個性、海神 ── 神の血を引く少女は雄英に立つ 作:一夏 茜
私は両手で頬を支えて、その試合を眺める。
切島対、爆豪の試合。
切島は爆豪の爆破にびくともしない。爆豪は防戦一方。だがある瞬間からその攻撃が効き始めた。
全身を硬化するのにも集中力とかいるのかな? 詳しくはわからないが、その鉄壁の硬化に綻びが出たようだった。
爆豪は畳み掛ける。その爆破の威力に切島は戦闘不能。勝者爆豪。
まあ正直あいつなら勝つとは思ってたけど……私の相手、爆竹くんかぁ。嫌だなあ。
とりあえずオリンポスがひっくり返るような一撃を爆竹くんに食らわせてやる。
──
私はトイレで私は手を洗っていた。向かいの鏡に映るのは青い顔をした情けないガラテア・ジャクソン。
ふらつくのを、私はタタラを踏んで堪えた。貧血で足元もおぼつかない。脳みそが洗濯機の中で回されてるみたいに、視界の端でタイルがぐにゃぐにゃに踊っている。
でも……私はここで諦めるわけには行かない。
限界でも、それでも──
限界の先へ──
『準決勝第二試合、爆豪対ジャクソン!! 爆豪のラッシュが止まらねえ!! その快進撃今度こそ止められんのか!? 試合スタァート!!!!!』
開始の合図とともに、爆豪は突っ込んできた。
初動が速い。速すぎる。
私は反射で手の甲を噛みちぎった。歯に伝わる鉄の味と同時に血を引き出し、高速で回転させる。即席の水圧カッター。
──でも、当然それは対策されてる。
爆豪はバカじゃない。
「甘ェんだよ!!」
爆発。正面からじゃない。地面を蹴り、爆風で軌道を捻り、私の死角に一気に滑り込んでくる。
水圧カッターが空を斬った。次の瞬間、爆風が脇腹を叩く。
ねえパパ、オリンポスには『娘が爆破されるのを放置してはいけない』っていうルールはないの? なければ今すぐ作ってほしい。
私は血を広げた。刃じゃない、膜だ。爆風を受け流すための水の層。
だが爆豪は止まらない。打撃に爆風を重ね、フル威力で殴りかかってくる。風圧で血の刃が欠けて飛ぶ。
近接圏。
踏み込んだ瞬間、もう間合いが違う。そう。殴るより、殴られる距離。
言うまでもないが爆豪は強敵だ。その個性の汎用性。攻撃、移動、回避を同時に成立させる。まるで考える前に、体が正解を出す。天才マンとはよく言ったものだ。
でも、完全防御技がない。個性を封じられると一気に不利に傾く。それが私の出した分析。
爆豪の瞳は爛々と知性で光っている。
私は歯を食いしばって、踏み込んだ。ダン、と地面を蹴って回し蹴りを叩き込む。当然のように腕で防がれるが、それは陽動。爆豪の両腕。そこから噴き出す汗。ニトログリセリン。私だって何も対策を考えなかったわけじゃない。
甘い匂いが鼻についた。
爆豪の爆破の個性は、そのニトログリセリンの汗で支えられている。
触れずに、包む。汗の表面をなぞるように、膜を被せる。
爆発の“芯”を、外から締め上げる。
一瞬。
爆豪の爆発が──遅れた。爆豪が目を見開く。
彼は──理解した。
個性を奪われたことも、今が「負け筋」だということも。
私は口端を上げ、触れずに支配する。 爆豪の肌から滲む汗は、もはやあんたのものじゃない。 爆発の“芯”を、外から氷の指先で締め上げる。 ごめんね爆竹くん。その爆発は、今から私の所有物だ。勝手に燃えるのは許さない。
──止まった。
爆豪の当たり前に扱えてた爆発が、裏切った。口元が歪んだ。舌打ちが、地面に叩きつけられる。爆豪から爆破が取り上げられた、その刹那。私は畳み掛ける。血のカッターを至近距離から放った。そう、距離を詰められているからって相手だけが有利なわけじゃない。私の操作もさらに緻密になる。
爆豪の目が死んでいない。なのに私は、「勝てる」と思ってしまった。
血のカッターが、至近距離で唸りを上げた。爆豪の肩口を裂く。爆豪の瞳みたいに真っ赤な血潮が飛ぶ。
パパがこれを見たら、きっと自慢の娘だってオリンポスで言いふらすだろうね。反吐が出る。 自分の腕の傷口が開き、鉄の匂いが鼻を突く。血を引き出すたびに、視界がチカチカと火花を散らす。
「……っ、チッ!」
それでも、爆豪勝己は止まらない。
爆豪は即座に身を沈め、刃を最小限の動きでやり過ごす。だが全て避けられるわけじゃない、爆豪の頬を刃が掠って血が吹き出し、それもまた刃へ変わり、回転しながら爆豪を付け狙う。
爆発は、起きない。いや、起こせない。
私の操作するニトログリセリンの膜が、爆豪の両腕を覆っている。酸を操る能力を掴んだ私にとって爆豪の汗を操作するのは朝飯前だ。
だが爆豪の判断は早かった。次の瞬間、腹に純粋な打撃が叩き込まれた。
「トリ頭にやったあれッ……やれや!!!」
「……っ!」
重い。爆風のない拳なのに、重すぎる。
体幹。踏み込み。腰の回転。全部が無駄なく繋がってる。感情的に見えて、実は誰より頭が回る。そういう奴だ。
わかってるよ。
やるなら、全力で。でしょ?
私は目を細め、爆豪の体内を流れる血を操作する。血管の中を流れる海は、私の命令に従って泣き叫んでいた。心臓の弾みを速く、血の流れを重くする。頭が死ぬほど痛い。鼻血がつ、と流れるのを感じた。
爆豪は瞬間すぐに全身を前のめりにした。わかった、上半身を捨てて、体幹と下半身で支えている。血が回らないなら、体重のすべてを凶器に変えればいいと言わんばかりに。倒れ際、死に際。その一瞬の挙動に、彼は全霊を懸けている。
私は後退しながら血の膜を厚くする。血を限界まで引っ張り出す。爆豪からも血を引き出した。
だが爆豪は、血が抜ける感覚もあるだろうに、距離を詰める速度を一切落とさない。爆発がなくても戦える前提で鍛えてる。その瞳に妥協は一切ない。今、爆破がなくなっても、勝つつもりで──。
ヒーロー科の教科書通りじゃない。天性のセンスに任せた喧嘩殺法。
爆豪勝己は、一つの戦術で勝てる相手じゃない。
でも爆豪の強さを実感した今、負けたくないな、と改めて思った。
最初は『パーシーよりも偉大なヒーローになりたいから』だった。でも、今私の戦い方じゃそんなヒーローにはなれないと頭の隅で理解していた。パーシーは外道みたいな戦い方はしない。それじゃ超えられない。
でも、思ってしまった。
私、負けたくない。やっぱり、パーシーを追うのでもなく、私が一番になりたい。
強くなりたいの。
強く、もっと強く。もう何も取りこぼさないように。二度と私の前で誰も死なせないように。
私だって勝って、助ける、ヒーローに──!!!!
──このまま続けば、私が勝つだろう。頭の隅で冷静な私が告げる。
でも、「続けば」の話だ。
時間を与えてくれない相手だってことを、私は忘れていた。
爆豪の瞳は、もう半分血で染まって、焦点も合っていないはずだ。 血管は浮き上がり、呼吸のたびに肺が壊れた笛のような音を立てている。 普通なら、立っていることさえ奇跡だ。
なのに、彼の手は、私の胸ぐらを掴んで離さない。
「……し、つこい……っ!」
「当たり、前だろ……が……!!」
爆豪は、私の手首を掴んだ。カッターで切りつけるより速い。
爆破がなくても成立する、最短距離の制圧だ。個性を封じられ、血を抜かれ、死にかけているはずの男の握力じゃない。
私の支配は解けていない。彼は間違いなく、内側からボロボロのはずだ。 なのに、掴まれた手首から、彼の剥き出しの心音が伝わってくる。ドク、ドクと、早鐘を打つ鼓動。それは恐怖でも苦痛でもない。
「勝つ」という意志だけが脈打つ、暴力的なリズム。
その覚悟の重さに一瞬、私の指先が震えた。わかってたはずだ、負けたくないのは私だけじゃない。
私は最後の力で膜を厚くする。爆豪の死角からその喉元へカッターを飛ばす。
爆豪は構わず、私を地面に叩きつけた。刹那、爆豪の喉が裂けたのが見えた。私は血を力一杯引き摺り出す。だが……。
背中に鈍い衝撃。
肺の空気が一気に抜ける。視界の端で、膜がほどけた。
集中が、切れる。
その瞬間。 爆豪の腕から、けれど私の鼓膜を破らんばかりの爆破が起きた。わかる。理解する。爆豪は、私の集中が切れる瞬間をずっと待っていたんだ。
耐えて、耐えて、今だと判断した。 この瞬間私の支配を、彼は血管をブチ切り、筋肉を断裂させるほどの強制駆動だけでぶち破った。 彼は噛み締めるように奥歯を鳴らし、その爆破で飛ばしていた”血”を吹き飛ばす。
そこで私は、ちょっと笑ってしまった。
立ち上がれなかった。ただ、笑った。
「っに、笑ってやがる、余裕だなぁ、おい!!」
彼はただ、歯を剥き出しにして殴ってくる。
この背中なんだ。
この世界で追いかけるなら、こういう背中だ。
その時、私にほんの一瞬、隙ができた。でもそれで、爆豪には十分だったのだろう。腹に向かって止めの爆破一撃。視界が白く弾ける。
地面に叩きつけられ、何度も転がる。血が、もう思うように動かない。
立ち上がろうとして、膝が折れた。
一つ封じても、まだ次がある。一つ凌いでも、次の一手が来る。
爆豪勝己は、そういう相手だった。
個性を封じている今、爆豪はただの肉弾戦だ。私はカッターを使って爆豪を切るが、どんなに血を流していても、爆豪はギラギラとした瞳を揺るがせなかった。血を抜き、汗を封じ、心臓を弄んだ。計算上、彼は十回は死んでいておかしくない。とっくに意識を失っても当然の血の量だ。ありえない。審判は何をやってるんだよ。
そうして白目を剥きながら、爆豪は私を殴り飛ばす。
そして……私は血を操るだけなら、まだ余裕がある。だが──爆豪の拳を防ぎながら、個性を封じながら、スタミナと集中力を削りながら、自分の命も同時に繋ぎ止める。
これを一秒でも途切れさせたら、終わる。
頭がガンガン痛んで、視界が真っ赤に染まる。でも不思議と、怖くはなかった。 今の私は、『神の娘』でも、『パーシーの妹』でもない。ただのガラテアとして、目の前の『爆豪勝己』という嵐に全力で抗っている。
爆豪は私の胸ぐらを掴み、殴り飛ばす。
私は血の唾を吐き、立ち上がる。また地面に叩きつけられる。立ち上がる。投げ飛ばされる。場外の寸前で地面に齧り付き、立ち上がる。それでも、離れなかった。そして──
爆豪は立ったまま、肩で息をしている。
審判の声が、遠くで響いた。
──敗北。
パーシー。……私、兄さんより強いヒーローになりたかったよ。でも、この『人間』は強すぎる。本当はアレスの息子だったりしない? 反吐が出るような、血の操作を使っても勝てないなんて。
私は仰向けのまま額に手を当て、涙を拭いながら呟いた。
「……やっぱ、あんた……強いね」
爆豪は、私を見下ろしてようやく噴き出た汗を拭いながら言う。
「……ハッ、たり前だろ」
「次もそれ使えよ。…………全部まとめて、俺が勝つ」
「……勝手なこと言わないでよ、バカ爆竹」
ああ、パーシー。
パーシーの周りにも、こんなふうに理屈を全部ぶっ飛ばして笑う、バカみたいに眩しい人間はいた?
──
決勝は飯田と戦って勝った轟、対爆豪らしい。すごい試合になりそうだな。
「お疲れ、ガラテア」
「負けちゃったー、やっぱ爆竹くん強いわ」
響香は隣に座った私にタピオカミルクティーを渡した。私は受け取る。お、意外と美味しい。見た目は最悪だけど。
「なんていうか、下手なことしか言えないんだけど……やっぱあんたロックだわ」
響香は頬杖をついて目を細める。
その言葉に救われた最初を思い出した。
私はにっこり笑った。
「でしょ〜、ぶい!」
『雄英高体育祭も、いよいよラストバトルゥ!! 一年の頂点がこの一戦で決まるゥ!! いわゆる、決勝戦!! ヒーロー科、轟焦凍!! バァーサス!! ヒーロー科、爆豪勝己!!!』
『今、スタート!!!』
瞬間、轟の氷が爆豪に迫る。一気に覆い尽くしたかに見えたが。氷の中から爆音が……。
私はミルクティーを飲みながら目を細める。こんなところで終わるやつじゃないよね? 爆竹くん。
そして……氷を突き破って、爆豪が出てきた。爆発で氷結を防いていたのだろう。そして掘り進めた。
流石の判断力。やっぱ戦いにおいては天性のセンスがある。
そのまま右側を避けて、爆豪は轟につかみかかる。
だが、……轟は左を使わない。
脳裏に染み付いた呪いはそう簡単に消えないということだろうか。爆豪は心底イラついてるだろうなあ。
その時だった。
「轟くん!!!」
その叫び声に私は息を呑んだ。振り向く。声の主を探す。
「負けるな!!! 頑張れーーー!!!!」
緑谷だ。轟はその言葉に肩を揺らした。その左には炎が纏っている。──だが……。
爆豪の半端ない火力に勢いと回転を加えたその攻撃に、轟は左を使わなかった。抵抗しなかった。
轟は今、場外で人形のようにぐったりと力を抜いて、氷の塊と共に倒れている。
爆豪は轟の元へ行って、胸ぐらを掴む。
「ふざけんなよ!! 意味ねえって言っただろうが!! こんな一位なんて、こんなの!!!」
──完膚なきまでの一位。私もあんたがそれを手にする瞬間が見たかったよ。
どこからともなく立ち上るミッドナイトの煙を吸い込んで、爆豪は意識を失う。
そうして、結果的には爆豪の勝利で雄英体育祭は幕を閉じた。
──
表彰式は結構面白かった。絵面が。私は三位。轟は二位。そして……爆豪は収監された凶悪犯もかくやという格好で、一位の座に拘束されている。爆破対策だろう。鉄でできた重そうな拘束具にガッチリ固定されて、口も塞がれていた。
起きてからずっと暴れ続けていたらしい。ずっとモゴモゴ言ってる。何を言いたいかはなんとなくわかってしまうのが、また笑える。
「爆竹くん、こっち向いて〜、ハイチーズ」
スマホで連写する私に爆豪はさらに怒り狂ったように跳ねる。なんかもがもが言っている。
何これ面白すぎる。永遠にからかっていたい。
「三位はジャクソンさんともう一人、飯田がいるんだけど……ちょっとおうちの事情で早退になっちゃったので、ご了承くださいな」
ミッドナイトはテレビカメラに向かってウインクをした。家庭の事情か。飯田どうしたんだろ。
「それではメダル授与よ! 今年メダルを贈呈するのは、もちろんこの人!!」
オールマイトがあの笑い声と共に出てきた。みんな、おおっと一際大きな歓声が上がり、写真を撮る音が響き渡る。
そして現れたオールマイトは、表彰台まで歩み寄ってきて、銅メダルを私にかけた。
「ガラテア・ジャクソン少女! 君の戦い、実に見事だった! 凄まじい執念だ!」
その巨体に似合わない優しい力でそっと抱きしめられた。耳元でオールマイトは言う。
「……だが、君の瞳には、勝利への渇望と同じくらい深い『怯え』が見えた。自分の力が、いつか自分を人間でない場所へ連れて行ってしまうのではないか……そう、怯えてはいないかい?」
私は思わず息を呑む。それが答えになったのだろう。彼はいつもの眩しい笑顔で私の肩を叩いた。
「案ずることはない! 自分の力を恐れる者だけが、その力の手綱を握れるのだ。君のその力も、誰かの命を繋ぎ止めるための『祈り』に変えられる。私は、君のその優しさを信じているよ。おめでとう!」
私はブロンズのメダルを触った。艶やかな触り心地が、私に微かな喜びと悔しさを与えてくれる。
だめだな私。一位じゃないのに喜ぶ気持ちがあるなんて。
「轟少年、おめでとう」
頭を下げる轟に、オールマイトはメダルをかける。
「決勝で左側を収めてしまったのは訳があるのかな?」
「緑谷戦できっかけを貰って、わからなくなってしまいました。あなたが奴を気にかけるのも、少しわかった気がします。あなたのようなヒーローになりたかった。ただ、俺だけが吹っ切れて、それで終わりじゃだめだと思った。清算しなきゃならないものがまだ、ある」
私は黙って轟を見ていた。どこかその表情は憑き物が落ちたような柔らかさのある表情。
「うん、顔が以前と全然違う」
オールマイトは轟にメダルをかけて、抱きしめた。二言三言囁いて、次に爆豪の前へ。
「選手宣誓の伏線回収、見事だったな」
「オールマイト……」
猿轡を外された爆豪は、呻き声を漏らす。
「ん?」
「こんな一番……なんの意味もねえんだよ!!! 世間が認めても、自分が認めてなきゃゴミなんだよ!!!」
私はまじまじと爆竹くんを見つめた。やっぱすごいなあと思う。なんだかんだ、こいつを尊敬してしまうのはそう言うところだ。爆竹くんは、絶対に「評価」や「運命」に振り回されないんだろう。
「うむ。相対評価にさらされにだけ続けるこの世界で、不変の絶対評価を持ち続けられる人間はそう多くない。メダルは受け取っとけよ。自分の傷として決して忘れぬよう」
「いらねつってるだろが!!!!」
「まあまあ」
「だからいらねって!!!」
結局メダルは爆豪が咥えることとなった。
ほんと凶悪な顔だなあ。子供泣くんじゃない?
まあ色々あったけど……そうして、体育祭は終わりを告げたのだった。