堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
入学から一週間が過ぎた。
高度育成高等学校での生活は、表面上は穏やかに進んでいる。
授業が始まり、クラスメイトたちは互いの顔と名前が一致するようになり、少しずつ日常のリズムが出来上がっていく。
けれど、堀北は知っている。
この穏やかさが、長くは続かないことを。
来月訪れるポイント0の衝撃。
それまで、自分にできることをしなければならない。
堀北は、慎重に動いていた。
前回の記憶を頼りに、クラスメイトの問題行動を把握し、最小限の介入で軌道修正を試みる。
まず、須藤。
彼は遅刻の常習犯だ。朝が弱く、一限の授業に遅れることが多い。前回の一ヶ月間で、彼の遅刻は十回を超えていた。
直接注意しても、聞く耳を持たないだろう。むしろ反発される。
だから、別の方法を取った。
昼休み、食堂でクラスメイトとの交流を試みる。
人とのコミュニケーションは苦手だけど、これも克服しなければならない。
今日の相手は、小野寺かや乃。彼女は目立たない生徒だが、須藤と同じ体育会系の部活に所属するはず。
「ねえ、知ってるかしら。この学校って、一限の出席が成績に直結するみたいよ」
「え、そうなの……?」
「ええ。先輩に聞いたのだけど、遅刻が多いと部活での評価に響くらしいの」
正確な情報ではないが、交流を試みながらヒントを与えていく。
この学校では、全ての行動が評価されている。それは事実。けれど、「部活での評価に響く」という具体的な話は、堀北の創作だ。
小野寺は、真剣な表情をしている。
「それ、須藤くんに教えた方がいいかな……彼、バスケ部入るんでしょ? 遅刻が多いみたいだし……」
「そうね。でも、私が言っても聞かないでしょうから。小野寺さんから言ってもらえるかしら」
「え、私……?」
「だって、あなたも運動部に入るのでしょう?」
「まあね。私は水泳部だけど、確かに遅刻癖のある生徒を評価してくれる顧問はいないかも」
「その通りよ。だからあなたから伝えてもらった方が、須藤くんも理解しやすいはず。少なくとも、無関係な私よりは耳を傾けてもらえると思うの」
「そういうものかな……まあ、いいけど」
小野寺は、おずおずと頷いた。
数日後、須藤の遅刻は減った。
完全にゼロにはならなかったが、前回よりは確実に改善している。
次に、池と山内。
この二人は授業中の私語が多い。特に、可愛い女子が近くにいると、途端に落ち着きがなくなる。
直接注意すれば、「うるせえ」と反発されるのは目に見えている。
だから、櫛田を利用した。
「櫛田さん、少し相談があるのだけど」
「何かな? 堀北さん」
「池くんと山内くんのことよ。授業中、彼らは少しうるさいと思うの。授業に集中できなくて、困ってるクラスメイトもいるんじゃないかと思って」
「うん、確かに……。でも、男の子って注意すると逆効果だったりするよね」
「そうなの。だから、櫛田さんから言ってもらえないかしら。あなたの言うことなら、聞いてもらえるかもしれない」
櫛田は、にこりと笑った。
彼女は、人から相談されると断ることが出来ない。
「分かったよ、堀北さん。私から言ってみるね」
櫛田の影響力は、絶大だった。
彼女が「静かにしてくれると嬉しいな」と言うだけで、池と山内は従順な子犬のようになる。
単純といえば単純だが、効果は抜群だった。
けれど、全員を制御することは不可能だった。
Dクラスは、そもそも「問題児の集まり」なのだ。
一人が改善しても、別の誰かが問題を起こす。
授業中に居眠りする者。課題を提出しない者。教師に反抗的な態度を取る者。
モグラ叩きのように、次から次へと問題が発生する。
堀北一人の力では、限界がある。
放課後。
堀北は、約束の場所に向かった。
校舎裏の、人目につかないベンチ。
そこには、既に綾小路が座っていた。
「待たせてしまったかしら」
「いや。今来たところだ」
隣に座る。
一週間前に協力関係を結んでから、二人は定期的に情報交換をするようになっていた。
「それで、何か分かった?」
「ああ。それとなく上級生に聞いてみた」
綾小路が、淡々と報告する。
「結論から言うと、お前の仮説は正しい。各クラスのポイント支給額は、バラバラだ」
「やっぱりね」
「Aクラスは多く、Dクラスは少ない。場合によっては、0のクラスもあるらしい」
堀北の予想通りだった。
いや、予想ではない。知っていた。前回の経験で。
けれど、それを綾小路に言うわけにはいかない。
「つまり、クラスの評価によってポイントが変動する。私たちの行動は、全て採点されているということね」
「そう考えるのが妥当だな」
綾小路は、淡々と言う。
けれど、その目には僅かな興味の色がある。
「ただ、具体的な採点基準までは分からなかった。上級生も詳しくは知らないか、もしくは口止めされてるな。どうやら自分たちで推測するしかないらしい」
「そう……」
「仮りに、遅刻、私語、授業態度。その辺りが評価対象だとすれば、うちのクラスはかなり危険だな」
「ええ。分かってるわ」
分かっている。
だからこそ、この一週間、動いてきた。
けれど、全員を制御することは不可能だ。
来月は、もらえるポイントが確実に減る。
それは、避けられないだろう。
ただ、前回よりは減点を抑えられるかもしれない。
それだけでも、意味はある。
「堀北」
綾小路が、唐突に名前を呼んだ。
「何?」
「お前、どうして入学初日からこの仮説に辿り着けた?」
その問いに、堀北の心臓が一瞬跳ねた。
「……どういう意味かしら」
「普通、入学初日にSシステムの裏を疑う生徒はいない。みんな、10万ポイントに浮かれていた。なのに、お前だけは最初から「おかしい」と感じていた」
綾小路の目が、堀北を真っ直ぐに見つめる。
観察するような。探るような。そんな目。
「なぜだ?」
どう答えるべきか。
嘘をつくか。はぐらかすか。
けれど、綾小路は鋭い。下手な嘘は、すぐに見破られる。
「……勘よ」
結局、それしか言えなかった。
「勘?」
「ええ。この学校の名前は「高度育成高等学校」。「実力至上主義」を謳っている。そんな学校が、無条件で10万ポイントを配るなんて、直感的におかしいと思ったの」
半分は、嘘。半分は、真実。
綾小路は、しばらく黙っていた。
「……勘、か」
その声には、納得とも疑念ともつかない響きがある。
追及はされなかった。
けれど、彼が疑念を抱いているのは明らかだった。
翌朝。
堀北は、意を決していた。
クラスへの警告。
ここが三年前のDクラスであることはほとんど確定していたけれど、二人で集めた情報で裏付けも取れた。このままでは、来月にポイントが大幅に減少する。
それを、クラスメイトに伝えなければならない。
直接言えば、怪しまれる。「なぜ知っているのか」と問われる。
けれど、間接的な方法では、伝わらない。
一週間、様々な手段を試した。噂を流し、櫛田を利用し、遠回しに注意を促した。
効果はあった。けれど、限定的だった。
もっと直接的に言わなければ、クラス全体の意識は変わらない。
朝のホームルームが、始まる前の教室。
堀北は、席から立ち上がった。
「少しいいかしら」
教室が、一瞬静まる。
全員の視線が、自分に集まる。
堀北は基本的に言葉が強く、三年後の自分も決して人当たりがいいとは言えない。
前回よりはマシだが、まだクラスメイトからの信頼も勝ち取れてはいない。
「私は、この学校のシステムに疑問を持っているの」
「はあ? 堀北ちゃん、何言ってんの?」
池が、怪訝そうな顔をする。
「毎月10万ポイントが無条件で支給される。この学校は「実力至上主義」を謳っているのに、あなたはおかしいと思わないの?」
「おかしいって……学校がそう言ってんだから、疑うも何もなくね?」
「言ってないわ。茶柱先生は、毎月10万ポイントがもらえるなんて一言も言わなかった」
「だから何だよ。細かいこと気にしすぎだろ」
山内が、鼻で笑う。
周囲からも、失笑が漏れる。
「おい、朝から何絡んでんだよ」
須藤が、苛立たしげに立ち上がった。
「めんどくせえな。ポイントがどうとか、関係ねえだろ。貰えるもんは貰っとけばいいじゃねえか」
「関係ないわけないでしょう。もしポイントが減らされたら、あなたの生活に直結するのよ」
「減らされる? んなわけねえだろ。妄想もたいがいにしろよ」
空気が、険悪になっていく。
堀北は、孤立しかけていた。
クラスメイトたちの視線は冷たい。「入学式の日に続いて、また変なことを言い出した奴」という目で見られている。
分かっていた。こうなることは。
けれど、言わなければならなかった。
少なくとも、「警告はした」という事実を残しておきたかった。
最も影響力の高い生徒を巻き込むために。
「まあまあ、落ち着こうよ」
その時、一人の男子生徒が立ち上がった。
平田だ。
彼は、穏やかな笑顔で場を見渡した。
「堀北さんの言うことにも、一理あると思うんだ」
「は? 平田、お前まで何言ってんだよ」
「落ち着いて聞いてくれ。僕も、入学式の日から少し気になってたんだ。彼女が茶柱先生に質問した時、明確な答えが返ってこなかっただろう?」
「……まあ、確かに」
「もしポイントに隠された条件があるなら、今のうちに気をつけた方がいいと思う。減点されてから後悔しても遅いからね」
平田の言葉に、教室の空気が少し和らぐ。
彼の影響力は、やはり大きい。
「別に、今すぐ何かを変えろって言ってるわけじゃないよ。ただ、少しだけ意識してみるのはどうかな? 遅刻とか、私語とか、そういう基本的なことを」
「……まあ、それくらいなら」
「確かに、社会に出たら当たり前のことだしね」
須藤たちは未だに不服そうだが、女子はすぐさま平田に賛同する。
少しずつ、頷く生徒が増えていく。
堀北は、小さく息をついた。
完全な成功とは言えない。けれど、最悪の事態は避けられた。
平田が、助けてくれた。
前回はなにもしなかった。堀北自身も問題のある生徒の一人でしかなかったから。
今回は、違う。
入学式の日に先生に質問したこと。疑問という種を蒔いたこと。
それが、この場面で活きた。
小さな変化が、少しずつ積み重なっている。
昼休み。
堀北は、屋上にいた。
一人で昼食を取りたい時、ここに来ることが多い。人が少なく、静かで、風が心地いい。
自分で作ったおにぎりを頬張りながら、朝のことを振り返る。
警告は、一応成功した。
けれど、クラスメイトたちの意識がどれだけ変わるかは分からない。
結局、来月になってみないと――
「堀北さん、ここにいたんだ」
声がして、振り返る。
櫛田が、笑顔で立っていた。
「一緒に食べてもいい?」
「……好きにしてちょうだい」
断る理由もない。櫛田は、隣に座った。
「さっきの発言、すごいと思った」
「そう?」
「うん。みんなが考えてなかったことを、ちゃんと指摘できるって、なかなかできないことだよ」
櫛田の声は、心からの賞賛に聞こえる。
けれど、堀北は知っている。
この女の言葉を、額面通りに受け取ってはいけない。
「でもね、もう少し言い方を工夫した方がいいかも」
「……そうでしょうね」
「うん。せっかくいいことを言っても、伝わらなかったら意味ないと思うんだよね。須藤くんとか、最初から反発しちゃってたでしょ?」
正論だ。
そして、この正論で「味方のふり」をするのが、櫛田の手口だ。
相手の弱点を指摘しつつ、「あなたのためを思って言っている」という態度を取る。
そうすることで、相手の信頼を得る。そして、後で利用する。
前回の堀北は、この手口に気づかなかった。
櫛田を「鬱陶しい奴」としか思っていなかった。そして、彼女を敵に回し、無駄な労力を費やした。
今回は、違う。
「助言ありがとう。参考にさせてもらうわ」
素直に受け入れる態度を見せる。
櫛田の目が、一瞬だけ細くなった。
予想外の反応だったのだろう。
前回の堀北なら、「余計なお世話よ」と突っぱねていた。それが、素直に礼を言った。
「うん! 私、堀北さんの味方だから。何かあったら頼ってね」
「ええ。ありがとう、櫛田さん」
櫛田は、にこりと笑って去っていった。
その背中を見つめながら、堀北は思う。
(前回、私はあなたの本性に気づくのが遅すぎた。でも今回は違う。あなたを敵に回さず、利用できるところは利用させてもらう)
屋上の風が、髪を揺らす。
空は青く、雲は白い。
穏やかな昼休み。
けれど、堀北の心は穏やかではなかった。
来月まで、あと三週間。
それまでに、どれだけのことができるだろう。
全てを変えることは、できない。
けれど、少しでも良い方向に持っていきたい。
そのために、今日も明日も、動き続ける。