堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
九月一日。
夏休みが明け、二学期が始まった。
堀北は、教室へ向かう廊下を歩きながら、一学期の終わりを思い返していた。
無人島試験の勝利。
龍園との対峙。
そして――船上試験の消失。
豪華客船での帰りの一週間、堀北はずっと待ち続けていた。
次の特別試験が始まるのを。
ルールが変更された場合に備えて、綾小路と綿密に作戦も練っていた。
だが、試験は始まらなかった。
一週間が過ぎ、船は何事もなく港に着いた。
――私の記憶が間違っていたの?
そう疑いたくなるほど、堀北は困惑していた。
恐らく、これもバタフライ効果の影響なのだろうけど、正直答えは分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
これからは、本当の意味で「今」を生きなければならない。
未来は、全くの未知数なのだから。
堀北は、深呼吸をした。
そして、教室の扉を開けた。
「おはよう、堀北さん」
平田が、笑顔で挨拶してくる。
「おはよう、平田くん」
堀北も、笑顔で挨拶を返した。
教室の中は、既に賑やかだった。
夏休み明け特有の、浮かれた雰囲気がある。
だが、それ以上に――無人島試験の勝利を経て、クラス全体が以前より明るくなっていた。
「おー、堀北じゃん。おはよう」
須藤が、手を挙げて挨拶してきた。
以前なら考えられない光景だ。
無人島試験の前までは、気軽に声をかけてくることはなかった。
そこまでの関係性が、築けていたわけではなかった。
だが、今は違う。
あの試験を通じて、信頼関係が生まれていた。
「おはよう、須藤くん」
「夏休み、何してたんだ?」
「特に何も。勉強していたわ」
「マジかよ。夏休みまで勉強とか、お前らしいな」
須藤が、呆れたように笑う。
だが、その笑顔には敵意がない。
「須藤くんは?」
「俺はほとんど部活だな。あと、ちょっとだけ勉強もした」
「勉強? 須藤くんが?」
「悪いかよ。赤点取りたくねーし」
須藤が、照れくさそうに頭を掻く。
堀北は、小さく微笑んだ。
須藤も、成長している。
「堀北ちゃん、おはよー」
池と山内も、近づいてきた。
「おはよう」
「夏休み、どっか行った?」
「いいえ。ずっと寮にいたわ」
「えー、もったいねー。せっかくの夏休みなのに」
「私は、そういうのに興味がないの」
「相変わらずだな、堀北ちゃんは」
池が、肩をすくめる。
だが、その態度にも敵意はない。
無人島試験では、池も山内も、堀北に対して批判的だった。
だが、今は普通に話しかけてくる。
完全に信頼を回復したとは思っていない。
だが、少なくとも敵意はなくなった。
それだけでも、大きな進歩だ。
「堀北さん、おはよ」
軽井沢が、声をかけてきた。
「おはよう、軽井沢さん」
「夏休み、ゆっくりできた?」
「ええ、まあ」
「そっか。私はみんなと遊びまくってたよ。でも、もうちょっと休みたかったなー」
軽井沢が、あくびをしながら言う。
彼女も、堀北と軽く会話を交わすようになっていた。
無人島試験で、軽井沢は最初に堀北に歩み寄ってくれた。
その縁もあって、二人の関係は以前より良好になっている。
「堀北さん、おはよう!」
櫛田が、明るい笑顔で挨拶してきた。
「おはよう、櫛田さん」
堀北は、表面上は普通に返す。
だが、内心では警戒を緩めていない。
櫛田の本音は、未だに分からない。
無人島試験では協力してくれた。
だが、それが本心からなのか、打算からなのか。
恐らく、後者だろう。
櫛田は、堀北を良く思っていない。
それは、間違いない。
だが、今は敵対してるわけでもない。
表面上の協力関係を維持している。
それでいい。
今は、それ以上を求めない。
堀北は、自分の席に着いた。
窓際の席。
外を見ると、青い空が広がっている。
夏の終わり、秋の始まり。
二学期が、始まった。
「よお」
後ろから、声がした。
振り向くと、綾小路が立っていた。
いつも通りの、無表情な顔。
だが、堀北にはその奥にある僅かな感情が読み取れる。
「おはよう、綾小路くん」
「ああ。おはよう」
綾小路が、隣の席に座る。
二人は、しばらく無言で窓の外を見ていた。
そして、綾小路が小声で言った。
「放課後、オレの部屋に来れるか?」
「……ええ。分かったわ」
堀北は、頷いた。
無人島試験で、二人の関係は変わった。
堀北は、綾小路に「前回の記憶」のことを打ち明けた。
綾小路は、それを信じてくれた。
そして、二人で協力することを約束した。
今日から、その約束を実行に移す。
放課後。
堀北は、綾小路の部屋の前に立っていた。
ノックをした後、扉を開けて、中に入る。
綾小路は、窓際に座り、夕日を眺めていた。
「待たせたかしら」
「いや。ちょうどいいタイミングだった」
綾小路が、振り返る。
堀北は、椅子に座った。
しばらく、沈黙が流れる。
夕日が、部屋をオレンジ色に染めていた。
「……結局、二つ目の特別試験はなかったな」
綾小路が、口を開いた。
「ええ。残りの夏休みで何かあるのかとも思ったけど、そんなこともなかった」
堀北は、静かに答えた。
「前回は、確かにあったはずなの。「優待者」を当てる特別試験が……」
「だが、今回はなかった」
「ええ。試験が丸ごと消えてしまった」
堀北は、窓の外を見つめた。
「正直、まだ動揺してるわ。ルールが変わるならまだしも、試験自体がなくなるなんて、想定していなかった」
「お前の記憶自体が、どこまで信用できるか分からなくなった、ということか」
「……そうね。これから先、何が起きるかまったく分からない。面倒なことになったわ」
堀北は、小さくため息をついた。
「でも、だからこそ――」
堀北は、綾小路を見た。
「あなたには、全てを話すべきだと思った」
「全て?」
「前回の記憶で知っていること。今後起きるかもしれない試験。各クラスのキーパーソン。あなたの未来。全てよ」
堀北は、綾小路を真っ直ぐに見た。
「一人で抱え込むのは、もうやめる。あなたと、情報を共有したい」
綾小路は、少し黙った。
その目には、僅かな驚きが浮かんでいた。
「……お前の記憶が通用しなくなっても、共有する意味があるのか?」
「あるわ。私の記憶が完全に正しいとは限らない。でも、参考にはなる。そして、何より――」
堀北は、にこやかに笑った。
「一人で抱え込むより、二人で考えた方がいいでしょう? あなたなら、私が見落としていることにも気づけるかもしれない」
綾小路は、しばらく堀北を見つめていた。
そして、小さく笑った。
「……分かった。オレも、その方がいいと思う」
「定期的に、情報交換をしましょう。二人で、今後の戦略を練っていく」
「ああ。異論はない」
二人は、握手を交わした。
その手は、温かかった。
船上試験の消失は、堀北に大きな衝撃を与えた。
前回の知識が、完全に通用しないことを思い知らされた。
だが、同時に気づいたこともある。
一人で抱え込む必要はない。
信じられる人がいる。
一緒に考えてくれる人がいる。
彼の手のぬくもりは、本物だ。
それが感じられるだけで、今の堀北には十分だった。