器物破損」には該当しない可能性がある。
そして何より――「Cクラスがやった」という証拠がない。
犯人の姿を見た者はいない。証拠も残っていない。
学校に訴えても、「証拠がない」で終わるだろう。
これは、龍園の罠だ。
堀北を狙っている。
クラスを混乱させて、堀北の信用を失わせる。
「堀北がリーダーシップを取っているのに、こんな被害を受けた」
「堀北の作戦は、穴だらけだ」
そう思わせることが、龍園の狙いだ。
「堀北、どうする?」
綾小路が、静かに近づいてきた。
その目は、冷静に状況を分析している。
「……立て直すわ。まだ試験は終わっていない」
堀北は、歯を食いしばった。
想定外の事態だが、ここで諦めるわけにはいかない。
「食料と水を再調達する。備品の洗浄も行う。今日一日で、元の状態に戻す」
「分かったよ。みんな、聞いて」
平田が頷き、クラスメイトに指示を出し始める。
「大変なことが起きたけど、落ち着いて行動しよう。男子は食料と水の再調達、女子は備品の洗浄をお願いできるかな」
「了解」
「分かった」
クラスメイトたちが、少しずつ動き始める。
だが、その表情には不安が残っている。
「なあ、本当に大丈夫なのかよ……」
池が、小声で呟く。
「また荒らされたら、どうすんだ?」
「夜中に見張りを立てるしかねぇだろ」
須藤が、苛立たしげに答える。
「でも、そしたら寝不足になるぜ……」
「じゃあどうすんだよ!」
「落ち着いて、須藤くん」
平田が、二人の間に入る。
クラス内に、小さな亀裂が生じ始めている。
堀北は、それを感じ取っていた。
これが、龍園の狙いだ。
クラスを混乱させ、分裂させる。
そして、堀北の信用を失わせる。
だが、堀北は分かっていた。
これで終わりではない。
龍園は、また仕掛けてくるだろう。
そして、前回の知識は通用しない。
前回は、こんな事件は起きなかった。だから、対処法も知らない。
自分の実力で、切り抜けなければ。
その夜。
堀北は、洞窟の外で一人、考えていた。
焚き火の光が、岩壁に揺れる影を落としている。
クラスメイトたちは、疲れ果てて眠っている。
一日がかりで、食料と水を再調達した。備品の洗浄も行った。何とか、元の状態に近いところまで戻すことができた。
だが、備品の中には使えなくなったものもあり、ポイントと時間を大幅に消費した。
そして、クラスメイトたちの疲労と不安は、確実に蓄積している。
結局、犯人も分かっていない。
龍園に問い詰めようとしたが、Cクラスの拠点は既にもぬけの殻だった。
恐らくどこかに潜んでいるはずだが、居場所までは特定できていない。
龍園の狙いは、明確だ。
堀北を「要注意人物」として認識している。
だから、前回よりも早く、激しく攻撃を仕掛けてきている。
前回の龍園は、Dクラスをそこまで警戒していなかったはずだ。
伊吹澪を送り込んでくるという、雑なスパイ活動を行う程度には舐められていただろうから。
だが、堀北が須藤の事件を未然に防いだことで、龍園は堀北を敵として認識している。
「全てを知っているかのように動く女」を、潰そうとしている。
これは、堀北自身が招いた結果だ。
前回と違う行動を取ったことで、敵の行動も変わった。
バタフライ効果。
一羽の蝶の羽ばたきが、遠くの国で嵐を引き起こす。
堀北の小さな行動の変化が、未来を大きく変えている。
皮肉な話だ。
未来を変えようとすれば、未来の知識そのものが無効化される。
前回の記憶は、もはや「正解」ではない。
ただの「参考」に過ぎない。
「……私は、どうすれば……」
堀北は、頭を抱えた。
焚き火の炎が、ゆらゆらと揺れている。
その光が、堀北の顔を照らす。
疲労と不安が、心を蝕んでいく。
前回の自分なら、ここで暴走していたかもしれない。
一人で戦おうとして、限界を迎えて、崩れていたかもしれない。
だが、今回は――
「眠れないのか」
声がして、振り返る。
綾小路が、立っていた。
焚き火の光に照らされた彼の顔は、いつもと変わらず無表情だった。
「……ええ。少し、考え事をしていて」
「そうか」
綾小路が、堀北の隣に座る。
二人は、しばらく無言で焚き火を見つめていた。
炎が、パチパチと音を立てている。
「龍園は、また仕掛けてくるだろうな」
綾小路が、静かに言った。
「分かってるわ」
「対策は?」
「……まだ、考え中よ」
堀北は、正直に答えた。
「私の知識と予測が、通用しないの。龍園くんの行動が、まったく読めない。だから、どう対処すればいいか分からない」
「そうか」
綾小路は、それ以上追及しなかった。
ただ、焚き火を見つめている。
「……一つ、提案がある」
しばらくして、綾小路が口を開いた。
「何?」
「お前は一人で抱え込むな。オレも、手伝う」
今回の綾小路は、前回よりも協力的だ。
それは、良好な関係が築けている、なによりの証拠でもある。
「……いいの? あなた、目立ちたくないんでしょう?」
「ああ。だが、お前が潰れたら、クラスも潰れる。それは誰も望んでいない」
「……」
「お前の知識と、オレの能力。それを合わせれば、龍園にも対抗できるはずだ」
綾小路が、堀北を見た。
その目には、いつもの無表情ではなく、どこか真剣な光があった。
「一人で全部やろうとするな。頼れる相手には、頼れ」
「……ありがとう、綾小路くん」
堀北は、小さく微笑んだ。
「明日から、一緒に対策を考えましょう。龍園くんの次の手を、読んで」
「ああ。任せろ」
綾小路が、頷いた。
焚き火の炎が、二人を照らしている。
まだ、試験は終わっていない。
四日目が、始まろうとしていた。