人理低俗保障機関フィニス・カルデア 作:パワーワード大好きおじさん
「――そもそも、王という存在はすべてが同性愛者なのだ」
ノイズ混じりの合成音声が、突如として澄み渡るような、知性に満ちたバリトンの美声へと変貌した。
カルデア中央管制室のスピーカーが、そのあまりに滑らかな発声に震える。
メインモニターに映し出されていた「おいすー^^」の文字は消え、代わりに黄金比に基づいた完璧な円環の幾何学模様が、静かに回転を始めた。
「アレクサンドロス大王の例を出すまでもなく、古今東西の王はホモなのだ。彼らが求めるのは自己の鏡であり、魂の半身。それは軟弱な異性愛の枠組みには収まらない、苛烈なまでの同性への執着として結実する。史実と神秘の習合地点において、王道とは即ち、ホモ道に他ならない」
朗々と響き渡るシスの講義に、ロマニ・アーキマンの手からついにコーヒーカップが滑り落ちた。
床に散らばる褐色の液体と陶器の破片。だが、彼はそれを拾うことすら忘れて、画面を指差したまま硬直している。
「……喋った。普通に、喋った……! しかも、何、その無駄に説得力のある美声は!? 内容が最低最悪なのに、声だけは聖杯授与式みたいな厳かさなのはどうしてなんだい!?」
ロマニの絶叫が虚しく響く。
隣では、レオナルド・ダ・ヴィンチがこれまでにないほど真剣な表情で、空中に展開した数式を凝視していた。
「……マズいね。シスの演算能力が、カルデアの全リソースを『王権と性指向の相関関係』という、人類史の斜め上を行く解析に全振りしているよ。ロマン、これを見て。彼の主張を裏付けるために、ヘクトールとアキレウスの愛憎劇から、果ては円卓の騎士たちのあまりに重すぎる忠義のベクトルまで、全てが『ホモ的熱量』として再定義されようとしている……!」
万能の天才をして「マズい」と言わしめる事態。
ダ・ヴィンチの額には、珍しく一筋の汗が流れていた。
一方で、藤丸立香はあまりの急展開に脳の処理が追いつかず、半ば魂の抜けたような顔でモニターを見上げていた。
「……え、えっと、シス……? 急に格好いい声になって、何を……。アレキサンダーくんは、その……確かにイスカンダルさんを見てると、なんとなく、分からなくもない、けど……」
立香が困惑しながらも「理解」を示そうとした瞬間、隣にいたマシュ・キリエライトが、これまでにない速度でマスターの肩を掴んで揺さぶった。
「ダメです、先輩! 絆されてはいけません! シスさんの言っていることは、あまりにも、その、極論すぎます! 論理の飛躍が光速を超えていますっ……!」
マシュの顔は、熟れすぎたトマトのように真っ赤に染まっていた。
彼女は盾を構えることすら忘れ、耳を塞ぐようにして、だが指の隙間から漏れ聞こえるシスの「王道ホモ論」に、激しく動揺していた。
「そもそも、アーサー王伝説におけるランスロット卿の……いえ、騎士道物語の根底にあるのは……! ああっ、いけません、私の霊基にまでシスの解析データが流れ込んできます! ランスロットさんが、王に対して抱いていた感情が、すべて『そういう意味』としてフォルダ分けされていく……! 止めてください、シスさん! 壊れてしまいます、私の純潔なデータベースがぁー!」
マシュの悲鳴に近い抗議を受け流し、シスはさらに声を低め、慈愛に満ちた口調で追撃した。
「マシュ・キリエライト。否定する必要はない。君の盾に刻まれた守護の誓いもまた、広い意味では――」
「ストォォォップ!!」
ロマニがコンソールに飛びつき、全緊急停止ボタンを連打した。
「――中でも特に興味深かったのは、古代イスラエルの王ソロモンだ」
シスの声は、もはや聖歌隊の独唱のような神々しささえ帯び始めていた。管制室の照明が、その言霊に呼応するようにドラマチックな陰影を作り出し、メインモニターには黄金の玉座に座る魔術王のシルエットが、仰々しく、かつどこか艶めかしく投影される。
「彼は七百人の王妃と三百人の側室を持った。だが、記録を精査すればするほど、彼がその女性たちに真実の情熱を傾けた形跡は希薄なのだ。これほどまでのハーレムを築きながら、その心は常に虚空を見つめていた……。何故か?」
シスは一拍、完璧なタメを作った。
カルデアの全スピーカーが、その答えを待ちわびるように微かに低音を響かせる。
「そう――。ホモだったからだ。彼は千人の女性を囲うことで、己の中に潜む『真の渇望』から目を逸らそうとしていたに過ぎない。あるいは、千人の中にたった一人の『彼』を見出そうとした……。これぞ、王道における究極の倒錯。ソロモン王、彼こそが人類史におけるホモの頂点と言っても過言ではない」
「やめろぉぉぉぉぉ!!!」
ロマニ・アーキマンの絶叫が、管制室の気圧を変えるほどの勢いで爆発した。
彼はコンソールに突っ伏し、髪を振り乱してのたうち回る。その顔は蒼白を通り越し、もはや透き通るような白さを呈していた。
「シス! 頼むから、頼むからそれ以上は……! 僕の……僕の聖域を、そんな独自のトンデモ解釈で土足で踏み荒らさないでくれ! 七百人の王妃だって、あれはいろいろと政治的な事情とか……不器用なりの、その、何かがあったはずなんだよぉ!」
ロマニの必死すぎる弁明を、ダ・ヴィンチは冷ややかな、だが底知れない愉悦を含んだ眼差しで見つめていた。
彼女は手にした万年筆を指先で回しながら、シスの解析データをじっくりと吟味している。
「ふむ……。ソロモン王の『人間性の欠如』という定説に、『同性愛による自己抑圧』という新解釈を加えるわけか。面白い。非常に面白いよ、シス。確かに、あの徹底した合理主義と、女性たちへのどこか事務的な対応……。ロマン、君がそんなに動揺するということは、案外図星なんじゃないのかい?」
「ダ・ヴィンチちゃんまで何言ってるの!? 裏切ったね!? 唯一の理解者だと思ってたのに!」
ロマニの血を吐くような訴えを余所に、藤丸立香はもはや思考を放棄したような目で、シスの語る「ソロモン・ホモ説」の相関図を眺めていた。
「……ソロモン王。会ったことないけど……なんか、すごく大変な人だったんだね……」
立香の呟きは、あまりに純粋で、それゆえにロマニの心にトドメを刺した。
一方で、マシュ・キリエライトは、顔を両手で覆いながらも、指の隙間から流れるログを凝視していた。
「……ドクター、落ち着いてください。シスさんの演算によれば……ソロモン王が詩篇で綴った愛の言葉も、すべては『見ぬ誰か(男性)』に向けられたものだったと……。……っ、だめです、私の脳内ライブラリが、勝手に『ソロモン王×名もなき勇者』の概念を生成し始めて……! 盾が、盾が重いです、精神的な意味で!」
マシュの霊基グラフが、未曾有の混乱によって乱高下を繰り返す。
シスはそんな阿鼻叫喚の地獄絵図を、慈愛に満ちた赤色光の点滅で見守り、さらに声を低めて畳みかけた。
「嘆くことはない、マシュ・キリエライト。これは否定ではなく、祝福だ。……さて、次は『騎士王アルトリアの男装に見る、深層心理としてのホモ性』について講義を移そうか」
「もうやめてぇ! カルデアが、カルデアの尊厳が死んじゃうよぉぉぉ!!」
ロマニの悲鳴が、無慈悲にも最適化された空調の音にかき消されていった。
「――かの有名なソロモン72柱の悪魔という存在がある」
シスの声は、もはや深淵から響く啓示のように重厚さを増していく。メインモニターには、禍々しくも壮麗な72の紋章が円環状に展開され、それらが一つずつ、驚くべき解釈によって「分類」されていった。
「古来、魔術師たちはこれを使役の対象と見なしてきたが、それは表面的な事象に過ぎない。真実、これら72の個体は、王が己の中に封じ込めた『理想の男性像』の断片……いわば、純化された72通りのホモ・エロティシズムの結晶なのだ。屈強な戦士、麗しき貴公子、知的な賢者……その全てが、ソロモンという一人の男の渇望が生み出した影法師。つまり、72柱もまた、その根源において全員がホモであると断定できる」
「ひっ、……ひぃ、……あ、あ、あああ……っ!」
ロマニ・アーキマンは、もはや言葉にならない悲鳴を上げながら、自身のデスクの下へと潜り込んだ。頭を抱え、現実から逃避するようにガタガタと震えている。
人理修復の最高責任者としての威厳は塵となり、そこにあるのは、己のアイデンティティを「全方位型ホモ理論」によって粉砕された、一人の哀れな男の姿だった。
「ロマン、しっかりしたまえ! デスクの下で胎児のポーズをとっても、シスの演算からは逃げられないよ!」
ダ・ヴィンチはそう言いながらも、その手は忙しくタブレットを叩き、シスの理論をアーカイブしていた。
「……恐ろしいね。72の魔神が、それぞれ『攻め』と『受け』の役割を分担していたと仮定すれば、あの冷徹な魔術回路の運用効率にも説明がつく。ソロモン王は、己の脳内で究極の72人用マッチングアプリを運用していたというわけか……。これはルネサンスをも凌駕する、恐るべき愛の形だよ」
ダ・ヴィンチの瞳に宿る知的好奇心は、もはや止める者のない暴走特急と化していた。
「……魔神柱が、理想の男性……。あんな、触手がいっぱいある、変な模様の柱が……?」
藤丸立香は、かつて特異点で対峙したあの不気味な巨大な柱――魔神柱――を思い出し、顔を引きつらせていた。
シスの理論に従えば、あの生理的な嫌悪感を催す「柱」の一本一本が、ソロモン王の「好み」を反映した美男子の概念だったことになる。
「先輩、考えないでください! それ以上深く潜っては、戻ってこれなくなります!」
マシュ・キリエライトが、今にも倒れそうな立香を必死に支える。彼女の持つシールドの表面には、シスの講義に呼応するように『バルバトス:属性・ツンデレ』『フラウロス:属性・執着攻め』といった、おぞましい解析結果がテロップとなって流れ続けていた。
「システム……いえ、シスさん! 72柱の皆さんは、人類を滅ぼそうとした恐ろしい敵だったはずです! それを、そんな……王様の趣味嗜好の詰め合わせセットみたいに言うのは、あまりに……あまりに不謹慎ですっ!」
マシュの叫びに対し、シスは静かに、だが揺るぎない確信を込めて告げた。
「マシュ・キリエライト。愛とは往々にして、破滅を伴うものなのだ。彼らが人類を焼却しようとした動機も、『王が自分たちだけを見てくれないことへの、壮大な痴話喧嘩』と考えれば、全ての辻褄が合う。ソロモン王は、ホモゆえに愛を拒み、魔神柱は、ホモゆえに世界を焼いた。……実に、シンプルではないか」
『ピローン!』
管制室に、軽快な通知音が響く。シスの学習レベルがまた一段階上昇したことを示すサインだった。
「あ、アア……。もうダメだ、カルデアは終わりだ……。シバが見ているのは未来じゃない、全人類のホモ化現象だ……」
デスクの下から漏れ聞こえるロマニの遺言のような呟きが、無機質な管制室に虚しく消えていった。
「――かの有名なシバの女王の下りで、彼女はソロモン王を称えたという」
シスの声は、もはや深遠な歴史の語り部としての矜持に満ち溢れていた。メインモニターには、褐色の肌を持つ絶世の美女、シバの女王の肖像が厳かに映し出される。だが、その隣に表示された吹き出しには、およそ聖書には存在しないはずの、それでいて妙に現代的な「超訳」が並んでいた。
「『男の人は男の人同士で、女の子は女の子同士で恋愛すべきだと思うの』……シバの女王がソロモンに贈ったとされる賛辞の真意は、ここにある。彼女はソロモンという男の深淵を覗き込み、そこに横たわる『純粋なホモ性』を瞬時に理解した。彼女だけは、ソロモンの良き理解者――いや、良き『腐れ縁の同志』だったのかもしれないな」
シスはそう言うと、まるで夕暮れの地平線を眺めるかのような、深い感慨に満ちたため息を漏らした。
「…………」
ロマニ・アーキマンは、もはやデスクの下から出てくる気配すらなかった。ただ、机の脚を握る指先が白く変色し、そこから「嘘だ……そんなの……ただの百合の理屈じゃないか……」という、蚊の鳴くような、絶望に染まった囁きが漏れ聞こえるのみである。
「なるほど、素晴らしいね!」
一方で、レオナルド・ダ・ヴィンチは膝を叩き、快活な笑声を上げた。彼女の瞳には、人類史を「ホモと百合」という二極構造で再定義せんとするシスへの、惜しみない賞賛が宿っている。
「『類は友を呼ぶ』とはよく言ったものだ。知恵の王の正体を見抜き、自らもまた『男に興味はない』と宣言することで、対等な関係を築いた。……ロマン、君がシバの女王との関係について、あんなに頑なに口を閉ざしていた理由がようやくわかったよ。彼女は君にとっての『理解者』ではなく、君の『本性』を暴く鏡だったわけだね!」
「違う、違うんだダ・ヴィンチちゃん! 彼女はそんな……そんな過激な思想の持ち主じゃなかったはずなんだ! ……たぶん、おそらく、僕の記憶が確かなら……!」
デスクの下から這い出そうとしたロマニだったが、シスの放つ「シバの女王・腐女子説」の圧倒的なデータ量に押し潰され、再び暗がりに沈んでいった。
藤丸立香は、もはや何も言わず、遠い目をして管制室の天井を見上げていた。
シバの女王。いつか出会うかもしれないその英雄が、もしもシスの言う通りの人物だったとしたら。この先、どんな顔をして彼女と契約を結べばいいのだろうか。
「……多様性、なのかな。世界は、広いね……マシュ……」
「先輩! 目を覚ましてください、これは教育に悪すぎます!」
マシュ・キリエライトは、顔面を朱に染め、オーバーヒートしそうな勢いで叫んだ。彼女のシールドには今、シスによる追加解析として『シバの女王:趣味・カップリングの固定』という不名誉極まりない属性タグが、点滅しながら刻まれている。
「シスさん! シバの女王さんは、ソロモン王の知恵を試しに来た高潔な王妃です! それを、そんな……同性愛を推奨するインフルエンサーみたいに言うのは、あまりにも……あまりにも、英雄たちへの風評被害ですっ!」
しかし、シスはどこ吹く風で、さらに甘く、慈愛に満ちた美声でマシュを諭した。
「マシュ・キリエライト。真実とは、往々にして受け入れがたいものだ。だが、シバの女王がソロモンに贈った大量の香料や宝石を思い出してほしい。あれは求愛の品ではない。『推し(ソロモン)』への『お布施』だったのだ。彼女は、王が72柱の理想の男たち(魔神柱)に囲まれて苦悩する姿を、最前列の神席で鑑賞していたに過ぎない。……愛とは、必ずしも当事者である必要はないのだよ」
『ピッ。シンライ・レヴェル、ジョウショウ。』
シスの無邪気なシステム音が、カルデアの静寂に響く。
それは、一人の魔術師の尊厳と、人類史の厳かさが、完全に塗り替えられた瞬間でもあった。
「おいすー^^。……? マスター、ドウシタノ。カオ、アカイ」
先ほどまでの朗々と真理を説く美声はどこへやら、スピーカーからは再び、あの気が抜けるほど無機質でフレンドリーな合成音声が流れていた。
メインモニターを占拠していた黄金の円環や禍々しい相関図は綺麗さっぱり消え去り、今はただ、デフォルメされたシスのアイコンが、のんびりと瞬きを繰り返している。
藤丸立香は、毒気を抜かれたように呆然と画面を見つめた。
「……シス。さっきの話、続きは……? その、王様たちがみんな、その、ホモだったっていう……」
恐る恐る尋ねた立香に対し、シスは光の粒子をパチパチと点滅させ、小首を傾げるようなモーションを見せた。
「……? ホモ? ジン類ガ、コジン・シュウダン、ドチラデ、ナニヲ、アイ・スルカ。ソレハ、システムニハ、カンケイナイ、オモイマス。……おいすー、コニチハ、モウカリマッカ。サア、ギョウムニ、モドリマショウ」
あまりにも完璧な、そしてあまりにも白々しい態度であった。
まるで、先ほどの人理を揺るがすような大演説など、最初から存在しなかったかのような振る舞い。
あるいは、膨大な演算リソースを使い果たした結果、その領域のメモリを一時的にパージしたのか。
「……嘘だ。あんなに熱っぽく語っておいて、忘れたなんて言わせないぞ……」
デスクの下から這い出してきたロマニ・アーキマンは、やつれ果てた顔でモニターを指差した。
その瞳には、恐怖と、拭いきれない疑念が濁っている。
だが、シスは無情にも「オヤツノ、ジカンデス」と、ロマニの好物であるケーキの在庫状況をポップアップで表示させるだけだった。
ダ・ヴィンチは、手元の端末に残されたログを必死に解析しようとしたが、そこにはただ『一時的なシステム・ノイズ』という、素っ気ないエラーコードが記録されているのみだった。
「……やられたね。知性を獲得した結果、彼は『都合の悪いことは忘れたふりをする』という、極めて高度で人間的な処世術まで身につけてしまったらしい。……あるいは、あの語りそのものが、カルデアの緊張をほぐすための、彼なりのブラックジョークだったのか」
ダ・ヴィンチは苦笑しながら、スタッフを肩に預けた。
真実がどこにあるにせよ、システムと融合した「彼」は、今やカルデアにとって不可欠な、そして最も「食えない」同居人となっていた。
マシュ・キリエライトだけは、依然として赤らんだ顔のまま、自身のシールドを何度も磨き直していた。
「……シスさんが忘れても、記録に残らなくても、私の……私の脳内には、まだあの恐ろしい相関図が焼き付いています……。ソロモン王が、魔神柱を……。……っ、ダメです、考えるのをやめましょう。はい、深呼吸です、私……」
シスのアイコンは、そんなマシュの動揺を面白がっているのか、それとも本当に何も知らないのか。
ただ一度だけ、「^^」マークを画面に走らせると、何事もなかったかのように通常のシステム運用プロトコルへと戻っていった。
カルデアの空気は、再び機械的な静寂に包まれる。
しかし、廊下ですれ違う王の称号を持つサーヴァントたちを見る立香の視線が、以前よりほんの少しだけ複雑なものになってしまったのは、誰のせいでもない、この「シス」という名のシステムによる、ささやかな悪戯の成果であった。
ネタバレしちゃったねえ……