堀北鈴音は二度目の高校生活を諦めない 作:ほりきたすずね
Sシステムの真実が明かされた日の放課後。
堀北は、男子寮の通路を歩いていた。
目的地は、綾小路の部屋だ。
チャットで部屋番号を確認し、扉をノックする。
「開いてる」
中から声がして、堀北は扉を開けた。
綾小路の部屋は、驚くほど殺風景だった。
必要最低限の家具。飾り気のない壁。本棚には数冊の本があるだけで、個人的な物はほとんど見当たらない。
まるで、誰も住んでいないかのような部屋。
「入ってくれ」
綾小路は、窓際の椅子に座っていた。
「お邪魔します」
堀北は、部屋に足を踏み入れた。
「随分と、簡素な部屋ね」
「必要な物があれば十分だからな」
「そう。……でも、少し寂しくない?」
「そうでもない。慣れてる」
綾小路の言葉には、なんの感情も込められてなかった。
けれど、どこか哀愁のようなものが漂っている。
堀北は、それ以上追及しなかった。
この男には、何か事情があるのだろう。それを無理に聞き出すのは、今は得策ではない。
「えっと……ベッドに座っても構わないかしら」
「ああ」
堀北は、静かに腰を下ろした。
「それで、今日の件だけど、予想通りの展開だったわね」
「そうだな。クラスポイントが100まで減った。今月の支給額は1万ポイント」
「前回よりはマシよ。100ポイント残ったから――」
言ってから、堀北は自分の失言に気づいた。
「前回?」
綾小路が、僅かに眉を上げる。
「……言葉の綾よ。気にしないで」
「そうか」
綾小路は、それ以上追及しなかった。
けれど、その目は何かを探っている。
堀北は、内心で冷や汗をかいていた。
危ない。
うっかり「前回」という言葉を使ってしまった。
綾小路は鋭い。こういう些細な言葉の綻びから、何かを察知する可能性がある。
気をつけなければ。
「堀北」
綾小路が、静かに名前を呼んだ。
「何かしら」
「お前は、本当に不思議な奴だな」
「……どういう意味?」
「入学初日から、まるで全てを知っているかのように動いている。Sシステムの裏も、クラスメイトの性格も、茶柱先生の反応も」
綾小路が、堀北を真っ直ぐに見つめる。
その視線は、まるで心の奥底を覗き込むかのようだった。
「……観察眼がいいだけよ」
「オレには、そうは見えないけどな」
「じゃあ、どう見えるの?」
沈黙。
綾小路は、しばらく考え込んでいた。
そして――
「……分からない。だから、興味がある」
「興味?」
「ああ。お前のことを、もっと知りたいと思ってる」
その言葉に、堀北は動揺を隠せなかった。
「もっと知りたい」という言葉が、胸に響く。
前回の三年間、綾小路からそんな言葉を聞いたことは一度もなかった。
彼は常に距離を置いていた。誰に対しても、壁を作っていた。
それが、今は違う。
彼は、堀北に興味を持っている。
堀北のことを、知りたいと言っている。
「……私のことを知って、どうするの?」
「分からない。ただ、知りたいだけだ」
「変な人ね」
「お互い様だろう」
綾小路が、僅かに口元を緩めた。
それは、笑みと呼べるほどのものではない。けれど、彼にしては珍しい表情だった。
堀北は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
(綾小路くんは、いつか私の秘密に気づくかもしれない)
そう思う。
けれど、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、どこかで――気づいてほしいと、思っている自分がいる。
「綾小路くん」
「何だ」
「私も、あなたのことを知りたいと思ってる」
綾小路が、僅かに目を見開いた。
「……そうか」
「お互い様でしょう?」
堀北が、小さく笑う。
綾小路は、しばらく黙っていた。
そして――
「……面白い奴だな、お前は」
その言葉には、どこか温かみがあった。
一方、その頃。
Cクラスの教室では、別の動きが始まっていた。
放課後の教室。
ほとんどの生徒が帰った後、数人の男子生徒が残っている。
その中心にいるのは、龍園翔。
Cクラスを支配する男。
「おい、石崎」
「はい、龍園さん」
「お前も、様子を見てきたか?」
「昼休みに行ってきました。ポイントが1万しか支給されなかったって、騒ぎになってましたね」
石崎が、へらへらと笑う。
「ウチよりも少ないなんて、ざまあねぇっすね」
「そういうことじゃねぇ」
龍園が、低い声で言った。
石崎が、慌てて表情を引き締める。
「す、すいません」
「Dクラスに、面白ぇ女がいるな」
「面白い女……ですか?」
「金田、堀北鈴音を知ってるか?」
石崎が、首を傾げる。
その隣にいた、金田が答える。
「堀北……ああ、生徒会長の妹らしいですね。入学式の時に見ましたよ」
「生徒会長の妹? そりゃ面白ぇ」
龍園は、不敵に笑った。
「だが、それだけじゃねぇな」
「と言いますと?」
「あの女、入学初日からSシステムの裏を見抜いてたらしいじゃねぇか」
石崎が、目を丸くする。
「マジっすか? どうしてそんなことが……」
「それをオレが聞いてんだよ」
龍園が、窓の外を見つめる。
その目には、獰猛な光が宿っている。
「頭がいいんすかね、その堀北って女」
「頭がいいだけじゃ、ああはならねぇよ」
龍園が、振り返る。
「あれは――「知っている」目だ」
「知っている目……?」
「ああ。まるで、最初から全部分かってるみてぇな目をしてやがった。普通の新入生じゃ、絶対にできねえ顔だ」
石崎には、龍園の言っていることがよく分からなかった。
けれど、龍園が何かを感じ取っていることは確かだ。
この男の勘は、鋭い。
入学してから一ヶ月、龍園はあっという間にCクラスを掌握した。暴力と恐怖で支配し、逆らう者を徹底的に潰した。
その過程で、龍園は何度も「勘」を働かせていた。
誰が裏切るか、誰が使えるか、誰が危険か。
龍園は、それを本能的に嗅ぎ分ける。
今、その本能が、堀北鈴音という女に反応している。
「石崎」
「はい」
「監視しろ。堀北鈴音を」
「監視、ですか」
「ああ。あの女が何者なのか、何を知ってるのか。調べ上げろ」
石崎が、頷く。
「分かりました。すぐに手配します」
「急がなくていい。じっくりとやれ。ボロが出るまで、待つ」
龍園は、窓の外を見つめた。
夕日が、校舎を赤く染めている。
「堀北鈴音、か」
龍園の口元に、笑みが浮かぶ。
「楽しみだぜ。お前が何を隠してるのか、暴いてやる」
その目には、獲物を狙う獣のような光が宿っていた。
夜。
堀北は、自室のベッドに横たわっていた。
天井を見つめながら、今日のことを振り返る。
綾小路との会話。
彼は、堀北に興味を持っていると言った。
もっと知りたい、と。
その言葉が、まだ胸の中で響いている。
(嬉しい……のかもしれない)
前回の三年間、綾小路との関係は常に一方通行だった。
堀北が近づこうとしても、彼は壁を作った。堀北が理解しようとしても、彼は何も明かさなかった。
最後には、何も言わずに去っていった。
今回は、違う。
彼は、堀北に興味を持っている。
それだけで、前回とは全く違う。
(でも、気をつけないと)
堀北は、自分に言い聞かせる。
綾小路は鋭い。うっかり「前回」などと口走ってしまえば、いずれ真実に辿り着くかもしれない。
それは、まだ早い。
今の段階で「未来から来た」などと告白しても、信じてもらえないだろう。頭がおかしいと思われるのが関の山だ。
もっと信頼関係を築いてから。
もっと絆を深めてから。
その時が来たら、全てを打ち明けよう。
(それまでは、慎重に)
堀北は、目を閉じた。
明日から、また新しい一日が始まる。
クラスをまとめ、信頼を築き、Aクラスを目指す。
その道のりは、まだ長い。
けれど、今回は一人じゃない。
綾小路がいる。平田がいる。少しずつ、仲間が増えている。
前回とは、違う。
(今度こそ、変えてみせる)
堀北は、静かに眠りについた。
明日への希望を、胸に抱いて。