堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
高度育成高等学校。
正門をくぐり、案内に従って校舎へと向かう。真新しい制服に身を包んだ新入生たちが、同じ方向へと歩いていく。
堀北は、その流れに身を任せながら、周囲を観察していた。
三年前の校舎。けれど、記憶の中の光景と寸分違わない。白い壁、大きな窓、手入れの行き届いた植栽。
この学校は、三年後も変わらない景色をしている。
変わるのは、自分だ。
新入生たちはそれぞれのクラスへと向かう。
堀北と綾小路もまた、案内板を確認しながら歩を進めた。
1年Dクラス。
分かっていたことだ。前回もDクラスだった。この学校のクラス分けは、単純な学力だけでは決まらない。協調性、社会性、潜在能力。様々な要素を総合的に評価して、振り分けられる。
そして、Dクラスは「問題がある」と判断された生徒たちの集まりだ。
前回の自分は、それを屈辱に感じた。なぜ自分がDクラスなのか、理解できなかった。
今は分かる。当時の自分には、確かに問題があった。
教室の扉の前で、一度立ち止まる。
深呼吸。
「どうしたんだ?」
「少し、気合を入れてるだけよ」
「……変わったやつだな」
彼に不審がられてしまったけれど、仕方ない。
ここから全てが始まるのだから、集中しなければならない。
扉を開けた。
教室には、既に何人かの生徒がいた。
談笑するグループ。一人で静かにしてる生徒、本を読んでいる生徒。
そして、見覚えのある顔ぶれ。
数人の女子に囲まれている金髪の少女。軽井沢恵。この時点では、まだ「クラスの中心人物」を演じようとしている段階だ。
彼女の隣で穏やかに微笑んでいる男子。平田洋介。既にクラスの調整役として動き始めているのだろう。
教室の隅で、不機嫌そうに腕を組んでいる赤髪の男子。須藤健。仲間思いの熱血漢溢れる生徒だが、今の彼にはまだ、その才能を活かす術が分かっていない。
そして。
教室の中央付近ではしゃいでいる三人組の男子。池寛治、山内春樹。もう一人は外村という生徒だった。彼らは確か、美少女に囲まれた学園生活を夢見て、この学校に入学してきたはずだ。
記憶が次々と蘇る。
この教室にいる生徒たちの名前、性格、特徴、そして未来。
全て知っている。
それが、今の自分の武器であり、同時に足枷でもある。
堀北は、座席表を確認した。
これも前回と同じだ。窓際の後方の席。もちろん綾小路も同じ。
席に着き、鞄を机の横に掛ける。
周囲を観察する。
まだ担任が来ていないせいか、教室は賑やかだった。初対面の生徒同士が自己紹介をしたり、同じ中学出身の友人と再会を喜んだり。
そんな中で、綾小路は静かに座っている。
机に頬杖をつき、クラスメイトを眺めている。誰かと話すわけでもなく、本を読んでるわけでもない。ただ、静かにそこにいる。
教室に来るまでに彼とは少し話した。けれど、教室に入ってからは、まだ言葉を交わしていない。
話しかけるべきか。
いや、今はまだ早い。不自然に距離を詰めれば、警戒される。彼は観察眼が鋭い。「何故この女は自分に近づいてくるのか」と、疑問を持たれるだろう。
自然な形で、少しずつ。
それが、今回の方針だ。
ふと、気配を感じた。
視線を向けると、一人の少女がこちらに歩いてきていた。
栗色の髪。柔らかな笑顔。天使のように愛らしい容姿。
櫛田桔梗。
堀北の心臓が、一瞬だけ強く脈打った。
この女の本性を、堀北は知っている。
あの笑顔の裏に、何が隠されているか。あの優しい声の奥に、どんな感情が渦巻いているか。
中学時代のトラウマ。クラス全員を敵に回した過去。
そして、その過去を知る者全てを排除しようとする執念。
前回、堀北は櫛田との対立に多くのエネルギーを費やした。彼女の本性を暴こうとし、結果として無駄な労力を使った。
今回は、違う対応をする。
敵対しない。かといって、油断もしない。
適度な距離を保ちながら、利用できるところは利用する。
「初めまして!」
櫛田が、明るい声で話しかけてきた。
「私、櫛田桔梗。よろしくね!」
差し出された手。
堀北は、努めて表情を変えずに、その手を取った。
「堀北鈴音よ。よろしくね」
握手を交わす。
櫛田の手は柔らかく、温かかった。けれど、その目の奥に――一瞬だけ、何かが光った。
観察されている。
値踏みされている。
この女は、この笑顔の裏で、常に相手を分析している。
味方か、敵か。利用できるか、できないか。脅威になるか、ならないか。
堀北もまた、同じことをしている。
「堀北さんって、どこかで私と会ったことある? なんか初対面の気がしないんだよね」
「……そうなの? でも、ごめんなさい。私には、あなたと会った記憶なんてないのだけど」
「うーん……じゃあ、私の勘違いかも。こっちこそごめんね、変なこと聞いちゃって」
「別に構わないわ」
会話は、表面上は穏やかだった。
けれど、その裏では、静かな探り合いが始まっている。
櫛田は、堀北の反応を見ている。どんな人間か、どう接すればいいか。
堀北もまた、櫛田を見ている。前回と同じ人間か、何か違いがあるか。
「ねえ、堀北さん。今度良かったら、お昼一緒に食べない? 私たち仲良くなれる気がするんだ!」
「……考えておくわ」
「うん! 気軽に声かけてね」
櫛田は、にこりと笑って去っていった。
その背中を見送りながら、堀北は思う。
前回よりも、対応が上手くいった。
前回は、櫛田の誘いを素っ気なく断った。鬱陶しく付きまとう彼女を、徹底的に突き放した。
それが、櫛田の警戒心を煽った。「この女は自分に懐かない。危険だ」と。
今回は、完全に断らなかった。曖昧に保留した。
それだけで、関係性は変わる。
小さな変化。けれど、積み重なれば大きな違いになる。
教室のドアが開いた。
入ってきたのは、一人の女性。
黒いスーツに身を包み、長い黒髪を後ろで束ねている。切れ長の目には、冷たい光が宿っている。
茶柱佐枝。
このクラスの担任教師。
「席に着け」
低く、抑揚のない声。
教室の喧騒が、一瞬で静まった。
生徒たちが慌てて席に着く。堀北も、姿勢を正した。
茶柱は、教壇に立ち、教室を見渡した。
「お前たちの担任、茶柱佐枝だ」
自己紹介は、それだけだった。
前回と同じだ。この女性教師は、無駄な言葉を使わない。必要最低限のことだけを伝え、それ以上は何も言わない。
けれど、堀北は知っている。
茶柱が抱える過去を。
彼女もまた、かつてはこの学校の生徒だった。高度育成高等学校に入学し、Aクラスを目指していた。
けれど卒業時には、Aクラスではなかった。最終的にはDクラスで卒業したらしい。
詳しい事は分からないが、その挫折が彼女を変えた。
教師として戻ってきた彼女には、一つの執念がある。自分の担当するクラスを、Aクラスに導くこと。
かつての自分が果たせなかった夢を、生徒たちに託すこと。
そして、もう一つ。
茶柱と綾小路の間には、何かがある。
詳細は、堀北も知らない。けれど、茶柱が綾小路を特別視していることは、三年間の観察で分かっていた。
今、茶柱の視線が教室を巡る。
そして、一瞬だけ――本当に一瞬だけ、綾小路の姿で止まった。
やはり、そうだ。
茶柱は、最初から綾小路の存在を知っている。何者であるか、どんな能力を持っているか。
それを知った上で、彼を利用した。
自分の過去を清算するために。
「この学校には、独自のシステムがある」
茶柱が、Sシステムについて説明を始めた。
堀北は知っているが、クラスメイトは、聞きなれない言葉、それから膨大な情報量に踊らされている。
「お前たちには、入学と同時に10万ポイントが支給される。このポイントは、敷地内の施設やサービスの利用に使える。店舗での買い物、食堂での食事、その他あらゆるものがポイントで取引される」
教室がざわめいた。
1ポイントは1円換算。つまり――
「10万ポイントって、10万円ってこと?」
「毎月10万貰えるの?」
「マジかよ、この学校神じゃん!」
池や山内が、興奮した声を上げる。他の生徒たちも、浮かれた表情を浮かべている。
前回も、同じだった。
10万ポイント。高校生にとっては、破格の金額だ。毎月これだけの小遣いが貰えるなら、三年間何不自由なく過ごせる。
そう思った。
ほぼ全員が、そう思った。
けれど、現実は違う。
堀北は知っている。
来月、Dクラスに支給されるポイントは0になる。
遅刻、私語、授業中の居眠り、課題の未提出。それら全てが、クラスポイントからの減点対象になっている。
この学校は、「実力至上主義」を謳っている。ポイントは、無条件に与えられるものではない。相応の「実力」を示さなければ、容赦なく剥奪される。
けれど、それを今この場で言っても、誰も信じない。
「証拠は?」と聞かれる。「なぜ知っているのか」と問われる。
恐らく、説明できないだろう。
だから、別の方法を考える必要がある。
「ポイントの詳細については、配布した資料を確認しろ。質問は後で受け付ける」
茶柱が、淡々と説明を続ける。
資料が配られる。堀北も、一通り目を通した。
やはり、ポイントの減点条件については書かれていない。
「知らせないのは、不親切だ」と思うかもしれない。けれど、この学校はそういう場所だ。自分で考え、自分で気づき、自分で対処する。それができない者は、脱落していく。
堀北は、資料を閉じた。
どうすれば、クラスメイトたちに警告できる?
直接言えば、怪しまれる。
けれど、何もしなければ、来月のポイントは0になる。
「先生」
声を上げたのは、堀北だった。
もちろん不自然にならないよう、クラスメイトに警告するために。
「質問よろしいでしょうか」
「何だ」
「ポイントの支給額は、固定ですか? それとも、何かの条件で変動することがあるんでしょうか」
茶柱は、一瞬だけ堀北を見た。
「いい質問だ」
そう言って、口元に薄い笑みを浮かべた。
「だが、それについては答えられない」
「……分かりました」
堀北は、それ以上追及しなかった。
けれど、その質問は、教室に小さな波紋を残した。
「変動するって、減ることもあるってこと?」
「まさか。入学祝いみたいなもんって言ってただろ」
「でも、先生の言い方、なんか引っかかるよな」
ひそひそと、囁き合う声が聞こえる。
これでいい。
堀北は、小さく息をついた。
質問のおかげで、疑問の種が蒔かれた。
今はまだ、誰も真剣に考えていない。けれど、この種は、いずれ芽を出す可能性がある。
そして、その芽を育てるのは、クラスメイトの役目だ。
一人ですべてを解決しない。みんなで協力しなければ意味がないのだから。
入学式まで、まだ時間がある。その間は自由時間だと、茶柱は告げて教室を去っていった。
「せっかくだし、自己紹介なんてどうかな?」
声を上げたのは、平田だった。
「同じクラスになったんだし、お互いのことを知っておいた方がいいと思うんだ」
「いいね、賛成!」
「私も賛成!」
軽井沢や佐藤が、真っ先に手を挙げる。彼女らの目当ては、平田自身に他ならない。
「じゃあ、出席番号順にしようか。櫛田さん、司会お願いしてもいいかな?」
「うん、もちろんいいよ!」
櫛田が頷き、教壇の前に立つ。
自然な流れだった。平田が提案し、櫛田が取りまとめる。二人の連携は、まるで打ち合わせでもしていたかのようにスムーズだ。
前回も同じだった。この二人は、初日からクラスの中心に収まっていた。
「じゃあ、出席番号1番から。名前と、趣味や好きなことを教えてもらえるかな」
自己紹介が始まる。
一人、また一人と、生徒たちが立ち上がり、自分のことを話していく。
緊張した声、はにかんだ笑顔、ぎこちない言葉。
誰もが、新しい環境に馴染もうと必死だ。
やがて、須藤の番が来た。
彼は席から立ち上がりもせず、腕を組んだまま言った。
「自己紹介なんてやってられるか。俺は仲良しごっこなんかゴメンだぜ」
素っ気ない態度。周囲の空気が、一瞬凍りつく。
前回も、同じやり取りだった。
そしてこの後、須藤はなだめようとする平田に反発して、この場を去ったはず。
「あはは……でも、せっかくなんだし――」
案の定、平田が反応する。
それは別におかしい事ではない。けれど、この場においては止めなければならない。
「好きにさせてあげればいいんじゃないかしら」
「え?……君は堀北さんだったよね。どうしてそう思うんだい?」
「自己紹介は大事かもしれないけれど、無理に強制する必要はないと思うわ。須藤くんの言う通り、仲良しごっこを嫌う人もいるでしょうから」
「おっ、なんだお前。分かってんじゃねえか」
須藤は協調性に欠ける。けれど、単純で分かりやすい男でもある。褒められれば悪い気はしないし、認められれば味方になる。
問題は、その単純さが裏目に出ることだ。
彼の暴力事件はまだ先のことだけど、出来ればあの事件も防ぎたい。
自己紹介は続く。
やがて、堀北の番が来た。
席を立つ。
色々と目立ってしまったから、教室中の視線が自分に集まるのを感じる。
前回は、須藤に続いてこの場を去った。仲良しごっこを嫌う愚かな生徒だったから。
あの態度が、周囲との壁を作った。
今回は、違う。
「堀北鈴音。趣味は読書。特にミステリー小説が好きです。……よろしくお願いします」
簡素だけど、きちんと自分紹介をした。
たったそれだけのこと。けれど、前回との違いは大きい。
「ミステリー好きなんだ! おすすめとかある?」
櫛田が、すかさず反応する。
「……そうね。古典だけど、アガサ・クリスティーは外せないわ」
「へえ、今度読んでみようかな!」
櫛田の笑顔。社交辞令だと分かっている。けれど、会話が成立した。それだけで、印象は変わる。
席に座る。
小さな変化。でも、確かな一歩。
自己紹介は続き、やがて綾小路の番が来た。
「えー……綾小路清隆です。趣味は読書ですが……えー、得意なことは特にありません。えー、皆と仲良くなれるように頑張りたいです」
彼は、自己紹介が下手だった。
この記憶は、堀北にもない。
だから、思わず吹き出しそうになったが、クラスメイトは苦笑いしている。
「綾小路くんは、他に好きなこととかないのかな?」
すかさず平田がフォローする。
「……強いて言えば、人間観察、だな」
「人間観察か……うん。いいと思うよ。よろしくね」
「ああ、よろしく」
表面上は和やかなやり取り。けれど、堀北には分かる。
綾小路は、この自己紹介の間、ずっと周囲を観察していた。
誰がどんな反応をするか。誰と誰が仲良くなりそうか。誰が問題を起こしそうか。
全てを見ている。全てを記録している。
そして、必要な時に、その情報を使う。
それが、綾小路清隆という男だ。
自己紹介が一通り終わった頃、チャイムが鳴った。
「そろそろ入学式の時間だね。みんな、体育館に移動しよう!」
平田の声で、生徒たちが動き始める。
堀北も、席を立った。
教室を出る前に、一度だけ振り返る。
この教室で、これから三年間を過ごす。
前回は、ここで多くの失敗をした。多くの後悔を残した。
今回は、違う結果を掴み取る。
窓から差し込む春の陽光が、教室を明るく照らしていた。